南充浩の繊維産業ブログ

ファッションブログ・・・・と言いたいところだけれどもそこまでファッションに特化していないし、能力的にもできない。そこで繊維製造業、産地、アパレルメーカー、小売店など幅広く繊維産業全般についてぼちぼちと書きます。たまにマスコミ、経済問題についても書く予定。よろしくお付き合いください。 お仕事の依頼は minami_mitsuhiro@yahoo.co.jp まで。

繊維業界新聞の記者としてジーンズ業界を、紡績、産地、アパレルメーカー、小売店と川上から川下まで担当。 同時にレディースアパレル、子供服、生地商も兼務した。退職後、量販店アパレル広報、雑誌編集を経験し、雑貨総合展示会の運営に携わる。その後、ファッション専門学校広報を経て独立。 現在、記者・ライターのほか、広報代行業、広報アドバイザーを請け負う。

Jフロントリテイリング

たまには「定石」を疑ってみよう

  • このエントリーをはてなブックマークに追加 はてなブックマーク - たまには「定石」を疑ってみよう
 定石・セオリーとされていることは概ね正当な理由はあるが、変革期においては、それを疑ってみることも一つの視点であるといえる。

先日、Jフロントリテイリングの2017年2月期連結が発表された。
減収減益に終わっており、百貨店事業は各店軒並み減収している。
その中で、東京店だけが対前年比2・2%増と増収している。
売上高は748億円となり、神戸店にあと100億円差にまで迫っている。
改装中の心斎橋店は比較対象にならないので除外すると、京都店、札幌店、梅田店を抑えて、大丸各店中2位の売上高となっている。

http://www.j-front-retailing.com/_data/news/1702_4Q_supplementary_J.pdf

大丸東京店の好調の要因として、地上1階のグランドフロアをスイーツや食品売り場にしたことが挙げられる。

これまで、百貨店の定石では1階グランドフロアは化粧品か高級ブランドと決まっていた。
これを消費者の関心が最も高いスイーツ、食品にしたことが、東京駅隣接という立地も相まって集客装置となったと各報道では指摘されている。

実際に何度か東京店を覗いてみたが、グランドフロアは平日昼間でもかなりの来店数である。
もちろん、全員が商品を購入するわけではないが、購買比率が他フロアと変わらないのであれば、集客が多いとそれだけ購買客数は増えるということになる。

蛇足だが、すごく暇なときに、東京店の全フロアを平日昼間に覗いてみたが、5階から上はかなり閑散としていて寂しい印象で、グランドフロアとの対比がすさまじかった。

また、阪急百貨店うめだ本店のグランドフロアはファッション雑貨売り場で、化粧品は2階にある。
かつては化粧品がグランドフロアにあった記憶がある。
化粧品がグランドフロアというのが阪急のかつての定石で、2階への移転はそれなりに反対意見も多かったと聞いている。

しかし、2階に移転しても化粧品の売上高にそれほど影響はなく、それまでの「定石」はなんだったのかという印象もある。

業界関係者からは、グランドフロアは入口があちこちにあるので化粧品売り場独特のニオイを薄めてくれる効果があり、2階だと入口がないのでニオイがこもる危険性があったという意見も聞かれるが、個人的には1階にあっても2階にあってもニオイはそれほど変わらず、クサイものはクサイままだと感じる。

ニオイだけの観点でいえば、1階にあろうが、2階にあろうが8階にあろうがそれほど変わらないだろうというのが個人的な感想である。

こんな風に各社が頑なに信じている「定石」「セオリー」というのは、時代の移り変わりとともに意味がなくなっている場合もある。

もしかしたら最初から意味が無かった場合もある。
単なる信仰とか習慣とか思想とかイデオロギーだけのことだったのかもしれないこともある。

現在、インターネット通販全盛時代を迎えつつあるが、10年前までネット通販で洋服が売れると考えていた人は少なかった。
特に業界人はベテランになればなるほど否定的だった。

今はそこらへんの量販店までが後追いで出店するほど評価の高いZOZOTOWNだが、10年前の業界人の多くはあれを否定的に見ていた。

また、現在は業績が回復していない夢展望だが、スマホが普及する前から携帯通販を重視してきた。
かつて、創業者のインタビューにも伺ったことがあるが、2005年よりも以前から携帯通販を開始して、その当時はネットすら普及していなかったので、賛同者はほとんどいなかったが、競合他社が少なかったこともあり2005年から急速に業績を伸ばして今に至る。

もちろんこのまま全店舗がなくなり、すべてネット通販に置き換わることはないが、「ネットでは服は売れない」という「定石」は短期間の間にひっくり返された。

一概にすべての「定石」を否定する必要もないし、それは危険な行為だが、企業が成長を志向する場合、定石を疑ってみることも有益な手法だろう。
「定石だからアンタッチャブルで」という姿勢が、企業をもっとも苦境に突き落とすのではないか。





「パルコ」に対する認識の違い

  • このエントリーをはてなブックマークに追加 はてなブックマーク - 「パルコ」に対する認識の違い
 少し、旧聞になるがJフロントリテイリングがパルコの株式65%を取得した。
J社が乗り出す前には、森トラストやイオンも買収に名乗りを挙げており、さながらパルコ争奪戦の様相だった。

関西圏で生まれ育ち今年42歳になる筆者には、なぜそれほどパルコに価値があるのかさっぱりわからなかった。
業界の先輩に尋ねると「80年代のパルコの文化発信力はすごかったんだよ」という答えが返ってくるばかりで、その「すごさ」が具体的に分からなかった。

先日、「HAKATA PARIS NEWYORK」でパルコ買収のことが採り上げられており、はじめてその当時の「すごさ」を具体的に実感した次第である。

http://blog.goo.ne.jp/souhaits225/e/091a9b680b87cbcd637e9868c22fc25d

しかし、筆者は今のパルコに買収するほどの意味があるとは思わない。なぜなら、パルコのブランド価値は、80年代、DCブランドを軸とした先端ファッションをリーシングした商業ビルとしての先駆者、そして劇場運営や出版物刊行など、堤清二&西武セゾングループのクリエイティブ戦略の栄光と遺物でもっているに過ぎないからだ。

 確かに田中一光や石岡瑛子、浅葉克己、山口はるみや糸井重里など、希代のクリエーターを起用して渋谷の若者文化を発信、牽引し、単なる商業施設では味わうことのできない付加価値を創造した功績は大きい。


とある。

なるほど~。((=゜エ゜=))

80年代というと70年生まれの筆者が10歳から20歳になるまでの10年間である。
筆者が小学校4年生から大学1年生という時代である。
先に挙げられたクリエイター達は、筆者にとってテレビ番組の中だけでぼんやりと見ているだけの対象でしかなかったし、働き始めたころには90年代に突入しており、西武グループもすっかり凋落していた。

アンテナの低い子供時代を送った筆者は、80年代の栄光は記憶にまったく残っていない。

さらに付け加えると、関西圏はパルコの盛名はちっとも届いておらず、心斎橋パルコ、アメリカ村のパルコデュエともにあまり注目されない小型商業施設だった。
関西で生まれ育った人間にとって「パルコ」といわれてもあまり鮮明なイメージはない。



さて、Jフロントリテイリングがパルコを買収し、その相乗効果がどれほどあるのかということになると、あまりあるとは思えない。
パルコとの相乗効果を主張しておられる方は「栄光の80年代」をリアルタイムに過ごされた方で、現在のパルコがその当時と同じネームバリューを持っているとは到底思えない。
相乗効果がゼロとは思えないが、「栄光の80年代」には及びもつかないだろう。
それでも東京都心では一定の効果がありそうだが、その他の地方ではどうだろうか?

関西は先に示したような土地柄なので、まったく効果がないだろう。
それよりも大丸百貨店の知名度の方がよほどネームバリューが高い。

パルコ争奪戦にあまり興味を持てなかった理由は筆者が関西に生まれ育ったことと、幼少期のアンテナの低さによるものである。もっとも今もアンテナは低いままだが。

関西人にとってパルコ買収は「対岸の火事」に過ぎない

  • このエントリーをはてなブックマークに追加 はてなブックマーク - 関西人にとってパルコ買収は「対岸の火事」に過ぎない
 先日、Jフロントリテイリングがパルコの買収を発表した。
これに対する見方は、HAKATA PARIS NEWYORKで示されたことが正解だと思う。

http://blog.goo.ne.jp/souhaits225/e/f4e6af46d06fa741d5eb8df3a094234b

一般メディアは「顧客層の拡大」「百貨店の再編」が進むなんて相も変わらずのフレーズをお書きになっているようだが、パルコを手中に収めたところで小売り面のメリットがそれほどあるとは思えない。

まさにこの意見に賛成である。

で、この筆者はさらに

では、Jフロントはなぜパルコを手中に収めたのか。それはショッピングセンター(SC/業態名としてはこれが正式)事業には、保証金などの様々なドル箱があるからだ。
 一流商業地では借地権が更地の時価の90%まで認められているから、当然、借家権も時価にスライドしている。しかし、SCだけは保証金は出店時の金額しか保証せず、金利は付かない。なのに退店で空きスペースができると、そこの保証金は時価で新規入店テナントに要求できるというメリットがある。
 他にも内装費のピンハネや指定レジの押しつけ、クレジット手数料収入など、デベロッパーにはおいしいところがいくつもある。
 つまり、Jフロント側は単なる委託販売や消化仕入れ、歩率商売といった百貨店モデルから、こうしたデベロッパーの「うま味」にも目をつけたということ。これが脱百貨店の本音かもしれない。顧客層の拡大なんて小売り面して、裏では資本を動かして儲けようという魂胆が透けて見えるのである。



と踏み込むのだが、これもまさに正解であろう。


一方、文中には

パルコの中国進出についても触れられており

10年8月には日本政策投資銀行と資本提携し150億円を調達。中国などへの進出を本格化させると発表した。しかし、それは日本からテナントを連れて行って開発運営するのか、現地のテナントでそれを行なうかで、ハード面はもとより運営手法まで大きく違ってくる。
 商環境もお客の嗜好も違う海外市場において、日本だけでの知名度やノウハウでSC開発がスムーズに進むと考えるのはあまりに短絡的だ。まあ、150億円くらいの資金ではとても足りないだろうし、日本で限界が見ているデベロッパーの海外進出を投資家が評価するはずもない。


と手厳しいが、その通りである。
日本で凋落した商業施設が中国へ出て行って成功するはずもない。

シナジープランニングの坂口昌章さんも常々「日本で売れていないブランドが中国へ出て行って売れるはずもない」と仰っているが、まさに同様の理屈である。


で、今回のパルコについてだが、東京の方々は想像できないかもしれないが、
関西でのパルコの知名度は驚くほど低い。体感的には「無いに等しい」と言っても過言ではない。

1980年代前半までのことは、幼すぎて体感がないのだが、筆者が大学に入学した1989年以降、関西で「パルコ」がホットスポットとして人口に膾炙した記憶はない。
大阪市内には、パルコ心斎橋店とアメリカ村のDUE店の2店舗があったが、どちらもそれほど消費者の支持は得ていなかった。
80年代だと、大阪市内では、南海電車「なんば」駅の下に広がる「なんばシティ」や、JR西日本の環状線の高架下にある「エスト1」、HEPファイブの前身である「阪急ファイブ」、現在は無くなった「心斎橋ビブレ」などが大衆向けの人気商業施設として知られていたが、パルコ心斎橋店とDUE店はこの4施設に大きく水を空けられていた。

この2店舗とも昨年9月に閉館し、パルコ心斎橋店だけが2013年にリニューアルオープンするというが、あの売り場面積の狭いビルでどのように近隣の大型店と戦えるのか疑問しかない。
現在、関西圏には滋賀のパルコ大津店しかない。


そういう背景もあり、関西生まれの関西育ち、関西在住である筆者にとって昨年からの「パルコ騒動」は今一つピンと来ない。
関西人にとっては「パルコ」よりも「OPA」の方がよほど存在感がある。
はっきりと言ってしまえば、存在感を感じられないから、Jフロントに買収されようが、イオンに買収されようが、中国進出で失敗しようが「対岸の火事」なのである。









PR
PR






記事検索
livedoor プロフィール
タグクラウド
QRコード
QRコード