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南充浩 オフィシャルブログ

バブル期でも「安い服」は存在していたし、売れていたという話

2021年10月8日 企業研究 4

人間の記憶というものは、基本的にあやふやなものである。

20年前のことを逐一明瞭に覚えている人もいないだろう。経験したことさえ、今となってはどうやってすごしていたのかわからないということも多い。

例えば、30年前の日常と今の日常ではあまり変わらない部分も多いが決定的に違うのはインターネットと携帯電話がないことである。

待ち合わせのときなんて当時どうやっていたのか?と今からすると不思議で仕方がないが、当時は自分も携帯電話もスマホもなしに友達との待ち合わせには全く不自由しなかった。

 

また「後の世代へ語り継ごう」というのも、個人的には不可能だと思っている。

いくら言葉を尽くしてもその時の雰囲気までを体験させることはできない。それによほど重要なこと以外はわざわざ語り継がない。

 

最近は、バブル期を懐かしむような若者の言説がSNSで見られることが少なくない。いやいや、お前はバブルの頃なんて生まれてねえだろ、と突っ込まざるを得ないが、どうも必要以上に美化されてしまっている感がある。

昔は良かったというのは、何百年前からある人間の変わらぬ心理だし、孔子だって自分が生まれる500年前の周の時代を理想郷だと掲げていた。

で、これと似たような感じを受けるのが、バブル期は安い服が無かったという言説である。

たしかにバブル期は高価なDCブランドが大ブームとなり、百貨店の売上高も伸びていた。しかし、バブル期に中学生~大学生までを過ごした当方からすると、バブル期にも安い服はたくさんあったし、当方はそれを着て育ったのに一体何を言っているのだろうと不思議でならない。

これをバブル期を知らない今の若者が言うならまだしも、自分と変わらないオッサン・オバハンまでが口にすることもあるのだから、人間の記憶というのはあやふやで都合よく書き換えられるものだと感心するばかりである。

 

自分の経験からいえば、イズミヤとジャスコで買ってこられた服しか着ていなかった。

今のジーユーよりは高いとはいえ、ユニクロくらいの価格である。それで20年間育てられた。

 

DCブームとか百貨店ブームというが、実際、自分が子供の頃にはDCブランドみたいな奇抜なデザインの服を着ている人は都心にしかいなかった。

実家の周辺でもあんな変テコリンな服を着ている人は見たことがなかった。

今でも大阪南部ではピンク色のスラックスを穿いた男性は恥ずかしいと言われるのと同じで、35年前はもっとそうだったということは当時を知らない人にも納得していただけるだろう。

ということは、全員がDCブランド、百貨店ブランドの服を着ていたというわけではない。

 

大手総合スーパー各社は、いまだに衣料品をテコ入れし続けているが効果は出ていない。

ではなぜ、衣料品を捨てないのかというと、かつて衣料品が大手総合スーパーの利益の稼ぎ頭だった時代があったからだ。

 

ちょっと面白い記事を見つけた。当方の嫌いなニューズピックスだが、6年前の記事である。

GMSの過去と未来、人口動態から見る2020年のイオン (newspicks.com)

 

1990年代末から食品以外のカテゴリ、特に衣料品分野が減少し、そもそもGMS業態の動機だった「食品で集客し衣料品で稼ぐ」構造が崩れてきたのである。

 

とある。ちょうど、ダイエーやマイカルが倒産したのは2000年頃であり、90年代後半から大手総合スーパーは苦戦が顕著化していた。

記事中にあるグラフを見ていただきたいのだが、衣料品の売上高は70年頃のスタートから一貫して90年まで伸び続けている。

 

90~95年頃が大手総合スーパーの衣料品の売上高のピークで2兆円をキープし続け、90年代後半から徐々に下がり始めて2000年以降も減少が止まらないという構図となっている。

何が言いたいのかというと、バブル期でさえスーパーマーケットの低価格衣料品の売れ行きは伸び続けてピークを迎えていたということである。

しかも各社合計の売り上げ規模は2兆円あり、今のユニクロ+しまむら+ジーユー(1兆円強)よりも大きいということになる。

 

昔は低価格衣料品が無かったというような言説は、恐らく閉塞感漂う今の業界だからこそ生まれてくる妄言なのだろう。また確かにリーマンショックが起きるまでは、高額衣料のブームも起きやすく今よりも売りやすい時代だったことは間違いない。

 

言ってみれば、当時は安い服も高い服も両方とも売れやすかったといえる。

理由は歴史的な流れを見ると、60年代に入って既製服というビジネスが盛んになった。それまでは、金持ちはオーダー、庶民は自作が主流だったから、新しくて便利な既製服に高くても多くの人が飛びついた。(発売当時のiPhoneに行列ができたようなもの)

また敗戦によって焼野原となっていたし、経済的にも困窮した時代から経済成長が始まってきていたから、基本的な物不足でもあった。

しかし、国民全員が金持ちになることは共産主義国家でさえあり得ないから、金持ちは百貨店やDCブランド、庶民は大手総合スーパーで服を買っていたということになる。

現在だと、各人は洋服を相当数持っているから毎シーズン大量に買う人は減ったが、当時はまだまだ洋服を大量に持っている人は少なかったし、ファッションへの憧れも今より強かったから無理をしてでも百貨店やDCで買う人も多かったのだろう。他方、ファッションに憧れない人は大手総合スーパーで服を買っていたのだろうと思う。

 

現在の大手総合スーパーは、衣料品の赤字を食料品の黒字で何とか埋めているという状況が続いている。

総合スーパーは夢よもう一度とばかりに定期的にテコ入れ政策を行うが、どれも即効性がないので廃止になってしまっている。

こと衣料品に関していえば、相当な年寄りでさえユニクロあたりで買うようになっているのだから、総合スーパーの衣料品が必要なのか甚だ疑問である。

 

その一方で、「昔は安い服は無かった」かのようなフィクションは衣料品業界にとって何の益もない。

 

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 comment
  • とおりすがりのオッサン より: 2021/10/08(金) 11:23 AM

    でも、スーパーにはユニクロみたいな、「何の変哲もない無地のスウェット」みたいなのが無かったんすよね。大抵、変な模様とかマークとか入ってたりして。ユニクロが台頭してきた時、「店員も寄って来ないし、無地の服がいっぱいあってええやん。」とか思った気がします。ま、品質、デザイン、色とかは微妙で結局あんまり買わなかったですがw

  • BOCONON より: 2021/10/08(金) 12:53 PM

    昔は「スーパーで売っている服の中では比較的高価だけど,ちょっと面白い」といった商品が結構あって僕はたまに見に行ってました。イトーヨーカ堂で売ってた UP renoma のシャツとか。綿のタータンチェックのスラックス(って言い方も古いけどw)なんて珍な商品があったりもしたな。
    その後衣料品が売れなくなって,IY堂などはPBで利益を出そうとするようになった。これがでも大方は「デザイナーも何をどうデザインしたらいいのか困ってるんだろうな」と思うような服ばかりで,今の無印良品みたいな按配。昔どおり雑多な服売ってた方がよほど楽しくて良かったのに。
    今は普段着買う時,ハッシュパピーとかゴールデンベアとか「スーパーに出店していて百貨店よりは安い」といったショップをチェックしに行く程度であります。

  • みー より: 2021/10/08(金) 10:38 PM

    20代前半~30代半ばまでラッキーバブル体験者ですが、ジャスコ以外にも「鈴丹」とか、安い服もいっぱいでした。DCブランド全盛に関しては、各デザイナーの強烈な信者達が競い合って買いまくってたから、沢山売れていただけで、つまり一人あたりがムチャクチャの枚数を買ってた。衣のために食住の質を下げる信者の多かったこと(笑

    一般的な人は、バブルで余裕があってもその恩恵は衣食住や「けいことまなぶ」に分配してたから、普段の服は安くすませる人の方が多かったです。

  • ヒデ より: 2021/10/13(水) 12:16 AM

    バブル期、確かにDCブランドやインポートブランドの流行はありましたが、それは雑誌などのメディアが主体で、一般庶民はダイエーやジャスコのようなお店で安い服を買っていたと思います。だいたい、1枚1万円以上もするようなシャツ、5万円以上もするジャケット、2000円もする靴下をホイホイ買える訳がない。今ならユニクロやGU、アダストリアあたりで1/5くらいの値段で、同じくらいの質のものを買えますが、当時は安物とブランド品の差が大きかったから、洒落たものを着たかったら、大枚を叩くしかなかった。当時の男性ファッション誌のスナップコーナーに、月収20万円くらいで、半分を洋服代に注ぎ込んでいると言う人のインタビューが時々載っていたが、そういう人は、当たり前な話、ごく一部のかなりの服好きであって一般的ではなかった。当時から服やファッションに興味がない人は大勢いたし、服選びが面倒くさく、いちいちコーデなんぞ考えたくない人は、適当な安い服を着ていたと思う。だから、バブルが弾けて不景気が長引き、ユニクロやGUみたいな店が増えた時、飛びついた人が大勢いたんじゃないか。人と被ってようがいまいが、シンプルで、流行り廃りがほとんどなく、実用的な服を手軽な値段で買えるから。それに対して、今ぐちぐち言っているのは、ファッションというものが既に大半の日本人の関心の対象ではないということを認めたくない人たちでしょうね。そういう人たちが、80年代やバブル期を輝かしい過去として讃美してるのかもしれないと思います。

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