伝統と生産システムについて考えさせられる記事が近接して相次いで掲載された。

デービッド・アトキンソン :小西美術工藝社社長 についての記事である。
彼が伝統産業について語っているのだが、一見するとそれは正論に見えるが、かなり実現不可能なことを提唱している。

彼が伝統産業を復活させた実績、手腕は高く評価されているし、その通りだと思うが、今回の見方についてはちょっと違うのではないかと感じる。

どの方向性からもすべて正しい結論を導き出せる人間など存在しないので、彼と言えどもやはり人間だったかとある意味で安心させられた。

「着物業界」が衰退したのはなぜか? 「伝統と書いてボッタクリと読む」世界
http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1602/23/news055.html

この記事だが、要約すると、

着物のほとんどが外国製である。
しかも原料の絹(シルク)も外国産である。
あんなに高い価格を付けて、日本の伝統を謳っているのにボッタくりだ。

という内容である。

この記事はアトキンソン氏の著書を引用する形で書かれている。
例えば

絹糸のほとんどは中国産です。(中略)それより驚いたことに、仕立ての半分以上は、ベトナムなど海外の職人が行っていると言われています。

のように。

これとほぼ同じ主旨のアトキンソン氏のインタビュー記事が東洋経済オンラインに掲載された。

日本の誇りを守るため「伝統文化」も変化せよ
なぜ、ここまで「ボッタクリ」がまかり通るか
http://toyokeizai.net/articles/-/105913

これはほぼ同様の主旨だが、指摘する原料は絹ではなく漆だ。

漆塗りは日本の伝統産業だが、原料の漆の9割以上は中国からの輸入となっている。
これについてアトキンソン氏は疑問を呈しており、同様の主張を何年も前から繰り返している。
着物についての疑問はそれの亜流といえる。

まず、絹について考えると、今更、国産絹を復興させろという方が無茶ではないか。
最早養蚕農家なんてほとんど存在していない。
一部には残っているが、じゃあ、補助金か助成金を大量にブチ込むのが正しいやり方なのか?
養蚕農家が廃業したのは、結局儲けが少なく、産業としての将来性がなかったことから順次廃業していった。
自由主義経済なら当然の選択だ。

漆については門外漢だが、同様の理由ではないのか。
儲かる仕事なら漆の採取を続けているだろう。

着物についていうと、流通がいまだに多段階に分かれているから、各段階でマージンが乗り、店頭販売価格がべらぼうに高くなる。
この流通を整理する必要はもちろんあるが、その整理をしたところで養蚕家が十分な収益を得るためには、ある程度の高価格で取り引きされなくてはならない。
必然的に着物そのものの価格もある程度のラインで維持されることになり、現在とあまり変わらないのではないか。少なくとも劇的に価格が下がることはない。

じゃあ、この理屈で行くなら、浴衣に使う綿花はどうだ?
国産綿花なんてほとんど存在しない。
安い浴衣もあるがそこそこに高額な浴衣もある。アメリカ産綿、ブラジル産綿、インド産綿などを使っていたらボッタくりか?

そもそも綿花には日本独特の和綿と、外国種綿があり、現在、和綿種の栽培はほとんどない。
国内で栽培されているほとんどが外国種綿である。
和綿は繊維長が短いので綿の品種としてはあまり高い評価を受けておらず、外国種に取って代わられたという歴史がある。

今更、国内で綿花栽培を奨励したり、和綿種の栽培を奨励することなんて現実的には不可能である。
養蚕も同じだ。

その国伝統の物はその国で原料から作られるべきという発想はおかしいのではないか。

例えば、国内最大手のデニム生地メーカーのカイハラだが、もともとは備後絣を製造していた。
しかし、着物の時代が終わり、備後絣を基にさまざまな生地開発に乗り出し、最終的にデニム生地にたどりつく。
デニム生地にたどり着く前に、カイハラは生地を大いに輸出したことがある。
絣をもとにした生地を、中近東の民族衣装「サロン」用に輸出したのである。

アトキンソン氏の考え方で行くなら、中近東諸国がサロン用として日本の生地を使用するのは論外、ボッタくりということになる。

着物ほどの伝統産業ではないが、欧州にはそれなりの伝統を誇るラグジュアリーブランドがある。
近年は大資本に買収されており、ほとんどがどこかのグループに属する。
そんなブランドの多くはメイドインイタリー、メイドインフランスを誇っているが、その看板だって非常に疑わしい。
大部分を中国で組み立てて最終工程だけをイタリアなりフランスで作業して、メイドインイタリーやメイドインフランスを名乗っている高額ブランドがある。

これなんてひどいボッタくりではないか。

そして、先ほどの着物の記事だと、外国の工場で作られていることも問題視していた。
洋服だと、国内工場の作業員がほとんど外国人ということもある。日本製を打ち出した場合、これもアトキンソン氏の考え方だと問題視されるだろう。

しかし、国内の縫製、加工場が廃業、倒産していく中においては、外国工場で作らざるを得ない。
それこそ政府が補助金と助成金でゾンビ工場を増やせというのか。元金融マンならそんな選択はあり得ないのではないか。

洋服で外国人労働者が増えているのは、日本人の若者がそういう工場に就職しないからだ。
なぜ就職しないかというと給料が良くないからだ。
だから洋服の工場も年々減っている。まともな給料を払える工場だけが今後は少数残るだろう。
欠員に外国人労働者をあてることは、何ら不思議ではない。(言うまでもないが奴隷的扱いはだめである)
それこそアトキンソン氏の母国でもそういう事例は事欠かなかったのではないか。

なぜ日本でそれをやってはだめなのか?

アトキンソン氏の主張する「伝統産業も変わらねばならない」という点は深く賛同する。
着物業界が衰退したのは業界に携わる人々の多くの認識が消費者や市場からズレていたためである。

しかし、衰退を止める手立てが原料から製造加工までのオール国内化だとは到底思えないし、現実的に実行は不可能である。

国内の製造加工業をどうするか?という議論は和装洋装ともにある。
またほかの分野でも同じである。

「国内の若者がそういうところに就職しないのがけしからん」という議論は問題外だ。
なら「お前が低賃金でそういうところに就職しろよ」という話である。

若者が就職したくなるような好待遇を実現するか、もしくはその技術を引き継いでくれるなら外国人でも良いと考えて、伝承された技術で誰が作っても日本の伝統産業だと考えるか、そのどちらかしかない。

そして好待遇を実現できる工場は数が限られており、実現できない工場は外国人に技術伝承するほかない。

「ブランド」というものは、原材料や製造工程や原価率も重要だが、それだけではないはずだ。
なら、ラグジュアリーブランドのほとんどはボッタくりということになる。
利益率が60%に達するグループもあるが、この論でいくなら究極のボッタくりといえる。

しかし、それでもそこで買いたい、その商品が欲しいと考える人が数多く存在する。
そういう熱烈なファンを作ることが「ブランド」化ということであり、原材料や製造工程だけではない他の部分での魅力を作り上げた結果だろう。

着物とて同じではないか。
現在の着物業界を擁護する気はさらさらないが、原材料や製造工程に今以上にこだわることは、さらに業界を隘路に迷い込ませることになりかねないのではないか。
もう十分隘路に迷い込んでいる業界なのに。


デービッド・アトキンソン 新・観光立国論
デービッド アトキンソン
東洋経済新報社
2015-06-05