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南充浩 オフィシャルブログ

百貨店がイノベーターでなくなった理由の一つとは?

2020年4月30日 百貨店 1

もともと歴史が好きなので、物事のルーツや歴史の流れを学ぶことは意義があると思っている。

以前にご紹介した黒木亮著「アパレル興亡」(岩波書店)もそういう点においては貴重な資料になると考えており、高く評価している。

小説としてはどうか?と問われると、あまり人物の内面描写は多くないし力点が置かれていないが、内容や目的から考えるとそれは仕方のないことだと思う。

東京スタイルがどのような変遷を経て、吸収され消滅したかということや、戦後からバブル崩壊までの流れなどを知っておくことは若い業界の人にとっても有益なことだと思っている。

 

で、たまたま何となく、タイトルだけを見て先日Amazonで買った本がある。

梅咲恵司著「百貨店・デパート興亡史」(イースト新書)である。あれ?あんまり店頭で見たことがない本だなあ?と思って調べると今年4月15日に発行したばかりの本だった。

国内の百貨店のルーツや歴史がまとめられているという触れ込みに釣られて買ったわけだが、文体は非常に簡単だが、各百貨店のルーツや歴史、流れがまとめられているだけでなく、若い人からすれば「トリビア」的なマメ知識も散りばめられていて、有益な本だと感じた。

 

もちろん、百貨店に詳しい人や年配の業界人からすれば「知ってるで~」ということがほとんどなのだろうが、世の中はそんな人ばかりではないから、特に入門編としては有益だといえる。

まだ読了したわけではないが、前半で考えさせられる部分があるので、私見も交えてご紹介したい。

 

現在、我が国の百貨店は非常に苦しい立場にある。

売上高はピーク時から3分の2以下、総額は6兆円未満にまで減少している。新型コロナショックでの休業が続いているため、今年度の売上高総額はさらに低下するだろう。

コロナショックによる休業が終了したとしても、売上総額の減少は止まらず回復することはあり得ないだろうと思う。

理由は

 

1、コロナショックによる売上高減少で全国の百貨店店舗数がさらに減少すると思うから

2、コロナショックによって収入が減ったため、百貨店で買う人がさらに減ると思うから

 

というのが当方の考えつく主な理由である。

さらに付け加えるなら、今の百貨店の保守的な姿勢ではこれらを打破できるようなイノベーションは生まれないだろうとも思う。

 

しかし、百貨店はもともとはイノベーターだった。

これはこの本に書かれているだけでなく、ある程度広く知られている。

三井家が運営する越後屋という呉服屋が、「現金掛け値なし」という画期的な売り方を始めて、それが支持を広げたということは多くの人が知っている。

要するに、定価を表示して店先で売って、その都度現金で支払ってもらうというやり方である。それまでは、定価は存在せず、店主と客の交渉で変動し、支払いはその都度ではなく、年に2回まとめて集金するというやり方だった。

三井家の越後屋が今の三越である。

画期的な売り方を開始したイノベーターだった。

 

これは江戸時代の話だが、その後も三越に限らず、各百貨店はイノベーターとして発展し続けた。

かいつまんで本から紹介する。

三越は1900年に全館を陳列販売に変更し、他の百貨店も追随した。それまでは全商品を陳列するという売り方は存在していなかった。

時代はちょっと下るが、鉄道のターミナル駅に直結した売り場を作ったのも百貨店で、阪急百貨店うめだ本店がそのきっかけとなった。

また阪急の小林一三は、沿線に住宅地を多数開発することで流入客まで作り出している。

このほか

 

「百貨店はエレベーターやエスカレーターといった当時最先端の設備を一早く導入している。三越は1914年に業界で初めてエスカレーターを設置、白木屋(280円居酒屋ではない)も1911年に業界初のエレベーターを設置した」

 

ともある。

売り方だけでなく、設備面でもイノベーターだったというわけである。

 

しかし、今の百貨店はどうだろう。およそイノベーターではない。

イノベーターどころか守旧すぎてあくびが出るように当方には感じられる。内部の人や近しい人からは反論もあるだろうが、当方から見れば、今の百貨店で先進性があるとするなら「ブランドを集める」点くらいで、それすらも一部の店舗にとどまっており、大多数の百貨店はそれに追随するばかりにしか見えない。

百貨店で催事を運営した経験も含めて言わせてもらうと、あまりチャレンジ精神もないし、わけのわからない上流意識に固まってしまっている年配従業員も多いと感じる。

 

で、本書で注目したのは、かつてイノベーターだった百貨店がどうして今のような守旧・墨守みたいな体質になってしまったのかということに言及している点である。

アパレル業界やメディアでは、「バブル崩壊で高額品が売れなくなり経営が苦しくなったため、冒険しにくくなった」という論調がメインで、その要素はもちろんあるとは思うが、本書では明確にもう一つの異なる点を明示していて興味深い。

それは1956年公布の第二次百貨店法に原因があるとする。

 

百貨店法上では、店舗の新増設は通商産業大臣の許可を必要としたが、実際上の手続きは地元の商工会議所にある商業活動調整議会にはかり、その結果を通商産業省(現・経済産業省)の百貨店審議会にかけた。審議会で意見を聞いたうえでの通産大臣の許可といっても、実質上は地元各界の代表が集まっている商業活動調整議会で決定されていた。つまり、百貨店の新増設は地元小売店の意見に左右された。

こういった数々の規制により、革新的な販売手法を生み出し、発展してきた百貨店はまるで手足を縛られたかのような形となった。一段の成長を目指して新しい展開を試みるバイタリティを失ってしまうことになる。

 

とある。

2005年以降は、地元商店街は衰退の理由としてイオンモールを槍玉に挙げているが、1950年代は地元商店街にとって百貨店が敵だったわけで、「地方百貨店が無くなったら商店街が衰退してしまう」という今の論調とはまったく異なっていたということで、時代が変わるというのはこういうことなのだろうと思う。

で、本書はさらに「株式会社三越100年の記録」の中から

 

同法の施行によって、自由経済下で流通業界をリードしてきた百貨店の機能は逐日物資配給機関へと低下していくことになった。

 

という凄まじい批判文を引用している。

 

現在、百貨店は「伝統」みたいな部分がクローズアップされすぎ、当方からすると「衰退する伝統工芸」や「伝統芸能」みたいな扱いと同列だと感じ、ほとんど理解不能・意味不明な領域になってしまっている。

建て直し策についても百家争鳴でそれは多様性の観点からは歓迎すべきものではあると思うが、例えば「よりラグジュアリーに特化せよ」という意見も同意できる部分もあるが、さらにラグジュアリー化した百貨店で生き残れる店舗はどれほどあるのだろうと疑問に思う。

銀座、日本橋、新宿、梅田、名古屋あたりの店舗はそれでも生き残れるだろうが、我が国に限らずどの国もラグジュアリー人口なんていうのはほんの一握りに過ぎないから、全店がそれで潤うはずもない。「ファッション性をさらに高めよ」と言ったところで、そんな変態的なファッションフリークス人口がどれほどいるのか疑問しか感じない。

法律や規制でがんじがらめになったまま、周囲だけでなく、中の人も経営陣も感覚が麻痺して墨守することだけが百貨店の使命になってしまっているようだが、百貨店がこれ以上の衰退を食い止めたいのなら、かつてのイノベーション気質とバイタリティを取り戻すほか手はないだろうと個人的には思う。今の中の人や経営陣、周囲の思惑を見るとそれは至難の業なのだが。

 

 

そんなわけでこの本をどうぞ~

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 comment
  • BOCONON より: 2020/05/01(金) 5:17 AM

    僕思うに,百貨店には昔で言えばヴァンヂャケット,割と最近で言えばサントリーの洋酒等みたいな問題がある気がします。つまり「欧米にはこんなお洒落なものが(ブランドが)あるので紹介します。でも高価だから私たちがお安く提供しますよ」という商売のやり方が古くなってしまった,という・・・
    かつての高島屋のP.カルダンやサンヨーのバーバリーもそのたぐいで,しかし今は洋酒もバーバリーも本家本元が直接入ってくる時代ですからね。買える人がどれほどいるかはとも角。お酒も売れるのはビールより発泡酒だし。
    もっとも割合最近「お洒落な洋物紹介業」で成功したものもある。例のセレクトショップって業態。僕はイタものは好きじゃないですが,もしかしたら百貨店こそあれをやるべきだったのかも知れない。まあSSももう盛りを過ぎた感じですが。
    「よりラグジュアリーに特化せよ」というのはねえ・・・以前池袋西武の高級化指向について書きましたが,ラグジュアリー/ハイブランドなら銀座や丸の内の直営店に行けば済む話ですからね。「誰が池袋なんぞで…」という気がどうしてもしてしまいます。

      嫁さんになれよだなんて発泡酒飲みつつ言うなこの貧乏人

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