ファッション分野に毎年大ヒット商品が生まれていた90年代の豊かさ
2017年10月23日 トレンド 0
90年代ファッションを回顧するという企画がウェブ上で流れてきたので、47歳のオッサンが27年前から18年前までを回顧してみると、今の30代の人々が回顧している90年代とは様相がだいぶと異なる。
なぜなら、27年前の1990年に当方は20歳だったが、30代の人は10代である。
今、39歳の人でも当時は12歳ということになる。1999年で21歳である。
今、39歳の人でもファッションシーンが記憶に残っているのは、早くても15か16歳くらいからだろう。となると最大でも94年ごろの記憶からしか残っていない。
仮にこの39歳の人が高校卒業後、大学進学のタイミングでファッションに興味を持ったとしたら、96年ごろからということになり、90年代を網羅できるほどの情報量がない。
39歳未満の人はなおさらだ。
90年代を正確に回顧できるのは40代以上で、80年代を正確に回顧できるのは50代以上、70年代を正確に回顧できるのは60代以上と考えるのがもっとも適切だろう。
ちなみに80年代は当方が10歳から19歳までの時期で、回顧できるとするならせいぜい85~89年までの4年間しかない。
しかも中学生から高校卒業までという極めてあやふやな記憶しかない。
そんなわけで47歳のオッサンが90年代の衣料品業界を思いつくままに回顧してみる。
ファッションや洋服の概念だとか哲学だとかそんなものに当方は微塵も興味がないので、売れた売れないというビジネス的結果が中心となる。
ここに文字にする前にざっと頭の中で挙げてみたが、90年代はバブル崩壊後で苦戦が続いたといわれているが、実は衣料品・ファッション用品については国民的ブームがほぼ毎年のように起きていたことに気が付いた。
2005年以降のビッグトレンドが生まれにくい時代からするとなんと恵まれた時代だったのかと今にして思う。
1~2年の誤差があるかもしれないが、当方の記憶がベースなのでお許しいただきたい。
89~91年ごろ 世界地図が描かれたバッグブランド「プリマクラッセ」が大学生に売れていた。MCMやらハンティングワールドやらも。
同じころ、トムクルーズの「トップガン」の影響でMA-1ブルゾンが大学生の制服のようになっていた。
93~96年ごろ レーヨンを交織・混紡したソフトジーンズが大ヒット、「04ジーンズ」がボブソン史上最大のヒット商品となった。
95年 ナイキエアマックス95が大ブームで、履いているのを強奪する追い剥ぎが多発した。
95~98年ごろ レーヨンジーンズへの反動として固くゴワゴワしたビンテージジーンズが大ブームになった。
97年 バーバリーブルーレーベルがバーバリーチェックのミニスカートを安室奈美恵に穿かせて大ヒット、アムラーが出現。
98年~ ユニクロのフリースが大ヒット、ユニクロブーム・低価格ブームが起きる。
99年ごろ ジーンズ、ズボンの股上が浅くなり現在に続くローライズジーンズが大ヒット。
99年 ツープライススーツショップ誕生。第1号はオンリーの「スーパースーツストア」。
ざっとこんな感じだ。
90年代後半には、一体何が良かったのかいまだにちっとも理解できない裏原宿系ブランドも大ヒットしたし、これら以外でもキムタクがドラマで着用したブランドはもれなく売れた。
また、95年~99年ごろは独立系デザイナーズブームもあり、関西でもビューティービーストや20471120などのブランドが話題となり、某専門学校ではビューティービーストの山下隆雄氏が講演に来ると、数百人規模で立ち見が出るほど学生が集まったという。
こうしてみると、裏原宿や独立系デザイナーなんていうどちらかというとコアな市場向けのブランドもヒットしたし、MA-1ブルゾン、04ジーンズ、ビンテージジーンズ、エアマックス、アムラー、ローライズ、ユニクロのフリースなんていうマス向けのビッグトレンドもほぼ毎年のように生まれていたことがわかる。ちなみにレーヨンジーンズのヒットからテンセルジーンズも生まれた。
2005年以降、とくに2010年以降の流れを知っていると、ビッグトレンドの生まれやすさに加えて、メジャー市場とコアな市場の両方で大ヒットが生まれることに驚いてしまう。
今は当時ほどのファッション・衣料品への需要や渇望感がない。
また価格破壊・低価格ブームが始まり、ユニクロが現在へと続く基礎を固めたと同時に、裏原宿や独立系デザイナーズブランドという高額品も同時に売れたというのもなかなか興味深い。
ちなみに携帯電話が普及し始めたのは97年以降のことで、当方が初めて手にしたのも97年か98年だったと記憶している。
90年代の当時は、バブルが崩壊しており、バブルを謳歌した80年代への羨望が渦巻いていたが、2017年の今から振り返ってみると衣料品業界・ファッション業界にとっては今とは別世界かと思うほどに恵まれた時代だったといえる。ただ、当時過ごしていた人間にそのことがわからなかっただけのことだ。それは90年代に限らずいつの時代もそうかもしれない。
70年代の高度経済成長期だって当時の人間にはそんなに好景気だとは思えなかっただろうし、80年代のバブル期だって同じだ。
過ぎ去ってみて初めてそういう時代だったということがわかる。人間の感覚なんて所詮はその程度の代物でしかない。
メジャーもマイナーも大きな売上高が稼げたということは、当時はファッションや衣料品というものが若者を中心に相当に重視されていたといえる。今のように携帯電話に金を支払う必要もないから、その分の可処分所得もプラスオンされていたといえる。また、それだけではなく、この当時の若者(今の40代)は極めてミーハーな性質があり、トレンドとされる物に恐ろしい勢いで群がっていたといえる。これは何もその年代だけのことではなく、それ以前のミニスカートブームやベルボトムジーンズブームでもわかるように上の世代にも共通する戦後日本の若者の性質といえる。
このころに比べると、2010年以降は嗜好や娯楽が極めて細分化されたといえる。
それゆえにファッションにそれほどに興味も持たれないし、それが万人受けする娯楽ともなり得ない。
ファッションは釣りや切手収集やガンプラ組み立てと等しい趣味の一分野になったと考えるのが正しいといえる。
いまだに「服づくりガー」とか「洋服の文化ガー」と叫ぶ人が業界にも業界外にも老若男女を問わず存在するが、それは2005年までの幻影を見ておられるのではないか。
ここまで嗜好と娯楽が細分化してしまえば、90年代のような状況に戻ることは不可能である。
今後は、細分化した嗜好と娯楽に対応できるブランドとファッション企業が生き残れる。
90年代の夢はまどろみながら見るにとどめるのが賢明である。
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シャツ専門アパレル各社の生き残りと消滅を回顧する
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