アパレルも百貨店もGMSも「変化」を拒否すれば必ず淘汰される
2016年10月25日 SNSについて 0
SNSが普及して5年以上が経過したが、SNS間では格差が生じている。
日本では人気のツイッターだが、アメリカ本国では経営難に陥っており、身売り交渉も決裂している。
逆に「オッサンのゴミみたいな自慢話が多い」として若者に嫌われているフェイスブックは経営的には順調で世界的な使用人口ではツイッターをはるかに凌駕しているようで、このあたりの「個人の好き嫌い」という感覚もあてにならない。
ツイッターの代わりに日本でも注目されているのがインスタグラムで、こちらは使用人口が増加中であり、米国ではスナップチャットが好評らしいが、ためしにやってみたがイマイチ面白さがよく分からなかった。
そのツイッターについての記事である。
なぜTwitterの身売り交渉は行き詰まっているのか
http://diamond.jp/articles/-/105662
真鍋昭雄という教授が書いておられるが、彼の記事は基本的にいつもバランスが良く、分析が割合に的確である。
経済記事の書き手は多いが、基本的に左翼的思想に基づいている書き手の記事は内容がナンセンス極まりない。経済動向に過度な政治的イデオロギーのフィルターは不要で、不要どころか事実を歪曲する。
経済学には「絶対的正解」がなく、解釈次第である。だから同じ経済学者でもまるっきり理論が異なっているのである。
それはさておき、この記事の中で、ツイッターの凋落の原因を
ここで注目すべきポイントは、「注目の的」のスター企業であっても、需要者側の速い変化に対応できないと生き残ることができないことだ。スター企業であったTwitterの買い手は、今のところ現れていない。
今日のビジネス環境では、IT化がヒト・モノ・カネの動きを速め、競争は激化している。しかも、強力なライバル企業は次から次へと出てくる。そうしたビジネス環境の変化に対応できないと、たとえトップ企業であってもその座から引きずり降ろされ、企業の存続が危ぶまれる状況に陥る。それが今日の企業が直面する“栄枯盛衰”の法則だ。
企業が競争に勝ち残るためには、常に、需要者が求める新しいサービスや製品を常に生み出すしかない。
とある。
これはその通りであり、ひとえにツイッターのみ、IT企業のみに適合される考え方ではなく、すべての業種に当てはまる考え方だといえる。
国内のアパレル企業、アパレル業界が停滞・失速している理由もこれだと個人的には見ている。
もちろん、企業には変えてはならない核のような部分があり、横文字ではコアコンピタンスなんていっている。
コアコンピタンスが何かを見極める作業は重要だが、何もかも変わらないという選択肢はありえない。
しかしながら、国内のアパレル企業・アパレル業界の「変わりたくない」という姿勢はほとんど病的だと感じられる。ついでにいえば百貨店や大型スーパーも同じ轍を踏んでいる。
記憶に新しいところではZOZOTAWNが提供したWEARのバーコード読み取りサービスを業界の総力を挙げて廃止に追い込んだ。その結果、WEARは単なるコーディネイトアプリになってしまっている。
それでもそれなりの需要、ユーザーはあるが、それ以上の発展性は今のところない。
もっと古いところで行くと、ユニクロへのバッシングであり、これはいまだに続いており、20年近くもアホかいなと呆れ果てるほかない。
98年にユニクロのフリースブームがあった際には、低価格品への抵抗が随所で見られた。
何事も出始めには抵抗がつきものだから当然だろう。
それから18年が経過しているが、いまだに業界には「良い商品は相応の値段で売るべきだ」なんてことを言っている化石のような人がいる。
それは真理ではあるが、それをユニクロにいまだに言い続けたところで無意味である。
ユニクロはすでに自社のモデルを完成しており、高価格帯で売りたければファーストリテイリングはセオリーで売る。ユニクロが高価格帯品を販売する意味は全くない。
「良い物を相応の値段で売る」努力はユニクロに押し付けるべきではなく、自社・自ブランドの課題として取り組むのが正しい思考である。
そういえば、今でこそ、猫も杓子もアホの一つ覚えみたいに「EC化」とか「オムニチャネル」なんて口をそろえているが、10年前に洋服のネット通販なんて注目した企業やブランドはほとんどなく、名の通った大手や中堅はこぞって否定的だった。
80年代・90年代・2000年代的手法で2010年以降に洋服が売れないのだったら、
1、売っている商品自体を変える
2、売り方を変える
3、見せ方を変える
4、伝え方を変える
最低でもこのいずれか1つを実行しないことには、売れ行きが回復することはありえない。
場合によっては4つすべてを実行する必要があるだろう。
どれも変えずに売り上げだけを回復したいなんていうのは、それは単なるワガママでしかない。
例えば「伝え方」にしたところで、十年一日のごとく「うちはファッション雑誌だけで」なんて言っている化石のようなアパレルやブランドは世間が想像しているよりもはるかに多い。
化石だったら石油が取れて社会に貢献できるのだが、化石的アパレルからは大量の在庫と負債くらいしか出てこない。
ファッション雑誌がまるっきり無駄だとは言わないが、広く伝える手段ではなくなっている。
どちらかというと同好の士に向けたミニコミ的な存在である。
より大勢に広めたいなら現在なら、インスタグラムなどのSNSかもしれないし、経済雑誌かもしれないし、ウェブメディアかもしれない。
断っておくと、こじんまりと数人で食えるだけの金を稼げるのが目的なら変わる必要はない。
熱烈なファンを数百人くらい作ればそれでいい。
しかし、100億円だとか200億円だとかの売上高を回復させるためには、時流に合わせて変わるほかない。
売り上げ規模設定の問題であり、多くの大手・中堅アパレルは売上高の回復を目指している。だったらどこかを変えるという選択肢しかない。
「変化」を異様に嫌うようになった時点で国内のアパレル業界が凋落するのは当然の結末だったといえる。