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南充浩 オフィシャルブログ

陳腐化した「日本製」というキーワード

2017年4月6日 企業研究 0

 販促ワードとしての「日本製」は陳腐化したと感じる。

ワールドはTHE SHOP TKで「新潟ニット」「長崎シャツ」などを打ち出している。
価格は5500円くらいとなっている。

新潟は五泉というニットの産地があるが、新潟全体がニットの産地ではないから、ニットに詳しい人からすると何とも微妙なネーミングといえる。

新潟ニット

高野口のフェイクファーを和歌山フェイクファーと呼び直すような感じである。

しかし、まあ、わからないではない。

長崎シャツはちょっとわからない。
長崎ちゃんぽんの方がはるかに有名だろう。

長崎シャツ

九州にはシャツの縫製工場が多いから、その背景もあって長崎の工場に決めたのだろうと推測される。
しかし、ウェブサイトに書かれた文言はちょっとわかりにくい。

「220年の歴史、
播州織で仕立てた
長崎シャツ」

と書かれてあり、産地に詳しくない人からすると「播州なのか長崎なのかよくわからない」と感じるのではないか。
それならもっとシンプルに播州織シャツにでもしたほうがわかりやすいのではないか。

さらにサイトには、こうも書かれてある。

そのこだわりを込めた生地は海を渡り、
長崎の工場へと届けられ、
服へと生まれ変わる。

ちょっと大げさすぎないだろうか。
通常、日本語で「海を渡り」といった場合は、海外へ行くことを指す。
日本の四方が海だからだ。

たしかに、播州と長崎の間には海はある。
瀬戸内海と関門海峡だ。
しかし「海を渡る」というにはちょっと狭すぎないか。
せめて日本海くらいは渡ってもらいたい、と思うのは筆者がひねくれているからではないだろう。

まあ、それはさておき。

この業態はおもにショッピングセンターとファッションビルへのテナント出店である。
価格帯は低価格から中価格帯。
ユニクロとほぼ同等か、それに1000円~2000円プラスしたのが中心価格帯になる。

そういう価格帯のブランドまでが「日本製」を打ち出しているのである。
なぜ打ち出すかというとそれが付加価値を高めたり、消費者を動かしてくれるのではないか、とブランド側が考えるからだ。

しかし、そういう価格帯のブランドまでが「日本製」を使うということは、「日本製」という言葉が如何に陳腐化してしまったかということの証明でもある。

だが、これは百歩譲ってもまだ日本製をそれなりに重要視しているといえるが、コムサイズムの打ち出しは最早、日本製を重要視しているとはいえない。

「コムサイズム」、日本の伝統技を海外工場でも
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO14922660U7A400C1TI5000/

アパレル大手のファイブフォックス(東京・渋谷)はショッピングセンター向けブランド「コムサイズム」で、国内の伝統技を取り入れた商品群を発売した。職人の技術や伝統的なデザインなどを海外の協力工場に指導し、大量生産して値ごろ感を出す。

とのことだが、言葉もない。

それは単なる無償での海外への技術供与ではないか。
海外工場へ技術を流出させているだけのことではないか。

また、「職人の技術や伝統的なデザイン」というが、製造地は海外工場なわけで、そこに何の付加価値があるのだろうか。
これに付加価値があると考えた人がいるということなのだが、その思考回路はまったく理解ができない。

そもそも、数あるコムサシリーズの中で、コムサイズムは大型スーパー向けに開発された低価格ラインだった。
90年代後半に一大ブームを巻き起こしたユニクロへの対抗策だともっぱら噂になった。

たしかに当初はユニクロとほぼ同価格で、デザイン性はイズムの方が高かったからバーゲン時にはけっこうな人気があった。

けれどもそこから10年、15年が経過すると、価格もユニクロよりも高くなったし、見た目のデザイン以外での打ち出しがそれほどなく、機能性や有名デザイナーとのコラボなどを仕掛けるユニクロとはずいぶんと差ができてしまった。
感じ方は人それぞれだが、筆者個人は現在の商業施設でコムサイズムの存在感をほとんど感じない。
それほどに存在感がなくなってしまった。

だから、起爆剤に「日本製」が使いたかったのだろうと推測する。
しかし、本当の日本製(国内で生産した物)を扱うと店頭販売価格がさらに上がる。
そこで、それを海外工場で作らせることで店頭販売価格を抑えようとしたのだろう。

冷静に考えてもらいたいのだが、コムサには「コムサ・デ・モード」「コムサ・コレクション」などの高価格ラインがある。その両ラインでも「日本製」は扱われている。

そうなると、そちらとのすみわけが難しくなる。

さらにいうと、イズムの海外製の日本製は矛盾に陥ってしまう。

イズムの低価格を「日本の職人技」だとすると、本体の「日本製」の高価格は何なのか?ということになる。

一方、イズムの低価格はあくまでも海外製だとすると、じゃあ、それは単なる海外製でほかの海外製品と同一なんですね、ということになる。

違わないか?

こういう事例を見るにつけても、「日本製」ブームは終了したと感じる。

イズムのような低価格ブランドまでが、製造地は別として「日本製」「日本の職人技」を販促のキーワードにするということが、「日本製」ということに価値がなくなりつつあるということになる。

オッサンまでがスキニーパンツを穿くようになったら、スキニーパンツはトレンドアイテムではなくなってしまったというのと同じである。

物作りを標榜するブランドは、今後、日本製プラスアルファ、職人技プラスアルファの打ち出しが求められることになったということである。

そのプラスアルファを真剣に考えないと、陳腐化した「日本製」では消費者には響かなくなっている。





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