3倍の価格差では売れなくても当たり前
2015年7月24日 未分類 0
ちょっと昔話を。
2000年~2003年のどこかの時点のことである。
正確な年を覚えていない。
我が家はテレビ番組を録画するのにビデオデッキを使っていた。
ついでにいうと、我が家はDVDを導入したのはかなり最近のことで2007年か08年ごろのことである。
もちろん液晶テレビに買い替えたのもそのころである。
そのビデオデッキの調子が悪くなった。
クリーニングテープを使って、ヘッドをクリーニングせねばならないらしい。
ところが録画用のビデオテープはあるが、クリーニングテープはない。
DVDしか知らない世代からすればなんのこっちゃ?の話だろう。(笑)
ビデオデッキを復活させるためにはクリーニングテープを買わねばならない。
我が家から自動車で30分ほど走れば大型家電量販店があるが、残念ながらその日は自動車がなかった。
仕方がないので最寄駅前にある家族経営の小さな電器屋に行った。
それまでクリーニングテープを買ったことがなかったので、価格相場はわからない。
インターネットも普及していない頃だから価格を調べることもできなかったが、周りの人に尋ねてだいたい1000円前後ではないかということがわかった。
家電量販店ではないから、その店で買うと幾分か高いだろうと覚悟を決めていたのだが、
まあ、せいぜい1500円程度ではないかと推測していた。
で、その電器屋におそるおそる入ってみた。
毎日通っているものの中に入るのは初めてである。
クリーニングテープありますか?
と問うと、店主のオジサン(おそらく40代半ば)が「ありますよ」との答え。
「じゃあ、おいくらですか?」と尋ねたところ、なんと
「3000円です」
という答えが返ってきた。
その時、予想以上の高価格ぶりに驚いてしまい、頭が真っ白になりながら
「(゚Д゚≡゚д゚)エッ!? すみません。だったら要らないです」といって店を出た。
最寄駅から電車に乗って隣駅まで行くと、中型のスーパーマーケットがある。
電池や豆電球くらいならそこに売っているからクリーニングテープがあるのではないかと覗いてみたところ、あった。
値段を見ると「980円」と書かれてあった。
念のためにいうと、このクリーニングテープは別に聴いたこともないようなアジアのメーカー品ではなかった。
銘柄は忘れたが国内家電メーカーの商品である。
もちろん980円のクリーニングテープを買ったことは言うまでもない。
先ほどの3000円のクリーニングテープも銘柄は違うが国内家電メーカーの商品だった。
いくら、個人経営の電器屋が苦しく、仕入れロットもまとまらないとはいえ、これほどの価格差があれば売れなくなるのは当然だと感じた。
980円と3000円ならだれでも980円の方を買う。
これを「個人経営の店を助けるんだ!」と言って、わざわざ3000円のクリーニングテープを買う人はよほどの変人だといえる。
しかも980円のも3000円のも両方とも同等の国内有名家電メーカーの商品である。
これで980円のが見知らぬアジアメーカーの商品なら、「やっぱり3000円のを買う」という人がいても不思議ではないが、両方ともが国内家電メーカーの商品であるなら、3000円のクリーニングテープを買う人は皆無だろう。
さて、昨今は安売りを異様に敵視する人が繊維・アパレル業界にいる。
たしかに安売りが蔓延してデフレに陥っていることは否定しない。
しかし、そういう人たちも生活をする上では消費しているわけであり、その時に「わざわざ高い方を買っているのか?」と問いたい。
おそらく、ほとんどの人が安い商品を購入しているのではないかと思う。
自分たちが企画・製造・販売に携わっている洋服だけはなぜ別物だと考えられるのかが理解できない。
一般消費者の目から見れば洋服も同じである。
筆者はこの後、この個人経営の電器屋に立ち寄ることは二度となくなったし、この先、二度と商品を買うことはない。
個人経営店が苦しいのは理解するが、いくらなんでも高すぎる。
反対に考えれば、同じ商品・同じような商品を高く売るためにはどうすれば良いのかということになる。
それを考えなくては安売り競争から脱却はできないだろう。
もしかしたら、この電器屋はアフターケアがものすごく良いのかもしれない。
それくらいの何かがないと、電器屋は淘汰されてしまう。
逆に何もない個人経営店は電器屋に限らず淘汰されて当然だとも思う。
価格で大手に敵わないなら、それ以外のサービスを強化するしかない。
サービスというのは別にアフターケアだけではない。店主の知識に基づいた発信や、店内の楽しい雰囲気作りもサービスに含まれる。
そういうものが一切なくて、商品価格が高いだけの個人経営店が淘汰されるのは当たり前である。
個人経営店が淘汰されることに対して、さまざまな意見があるが、価格以外の価値を作ろうともしなかった店は残念ながら努力不足と言わざるを得ない。
価値づくりに努力はしたけど報われなかった店には同情を禁じ得ないが。
努力不足の店が淘汰されることに対してはまったく同情しない。