「こだわり」だけしかない商品は売れない
2015年8月31日 未分類 0
今日は、販促とか売り方の観点から。
正直に言って、最近「こだわりの〇〇」と言われる商品を見ても、あまり興味が湧かない。
これは加齢によって心が鈍感になっているのか、それともあまりにも「こだわりの〇〇」がそこらじゅうに溢れすぎていることによる麻痺なのかわからない。
おそらくその両方ではないかと思う。
断っておくと、こだわりの〇〇が悪いというわけではない。
こだわった物作りをするのはむしろ良い部類にある。
言いたいのは、最早「こだわりの〇〇」は有効な販促手段でもないし、消費者が商品を購入する場合の決め手にはならないということである。
理由は、こだわりの商品はそこらじゅうに溢れており、販促のキーワードとしては陳腐化してしまっているからだ。
今回は、藤村正宏さんのブログを紹介しよう。
「こだわった商品」はもう売れない。それはスペックだから。
http://www.ex-ma.com/blog/archives/3617
「こだわりの蕎麦」や「こだわりの自然素材のレストラン」。
かつてはめずらしくて価値があったものも、今やごく当たり前の存在になっている。
もう商品自体への「こだわり」が通用しない時代なったと思う。
あなたの商品はきっと素晴らしい商品でしょう。
お客さまに喜ばれて、お客さまの生活を豊かにするものだと思います。
でもね、あなたがどんな素晴らしい商品を売っていても、それだけではダメなんです。
大切なことなので、繰り返しますが、モノのよさ、サービスのよさだけでは、もう売れない時代なんです。
だって、あなたのライバルたちも、みんな素晴らしい商品・サービスを提供しているのですから。
今の日本ほど、クオリティの高い、質のいい商品があふれている時代はありません。
たとえば、日本のメーカーが作る4K-TVは、どれもすごいクオリティが高く、価格も安い。
日本のファストファッションの会社が作っている、服は、ものすごく質が高い。
おまけに安い。
「ウチの商品はただの商品じゃないよ。こだわった商品なんだから」
よく商品に「こだわっている」という店がありますよね。
「こだわった」商品を売れば売れる、といわれていました。
マーケティング・コンサルタントの言葉に乗せられて、「商品にこだわれば売れる」なんて勘違いしている店もあります。
でもね、残念ですけど、もう「こだわり」じゃ売れないんです。
たとえばレストランで考えてみましょう。
よく、食材にこだわっているレストランとかありますよね。
「味にこだわっている」
「新鮮な素材にこだわっている」
「低農薬野菜にこだわっている」
「食材にこだわっている」
「畑にこだわっている」
「健康にこだわってる」
「自然素材にこだわっている」
あるわ、あるわ。
ちょっと見渡すとあなたのまわりにもこういうレストランがあるのではないでしょうか。
街を歩いたら、必ずあります。「こだわっている飲食店」、それこそ「犬も歩けば」状態。た~っくさんある。
ウチの近所のチェーンの居酒屋も、友達の近所のファミレスも、あなたの近くのバーガーショップも、み~んな、こだわっている。
ここ数年、そういう流れになってきました。
「グルメ志向」「健康志向」「自然志向」……ちょっと前はそれでよかったんです。
あまりやっているところがなかったから。それで売れたんです。
でも、今はそういうところがたくさんある
「ウチは自然素材にこだわったレストランです」
そんな言葉は誰にも響かない。
だってみんなそうだから。
「材料と手打ちにこだわった蕎麦屋」
そんな言葉は誰にも響かない。
だってたくさんあるから。
とのことである。
これを衣料品に置き換えてみれば業界の人でも分かり易いのではないか。
こだわりのジーンズ
こだわりのドレスシャツ
こだわりのTシャツ
こだわりのスエット
などなど。
〇〇綿の〇番手の糸を〇回撚って、織り上げた生地を使用した〇〇。
〇〇産地の生地を使って伝統の技法で仕上げた〇〇。
天然染料で手染めした〇〇を天日に干して、それを〇回繰り返して染め上げた〇〇。
こんなキャッチコピーの付いた衣料品や繊維雑貨なんて腐るほどある。
腐ったようなものもある。
洋装だけではない。
和装でも同じだろう。いや、和装の方がもっと多いか?
もちろん、これらの製法で作られた商品が悪いわけではない。
しかし、これだけでは売れない。
ユニクロのジーンズだって「こだわり」である。
「こだわり」のカイハラ製の生地(そうでないものも増えているが)を使って、作られている。
無印良品の衣料品だってそうだ。
オーガニックコットン(本当にどこまでそうなのかは疑問だが)を使って作られている。
こだわりの〇〇なんていうのは、ユニクロや無印良品でも低価格で手に入る。
こういうことをいうと業界の人は必死で言い訳をする。
「あそこの〇〇は糸を〇回しか撚っていないが、うちの〇〇は糸を×回も撚っている」とか言う内容の事柄である。
しかし、「糸の撚りを×回にしました」と言ったところで消費者にそれが伝わるのだろうか。
極マニア層には何となく伝わるかもしれないが、99%には伝わらないだろう。
そのブランドが1%の極マニア層に向けたビジネスを展開しているならそれでも良いだろうが、そこそこに大規模な販売を望んでいるならまったく効果がない。
この「こだわり」商法はいつ頃から顕在化したのだろうか。
個人的には2008年ではないかと思う。
もちろん、そういう風潮が突然現れたのではなく、それまでジワジワとくすぶっていたのが2008年を契機に顕在化したという意味である。
2008年は外資系ファストファッションが本格的に上陸した年である。
それまで国内のアパレルは「トレンド」を売りにしてきた。
70年代の高度成長期、80年代のバブル期はそうである。
バブル崩壊後もその流れがあった。
一方、90年代後半のビンテージジーンズブームによって「こだわり」というジャンルが確立された。
これがジワジワと燻り、ビンテージジーンズは廃れたが、2008年を契機に一気に顕在化したのではないかと思う。
というよりも、これまでの「トレンド」商法が2008年で完全に弱体化したからかもしれない。
ファストファッションの上陸で「トレンド品」は格安で買える商品になってしまった。
「トレンドですよ」というだけでは、ファストファッションとの競合、価格競争にさらされる。
では価格競争にさらされない販促手法として注目されたのが、ビンテージジーンズを起源とする「こだわり商法」ではなかったか。
しかし、すでに「こだわり商法」もほぼ飽和状態にある。
衣料品も食料品も「こだわりの〇〇」なんて掃いて捨てるほどある。
スーパー万代でも低価格でこだわりの食品が売られている。
すでに「こだわり」は標準装備と化している。
売るためには「こだわり」は当たり前として、そこにプラスアルファの何かが求められる。
ここに取り組まないと「こだわり」一辺倒では、価格競争に巻き込まれる。
もしかしたらもう巻き込まれているかもしれない。
くどいようだが、こだわりの物作りを否定しているのではない。
それは物作りにとって必要だが、それだけで売れる時代では最早なくなっているということである。
売りたいなら、「こだわり」はすでに標準装備化しているということを認識しなくてはならない。
その上でどう独自化できるかである。
言うは易く行うは難しなのだが。