南充浩の繊維産業ブログ

ファッションブログ・・・・と言いたいところだけれどもそこまでファッションに特化していないし、能力的にもできない。そこで繊維製造業、産地、アパレルメーカー、小売店など幅広く繊維産業全般についてぼちぼちと書きます。たまにマスコミ、経済問題についても書く予定。よろしくお付き合いください。 お仕事の依頼は minami_mitsuhiro@yahoo.co.jp まで。

繊維業界新聞の記者としてジーンズ業界を、紡績、産地、アパレルメーカー、小売店と川上から川下まで担当。 同時にレディースアパレル、子供服、生地商も兼務した。退職後、量販店アパレル広報、雑誌編集を経験し、雑貨総合展示会の運営に携わる。その後、ファッション専門学校広報を経て独立。 現在、記者・ライターのほか、広報代行業、広報アドバイザーを請け負う。

考察

行き過ぎた前年実績主義でますます衣料品は売れなくなる

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 洋服が売れない理由はさまざまあるが、その一つに「前年実績主義」がある。

これはPOSの発達による部分も大きいとは思うが、前年売れた物を再度投入するというやり方だ。
もちろん、洋服には「定番」と「シーズン物」「トレンド物」があり、「定番」は文字通りの定番品なので何シーズンにも渡って販売されるのは当然といえるが、昨今の不振ブランド、不振店の多くは「シーズン物」「トレンド品」までを前年実績主義で品揃えしてしまう。

これには、各社の「失敗したくない」というチビった姿勢が表れているのだが、結局、上層部を説得する材料が「前年実績」しかないからだろう。

意見を押し通せない現場もだらしないし、単純に前年実績でしか判断できない上層部も情けない。
上も下もそうだからブランド全体、社全体が低迷するのは当然の結果といえる。

定番品とシーズン物、トレンド物の構成比率は当たり前だが工夫する必要がある。
ブランドや店ごとにコンセプトや売り上げ目標に対してその構成比率は変わる。
このあたりの計数管理はマーチャンダイザーの仕事であり、その職務経験のない筆者に教える能力はない。

佐藤正臣さんあたりに習われた方が良いだろう。
http://www.apalog.com/fashion_soroban/

それはさておき。

チビってブルっている各社は過度に前年実績主義にすがるから、何年間も同じ物が売り続けられることになる。
そういう商品が1型とか2型とか程度で展開されるなら何の問題もないが、定番品でもないのに何年間も同じ物が数多く売られ過ぎていることが問題なのである。

先日、アクセサリー・ファッション雑貨向けのある部材メーカーにお邪魔した。

さまざまな百貨店向けアパレルとの付き合いがある会社なのだが、チビってブルっている百貨店向けアパレルは、もう何年間も同じ商品を発注し続けてくるのだという。
デザインを買えるわけでもなく、アレンジのやり方を変更するわけでもなく、形は同じでせいぜい色柄を変えるだけの発注をもう10年間も続けているブランドもある。

メーカー側としては、デザイン変更も提案したし、アレンジ変更も提案したが、ブランド側が「前年実績通りで」という返事しか出さないため、10年間同じ商品を作り続けている。
メーカー側は「10年も同じ商品を投入し続ければ売れなくなるのは当たり前」と吐き捨てるが、まさにその通りである。

また別の衣料品メーカーでは、3年前にそこそこのヒットを出した商品を、ほとんど変えることなく投入し続けているが、やはり売上高が鈍ってきているとのこと。
商品のプランニング担当者は「同じ商品を3年も投入し続けたら飽きられるのは確実。初年度は新規性で売れる。二年目は昨年買えなかった人が買うから売れる。でも3年目は行き渡っているし、飽きられているから売れなくなるのは当然」と指摘するが、上層部が「前年実績」に固執した結果、そういう商品政策となってしまっている。

これで4年目も変わらなければ、この衣料品メーカーの業績はさらに低下するだけだろう。

どんなにバカ売れした商品だって何年間も同じ物を投入し続ければ、売れなくなるのは当たり前で、かつてのユニクロのフリースだって、大ヒットの反動で大ブレーキとなり、売上高が激減した時期がある。
2002年あたりのことだ。

今でもフリースは売られているが、店頭での展開数量は2000年ごろと比べると圧倒的に少ない。
2016年秋冬シーズンなんてフリースの存在感はほとんどない。
根強いファンがいるので、店頭には並んでいるが、数量は全盛期の何分の1という程度である。

考えてみれば当たり前のことで、いくら何百万枚売ろうが、複数年に渡って展開し続ければ多くの人は所有するようになっているし飽きている。
新色・新柄投入といったって根本的には何も変わっていないのだから、買われなくなるのは何の不思議もない。

毎年秋冬にユニクロのフリースを複数枚買い続ける人間なんて存在しない。

需要はゼロにはならない。買い替え需要もあるだろうし、今まで持ってなかった人が買ってみたいという場合もある。しかし、その枚数は全盛期とはケタ違いに少ない。
需要と供給とはそういうもので、服に限らずiPhoneでも自動車でも液晶テレビでも永遠に同じ数量だけ売れ続ける商品なんてものはこの世にはない。

定番品は別として前年継続品があるのはかまわない。
問題の本質は、前年継続品番があまりにも多すぎることである。

これによって店頭は新鮮味がなくなるし、各社から類似品も出回り店頭が一挙に同質化してしまう。
同じようなものなら、値段の安いところで買おうと思う人が増えるのは自然な流れである。

前にもこのブログで書いたが、3年位前まで、秋冬の大型スーパーの肌着売り場には「保温ステテコ」「発熱ステテコ」なる珍妙な商品が数多く並んでいた。

そもそもステテコというのは、春夏向けのズボン下(ズボンの下に穿く肌着。汗でズボンの裏地が肌に貼り付くことを防ぐ)であり、秋冬にはパッチ・股引と呼ばれる保温肌着が古くから存在する。

はっきりといえば、パッチ・股引・タイツがあるから、秋冬向けの保温ステテコなんていう商品は存在意義がない。

じゃあ、どうしてこんな珍妙な商品が数多く並んでいたのかというと、アホみたいな「前年実績主義」の賜物である。

2010年くらいから春夏の部屋着として、色柄を工夫したステテコが注目を集めた。
2011年の電力不足からそのステテコブームが拡大して、各社とも相当な売れ行きとなった。

2012年もその人気はある程度続く。2013年になると人気は陰り始める。
2014年には終わった。

しかし、前年実績主義でやると肌着売り場には「ステテコ」という商品の前年実績がある。
この「ステテコの前年実績」を守るためには春夏で落ち込んだ分を、秋冬で稼がないといけない。
かくして秋冬向けの「保温ステテコ」なんていう意味の分からない商品が作られて並べられた。

2016年秋冬の売り場では見たことがないので、各社とも大爆死で終わったのだろう。

当たり前だ。こんなに存在意義のない商品が売れるほど世の中は甘くない。

「ステテコの前年実績をキープせよ」と命じた大型スーパーの経営陣が一番のアホで、それに従った現場、メーカーも結果的にはアホだった。

これが「過度な前年実績主義」であり、百貨店も大型スーパーもその病に根元まで冒されている。
そして「保温ステテコ」みたいな意味の分からない商品を作っている。
そりゃ、衣料品・ファッション雑貨が売れなくなるわけである。














理想を実現できなかった我が国のSPAアパレル

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 ちょっと様々なご意見をいただきたいのだが、現在の国内アパレル業界におけるSPA(製造小売り)というのは、その昔に提唱された理想形態とはずいぶんと異なっているのではないかと思う。

米国でのGAPの成功を受けて、国内でもSPAという業態に強い関心が集まったのは90年代からである。

とくにバブル崩壊後は新しい売り方としてさらに期待が集まった。
97年から2003年まで出席していたワールドの決算会見では、当時の寺井秀蔵社長が、毎回嬉々として誇らしげに「今期は卸売り業態の構成比率を〇〇%縮小しました」と報告していたことを記憶している。

ワールドに限らず、オンワード樫山、ファイブフォックス、三陽商会、TSI(当時はサンエーインターと東京スタイル)、イトキンなどの大手アパレル各社は卸売りから急速に直営店を軸としたSPA化にシフトして、今に至っている。

その結果が今の大苦戦である。

また2000年以降はこれら大手以外の中規模・小規模アパレルもSPA化に舵を切って、SPAブランドなんて特に大資本でなくても実現できるようになって現在に至っている。

その昔、SPAが提唱されたころは、企画製造業者が直営販売を行うことで、中間業者を排除でき、その中間業者に支払うマージンがカットできることから、良い品を割安で販売することができると説かれていた。
また、中間業者を排除することで、企画製造業者は高い利益を手にすることができると説かれていた。

しかるに現在の業界の情勢はどうだろうか。
高い利益を手に出来ているSPA業者などほんの一握りだろう。

誇らしげに卸売り業態を圧縮し続けてきたワールドだってあの体たらくであり、旧大手各社も同様であり、SPA化による高い利益率というのはどうやら幻想に終わったといえるのではないだろうか。

たしかに店頭の商品価格は平均的に90年代よりは下がっていると感じられるが、その一方で、髙い利益率は実現できていない。

これはなぜだろうか。

業界に詳しい方々はよくご存知だろうが、業界に詳しくない方々は収益が高くないこと自体をご存知ないのではないかと思う。

SPA化が進んでから急速にOEM(製造のみ請負)・ODM(デザイン作業から製造までの請負)業者が増えた。

SPA化が進んだから業者が増えたのか、業者が増えたからSPA化が高まったのかそのあたりの前後関係は判然としない。

最近では、ブランドの設計・商品デザイン・製造までを請け負うOBMなんていう業者も出現し、アパレルの丸投げはここに極まったともいえる。

例えば、SPAで知られているブランドがあるとする。
このブランドは、OEM・ODM業者に商品づくりを丸投げしている。
デザインから丸投げなんていうブランドはまったく珍しくない。

で、業者の方は、このSPAブランドに対して「卸している」という表現を使う。
SPAブランドは「業者から仕入れている」という。
この言葉の使い方は業界では日常茶飯事である。

ということは、多くのSPAブランドは単なる小売業者であり、旧卸売り型アパレルの機能は、OEM・ODM業者が引き継いでいるということになる。

昔のアパレルが、小売店に対して卸売りをしていた構図と何も変わらないのである。
昔のアパレルは、中間に「問屋」と呼ばれる業者を挟んで、小売店へ卸すことが多かった。
当然、問屋のマージンが乗せられて、小売店へ卸される。
この問屋が何重にも重なっている場合もあり、一次問屋・二次問屋なんていう形もあった。

当然、それぞれの段階で少しずつマージンが上乗せされるから、小売店の店頭価格は高くなった。

だから、SPA化が説かれたときには、問屋不要論が過剰に注目され、中間マージンの排除によって店頭価格が安くなり、業者は高利益を得ることができるとされた。

ところが現実は何も変わっていない。
安売り競争の蔓延によって、店頭価格が抑制されている分だけ、製造業者の得る利益は減少した。

これが今のアパレル業界である。

その理由の一つに、OEM・ODM業者の介在が挙げられるが、企画製造機能を放棄したアパレルや、もとより企画製造機能そのものがない大手セレクトショップが、OEM・ODM業者なしで商品の企画製造はできないのが実態である。

OEM・ODM業者を完全に排除しては最早、多くのブランド、セレクトショップは商品の企画製造ができないのである。

問題は業者の存在ではなく、業者の使い方がおかしい点にある。

ブランドやアパレルがOEM・ODM業者を介在させるのは当然として、かつての何重もの問屋のように、OEM/ODM業者を何重にも介在させることが今では珍しくなくなっている。
当然、そのたびに少しずつマージンは上乗せされるが、店頭価格を大幅に上げることはできないので、結果的に利益を削るということになるし、業者も少ないマージンで使われるという事態に陥っている。

例えば

ブランド⇒ODM業者⇒コーディネイター⇒OEM業者

なんていう多重構造で商品を企画製造していることは珍しくない。

どうしてこんな多重構造になるかというと、上の事例で説明すると、ブランドがいつも使っているODM業者に依頼する。しかし、この業者の不得意なアイテムが含まれている。

そうするとこのODM業者はそのアイテムを得意とする別の業者に依頼するのである。

別の業者に直接心当たりがあれば別だが、なければ、「〇〇の得意な業者を紹介してよ」とコーディネイターやブローカーのような人に依頼する。当然ここにも何らかの報酬が発生する。

この企画製造業者の多重構造こそが、国内SPAブランドが高い収益性を実現できなかった要因の一つといえる。

これを放置したままで、価格競争をしても業界は疲弊してしまい、もうすでにその疲弊度合いはかなり高まっているといえる。

逆にあれほど嫌われていた卸売り業態が、現在のワールドでは再び評価を受けているし、別の某アパレルでも小規模ながら卸売り業態は高収益を確保して評価を受けている。

SPAブランドは製造の多重構造と低価格化によって収益をすり減らしており、評価は低い。

この状況を打破するためには、今の時点では実現が不可能に近いかもしれないが、

1、アパレル各社が企画製造機能を再度強める
2、OEM/ODM業者の多重構造をやめる(完全排除ではない)

の2点の取り組みが必要だと考える。

ただし、実現できる可能性は非常に低い。
生き残りたいアパレル、ブランド、セレクトショップ、製造加工業者はどのようにして新しい構造を作るのかを考える必要がある。









自社・自ブランド・自店に対する希望的観測は捨てよう

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 毎朝、顔を洗う時に多くの人は鏡を見る。
髪の毛をセットするときにも鏡を見る。

たしか、遠藤周作のエッセイだったと記憶しているが、「自分も含めてどんなブサイクな男女でも鏡で自分の顔を見ると、まんざらでもないと思ってしまう」というようなことが書かれてあって、確かに言いえて妙だと感じる。

で、自分が撮影された写真やら動画やらを見ると、その根拠のない自信は脆くも崩れ去ってしまう。(筆者の体験)
第三者の視点でとらえられた写真やら動画は、世間から見られている己の姿で、容姿が残念な人は筆者も含めてそれは事実として映し出される。

だから筆者は自分の画像や動画が嫌いであり、なるべく写真を撮らないようにしている。

遠藤周作のエッセイは個人の容貌の問題をとらえたものだが、実は会社、企業、組織、ブランドも他人から見る視点と自分たちが思っている立場は乖離している場合が多い。
どうしても自社、自ブランドについては希望的観測・楽観的視点を多く盛り込んでしまいがちで、その楽観的視点で練られた方針・作戦は、事実に立脚していないため失敗に終わる。

先日、こんな話を聞いた。

某百貨店がレディースの靴売り場で2万円未満の商品を全廃し、最低価格を2万円にしたいと靴メーカーに打診があったそうだ。

その理由は「阪急百貨店うめだ本店がそういう売り場構成をして好評だから」だという。

ちょっと冷静に考えてもらいたい。

阪急百貨店うめだ本店と自店の客層はまったく同じなのか?
客単価はまったく同じなのか?
立地条件はまったく同じなのか?
ステイタス性はまったく同じなのか?

これらの要素がまったく同じならば、そういう商品構成に変化させてもそれなりに売上高が取れるだろう。
しかし、それらの要素が異なるなら、売上高は稼げずにさらに売り上げ不振に陥る。

なぜなら、その売り方は「阪急百貨店うめだ本店に適したやり方」だからだ。
他の百貨店に適したやり方ではないからだ。

こういう話は本当に業界には掃いて捨てるほどある。

いわく「伊勢丹新宿店がやっているから当社も」
いわく「ロンハーマンが好調だから当社も」
いわく「エルメスのあの商品が好調だから当社も」

などなどだ。

アホかと。

エルメスと同じステイタス性、ブランド力があるのだろうか。
ロンハーマンと同じ(以下同文)
新宿伊勢丹と同じ(以下同文)

第三者から見ればこれほど簡単なことがなぜ当事者にはわからないのだろうと不思議でならない。

おそらく、その心理は「鏡で自分の顔を見て『まんざらでもない』と思ってしまうブサイクな男女」と同じなのではないかと考えられる。

当事者はどうしても自分のことは甘めに、希望的観測をふんだんに盛り込んで考えてしまいがちだ。

しかし、そんな甘い考え方では正しいやり方にはならないし、やり方が正しくないなら導き出される結果も正しくない。

心を鬼にして、不細工な自ら写真や動画を見続けるほかない。
そこに立脚してさまざまな施策を考えるべきだろう。

「自分で思っていたよりも太っているからダイエットする必要がある」とか「思っていたよりハゲかけているから髪型を工夫しなくてはならない」とか、残酷な現実を受け止めることで初めて効果的な施策を考え付くことができる。

以前にも書いたが、某大手アパレルの部長が素材メーカーに「ユニクロでバカ売れしたのと同じ素材を売ってほしい」と飛び込んできたことがあるが、この部長も「鏡を見てまんざらでもない」と思うタイプの人間だろう。

商品そのもののデザインも、価格設定も、店舗数も、客層もすべてがユニクロと異なるのに、素材だけ同じ物を使っても同じくらいの数量が売れるはずもない。

昨今流行りの産地ブランドも同じだ。

「欧米のラグジュアリーブランドと同じ生地を使っているから、値段も同じくらいに設定したい」なんていう妄言は何度も耳にしたことがある。

まずは「鏡を見てまんざらでもない」と思わなくなる訓練をする必要があるのではないか。















「正しいファッション」と「正しいビジネス」はイコールではない

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 ほかのこと(ワールドやら三陽商会のことやら)を書こうかと思っていたが、ちょっと予定を変更して、今日はこのブログをご紹介したい。

アウターからスーツの裾が出ているのを見て思うこと
http://www.apalog.com/fashion_soroban/archive/139

要するに、スーツの上に羽織ったコート(ブルゾンも含む)の丈が短くて、ジャケットの方が丈が長い人を良く見かけるという話である。

ひどい場合は、スーツの上にショート丈のブルゾンを羽織っているサラリーマンも少なくない。
かっこいいかかっこ悪いかというと、かっこ悪い。特にブルゾンはダサい。強烈にダサいと思う。

それについての佐藤正臣さんの考察を見てみよう。


通勤時に見かけるサラリーマンのコート・アウターからスーツの裾がはみ出ていることです。それもここ数年はかなりの確立でこれを見かけます。(ときに50%超えてるのではとも思えます。TVドラマでもよく見かける。)

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しかしながら、ファッション好きの常識からすると、このありえないことも、私なりに違う視点で見てみると、このようなことを考えます。以下箇条書きすると。

・そもそも、そんなこと気にしない。
・通勤用・プライベート用のアウターを使いわけるほどお金がない。
・長いコートはおっさんくさい。ダサい。(昔の刑事スタイル)
・防寒できれば、なんでも良い。

他にも色々ありますが、こんな推測が成り立つのではないでしょうか?

とのことであり、非常に賛同できる。
一つ付け加えるとすると、ロング丈コートは日常生活において「不便」だという点である。
例えば自転車に乗りにくいし、電車で座席に座るときには尻の下に裾を敷くことになって、シワになりやすい。
階段を上る際には、上の段に裾が擦らないかどうかも気を付けないといけない。

ショート丈、ハーフ丈に比べてめんどくさいことが多い。

だからロングコートは敬遠されるのである。

また、お金のあるなしにかかわらず、通勤用とカジュアル用のコートを分けることに興味を持たない人も多い。
コートとはいささか異なるが、息子がまだ保育園に通っていた時分だから、もう15年ほど前である。

ほかの児童の保護者と顔を合わせることも多かったが、その中に、パジャマと会社の制服しか持っていないというお父さんもいた。
たしかに、朝8時とか9時に出勤して、9時ごろに帰宅してあとは寝るだけという生活を続けるなら、カジュアルウェアはほとんど必要ない。
効率的に過ごすなら、肌着とホームウェア代わりのパジャマ類(スエット上下を含む)、それと会社の制服があれば十分だ。通勤は制服を着ればよい。

週1回か2回の休日を過ごすための服をわざわざ買う必要もない。

良い悪いではなく、こう考えるサラリーマン男性がそれなりの人数で存在するのは事実である。
下手をするとそれがサイレントマジョリティではないかとも思う。

そこで佐藤さんは次のようなブランド側への解決策を提案する。

もしも、私がどこかの紳士服のMD・バイヤーなら、上記の推測を基にこんな手を打ちます。

・長いコートは大幅に商品数を減らす。なくす。
・アウター自体の構成比を減らす。スーツ専用のアウターは作らない。
・着丈はあまり気にしない(MA-1ほどの短丈は作らないが)
・単純にサイズは大きくしないが、パターン・アームホールの調整等でスーツの上に着られるようにする。
・女性の意見を聞きまくる。


とのことで、これにも賛同する。

要するにオンオフ兼用のコートを作るということである。
そしてロングコートの品ぞろえを減らすということである。

ビジネスという観点からするとこれはまことに正しい選択だといえる。

しかし、こういう考えに対しては、オシャレを自認する業界人wwwは反発するだろうと予想される。
そんな反発なんぞは何の意味もないから無視するだけだが。

彼らは「正しいオシャレが否定された」と思うのだろう。
別に誤解されたままでも何の痛痒もないが、否定はしていないということを明言しておく。

本来はロングコートがもっとも格調高いし、筆者個人もロングコートが好きである。
正しく着用すれば、かなり細身に高身長に見える。
かっこよく見えやすくなる。
おまけに尻も暖かい。

だからそういう着こなしがあるということは伝え続けるべきだと思うが、ビジネスという観点から見ると、そういう物を好む層は少数派でニッチである。
じゃあ、ロングコートはニッチ向けに作って採算を確保すれば良いことであり、その売上高は1億円とか5億円程度で満足するべきなのである。

オシャレを自認する業界人wwwwの思考が圧倒的に間違っているのは、ニッチ層しか好まない「正しいオシャレ」を大衆向けに売りたいと考えている点である。
ロングコートで言えば、大衆にとってメリットよりデメリットが大きいから大衆はロングコートを敬遠するのである。
それに対しての啓蒙活動は必要だろうが、要らない物は要らないのである。

だったら、マジョリティが必要と感じるような商材を作って提供するのが「正しいビジネスの姿勢」だろう。

もし、何十億円とか何百億円という売上高を作りたければ、マジョリティが必要と感じる商品を発売すべきであり、防寒アウターでいうなら、世のサラリーマンは圧倒的にオンオフ兼用のショート丈・ハーフ丈を求めている。

フランス革命前まで貴族と平民では服装が異なっていた。
大雑把にいうと貴族はキュロットと呼ばれる半ズボンをズボンの上から重ね穿きしていた。
平民はキュロットを穿かずにズボンのみで、サン・キュロット(半ズボンなし)と呼ばれていた。

フランス革命で貴族が没落し、フランスはあまねくサン・キュロットになったのだが、それを指して「サン・キュロットは文化として正しくない。おしゃれではない。キュロットを穿く文化を継承すべきだ」などと批判しても意味がない。今更その当時には戻れないし、物事・文化というのはそういう風にして変化をしていくものだからだ。

サイレントマジョリティがオンオフ兼用のショート丈コートを求めているなら、それを提供するのがビジネスである。

オシャレな業界人wwwwが「正しいファッション」と「正しいビジネス」を混同し続けているから、アパレル業界は混迷しており、不振を極めているのではないか。
己の好みであるロングコートを無理やりに押し付けてもそれは大衆からは支持されない。そういう商品は仲間内のニッチ向けに作って満足しておけば良いのである。












若者がファッション業界を志望しなくなるのは当たり前

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 「若者のファッションに関する知識が浅い」という類の老害の嘆きは百害あって一利なしではないかと思う。

老害感丸出しのこんな事例が繊研プラスのコラムに先日掲載されていた。

http://www.senken.co.jp/column/eye/assistant0125/

あるプレスルームがアシスタントのアルバイトを募集したところ、20人を超える応募があったという。人手不足のおり、うらやましいと思いきや、結局採用は見送ったそうだ。「どの子もそれっぽい格好はしてるけど、ベースとなるファッションの知識がなさ過ぎて」とのこと。

 面接での情報を総合すると、皆、服を買っているのはファストファッション。東京ブランドなどは、人気どころを一つ二つ知っていたらいい方で、海外ブランドは関心も無い。情報は、タレントなどのインスタグラムや、昨今物議を醸したまとめサイトなどから得ており、雑誌は読まない。なので「はやりものは分かるけど、感覚的で、すごく浅い。これから10年も経ったら、ブランドビジネスはどうなるのかと不安になった」と。

感想は一言「アホか」である。
繊研プラスがということではなく、このプレスルームがである。

何年もこのプレスルームでアルバイトをしていた若者に対して、こういうならまだしも、これからアルバイトをする人に対してどれほどの技能を要求しているのか?
ここまでの技能や知識を要求しているのだから、さぞかし良いギャラを払うのだろうと思う。

これで時給1000円以下とかだったら、笑えてくる。

いくつかのプレスルーム、プレス業者と付き合ってきた経験上から言えば、プレス業者の知識もあまり大したことがない場合が多い。

たしかにブランド名はよく知っている。それこそコレクション系と一部セレクト系で扱われているブランドに限られているが。
しかし、生地、売り場、流通のことはまるで知らない。
だから彼らが作ったプレスリリースはまったく要領を得ないポエムのようなものが多い。

あれを読んで理解できる人間は同じくポエトリーな人間に限られるだろう。

記事中のファッション雑誌とは何を指しているのかわからないが、ファッション雑誌の多くはかなり間違った知識で書かれている。

そもそもファッション雑誌の記事を書いている人は、織物と編み物の区別も出来ていない人もいる。(全員がそうだとは言わないが)

大まかにいえば、ジーンズやワイシャツ、チノパン、ネルシャツ、ダウンジャケットなどで使われている生地は「織物」である。
Tシャツ、ポロシャツ、セーター、トレーナー(スエットシャツ)などで使われている生地は「編み物」である。

にもかかわらず、「〇〇産地で織り上げたスエット生地」みたいな文章が掲載されていることも珍しくない。正しくは「編み上げた」と書くべきだろう。

その程度のファッション雑誌を読んで一体何の知識が身に付くと思っているのか。

その程度の物をありがたがるプレス業者がこれまで跳梁跋扈してきて、ファッションビジネスをこんな体たらくに追い込んでしまったのではないか。
プレス業者には感覚的ですごく浅い人も多い。そのコメントはまさしく自己紹介だとしか思えない。

こんな勘違いをした輩が幅を利かせていることも、ファッション業界に若い人が入ってこなくなった一因ではないのか。
「感覚的ですごく浅い」業怪人たちがカッコを付けられた時代は2005年ごろまでで終わっている。

不要になった事物や業界が衰退し、消滅するのは当たり前のことで、ファッション業界が衰退しているのは若者のせいではなく、その手の輩が大衆に支持されなくなったからだろう。
このプレスルームの言いぐさが当然だと業怪人連中が思っているのなら、早晩、旧来のファッション産業は消滅してしまうだろう。まあ、それは市場で不要になったということだからさっさと消滅すれば良いと思うが。

最近、つくづくと思うのだが、ファッション産業は先駆けて衰退したさまざまな他産業と同じような足跡をたどっていると思う。
ファッション業界は、頑迷固陋で性質の悪い伝統産業のようになりつつあると個人的に感じている




西友の崩壊―現場からの報告書
荻原 康昭
データハウス
2000-10





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