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ファッション雑誌は基本的に無責任。だから読者が離れた

 以前から変わっていないのだが、ファッション雑誌はけっこう無責任である。
だからこそ、信用を失って部数が急落しているといえる。

これまで、メディアが紙媒体しかなかったときは、そこからしか情報が得られないので、多くの人が買っていたが、ウェブメディアが発達し玉石混交とはいえ、正確な情報が得られるようになると途端に部数が低迷するようになった。

先日、こんなエントリーがあった。

うっかりトレンドの服を買ったら、1年後に「ダサい」と全否定されますよ
http://t-f-n.blogspot.jp/2017/07/fashion-trend.html

どういう内容かというと、チェックシャツ+ボーイフレンドジーンズの「ゆるカジ」を某女性ファッション誌が全否定していたというものである。

スキニージーンズがベーシックアイテムとなって普及してしまった3年くらい前から次の提案として、少し緩いシルエットのボーイフレンドジーンズが提案された。
ユニクロでも売られていたくらいだからマスアイテムとなったといえる。

去年あたりまで、ファッション雑誌各誌は、ボーイフレンドジーンズや腰回りにゆとりがあって裾が細くなったテイパードジーンズを推奨していた。

そこにチェックシャツを合わせて緩いシルエットのアメカジを作ろうというのがファッション雑誌の提案だった。
ゆるいカジュアルだから「ゆるカジ」。

まあ、何を提案しようとそれはメディアの仕事なので構わないが、去年まで誌面が一押ししていたスタイルをいきなり全否定するのはいかがなものか?というのがこのブログ主の主張であり、それはその通りである。
ファッション雑誌はあまりにも節操も信念もない。

画像をお借りする。

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「こなれて見える」と信じていたけれど、その「ゆるさ」、私たちの本当に必要だった?

​ 「ときに味気なく見えたり、実際よりスタイル悪く映っていたり」

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なんて一文も誌面にはあるらしいが、「必要だった?」と問いかける前に、なぜ己らがそれを消費者に提案し続けたのかを説明し、違っていたなら謝罪・反省・訂正すべきである。
というか、己らは何をもって「読者に対して必要だと思って提案した」のか?
その理由を説明せねばならない。
何を誤魔化そうとしているのか。

こういう姿勢だからファッション雑誌は信用を失って部数が低迷するのである。
まあ、ファッション雑誌に限らず、紙を主体とした旧メディアの多くは同じく無責任である。

このブログ主は、トレンド変化はアパレルのビジネスモデルなので仕方がないと総括しておられるが、この部分は少し異議がある。
もちろん、トレンド変化はアパレルのビジネスモデルであることは異論はないが、ファッション雑誌はそこまでアパレル企業とは密接ではない。

もちろん、広報・プレスとは密接だが、商品計画や経営計画にタッチできるほどファッション雑誌は関係が密接ではないし、ファッション雑誌編集部や出版社にそこまでの知見もノウハウもない。

この急激な手のひら返しはひとえに、低迷するファッション雑誌自身が売りたいための戦術なのである。
そう、戦略ではなく戦術。大局ではなく、局地戦の小手先の術策でしかない。
そこにアパレルのビジネスモデルへの考慮などはない。ただひたすら自社の雑誌が売れれば良く、しかも「今月だけでも売れれば良い」という極小規模の局地戦向け戦術でしかない。

ここまで極端ではないが、こういう手のひら返しはファッション雑誌には昔からあった。
以前にもこのブログで書いたことがあるが、2000年ごろの「メンズクラブ」では、「ミリタリーカジュアルアイテムのカーゴパンツを穿きながら、ビジネス向けのネクタイを締めるのはNG」とあった。
それが3年後くらいには、「カーゴパンツを穿いてネクタイを締めるのが新しい」と書かれてあって、おいおいあの強硬な主張はなんだったのかと驚いたことがある。

ただ、メンズクラブはこの女性誌のように、前スタイルを全否定まではしていなかったので、それなりに品格のある態度だったといえる。

ファッション雑誌の多くは、部数が低迷してますます「売らんがため」の刹那的な取り組みが増えている。
「某タレントを表紙にしたから今月号は完売しました」というニュースがあるが、それはその号だけで、来月号以降はいつもの部数に逆戻りでしかない。

一時期、オマケ付き商法が効果を発揮したが、他誌に追随されれば元の木阿弥である。
オマケ付き商法というアイデアを考え出したことは素晴らしいが、いずれは他誌にも真似をされる。
そうなれば、あとは同じで、オマケ競争に走るか、全誌そろって部数を落とすかしかない。

売らんがために、内容も見出しも刹那的に走り、それがさらに読者からの信用をなくすことになる。

こういう場当たり的な女性誌の姿勢を見ていると、好き嫌いは別にして十年一日のごとく、「モテオヤジ」を特集し続ける「Leon」や、ミリタリー・ヘビーデューティを特集し続ける「ライトニング」、なんとかの一つ覚えのようにハリウッドスター的カジュアルを提案し続ける「サファリ」、などの男性ファッション雑誌の方がはるかにコンセプトがはっきりとしていて、ブレない媒体姿勢には好感が持てる。

この手の女性ファッション誌は今後ますます低迷するだろう。

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アパレルもメディアも旧態依然の斜陽産業

 7月3日発行の日経ビジネスに書評を寄稿した。

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書評にはフォーマットがあって、3冊を紹介せねばならず、おまけに文字数は合計で1300字弱である。

1冊は日経BP社の「誰がアパレルを殺すのか」に難なく決まったが、残り2冊が決まらない。
そこで、尾原蓉子著「創造する未来」(繊研新聞社)と大村邦年著「ファッションビジネスの進化」(晃洋書房)を選んで、急ピッチで読んだ。

その感想でもまとめてみたい。

「ファッションビジネスの進化」だが、大学の論文形式で各章が書かれている。
著者が関西アパレルに造詣が深いようで、従来の東京中心の論説とは少し毛色が異なる。
工場の自立化の一例として、大阪府松原市の靴下工場「コーマ」の自社オリジナルスポーツソックス「フットマックス」を採り上げているのはなかなか良い選択だと思う。

東京中心の従来の論説だと採り上げる企業はステレオタイプである。

佐藤繊維だとか、ファクトリエだとか、久米繊維だとか、ラインナップが定番化しており、読むほうも「またか」という感想しか持てない。

「創造する未来」だが、昨年秋に発行され、一部の業界人から高い評価を得ている。
しかし、個人的にはそんなに感銘は受けなかった。

米国の先進事例がふんだんに紹介されており、その部分についてはそれなりに価値があると思うが、著者が高く評価している企業が必ずしも好調ではないから、その判断基準が理解できない。

たとえば、メイシーズやJクルー、アンソロポロジー、配車サービスのウーバーあたりを高く評価しているが、この本が出た時点で、メイシーズやアンソロポロジーは絶不調から大規模閉店に追い込まれていたし、Jクルーも巨額の赤字に陥っており、今現在も巨額赤字に苦しんで、ドレクスラーすら引責辞任に追い込まれてしまった。

また配車サービスのウーバーはたしかに斬新なアイデアではあるが、赤字経営が続いており、極めて脆弱であり、このまま成長できるかどうかは不透明だと感じる。

尾原蓉子という人はこれらの何に高い評価を下したのか理解に苦しむ。

ベンチャーであるウーバーに対する評価は各人で別れるところだから、除外するとしても、メイシーズ、Jクルー、アンソロポロジーへの高評価は理解できない。

Jクルーなんて「復活」なんて騒がれていたのが一転して巨額赤字計上に陥っている。
恐らく、これまでの「復活」は不良在庫を帳簿上では資産計上していて、それが溜まりに溜まって、どうしようもなくなって一転して赤字計上したと考えられるから、その経営姿勢は到底褒められたものではない。

そんな狡すっからい手法で良ければ、我が国の苦戦中の大手アパレルだっていくらでもできるだろう。

また、米国のミレニアル世代を好意的に解釈して、この世代が世界を変えるというような内容を書いているが、果たしてそうだろうか。

米国は変わるかもしれないが、我が国は変わるとは思えない。
なぜなら、我が国のその世代は米国と異なり人口が少ない。
人口が少ないから、消費に対する影響力が小さい。

米国と同じ背景ではない。

それを同じだとして論ずるのは主観以外の何物でもない。

また、我が国では東日本大震災以降、社会が変わったという説を書いているがこれも疑問だ。
首都機能の移転分散はまったく進んでおらず、反対に東京一極集中がさらに進んでいる。
はっきり言って何も変わっていない。綺麗事論者が期待するようなことは起きていない。
じゃあ、95年の阪神大震災では何か変わったのかと尋ねてみたい。

例えば、ノマドという言葉で有名になった某女性がいるが、この某女性は現在ノマドでもなんでもなく、さっさと大学の講師だか職員として就職してしまっている。
ノマドどころか立派な定住者である。

ノマドブームが如何に薄っぺらくて上っ面だったかということがわかる。
提唱者自体があっけなく就職を選んでいるのが現実である。

また、この著書では「人間らしく」とか「人間らしさ」が次の消費のキーワードになると何度も書かれているが、果たしてそうだろうか。
だいたい何をもって「人間らしい」と言っているのか。
情緒的過ぎてまったく共感できない。

米国の先進事例を紹介するという価値はあるものの、それ以上の価値はちょっと見いだせなかった。

個人的な意見を言うなら、この尾原蓉子という人は80年代・90年代からずっと第一線としてファッション業界の中心にいた。
そんな人が今更、「我が国のファッション産業は変化できなかった」みたいに他人事として評論するのはどうかと思う。当時からその産業の中心にいた人が何を言っているのかと思う。

同じ傾向を感じるのが、現在クールジャパン機構の社長を務める太田伸之氏である。
ずっと90年代から要職を歴任してきて、今更何を他人事のように業界を批判できるのかと思う。

東京コレクションの在り方を3年位前に批判していたことがあるが、長らく東京コレクションの中心にいたのもご自身だし、つい先日は、日経ビジネスで百貨店について批判していたが、松屋百貨店の常務を長らく務めたのもご自身であり、百貨店は旧態依然だというなら、常務でありながら改革できなかった反省くらいは述べるべきではないかと思う。

逆に、いまだに尾原・太田両氏の意見を金科玉条のごとく採り上げるというメディアの姿勢も旧態依然でまったく変化が見られない。

アパレルは斜陽産業だが、メディアも同じく斜陽産業であり、メディアの旧態依然ぶりはアパレルに勝るとも劣らない。

業種・業態にかかわらず、斜陽産業というのは、メンタリティが似通るということか。

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山一證券の失敗 (日経ビジネス人文庫)
石井 茂
日本経済新聞出版社
2017-06-02


同じ事象でも切り取り方によって見え方は変わる

 今日はなんということもない感想なのだが。

先日、名古屋の老舗百貨店である丸栄に関するニュースが報道された。

一つは、丸栄が百貨店事業から撤退する可能性が高いこと。

丸栄 百貨店業務から撤退も
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170412-00002376-cbcv-bus_all


もう一つは、丸栄が興和の完全子会社になること。

興和が老舗百貨店の丸栄を、TOBで完全子会社化
https://www.wwdjapan.com/408855

である。

どちらも同じ会見から記事にしているわけで、本来は、二つまとめて一つの話になるのだが、記者や媒体がどちらの内容が重要だと考えているかで、クローズアップする部分が変わってくる。
これはその見本みたいな事例だといえる。

事実としては、

7年前に興和が子会社化した丸栄だが、業績不振が続いているので、100%子会社にしてしまって再建に取り組む。再建案としては百貨店事業からの撤退もあり得る。

ということである。

このうちのどこを重要視するかは記者や媒体の判断によって異なるということだ。

今回の報道の場合、世間的な話題性も含めると、「百貨店事業から撤退の可能性」という方がニュースバリューがあるだろう。

もうすでに2010年に丸栄は興和の子会社になっている。
この時点で興和が株式の69%を所有していた。

これが100%になると丸栄の上場廃止という事態になり、それなりには重要な事実だが、上場廃止以外はあまり現状と変わらない。

まあ、これがいわゆる報道で、どこを切り取るかによって記事の印象はまったく異なってしまう。

さて、丸栄の2017年2月期の業績だが、

17年2月期は売上高が前期比10.5%減の186億1200万円、営業損失は4億8500万円(前期は2億7800万円の赤字)、経常損失は6億2600万円(前期は4億2600万円の赤字)、純損失は8億9500万円(前期は5億6400万円の赤字)に留まっていた。

とある。

赤字もひどいが、売上高がかなり低い。
たった186億円しかない。これは地方の中型ファッションビル程度の売上高である。

名古屋市内の百貨店は「4M」とか「4M1T」と言われてきた。
4Mとは、松坂屋、三越、名鉄、丸栄で、1Tはジェイアール名古屋高島屋である。
近鉄百貨店は残念ながら含まれていない。(笑)

丸栄はWWDの記事によると、1615年創業というから、関ケ原の合戦の15年後に創業されているということになる。
三越の創業350年を上回る老舗といえる。

しかし、2005年以降、業界での存在感は乏しい。
地元関係者は別として、筆者のような他地方の人間からするとほとんど知名度も認識もない。
筆者の認識は丸栄を除いた3M1Tである。

松坂屋が売上高1000億円規模であることを考えると、売上高186億円というのは、差が開きすぎているといえる。

しかも他地方に多店舗展開しているわけでもないから、百貨店としてのバイイングパワーは落ちる。
納入メーカーからすると1店舗での仕入れ枚数が多いわけでもないし、店舗網を生かして多くの枚数が仕入れられるわけでもない。
だったら、メーカー側には付き合うメリットはあまりない。

事業再建案の一つとして出された、「百貨店事業からの撤退の可能性」はそれなりに妥当だといえる。
ここまで売上高が低下してしまえば、バイイングパワーは極度に弱まっているから、ブランドテナント店を誘致しての貸しビル業にシフトすることは合理的な選択肢の一つだろう。

「百貨店の伝統ガー」という嘆きの声も聞こえてきそうだが(笑)、冷静に考えると、この丸栄だって400年も続いてこられたのは、時代に合わせて売る物や売り方を変えてきたからではないか。

1615年の創業当時は当然百貨店だったわけではなく、着物を売っていた。
着物の販売に固執していれば、おそらくは現在まで企業としては存続できていなかっただろう。

どこかの時点で着物の販売をやめたということだ。

となると、ここまで既存の百貨店業態で失敗してしまえば、異なる形態に変わるほかないと外野のオッサンは思う。もちろん、変わるにも資金が必要だから、今の丸栄自体にはそんな金はないだろう。
そのために親会社の興和がある。

そういう意味では、今後、興和と丸栄がどのような再建案を提示し、どのように変わるかに注目したい。
変わらなければ座して死を待つのみだろう。







売れ行き不振の原因を直視しないアパレル業界と大手メディア

 大手メディアは相変わらず衣料品不振の原因を読み誤っている。

アパレル不況に「絶食系」の影 大手でリストラ相次ぐ
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ13HMX_T10C17A1000000/

先日、発表された東京ソワールのリストラ、レナウンの赤字などを挙げて、その原因が「若者のモテ離れ」「恋愛離れ」にあると分析している。
正直なところ的外れも良いところであり、そもそも礼服の東京ソワールの不振に、若者の恋愛は関係ないだろう。

東京ソワールはレディースの礼服・ブラックフォーマルを主力とするアパレルである。
礼服・ブラックフォーマルの売れ行きに恋愛は関係ない。

お分かりか?

礼服・ブラックフォーマルというのは冠婚葬祭の際に着用するもので、そのすべての状況は己の恋愛とは関係なしに周りに引き起こされるものである。
恋愛してようがしてまいが、着るときは着るし、着ないときは着ない。

恋愛していなくても葬儀があれば着る。

続いて、レナウンの赤字も「若者の恋愛」はほぼ関係ない。
なぜなら、現在レナウンに残っているブランドのほとんどは中高年向けだからだ。
若者向けブランドはほとんどない。

若者が恋愛しようがしまいが、現在のレナウンにはほとんど関係ない。
はっきり言って今のレナウンはオッサンオバハン向けアパレルであり、若者が恋愛しようがしまいが売れ行きにはほとんど影響しない。

日経のような大手メディアがこの手のピントのズレた分析記事を掲載するのは害悪でしかない。

なぜなら、これを信じる人が多数発生するからだ。
とくに経営者にこれを信じる人が多数出てしまう。
経営者が誤った分析を信じるのは本当に有害で、なまじ発言力と権力があるから企業を誤った方向へと簡単に導いてしまう。

若者事情に疎い老経営者が日経のミスリードに引っかかることが非常に多い。

洋服が売れなくなった理由を「若者の〇〇離れ(恋愛に限らず)」に求めているうちは永遠に売れるようにはならない。

洋服が売れなくなった理由は若者に限らず、多くの年代層で、

1、可処分所得の減少ならびに伸び悩み
2、低価格ブランドの商品の「見た目」が向上した
3、百貨店・専門店向けブランドの商品企画力、デザイン力が凋落した
4、東京の中心にいるファッション業界関係者の認識が現状と著しく乖離しており、浮世離れを起こしている

この4つではないかと見ている。

これを再認識せずに「若者の〇〇離れ」をやり玉に挙げたところで何も解決しない。
間違った処方箋による薬を飲んだところで体調は回復しないのと同じだ。
胃腸炎なのに解熱剤を飲んでも何の効果もない。

国内の労働者の生産性が低いとは耳にタコができるほど聞くが、じゃあ日本のサラリーマンが著しく非効率的な労働をしているかというとそうではない。
労働効率は上昇し続けている。問題は給与が大きく増えていないことにある。
給与が増えないと数式的に労働生産性は上昇しない。
一部に給与増、時給増の動きが出ているが、まだ全体には及んでいない。
若い年代に限らず、可処分所得は減少または伸び悩んでいる。だから無駄な服なんて買わないのである。

そう、多くの人は丸1年くらいは洋服なんて1枚も買わずに生活できるほどにタンス在庫を持っている。今、安い高いを問わず定期的に洋服を買っている人はかなりのマニアだといえる。
そしてそういうマニアが支える市場が大きく伸びないのは当たり前である。

次に、業界人が認めたがらない事実として「低価格ブランドの商品デザインの向上」という点が挙げられる。

黒の無地のセーターとか、紺の無地のトレーナーなんていうベーシックなデザインの商品は、ユニクロの商品も無印良品の商品も百貨店に並んでいるブランドもほとんど区別ができない。
それほどに見た目は均一化している。

何度も書いているが、筆者が25歳くらいのときは、はっきりと違っていた。
百貨店・専門店に並んでいる洋服と、ユニクロなどに並んでいる洋服は色・柄・形・デザイン・シルエット・素材、すべてが異なっていた。
安いブランドの商品はどうしようもなくダサかった。95年当時のユニクロの商品なんてどうしようもないくらいにダサかった。あんなものは作業着程度にしか使えない。

イオンやヨーカドーの平場に並んでいる洋服の方がまだマシだった。
それでも派手な色や柄の服はやはり見劣りした。

だから、百貨店や専門店に並んでいるような洋服がほしい場合は、百貨店か専門店でしか買えなかった。

前にも書いたが、94年に略礼服ではない黒いスーツを買おうとしたなら、それはDC系ブランドの店しか置かれてなかった。しかも定価が8万円でバーゲンで5万円に下がる程度である。

今、略礼服ではない黒いスーツはツープライスショップで18000円で売っているし、西友でも8000円くらいで売っている。

この違いである。

今、低価格ブランドの商品の見た目は百貨店・専門店ブランドとほとんど変わらない。
だったら低価格商品でもかまわないという人が増えるのは当たり前で、ここを「感性が低下した」とか「本物をわからなくなった」と批判するのはピントがズレている。

また、百貨店・専門店向けブランドはデザインの外注化、OEM/ODM生産に頼りすぎてすっかり商品の企画力が弱っており、外注化された商品のデザインは同質化してしまうようになった。

極端な話、低価格ブランドと百貨店ブランドが同じ外注先でデザインされているようなことだって決して珍しくない。同じ会社がデザインすれば似ないほうが不思議である。

そして、ファッション業界の中心にいる人々の浮世離れである。
彼らは20年前から何も変わっていない。ところが世間は変わった。
彼らは20年前ほど憧れの存在ではなくなったし、彼らの発するルー大柴みたいな横文字交じりのインタビューは以前ほど興味を持って読まれなくなった。

例えば、何をやっているのかよくわからない人に藤原ヒロシという人がいる。
昔からファッション雑誌でお見掛けしたが何をやっている人かは良く知らない。
まあ、筆者は名前くらいは知っているが、業界関係者ではない今の消費者はこの人の名前すら知っているのかどうか怪しい。

当然、彼の動向は注視しない。

彼がプロデュースしたバーやらなんやらに大挙して足を運ぶのは消費者ではなく、業界関係者だろう。

衣料品を最も多く買っているのは実はアパレル販売員であるという現象に似ている。

以前にも書いたが、「毎シーズンのパリコレ」とか「今季のトレンド」についてなんて一般人とは話題にもならない。マニアックすぎるのである。業界関係者ですら話が合わないだろう。

それよりも「男塾」や「ドラゴンボール」についてのほうが、30代~50代の人間は話が合うだろう。
男塾やドラゴンボールについてなら、所属する業界は関係なく話が弾む。

90年代・2000年代まである程度の憧れとして眺められていた業界関係者は、今はそこまで憧れの目では見られなくなっているというのが実態である。

この4つを認識して、商品開発やブランド事業に取り組まないと、売れる洋服や売れるブランドなんて永遠に生まれない。
チャラっとした服装をした業界関係者が、適当にカルチャーを匂わせながら、和製英語交じりのルー大柴みたいなトークで消費者を引き寄せられたのはもう過去の遺物である。






大手アパレルの業績低迷はリーマンショックのせいではない

 この20年間の国内アパレル業界の動向をまとめた記事が繊研プラスに掲載された。

元記事は今年5月に繊研新聞に掲載されたものだ。

http://www.senken.co.jp/news/management/business-fashion/

長文だが一読の価値はある。
ベテラン記者が数人でまとめられただけあってかなり状況を正確に伝えていると思う。
さすがの労作といえる。

しかし、個人的には細かいことだが気になる部分もある。

流れが変わったのは08年のリーマンショックから。急速に価格志向が強まる中、海外のファストファッションが進出、低価格帯の市場を相当占めるまでになった。

とある。これがメディアとしての意見なのか、業界関係者の意見をまとめたものなのかわからないのだが、例えば、凋落著しいワールドやイトキン、TSI、三陽商会などの大手百貨店アパレルは口を「リーマンショック以降」と口をそろえているが、彼らが凋落したのは果たしてリーマンショックだけのせいだったのか甚だ疑問を感じる。

逆にいえば、じゃあリーマンショックさえなければ2016年現在もある程度順調に業績は推移していたと考えるのか?と問いたい。

個人的には、リーマンショックがなくても彼らは凋落していたと考えている。
もっといえば、いまだにリーマンショックに凋落の責任を押し付けているところを見ると、まだまだ問題点を自覚していないのだなと思う。

たとえば記事中で引用されているグラフを見てみよう。

リーマンショック以降、急速に低価格の服が市場に増えたと書いてあるが、グラフの高低だけを虚心坦懐に眺めると、オレンジの低価格のグラフもリーマンショックでは縮小している。グレーの「その他」も縮小しているから、洋服の市場そのものが縮小したといえる。

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記事中より引用

その後、グレーの伸び率に比べて低価格は2010年からジワジワと上昇しているが、2014年の低価格品の売上高は2005年とほぼ同額であることに気が付く。

だから「低価格が急速に増えた」のではなく、正しくは「リーマン・ショックで低価格品も減ったが2010年からジワジワと回復し、2014年になって2005年当時とほぼ同額にまで回復した」と言うべきだろう。

逆に「その他」(たぶん、低価格品以外の中高級品という意味だろう)が2009年に5兆円に減ってから、2014年になっても5兆円のままそれ以上の回復が見られない。
2015年、2016年は統計が出ていないので推測するほかないが、おそらくは2014年とほぼ同額だろう。大きく伸びていることは考えにくい。

以上の2点から考えると、低価格品は以前から4兆円前後あり、リーマンショックで凹んだものの、2014年には2005年当時と同額にまで回復した。一方で、中高級品は5兆円に下がったまま回復していないということがわかる。

さらにいえば、少なくとも2005年時点で現在とほぼ同額の低価格品市場が存在したとも言え、低価格衣料は何も突然にリーマンショック以降に登場したわけではないということになる。

一方で、中高級品はグラフ上でのピーク時の2006年、2007年から1兆円前後の売上高を減らしたままということになり、それは中高級品を供給販売してきたアパレル各社が旧態依然で何の対策も打たなかったということになる。

何らかの対策は打ったが、効果的な対策は何一つ打たなかったというのが正確な描写だろう。

後半には、衣料品の平均単価という折れ線グラフがある。

これによると、2008年から急激に下がり、2011年がもっとも低くなり、2136円になっている。
その後上昇し始め、2014年には2405円にまで上がっている。これは2008年に平均単価が下がり始める直前の数値とほぼ同額で、2004年・2005年はもう少し高い。

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記事中より引用

しかし、リーマンショック以降、急速に低価格品が市場に増えたという説明とこのグラフは矛盾しているのではないか。

なぜなら平均単価は上昇しているからだ。

もし、低価格品が増えたというなら、2011年と同額かそれよりも下がるか、よしんば上がったとしてもその上昇幅はわずかになるはずで、2008年当時にまで急回復することは考えられない。
となると、一概に低価格品が増えたとは言えないのではないか。

「価格訴求だけで消費者は動かなくなった」という説明と、「リーマンショック以降、急速に低価格品が増えた」という説明は矛盾するといえる。

個人的に、大手アパレル各社の凋落のきっかけはたしかにリーマンショックだったと思うが、しかし、リーマンショックがなかったとしても凋落は止めようがなかったと見ている。
それまでに問題点が山積しており、それが顕在化するきっかけにリーマンショックがなっただけであり、リーマンショックがなくてもやがて問題点は顕在化して、業績は凋落していたと個人的には感じている。

むしろ、いまだに責任をリーマンショックだけに押し付けている思考を見ると、大手アパレル各社はまだまだ回復しないと思う。ひょっとすると永遠に回復しないのではないかとも思う。

大手アパレル各社の問題点はこれまでもさんざんこのブログで指摘してきたし、今回の記事中にもあますところなくまとめられているので今回は繰り返さない。

しかし、リーマンショックは遠く過ぎ去り、「価格訴求だけで消費者は動かなくなった」時代に突入したにもかかわらず、大手アパレル各社は一層苦戦しているのはなぜか?経営陣は謙虚に原因を考える必要があるのではないか。

価格訴求で動かなくなったのなら、本来、各社が得意とする状況になったにもかかわらず2014年以降、状況はさらに悪化しているのはなぜか?

かつては時代の空気をいち早く読み取り、新しい取り組みをするのが特徴だったアパレル各社が、成功体験をいまだに引きずったまま、腰が重くなり、悪質な伝統工芸のように鈍重に十年一日のごとく過去の価値観を振りかざしているのが現状ではないか。

そんなままで、業績が復活するはずもない。



センチメンタリズムとノスタルジーでは国内生地産地を救うことはできない

 8月からindependというウェブメディアで月に1本か2本を書くことになった。

https://independ.tokyo/

トレンドとかショップのことはすでにこれまでから書かれているので、製造加工業のことを中心に書くことになる。

手始めに高野口産地の2社について書いた。
なぜここを選んだのかと言うと馴染みが深いから取材に行きやすいという理由もあるが、日本で唯一のフェイクファー産地でありながら、知名度が今一つ業界内でも高くないというところである。
せっかくなのにもったいないなと思い、少しでも認知度を高めたいと思ったからである。

前編が岡田織物で、後編が妙中パイルである。

岡田織物編
https://independ.tokyo/column/%e5%b2%a1%e7%94%b0%e7%b9%94%e7%89%a9/

妙中パイル編
https://independ.tokyo/column/%e5%a6%99%e4%b8%ad%e3%83%91%e3%82%a4%e3%83%ab%e7%b9%94%e7%89%a9/

詳しくはクリックして全文を読んでいただきたいのだが、両社に共通するのは、「メイドインジャパンブーム」だとか「日本製生地への高評価」だとか言われることが増えたが、実際のところはそれほど売上高は増えていないという点である。

景気は「気」からと言われるように、雰囲気が盛り上がることは大事だが、雰囲気だけ盛り上がって実態が伴わないならあまり意味がない。

岡田織物は今でも唯一、産地内で海外輸出を続ける企業で、ルイ・ヴィトンやプラダなどのラグジュアリーブランドに納品を続けているが、売上高が増えたかというとほとんど変わらない。ピーク時からは減少したままである。

妙中パイルも衣料品向けの出荷は減ったままで、液晶画面の研磨用布や化粧をするときにつかうパフ用生地などで減少を補てんしている状況にある。

記事中にも書いたが、高野口産地の産地組合には昭和60年ごろは380社強の加盟があった。売上高総額は660億円だった。さらに非加盟社で有力企業が何社もあったから実際のところは産地売上高は700億円を越えていたのではないかと考えられる。

それが今では加盟者数は62社で総売上高は60億円にまで縮小している。

社数でいえば6分の1、売上高でいえば10分の1にまで縮小しているということになる。

これが日本の生地産地の現状で、高野口産地以外の他産地も似たような状況に立たされている。

今年6月には高野口産地で、また1社廃業している。
今後、国内の機屋や染色工場が減ることはあっても増えることは考えられない。

現在の市況を冷静に見れば、「メイドインジャパンを盛り上げるためにグローバルSPAやグローバルファストファッションを排斥しよう」なんていうキャンペーンが実を結ぶはずもなく、個人的には失笑を禁じ得ない。
そもそも洋服自体の供給が過剰なのであって、ファストファッションを排斥したところで供給過剰状態は改まるはずもない。

しかも可処分所得が減少している中で、高額品のみを生き残らせたところで、全社がその恩恵を受けるはずもなく、売れるところは売れるだろうが、売れないところは今以上に売れなくなる。
普通の人間は無い袖は振れないのである。
収入が少ないのにわざわざ高額な衣料品を買おうと思う人間は少数派である。

そして富裕層も少数派である。

少数派を相手に商売をして全社が共存共栄できるはずもなく、売れない会社は当然淘汰される。
産地企業が置かれる状況はファストファッションを排斥したところでおそらくほとんど変わらないだろう。

産地企業なんて今すぐすべて滅んでしまえとは思わないが、なんとしてでも現存する産地企業をすべて残すべきだとも思わない。
そんなことは社会主義経済ででもない限り不可能である。

今後も産地企業は減り続けていくだろう。
産地企業が補助金や助成金を過剰にあてにしたままなら減るスピードはさらに早まるし、自らの努力を放棄したような企業はつぶれるべきだとも思う。

が、事業主が続けたいという意思があって、それなりの努力をする産地企業があるなら、それは何とか活路を見出してもらいたいと思う。補助金やら助成金は本来そういう企業を助けるためのもので、やる気のない企業に年金のように付与するものではない。

岡田織物も妙中パイルも、ときどき個人的には「アレっ」と首を傾げるような取り組みはあるが、それは個人的見解の相違であって、自助努力を続けている。
事業主にやる気があるうちは何とか事業を継続できる状況が続いてもらいたいと思う。

ただの安っぽいセンチメンタリズムとノスタルジーでは国内産地企業なんて到底救うことはできないし、若手クリエイターや極小ロットブランドが「救う」なんていうのはどれほど上から目線なのかとも思う。

個人的にそういう風潮に賛同できないのは、多くのそういう小さいブランドは産地に対して「手作業」や家内制手工業のイメージを抱いているように感じるし、そうとらえている場合が多いと感じるからだ。
しかし、国内の生地産地は工業製品の産地であり、各社によって設定は異なるが、経済ロットに沿って活動する営利企業なのである。
別に無形文化財でも伝統工芸でもない。

最低でも3反(150メートル)の生地を織らないと不採算だという機屋に対して、「手作業で20メートルだけ生地を織ってください。それが文化伝承です」というのは到底正しいやり方ではない。
本当に産地を「救いたい」のなら、そういうブランドが世間への影響力を強め、売上高を極大化させるほかない。


アスレジャートレンドなのにスポーツ用品店が売れないのは当たり前

 米国では、スポーツウェアをファッションに取り入れた「アスレジャー」に注目が集まっている。
わが国にもそのトレンドは流入しつつあり、ジョガーパンツやジョグジーンズのような商品がそれなりに動いている。
ユニクロが昨年からずっとジョガーパンツを継続していることからもわかるようにすでにマス層にも一定需要がある。

しかし、アメリカで言われるほどの大トレンドかというとそうでもないように感じる。
それこそ「アネロ」の口金リュックの方がよほどビッグトレンドではないか。

また、通常のスポーツカジュアルとアスレジャーの区別をすることも非常にむつかしい。
例えば綿100%のスエットパーカはもともとはスポーツアイテムとして区分される。しかし、もう何十年もの間、ベーシックなカジュアルウエアとして認識されてきた。
ベーシックなアメリカンカジュアルスタイルを挙げろということになるとかならずスエットパーカは挙げられる。

そしてこれを供給するのはスポーツメーカーだけではない。
通常のカジュアルブランドが市場に供給している。
むしろ、本格的なスポーツメーカーは綿100%のスエットパーカなんてほとんど作っていないし、作ったところでスポーツ色が強すぎて「ダサい」という評価を下される。

スニーカーにしてもそうで、スポーツアイテムだが、昔からベーシックなカジュアルアイテムの一つとして認識されている。今の世の中でスニーカーを「スポーツ専用アイテム」ととらえている人のほうが少ないだろう。

この辺りを指して、ことさら「アスレジャーだ」と指摘するのはどうも違うのではないかという気がする。

アメリカで言われる「アスレジャー」はもう少し本格的なスポーツウェアを日常着として取り入れているような気がする。もっと競技用に近い合繊100%で原色バリバリの、Tシャツだとかレギンスだとかナイロンパーカとかそういうものではないかというイメージがある。

しかし、これとても体育教師が常に着用しているようなジャージパンツを四六時中愛用するオッサンとかジイさん・バアさんというのは何十年も前から存在したわけで、彼らをアスレジャーだと指摘する人はいない。
むしろ今も昔も「ダサい人」として認識されている。

スポーツ用品の「ヒマラヤ」が赤字転落している。
これはすでに多くの媒体で報じられている。
東洋経済オンラインにも詳細に報じられている。

ヒマラヤ、過去最多13店舗を「閉鎖」する事情
スキー人気低下、ファッション性でも出遅れ
http://toyokeizai.net/articles/-/133438

2015年秋冬が暖冬でスキー・スノボ用品を得意とするヒマラヤは苦戦を強いられた。
これはその通りだろう。
ちなみにじゃあ、スキー・スノボ用品の市場規模はどうなっているのかというと、

「レジャー白書2013」によると、98年にスキー・スノボ人口は1800万人に達してピークを記録したが、2013年には770万人にまで低下しているという。
しかし、2012年・2013年は横ばい推移だともしている。

また「スポーツ産業年鑑」(株式会社日本能率協会総合研究所)によるとスキー・スノボ用品の市場規模は91年の4300億円がピークで、2012年には1100億円にまで低下しているともある。

91年のピークはバブル期とスキー人気の重なりで、スキー人気はバブル崩壊とともに崩れた。
じゃあ人口が98年にピークになった理由はなぜかというと、これはスキーに代わってスノボが若者に人気となったからだろう。ちょうど90年代半ばからスノボが注目され始める。
だが、その後、スノボ人気も低下して今に至る。

直近の動向はどうなっているのかというと、矢野経済研究所によると、2015年のスノー・スノボ用品の市場規模は前年比95.5%の496億7,000万円だとある。先にあげた1100億円とは大きく数字が異なるが、おそらく統計に含める品目などに差があるために、合計金額にも大きな差が生じたのではないかと推測されるが、ここで重要なのは2015年度の市場規模は減少しているという点である。

こういう背景を踏まえるとスキー・スノボを得意とするヒマラヤの業績が低迷することは何の不思議もない。
むしろ低迷しないほうが不思議である。

最近の東洋経済オンラインの企業分析記事は的確なものが多いが、ヒマラヤの苦戦について「アスレジャーのトレンドに乗れなかった」と指摘している点は少し疑問である。

その理由を3つ挙げる。

1、アスレジャーはトレンドの要素ではあるが、どこまでをアスレジャーに含めるかその境界線が難しい
2、ヒマラヤに限らずスポーツ用品店は、ファッショントレンド品の買い場として消費者に認識されていない
3、アスレジャーというファッション自体が曖昧で明確な境界線がない

この3つであり、ヒマラヤを筆頭とするスポーツ用品店がファッショントレンド客を取り込めるはずがない。
ヒマラヤもムラサキスポーツもアルペンもゼビオも消費者はファッション用品を買う店とは認識していない。
本格的なスポーツ用品を買う店としてしか認識していない。

アスレジャーがトレンドだからスポーツ用品店が売れるなら、地方の駅前にあるような個人経営のスポーツ用品店だって売れなければおかしい。
ところが、オッサン・オバハンが一人でやってるような5坪・10坪の個人経営のスポーツ用品店は衰退の一途をたどっている。ファッション用品店としては論外だし、スポーツ用品店としてもゼビオやアルペンやヒマラヤの足元にも及ばない。

そしてそのゼビオやアルペンやヒマラヤも一般消費者はファッション用品店としてはまったく認識していない。

だからいくらアスレジャーがトレンドに浮上してもスポーツ用品店はその恩恵を被ることはない。

そしてスポーツ用品店にはファッショントレンド品を売るノウハウ・見せるノウハウはまったくない。
いくらトレンドにスポーツテイストが浮上しようと既存の経営陣とスタッフではそれに対応することは不可能なのである。

しかもその「アスレジャー」というトレンドそのものが意外にボンヤリとしていてカテゴリーが明確ではない。
曖昧模糊としたイメージにはなおさらスポーツ用品店は対応できない。

だからヒマラヤがアスレジャートレンドに乗れないのは当然だといえる。

メディアの指摘にはときどき疑問を感じるのだが、例えば「ファッショントレンドにジーンズが浮上しているのに、ジーンズチェーン店の業績が伸びないのはなぜか」というような指摘があるが、それはジーンズチェーン店がトレンドを買う店だと認識されていないからである。
同じジーンズを扱っていても、ジーンズチェーン店の多くは「ファッション」として認識されていない。
「ファッショントレンドとしてのジーンズ」を買う店は別なのである。

ヒマラヤとアスレジャーの関係もこれと同じである。

ここを理解しないとせっかくの的確な分析も画竜点睛を欠くということになってしまう。

もし、スーツがファッショントレンドに浮上しても「洋服の青山」や「紳士服のはるやま」「AOKI」で買う人はそれほどいない。
ファッショントレンドとしてのスーツを買う店は別なのである。

とはいえ、自称ファッション店wwwが「うちはトレンドだから」とか「うちは高感度だから」という一々気取っているのも癪に障るのだが。(笑)




凄まじいサバイバル戦に突入したファッション雑誌

 世間はお盆休みである。
このブログも13日から休んで16日から再開したい。

さて、またファッション雑誌の廃刊が発表された。

アネキャンとランズキである。

「アネキャン」が休刊 販売部数や広告収入の低迷が響く
https://www.wwdjapan.com/business/2016/08/10/00021215.html

ギャル向け雑誌「ランズキ」が休刊 ツイッター上で発表
https://www.wwdjapan.com/business/2016/08/09/00021204.html

購読部数の低下と広告収入の低迷が雑誌の廃刊の理由だ。
それ以外の廃刊理由はよほど特殊な場合を除いてない。

ランズキはそんなにメジャーな雑誌ではなかったが、アネキャンというそこそこメジャーな雑誌までが廃刊に追い込まれているというのはちょっと驚いた人も多いのではないかと思う。

なぜ雑誌の購読部数が減るのかというと、これまで何度も書いてきたが様々な要因がある。

1、可処分所得の減少で何冊もファッション雑誌を買わなくなったこと
2、無料コーディネイトアプリや無料コーディネイトブログの発達によってファッション雑誌を買う必要がなくなったこと
3、見目麗しいモデルが洋服を着ていても、リアリティが薄く、読者の再現性が低いこと
4、雑誌の取り上げる「人気ブランド」が広告スポンサーにほぼ限定されており、市場の人気をあまり反映していないこと

などが挙げられる。

これらの打開策は残念ながらない。

全部どうしようもない。
とくに4なんて雑誌の収益が悪化すればするほど広告スポンサーは優遇される。

いっそ逆張りで、雑誌に恩を売る目的で資金に余裕があるアパレルやブランドは大量に広告出稿してみてはどうか?
これまでになく誌面でも優遇されるだろうし、雑誌や出版社にも恩を売れる。
好調な時にスポンサードしたところで感謝もされないが、これだけ雑誌が不振になればものすごく感謝される。
それこそ、やりようによっては雑誌や編集部を奴隷のように扱うことも可能だろう。

まあ、それはさておき。

じゃあファッション雑誌がすべてなくなってしまうのかというとそうは思わない。
やっぱりファッション雑誌を読みたいと思う読者も何万人かは存在する。

ただ、これまでのようにいくつもの雑誌が何十万部という購読者を得るということが不可能になっただけである。

各ジャンルで1誌か2誌は今後も確実に残るだろう。
これまでのように部数が飛躍的に向上するという現象はなくなるだろうが。

メンズだとマニアックだといわれるライトニングという雑誌がある。
筆者もライターとして過去に5回か6回くらい原稿を書いたことがある。
マニア以外は見向きもしないと思うが、安定的に10万部前後の部数を印刷している。
実際の購読部数はこれより少ないと思われるが、購読部数が減少し続ければ印刷部数を支えることは不可能だ。
よほどのアホ経営者でない限りは、購読が激減しているのに印刷部数を維持させることはない。
購読の減少に合わせて印刷部数も減少させる。
印刷部数が減少しないということは購読部数も減少していないということになる。

これまでは部数の大幅な上昇や、複数の大部数誌の併存が見込まれた女性向けファッション雑誌もライトニングのように、一定部数維持で推移し続けるようになるのではないか。
そして女性向けといえどもそういう雑誌が各ジャンルに1誌か2誌存続できる程度ではないか。

どの雑誌が、それほど多くはない残存者メリットを享受できるのか。
ファッション雑誌は凄まじいサバイバル戦に突入したといえる。
共存共栄は考えられない。



ファッションで一番重要なのは顔立ちと体型の良さ

 筆者は夏が嫌いである。
理由は暑いからだ。暑いのが苦手である。

で、人間の夏服姿というのは実にマヌケていると思う。
秋冬に重ね着をしていておしゃれに見える人でも夏服はカットソー1枚とか半袖シャツだけになるから、体型がモロに見えてしまう。

だいたいにしてかっこいい体型を保てている人なんてほとんどいない。

夏服を見ていると、ファッションとは、コーディネイトや色合わせがどうのではなく、顔立ちと体型の良さがもっとも重要なのだと改めて認識する。

最近はファッション雑誌をあまり読まなくなった。
とくに夏シーズンはほとんど読まない。
メンズはTシャツとポロシャツと短パン(短パン社長ではない)のカタログみたいになっている。
コーディネイトに工夫を凝らすといったって、Tシャツ1枚に短パンみたいな組み合わせしかないから、せいぜいTシャツの色柄を変えてみる程度しかない。
あとはサイズ感か。

しかし、それも顔立ちと体型が良くなければ、そんな工夫はほとんど無駄である。
それが毎年夏のファッション雑誌を読んだ率直な感想だ。

メンズのファッションはほとんど毎年代わり映えしないから、2年前のSafari8月号のページを画像で上げてみる。

IMG_1523

黒いTシャツと黒い短パンを着用した外国人男性モデルである。
なんの工夫もないコーディネイトである。
このモデルの顔立ちが良くて、体型もそこそこ良いから(ちょっと外国人にしては肩幅が狭いと思う。なで肩すぎるのか?)なんとなくサマになっているように見えるが、実際、同じようなコーディネイトをした人は山ほど街で見かける。
日曜日のショッピングセンターには同じようなコーディネイトをした冴えない風貌のオッサンが掃いて捨てるほどいる。

もし、ハゲてて、肥満してて、顔立ちが扁平でもっと短足な50歳くらいのオッサンが同じ服装をしていてかっこよく見えるだろうか?
そういうことである。

ファッション雑誌が売れなくなった理由はさまざまあるだろうが、モデルの顔立ちや体型が一般人からかけ離れており、その着こなしがまったく参考にできないからという理由もあるのではないか。

WEARなどのコーディネイトアプリが支持されている理由は、無料という以外にも、いわゆる一般人がコーディネイト画像を上げているため、参考にしやすいからではないかと思う。

彼らの多くはモデルや俳優ほど顔立ちが良いわけでもないし、スタイルが良いわけでもない。

背が低かったり、足が短かったり、背が高いけど痩せぎすだったり、肥満気味だったり、とそんな人が数多くコーディネイトをアップしている。
自分と似たような体型の人が合わせているコーディネイトはそのまま取り入れられる可能性が高い。

ファッション雑誌だとモデルが合わせているコーディネイトを試してみても、雑誌で見たような感じになることはほとんどない。
読んだことがそのまま取り入れられる確率は低い。
しかも雑誌は有料だ。

読んで、そのままでは取り入れられないような情報にわざわざ金を払いたいと思う人が増えないのは当たり前ではないだろうか。

だからファッション雑誌は軒並み部数を減らしており、回復する兆しもないのではないか。
オマケ商法もとっくに飽きられている。

【コラム】編集者が出版不況を乗り越えるために
https://www.wwdjapan.com/focus/column/business/2016-07-24/17399

このコラムでは週刊文春のノウハウを紹介しているが、週刊文春とファッション雑誌では掲載内容が違いすぎて一概には参考にならない。
また週刊文春はかなり財政的にも余裕がある。
多くの訴訟を抱えており、訴訟を起こされるリスクを承知で発行している。
訴訟で敗訴することもあるから、その場合、多額の賠償金が支払わなくてはならない。
文春にはそれを支払う財務的余裕があるということである。

翻って今の各ファッション雑誌にそんな財務的余裕があるだろうか。

あれこれ考えると、ファッション雑誌はコアなファンをターゲットとしたミニコミ誌的な役割を追求するほうが良いのではないかと思う。というよりそれしかやりようがない。

かつての隆盛は二度と取り戻せないと思う。
そこを覚悟できるかどうかの問題ではないかという気がする。


さらばゲイナー

メンズファッション雑誌はさらに淘汰される

 光文社のメンズファッション雑誌「ゲイナー」が6月24日発売号をもって休刊になる。
何度も書いているように雑誌の休刊とは廃刊と同じであり、後年復活できる雑誌の方が稀である。

男性誌「ゲイナー」が休刊 販売、広告収入の低迷が響く

https://www.wwdjapan.com/business/2016/04/22/00020378.html

廃刊の理由はこの見出しがすべてを物語っている。
販売、というよりも広告収入の低迷が原因である。
雑誌や新聞は購読料よりも広告料を主収入源として成り立っている。
購読部数が少なくても広告さえ集められれば雑誌や新聞は利益が出て、営利活動を続けることができる。

ゲイナーは90年に創刊されたそうだ。
筆者が20歳の頃だが、このころ筆者はファッション雑誌なんて読む人間ではなかった。
ファッション雑誌を読みだしたのは就職が決まってからであるから、93年とか94年である。

このころにはすでにゲイナーはあったのだが、今から考えてみると創刊3~4年の若い媒体だったということになる。もちろんその当時の筆者はそんなことは知らない。

ゲイナーという雑誌は2014年までは、毎月10日発売で20代後半から30代半ばまでの若い男性サラリーマンを対象としていた。
掲載内容は、若手サラリーマンにふさわしいビジネススタイルがメインで、それに加えて上品なカジュアル、ビジネスでも使えるカジュアルというスタイルだった。
あとはグルメ情報とか合コンでのマナーとかそういう内容が多かった。
純然たるファッション雑誌よりもそういう部分が多かったというのが個人的な印象である。

個人的にはグルメも合コンも興味はない(合コンなんて20年近く出席したことがない)から、ファッション情報としては他誌と比べて少ないと感じたが、差別化は図れていたのではないかとも感じていた。

それが2014年に突如としてリニューアルされた。

発売日が24日に移動し、対象年齢が50代男性になった。
モデルの田中カール氏をキャラクターにクローズアップした作りとなった。

個人的にはこのリニューアルが失敗だったと考えている。

リニューアル初号を見たときの感想は、「このカールってオッサン誰?」である。

その後、調べると田中カール氏は50代後半で、もともと人気モデルだった方だそうだが、93年くらいからしかファッション雑誌を読んでいない者からすると「このオッサン誰?」というくらいの知名度しかない。
テレビタレントとして有名になりつつあったジローラモ氏を起用した創刊当時の「LEON」を参考にしたのだと思うが、微妙に正解から外れていたのではないか。

リニューアル後の内容もLEONを意識したモテオヤジ的な特集が多く、個人的興味の対象外となった。

ここまでのリニューアルを施さざるを得ないほど追いつめられた状況にあったということだろうか。

同じようなリニューアル策を敢行したのがメンズクラブである。
メンズクラブも24日へ発売日を移動させて、内容もチャラくなった。
ファッションの教科書的スタンスだった旧メンズクラブの内容を評価していたので、現在の新メンズクラブは興味の対象外である。

ゲイナーとメンズクラブの発売日移動によって10日発売の男性ファッション雑誌はメンズノンノ、メンズジョーカー、ファインボーイズ、ポパイの4誌くらいしかなくなった。
反対に24日発売の男性ファッション雑誌が増えたことになる。

さて、部数を見てみる。

http://www.j-magazine.or.jp/index.html

ここでは3か月間の平均印刷部数が発表されている。
2015年10月~12月の最新データを見てみよう。

ゲイナーは66,734である。
近年はほぼこの前後を推移している。

メンズクラブは62,667
ライトニングは84,467

UOMOは58,334
LEONは82,100
Safariは195,717
メンズEXは34,067

ここではオーシャンズの発行部数は出てこないので、

http://www.zasshi-ad.com/media/man/lifestyle/oceans.html

によると、2013年1~3月で72803部だそうだが、2年経過した現在は増減はあるだろうが6万部台には転落していないと推察する。

このほか、2015年10~12月では

メンズノンノは110,000
ポパイは96,000
メンズジョーカーは109,830
ファインボーイズは86,934

となっており、印刷部数だけでいうと、メンズクラブとUOMOはゲイナーよりも少ない。
メンズEXは3万部台なのでさらに少ない。

ゲイナーと同様にこの3誌が廃刊になっても少しの不思議もない。
ただ、広告代理店の営業マンに言わせると、スーツスタイルに特化しているメンズEXは広告出稿量は部数の割には多いそうだ。
スーツスタイルに特化した男性雑誌がないためだろう。
コアな読者層が強く支えていると言える。

メンズファッション雑誌はもともと誌数が少ない上に、少しずつ毎年淘汰されている。
10日発売組の4誌は当分残るだろう。
また24日発売組はLEON、Safari、オーシャンズの3誌が残るのではないか。
月末発行のライトニングはコアなファンが支えるのでこれも残るだろう。

16日発行のビギンも広告出稿が好調なので残るだろう。
スーツに特化したメンズEXは部数は今以上に増えることはないがこれもすぐに消えることはなさそうだ。

24日発売のヤング男性ファッション誌「スマート」を加えると、当分残れる男性ファッション雑誌はこんなところではないだろうか。

雑誌の衰退理由は各所で述べられている通りだろう。

・掲載アイテムが高額すぎて一般消費者の金銭感覚と乖離しすぎている
・ウェブで無料、もしくは無料に近い格安料金でファッション情報が手に入るようになった
・提案されるライフスタイルに現実味を感じられない、それにあこがれない
・消費者のファッションへの興味が昔より薄れている
・ファッション情報に限らずメディアへの信頼度の低下

などだろうか。

男性ファッション誌の動向を見ていると、広い読者層を獲得しようとするよりも、ライトニングやメンズEXなどのマニアックな内容でコアなファンを獲得した方が効果的だと感じられる。
しかし、コアなファン層を獲得しようとしたフリー&イージーの廃刊もあるから一概にこれも当てはまらない。

ファッション雑誌の運営は今後さらに厳しさを増すことだけは容易に想像できるのだが。


 



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