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南充浩 オフィシャルブログ

大阪とイタリアの相似

2011年11月21日 未分類 0

 11月19日にH&M大阪2号店がオープンした。
1号店と道路を挟んだ向かい側にできたので、2号店というよりは、両方合わせて1つの店舗だと見た方が適切ではないだろうか。

17日には内覧会があり、取材する機会に恵まれた。
H&Mはときどき有名デザイナーブランドとコラボレーションを行う。今回は「ヴェルサーチ」だった。
「ヴェルサーチ」はバブル期から90年代半ば頃まで日本市場でも大人気だったが、その派手すぎる色柄が、国内のトレンドとは合わず、現在の日本ではあまり注目をされなくなったブランドである。

本ラインではないが、今回久しぶりに「ヴェルサーチ」らしい色柄を拝見することができた感想を述べたところ、某デザイン会社の社長さんに「ファッション関係者にあるまじき発言ですね~(笑)」とお誉めの言葉(?)を頂いた。

あの派手すぎる色柄は「ミナミの帝王」か大阪のオバちゃんか、船場センタービルの香りが充満していると感じる。
メンズのショッキングピンクやゼブラ柄のスーツはどう考えても竹内力の劇中衣装だし、なんとも表現しづらいレディースの総柄アイテムは大阪のオバちゃんの好むところだし、それらが一堂に会した売り場は船場センタービルか、通天閣周辺のバッタ屋をほうふつとさせる。

PB171703

(大阪のオバちゃんが好きそうな派手な色柄)

PB171715

(竹内力の劇中衣装のようなスーツ)

PB171702

(竹内力の子分役が着用しそうなブルゾン)

で、その時に「イタリア人と大阪人は似ているのではないか」と感じたので、翌日のブログにまとめようかと思ったら、日経ビジネスオンラインに小田嶋隆さんがちょうど同じ内容で執筆されていたので驚いた。

イタリアと大阪の実に困った相似
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20111117/223936/

ちょっと長文だが、一部を引用させていただく。

 私の中では、大阪とイタリアが徐々にダブってきた次第なのである。

 説明する。
 大阪とイタリアはじっくり観察してみると、なんだかとても良く似ている。
 なにより、EUにおけるイタリアの立場と、日本における大阪の境遇が、他人ごととは思えない。

 次男坊の役割というのか、傍流の、二次的な、主導的でない立ち位置と、曖昧な権力基盤が、そっくりだ。

 昨今の状況も似ている。
 イタリアの財政危機がEUならびに世界経済に突きつけている問題の深刻さと、大阪のダブル選挙が、日本の政治状況にもたらすであろう波及効果の不気味さは、私の目には、まるで鏡に映った二つの悪夢みたいに見える。
 いずれも、不吉で、凶々しく、それでいてどこか滑稽でもある。実に困った相似だ。

 (中略)

 前者(ラテンおよび関西)が、より古く、伝統回帰的であり、文化的な豊穣を備え、柔軟で、享楽的で、美的センスに富み、一方において、民衆的で、貧しく、近現代に至って停滞の相に直面しているのに対して、後者(ゲルマンと関東)は、新興で、文明的で、禁欲的で、実質主義で、経済上の優位に立ち、進取の精神に溢れ、官僚的で秋霜烈日でプラグマティックな特徴を備えている。であるから、経済および政治の実質的な主導権は、どうしても後者が握ることになる。いきおい、前者は、マーケットではお荷物に似た存在になり下がる。かくして、両者の間には、すきま風が吹き、相互不信が芽生える。

 現状を鑑みるに、イタリア経済は奈落の淵にある。大阪もまた財政破綻の危機を迎えている。しかも両者は、政治的な混迷に陥ってもいる。

 にもかかわらず、当地の庶民は明るい。一見するに、文化は爛熟し、町には、活気が溢れている。
 能天気? いや、そういう言い方は失礼だ。彼らは人生を享受している。今日の停滞は、不幸な結果に過ぎない。
イタリアの累卵は、むしろ英独仏といったEU主要国のアタマを悩ませている。
 大阪の混迷もまた、どちらかといえば東京人の心根に暗い影を落としている。少なくとも私の目にはそのように見える。

 似ている。
 イタリア経済のアキレス腱が南北問題(先進的で豊かな北イタリアの工業都市群と、貧しいまま放置されている南イタリアの経済格差)にあると言われている点と、大阪の行政に不効率をもたらしているのが、市と府による二重行政であるとされていることも、似ていると言えば似ている。マフィアの暗躍による地下経済の肥大化と、山口組やエセ同和団体の策動による府政の停滞などなど、類似点をあげると切りがない。

 ギリシャ・ローマというヨーロッパ文明の最古層を担ってきた地域が、二十一世紀の今、再び一体化しつつあるヨーロッパの中で取り残されていることと、関西圏という日本文化の源流を為す地域が混迷していることは、偶然の一致であるのだとしても、印象深いできごとだ。われわれは、彼の地の危機を軽んじてはならない。彼らを軽んじることは、自分たちの過去を軽んじることだ。

とのことである。

流石は上手に、そして的確にまとめられている。
このエッセイはこの後、大阪市長と大阪府知事のダブル選挙について意見を述べることになるのだが、このブログとの主旨とは異なるので、割愛させていただく。

ついでに言うと、イタリア同様に大阪にも南北問題が存在するところまでそっくりである。
大阪市から北の北摂と呼ばれる地域と、堺市以南の泉南と呼ばれる地域では、文化も人情も言葉づかいもまるで違う。現在、ヤクザ映画やドラマで親しまれている乱暴な「大阪弁」なるものは、泉南地域の影響を強く受けている。
北摂の言葉はもっと京都弁に近い柔らかさと丁寧さがある。

小田嶋さんは、政治問題にまで踏み込んでの「イタリアと大阪の相似」を述べられているのだが、底辺で暮らす繊維産業記者から見ても、色柄の好みという点ではイタリアと大阪は似ていると感じられる。

そういえば、郷土愛が強い点も大阪とイタリアは似ているのではないかと思う。

政治問題の混迷はさておき、愛すべき大阪万歳である。

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