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「増減率」だけで論じる経済系の愚かしさ

 9月下旬にこのブログの仕様をライブドアブログからワードプレスへ変えた。(正確には変えてもらった)
ドメインは同じでURLも同じだが、基本的にシステムはまったく違うのでそれまでのRSSが役に立たなくなってしまっている。
もし、以前に登録されていた方がおられたら、お手数をかけてしまうが再度登録しなおしていただきたい。

さて、経済系メディアやアナリストと呼ばれる人たちの記事や指摘には参考になる部分も多数含まれているが、「数字のマジック」に踊らされすぎではないかと感じられることのほうが多い。

例えば、昨年までの「ライトオン復活、ユニクロ低迷」という論調や「しまむら復活、ユニクロ低迷」という論調である。
その期の「%表示」のみに従えばそういう論調になることは理解しているが、実際の金額や一昨年対比した場合、この論調はもろくも崩れてしまう。

それが今年になって証明され始めており、ライトオンは赤字転落してしまったし、しまむらも業績は伸び悩んでおり、今年9月度単月の業績だけをもって「しまむら苦戦、ユニクロ好調」なんていう浅はかな記事を書いてしまうアナリストすら存在する。
しかもそのアナリストの肩書は「ベテランアナリストで、海外(主に欧米)での業務経験も豊富」だから驚いてしまう。

アパレル企業の経営者もピンキリで、ひどく短絡的な人も珍しくないが、優秀で冷静な方も数多く存在する。
年度決算という近視眼的な視点ではなく、3年後~5年後、少なくとも再来年までを考慮して中長期的に取り組む経営者もいる。

先日、久しぶりにお会いできた経営者も後者に属する。
30億円規模のカジュアルメーカーだが、直近の決算内容をお聞きすると、卸売り事業は前年割れ、直営店とネット通販が伸びたということで、卸売り事業の前年割れは計画通りだったという。

この規模のメーカーなので当然、株式公開はしておらず、単年度の業績によって株主から責められることはない。

トップとしては、卸売りという事業そのものが伸びにくい状況となっているため、減収を織り込み済みというのは、賢明な見通しといえる。

しかし、仮にこのメーカーを取り上げて「卸売り事業減収により、今後の業績に懸念」という記事を書こうと思えば書ける。
とくに%表示による増減率の「数字のマジック」に踊らされる性質の人なら迷わずそう書くだろう。

だが、その指摘は正しいのだろうか?

アパレル業界において、卸売りという事業そのものが伸びにくくなっている。
理由はさまざまあるが、最大の理由は、卸売り先の減少である。

小規模・零細の個人経営専門店は次々に廃業・倒産している。
また、中規模の専門店チェーンは徐々に自主企画製品(PB)比率を徐々に高めている。

さらに大手有力チェーン店、大手セレクトショップチェーンは完全にPBが主体に切り替わっている。

こう見ると、卸売り先が減ることはあっても増えることはないことがわかる。
この状況下では卸売り事業が減少することは当然といえる。

卸売り事業しかない企業であれば、これをいかに維持するか・伸ばすかということが至上命題になるが、このメーカーは直営店とネット通販というほかの事業を持っている。環境が厳しい卸売り事業を自然減に任せて、その分、直営店とネット通販を伸ばすという考え方は、きわめて当然だといえる。

経済系の指摘は、このメーカーに対し「そうは言っても卸売り事業が縮小するのは問題だ、今後に懸念を感じる」と言っているようなものに過ぎない。

昨日、2017年8月期のファーストリテイリングの決算が発表された。
内容では過去最高実績となる増収増益だった。

しかし、件の経済系はやはりというか、なんとかの一つ覚えというか「それでも物足りない」と指摘するので笑ってしまった。

1、国内ユニクロ事業が6・4%営業減益
2、EC事業が売り上げ構成比6%にとどまった

この2点である。本当に増減比率しか見ていないことが丸わかりだ。

国内ユニクロ事業の営業利益は6・4%といえども959億円もある。ちなみに件の経済記者は国内ユニクロの売上高の伸びにも物足りなさがあると書いていたが、それは前年比1・4%増にとどまったことを受けている。が、売上高は8107億円もあり、この金額でさらに上積みできてしまっている時点で、通常のアパレル企業とはまったく販売力が異なっている。まさに異次元レベルの伸び率といえる。1%でも80億円で、今時、80億円規模のアパレルはおいそれとは誕生できない。

また、経済系の大好きなEC事業だが、売り上げ構成比6%である理由は、全売上高の分母が大きすぎるからで、伸び率は前年比15・6%もある。
国内ユニクロに含まれるEC売上高は487億5300万円に拡大しており、衣料品ブランド単体のEC売上額は断トツの1位である。
500億円規模のアパレル企業といえば、業界では大手の範疇に入る。

これらを指して「%表示の増減」のみで「物足りなさを感じる」と書いてしまえるところがなんとも驚くほかない。
この手の人たちはおそらく、洋服を販売するという実務経験が乏しい、またはまったくないのではないかと思う。

1年でも2年でも洋服販売に従事したことがあれば、この金額がどれほどすさまじいか容易に理解できる。
また、従事経験がなくとも、8000億円のブランドが1%(80億円)売上高を伸ばすことと、10億円程度のブランドが20%(2億円)売上高を伸ばすことの困難さは全く異なるということは容易に想像できるはずだ。

個人的には「想像力を~」と主張する輩は全く好むところではないが、それこそ想像力が欠如しているのではないか。

NOTEを更新しました⇓
「数字だけ」を見て失敗したアパレル経営者たちの事例
https://note.mu/minami_mitsuhiro/n/n3260aa3e5852

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ゾゾタウンと百貨店の比較はまったく意味がない。百貨店が「小売りの王様」なんて化石の認識

 おそらく、ゾゾタウンの株式時価総額が1兆円を越えたことも影響しているのだと思うが、ニュースピックスでも三越伊勢丹の凋落と比較したシリーズ特集が組まれている。

「ゾゾタウンは次世代百貨店」
「ゾゾタウンが百貨店の『王座』奪った日」

などのタイトルの記事がたしか8回に分けて掲載されていた。

もちろんゾゾタウンの好調は特集すべきだが、百貨店との比較はピントがズレているし、それを総力特集してしまう認識もどうかと思う。

まず、驚くのはいまだに百貨店を「小売りの王様」だと思っている人が多いことである。
何をもって彼らは「王様」を選んでいるのか判断基準はわからない。
ステイタス性ならそれなりに今でも残っているから、まあ「王様」と言えなくもない。
中元や歳暮、贈答品を送るときにやっぱりバラの模様の包装紙は効果がある。東京だったらあのタータンチェック柄の包装紙だろうか。
その包装紙のステイタス性はいまだにある。同じアサヒスーパードライの詰め合わせをもらうにしたって、そういう包装紙でもらった方が良いと感じる人は多い。イオンやセブンの包装紙にはそこまでのステイタス性はない。

売り上げ規模でいえば、百貨店の王座なんてとっくの昔に陥落している。

例えば、日本チェーンストア協会によると、スーパーの売上高は2006年に14兆円にも達している。
百貨店が20年前に9兆円弱あった売上高を毎年減らし続けてきているので、2006年当時はすでにスーパーの売上高の足元にも及ばなかったことになる。

すでに売り上げ規模でいえば、2005年あたりに百貨店の王座なんてスーパーに奪われているといえる。

2016年の百貨店の売上高は5兆9780億円しかないが、ドラッグストアチェーン店は6兆4900億円もあり、ドラッグストアの方が百貨店よりも売り上げ規模がはるかに大きくなっており、百貨店が「王様」なんていう認識は化石時代の遺物かと思ってしまう。

そういう観点での議論は無益でしかない。

また、ゾゾタウンを百貨店と比較するのもナンセンスだ。

百貨店の主要な販売物としてはファッション衣料はあるものの、それ以外に食料品もある。
現に食品強化をした百貨店はそれなりに善戦している。地上1階を食品売り場にした大丸東京店がそれを証明している。

他方、ゾゾタウンはどうだろうか。売り物はファッション衣料・用品しかない。
食料品はない。

また百貨店がステイタス性を保ち、富裕層を顧客化できている理由の一つに「外商」がある。
いわゆる富裕層と直接、個別に商品を販売するやり方で、詳細はあまり明かされていない。
一般的に高島屋や松坂屋、三越のような老舗は外商が強いとされていて、新参百貨店やファッション特化した百貨店はあまり外商は強くないとされている。

ゾゾタウンに外商なんていうシステムはない。
ツケ払いはあっても外商はない。

ゾゾタウンが扱っているのは徹頭徹尾衣料品とファッション用品のみである。

となると、ゾゾタウンは百貨店ではなくファッションビルだといえる。

ゾゾタウンの形式も、いわゆるネットの仮想商業施設に各ブランドをテナント出店させ、そこでの売上高の何%かをゾゾタウンへ納めるというもので、これはファッションビルの形式と原則的には同じだ。だからゾゾタウンは「取扱高」という表現で、テナント各店の売上高総額を発表している。
取扱高のうちの何%かがゾゾタウンの収益となるから、純粋なゾゾとしての「売上高」ではない。

さらに、ゾゾタウンの看板の一つにユナイテッドアローズやナノユニバースなどの人気セレクトショップの入店がある。ゾゾタウンが一気に成功した理由の一つにはこういう人気セレクトショップが先駆けて入店したことがある。
しかし、百貨店には例外を除いてセレクトショップは出店しない。

三越・栄店にはセレクトショップは一切出店していない。しかし、三越が運営するファッションビルの「ラシック」にはセレクトショップがひしめいている。
となると、ゾゾタウンは百貨店ではなくファッションビルだ。

一方、ゾゾタウンにはタカキューやジーンズメイトといったベタな低価格チェーン店も出店している。
どこの百貨店にタカキューやジーンズメイトが出店しているのか?
ファッションビルならこういうベタな低価格店も出店できるが、百貨店には出店できない。

この方向から見てもゾゾタウンが百貨店ではなくファッションビルであることがわかる。

だからゾゾタウンを比較すべきは百貨店ではなく、ルミネやアトレ、パルコ、ルクアなどのファッションビルであるべきで、基準が違うものを比較してあーだこーだ言っても何の意味もない。

そして、この手の記事に共通するのが、Jフロントリテイリングのギンザシックスの賞賛である。

一部を除いたラグジュアリーブランドを集めたという狙いは面白いが、実際に賞賛されるほどの売上高があるのかというとそれは疑問だ。
すでに小島健輔さんもブログで、売上高が芳しくないことを指摘しておられる。
オープン後わずか3か月強でその状態なのだから、旧JR大阪三越伊勢丹と同じ推移だといえる。

そして、ギンザシックスとは百貨店形態ではなく、ブランドをテナント入店させるファッションビル形式であり、百貨店が不動産業・デベロッパー業へと大きく舵を切った事例になる。

現状の既存社員・既存役員だけで従来の百貨店事業を立て直せるような状況では、もはや、なくなっているから、良くも悪くも効率しか見ていないジェイフロントがデベロッパー業へと転身するのは、それなりに評価はできるが、全百貨店の再生モデルがあれだというのはおかしいのではないか。
現にギンザシックスもオープン3か月後くらいで失速しているではないか。

なら、全百貨店が全部ルミネとかアトレとかパルコになれば事態は解決するのか。

これらの議論が大手を振ってまかり通り、それをまたアホな経営陣が真に受けるから、さらなる悲劇が生まれるのである。百貨店に限らずアパレルでも。

ニュースピックス編集部に限らず、メディアも評論家も一般大衆も、ファッションといえば百貨店とユニクロとゾゾタウンしか見ていない。
そして、まるで立脚点が違うその3つを比較して語り合っているにすぎない。
これが酒飲み話ならそれはそれで楽しいが、大真面目にやる議論ではない。

個人的には百貨店に対しての共感も同情も利害関係もまるでないが、この手の「酒飲み話」に振り回されることなく、再建したければ工夫を凝らしてもらいたいと思う。

noteで有料記事を始めてみました。

三越伊勢丹とカルチュアコンビニエンスクラブの提携は何が目的だったのか?
https://note.mu/minami_mitsuhiro/n/n101ec8cd6c29?creator_urlname=minami_mitsuhiro

ファクトリエが国内工場を立て直せない最大の理由
https://note.mu/minami_mitsuhiro/n/nd2f9baabd416?creator_urlname=minami_mitsuhiro


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ファッション雑誌は基本的に無責任。だから読者が離れた

 以前から変わっていないのだが、ファッション雑誌はけっこう無責任である。
だからこそ、信用を失って部数が急落しているといえる。

これまで、メディアが紙媒体しかなかったときは、そこからしか情報が得られないので、多くの人が買っていたが、ウェブメディアが発達し玉石混交とはいえ、正確な情報が得られるようになると途端に部数が低迷するようになった。

先日、こんなエントリーがあった。

うっかりトレンドの服を買ったら、1年後に「ダサい」と全否定されますよ
http://t-f-n.blogspot.jp/2017/07/fashion-trend.html

どういう内容かというと、チェックシャツ+ボーイフレンドジーンズの「ゆるカジ」を某女性ファッション誌が全否定していたというものである。

スキニージーンズがベーシックアイテムとなって普及してしまった3年くらい前から次の提案として、少し緩いシルエットのボーイフレンドジーンズが提案された。
ユニクロでも売られていたくらいだからマスアイテムとなったといえる。

去年あたりまで、ファッション雑誌各誌は、ボーイフレンドジーンズや腰回りにゆとりがあって裾が細くなったテイパードジーンズを推奨していた。

そこにチェックシャツを合わせて緩いシルエットのアメカジを作ろうというのがファッション雑誌の提案だった。
ゆるいカジュアルだから「ゆるカジ」。

まあ、何を提案しようとそれはメディアの仕事なので構わないが、去年まで誌面が一押ししていたスタイルをいきなり全否定するのはいかがなものか?というのがこのブログ主の主張であり、それはその通りである。
ファッション雑誌はあまりにも節操も信念もない。

画像をお借りする。

Screenshot_20170703-194755

「こなれて見える」と信じていたけれど、その「ゆるさ」、私たちの本当に必要だった?

​ 「ときに味気なく見えたり、実際よりスタイル悪く映っていたり」

Screenshot_20170703-194800のコピー

なんて一文も誌面にはあるらしいが、「必要だった?」と問いかける前に、なぜ己らがそれを消費者に提案し続けたのかを説明し、違っていたなら謝罪・反省・訂正すべきである。
というか、己らは何をもって「読者に対して必要だと思って提案した」のか?
その理由を説明せねばならない。
何を誤魔化そうとしているのか。

こういう姿勢だからファッション雑誌は信用を失って部数が低迷するのである。
まあ、ファッション雑誌に限らず、紙を主体とした旧メディアの多くは同じく無責任である。

このブログ主は、トレンド変化はアパレルのビジネスモデルなので仕方がないと総括しておられるが、この部分は少し異議がある。
もちろん、トレンド変化はアパレルのビジネスモデルであることは異論はないが、ファッション雑誌はそこまでアパレル企業とは密接ではない。

もちろん、広報・プレスとは密接だが、商品計画や経営計画にタッチできるほどファッション雑誌は関係が密接ではないし、ファッション雑誌編集部や出版社にそこまでの知見もノウハウもない。

この急激な手のひら返しはひとえに、低迷するファッション雑誌自身が売りたいための戦術なのである。
そう、戦略ではなく戦術。大局ではなく、局地戦の小手先の術策でしかない。
そこにアパレルのビジネスモデルへの考慮などはない。ただひたすら自社の雑誌が売れれば良く、しかも「今月だけでも売れれば良い」という極小規模の局地戦向け戦術でしかない。

ここまで極端ではないが、こういう手のひら返しはファッション雑誌には昔からあった。
以前にもこのブログで書いたことがあるが、2000年ごろの「メンズクラブ」では、「ミリタリーカジュアルアイテムのカーゴパンツを穿きながら、ビジネス向けのネクタイを締めるのはNG」とあった。
それが3年後くらいには、「カーゴパンツを穿いてネクタイを締めるのが新しい」と書かれてあって、おいおいあの強硬な主張はなんだったのかと驚いたことがある。

ただ、メンズクラブはこの女性誌のように、前スタイルを全否定まではしていなかったので、それなりに品格のある態度だったといえる。

ファッション雑誌の多くは、部数が低迷してますます「売らんがため」の刹那的な取り組みが増えている。
「某タレントを表紙にしたから今月号は完売しました」というニュースがあるが、それはその号だけで、来月号以降はいつもの部数に逆戻りでしかない。

一時期、オマケ付き商法が効果を発揮したが、他誌に追随されれば元の木阿弥である。
オマケ付き商法というアイデアを考え出したことは素晴らしいが、いずれは他誌にも真似をされる。
そうなれば、あとは同じで、オマケ競争に走るか、全誌そろって部数を落とすかしかない。

売らんがために、内容も見出しも刹那的に走り、それがさらに読者からの信用をなくすことになる。

こういう場当たり的な女性誌の姿勢を見ていると、好き嫌いは別にして十年一日のごとく、「モテオヤジ」を特集し続ける「Leon」や、ミリタリー・ヘビーデューティを特集し続ける「ライトニング」、なんとかの一つ覚えのようにハリウッドスター的カジュアルを提案し続ける「サファリ」、などの男性ファッション雑誌の方がはるかにコンセプトがはっきりとしていて、ブレない媒体姿勢には好感が持てる。

この手の女性ファッション誌は今後ますます低迷するだろう。

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アパレルもメディアも旧態依然の斜陽産業

 7月3日発行の日経ビジネスに書評を寄稿した。

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書評にはフォーマットがあって、3冊を紹介せねばならず、おまけに文字数は合計で1300字弱である。

1冊は日経BP社の「誰がアパレルを殺すのか」に難なく決まったが、残り2冊が決まらない。
そこで、尾原蓉子著「創造する未来」(繊研新聞社)と大村邦年著「ファッションビジネスの進化」(晃洋書房)を選んで、急ピッチで読んだ。

その感想でもまとめてみたい。

「ファッションビジネスの進化」だが、大学の論文形式で各章が書かれている。
著者が関西アパレルに造詣が深いようで、従来の東京中心の論説とは少し毛色が異なる。
工場の自立化の一例として、大阪府松原市の靴下工場「コーマ」の自社オリジナルスポーツソックス「フットマックス」を採り上げているのはなかなか良い選択だと思う。

東京中心の従来の論説だと採り上げる企業はステレオタイプである。

佐藤繊維だとか、ファクトリエだとか、久米繊維だとか、ラインナップが定番化しており、読むほうも「またか」という感想しか持てない。

「創造する未来」だが、昨年秋に発行され、一部の業界人から高い評価を得ている。
しかし、個人的にはそんなに感銘は受けなかった。

米国の先進事例がふんだんに紹介されており、その部分についてはそれなりに価値があると思うが、著者が高く評価している企業が必ずしも好調ではないから、その判断基準が理解できない。

たとえば、メイシーズやJクルー、アンソロポロジー、配車サービスのウーバーあたりを高く評価しているが、この本が出た時点で、メイシーズやアンソロポロジーは絶不調から大規模閉店に追い込まれていたし、Jクルーも巨額の赤字に陥っており、今現在も巨額赤字に苦しんで、ドレクスラーすら引責辞任に追い込まれてしまった。

また配車サービスのウーバーはたしかに斬新なアイデアではあるが、赤字経営が続いており、極めて脆弱であり、このまま成長できるかどうかは不透明だと感じる。

尾原蓉子という人はこれらの何に高い評価を下したのか理解に苦しむ。

ベンチャーであるウーバーに対する評価は各人で別れるところだから、除外するとしても、メイシーズ、Jクルー、アンソロポロジーへの高評価は理解できない。

Jクルーなんて「復活」なんて騒がれていたのが一転して巨額赤字計上に陥っている。
恐らく、これまでの「復活」は不良在庫を帳簿上では資産計上していて、それが溜まりに溜まって、どうしようもなくなって一転して赤字計上したと考えられるから、その経営姿勢は到底褒められたものではない。

そんな狡すっからい手法で良ければ、我が国の苦戦中の大手アパレルだっていくらでもできるだろう。

また、米国のミレニアル世代を好意的に解釈して、この世代が世界を変えるというような内容を書いているが、果たしてそうだろうか。

米国は変わるかもしれないが、我が国は変わるとは思えない。
なぜなら、我が国のその世代は米国と異なり人口が少ない。
人口が少ないから、消費に対する影響力が小さい。

米国と同じ背景ではない。

それを同じだとして論ずるのは主観以外の何物でもない。

また、我が国では東日本大震災以降、社会が変わったという説を書いているがこれも疑問だ。
首都機能の移転分散はまったく進んでおらず、反対に東京一極集中がさらに進んでいる。
はっきり言って何も変わっていない。綺麗事論者が期待するようなことは起きていない。
じゃあ、95年の阪神大震災では何か変わったのかと尋ねてみたい。

例えば、ノマドという言葉で有名になった某女性がいるが、この某女性は現在ノマドでもなんでもなく、さっさと大学の講師だか職員として就職してしまっている。
ノマドどころか立派な定住者である。

ノマドブームが如何に薄っぺらくて上っ面だったかということがわかる。
提唱者自体があっけなく就職を選んでいるのが現実である。

また、この著書では「人間らしく」とか「人間らしさ」が次の消費のキーワードになると何度も書かれているが、果たしてそうだろうか。
だいたい何をもって「人間らしい」と言っているのか。
情緒的過ぎてまったく共感できない。

米国の先進事例を紹介するという価値はあるものの、それ以上の価値はちょっと見いだせなかった。

個人的な意見を言うなら、この尾原蓉子という人は80年代・90年代からずっと第一線としてファッション業界の中心にいた。
そんな人が今更、「我が国のファッション産業は変化できなかった」みたいに他人事として評論するのはどうかと思う。当時からその産業の中心にいた人が何を言っているのかと思う。

同じ傾向を感じるのが、現在クールジャパン機構の社長を務める太田伸之氏である。
ずっと90年代から要職を歴任してきて、今更何を他人事のように業界を批判できるのかと思う。

東京コレクションの在り方を3年位前に批判していたことがあるが、長らく東京コレクションの中心にいたのもご自身だし、つい先日は、日経ビジネスで百貨店について批判していたが、松屋百貨店の常務を長らく務めたのもご自身であり、百貨店は旧態依然だというなら、常務でありながら改革できなかった反省くらいは述べるべきではないかと思う。

逆に、いまだに尾原・太田両氏の意見を金科玉条のごとく採り上げるというメディアの姿勢も旧態依然でまったく変化が見られない。

アパレルは斜陽産業だが、メディアも同じく斜陽産業であり、メディアの旧態依然ぶりはアパレルに勝るとも劣らない。

業種・業態にかかわらず、斜陽産業というのは、メンタリティが似通るということか。

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山一證券の失敗 (日経ビジネス人文庫)
石井 茂
日本経済新聞出版社
2017-06-02


同じ事象でも切り取り方によって見え方は変わる

 今日はなんということもない感想なのだが。

先日、名古屋の老舗百貨店である丸栄に関するニュースが報道された。

一つは、丸栄が百貨店事業から撤退する可能性が高いこと。

丸栄 百貨店業務から撤退も
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170412-00002376-cbcv-bus_all


もう一つは、丸栄が興和の完全子会社になること。

興和が老舗百貨店の丸栄を、TOBで完全子会社化
https://www.wwdjapan.com/408855

である。

どちらも同じ会見から記事にしているわけで、本来は、二つまとめて一つの話になるのだが、記者や媒体がどちらの内容が重要だと考えているかで、クローズアップする部分が変わってくる。
これはその見本みたいな事例だといえる。

事実としては、

7年前に興和が子会社化した丸栄だが、業績不振が続いているので、100%子会社にしてしまって再建に取り組む。再建案としては百貨店事業からの撤退もあり得る。

ということである。

このうちのどこを重要視するかは記者や媒体の判断によって異なるということだ。

今回の報道の場合、世間的な話題性も含めると、「百貨店事業から撤退の可能性」という方がニュースバリューがあるだろう。

もうすでに2010年に丸栄は興和の子会社になっている。
この時点で興和が株式の69%を所有していた。

これが100%になると丸栄の上場廃止という事態になり、それなりには重要な事実だが、上場廃止以外はあまり現状と変わらない。

まあ、これがいわゆる報道で、どこを切り取るかによって記事の印象はまったく異なってしまう。

さて、丸栄の2017年2月期の業績だが、

17年2月期は売上高が前期比10.5%減の186億1200万円、営業損失は4億8500万円(前期は2億7800万円の赤字)、経常損失は6億2600万円(前期は4億2600万円の赤字)、純損失は8億9500万円(前期は5億6400万円の赤字)に留まっていた。

とある。

赤字もひどいが、売上高がかなり低い。
たった186億円しかない。これは地方の中型ファッションビル程度の売上高である。

名古屋市内の百貨店は「4M」とか「4M1T」と言われてきた。
4Mとは、松坂屋、三越、名鉄、丸栄で、1Tはジェイアール名古屋高島屋である。
近鉄百貨店は残念ながら含まれていない。(笑)

丸栄はWWDの記事によると、1615年創業というから、関ケ原の合戦の15年後に創業されているということになる。
三越の創業350年を上回る老舗といえる。

しかし、2005年以降、業界での存在感は乏しい。
地元関係者は別として、筆者のような他地方の人間からするとほとんど知名度も認識もない。
筆者の認識は丸栄を除いた3M1Tである。

松坂屋が売上高1000億円規模であることを考えると、売上高186億円というのは、差が開きすぎているといえる。

しかも他地方に多店舗展開しているわけでもないから、百貨店としてのバイイングパワーは落ちる。
納入メーカーからすると1店舗での仕入れ枚数が多いわけでもないし、店舗網を生かして多くの枚数が仕入れられるわけでもない。
だったら、メーカー側には付き合うメリットはあまりない。

事業再建案の一つとして出された、「百貨店事業からの撤退の可能性」はそれなりに妥当だといえる。
ここまで売上高が低下してしまえば、バイイングパワーは極度に弱まっているから、ブランドテナント店を誘致しての貸しビル業にシフトすることは合理的な選択肢の一つだろう。

「百貨店の伝統ガー」という嘆きの声も聞こえてきそうだが(笑)、冷静に考えると、この丸栄だって400年も続いてこられたのは、時代に合わせて売る物や売り方を変えてきたからではないか。

1615年の創業当時は当然百貨店だったわけではなく、着物を売っていた。
着物の販売に固執していれば、おそらくは現在まで企業としては存続できていなかっただろう。

どこかの時点で着物の販売をやめたということだ。

となると、ここまで既存の百貨店業態で失敗してしまえば、異なる形態に変わるほかないと外野のオッサンは思う。もちろん、変わるにも資金が必要だから、今の丸栄自体にはそんな金はないだろう。
そのために親会社の興和がある。

そういう意味では、今後、興和と丸栄がどのような再建案を提示し、どのように変わるかに注目したい。
変わらなければ座して死を待つのみだろう。







売れ行き不振の原因を直視しないアパレル業界と大手メディア

 大手メディアは相変わらず衣料品不振の原因を読み誤っている。

アパレル不況に「絶食系」の影 大手でリストラ相次ぐ
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ13HMX_T10C17A1000000/

先日、発表された東京ソワールのリストラ、レナウンの赤字などを挙げて、その原因が「若者のモテ離れ」「恋愛離れ」にあると分析している。
正直なところ的外れも良いところであり、そもそも礼服の東京ソワールの不振に、若者の恋愛は関係ないだろう。

東京ソワールはレディースの礼服・ブラックフォーマルを主力とするアパレルである。
礼服・ブラックフォーマルの売れ行きに恋愛は関係ない。

お分かりか?

礼服・ブラックフォーマルというのは冠婚葬祭の際に着用するもので、そのすべての状況は己の恋愛とは関係なしに周りに引き起こされるものである。
恋愛してようがしてまいが、着るときは着るし、着ないときは着ない。

恋愛していなくても葬儀があれば着る。

続いて、レナウンの赤字も「若者の恋愛」はほぼ関係ない。
なぜなら、現在レナウンに残っているブランドのほとんどは中高年向けだからだ。
若者向けブランドはほとんどない。

若者が恋愛しようがしまいが、現在のレナウンにはほとんど関係ない。
はっきり言って今のレナウンはオッサンオバハン向けアパレルであり、若者が恋愛しようがしまいが売れ行きにはほとんど影響しない。

日経のような大手メディアがこの手のピントのズレた分析記事を掲載するのは害悪でしかない。

なぜなら、これを信じる人が多数発生するからだ。
とくに経営者にこれを信じる人が多数出てしまう。
経営者が誤った分析を信じるのは本当に有害で、なまじ発言力と権力があるから企業を誤った方向へと簡単に導いてしまう。

若者事情に疎い老経営者が日経のミスリードに引っかかることが非常に多い。

洋服が売れなくなった理由を「若者の〇〇離れ(恋愛に限らず)」に求めているうちは永遠に売れるようにはならない。

洋服が売れなくなった理由は若者に限らず、多くの年代層で、

1、可処分所得の減少ならびに伸び悩み
2、低価格ブランドの商品の「見た目」が向上した
3、百貨店・専門店向けブランドの商品企画力、デザイン力が凋落した
4、東京の中心にいるファッション業界関係者の認識が現状と著しく乖離しており、浮世離れを起こしている

この4つではないかと見ている。

これを再認識せずに「若者の〇〇離れ」をやり玉に挙げたところで何も解決しない。
間違った処方箋による薬を飲んだところで体調は回復しないのと同じだ。
胃腸炎なのに解熱剤を飲んでも何の効果もない。

国内の労働者の生産性が低いとは耳にタコができるほど聞くが、じゃあ日本のサラリーマンが著しく非効率的な労働をしているかというとそうではない。
労働効率は上昇し続けている。問題は給与が大きく増えていないことにある。
給与が増えないと数式的に労働生産性は上昇しない。
一部に給与増、時給増の動きが出ているが、まだ全体には及んでいない。
若い年代に限らず、可処分所得は減少または伸び悩んでいる。だから無駄な服なんて買わないのである。

そう、多くの人は丸1年くらいは洋服なんて1枚も買わずに生活できるほどにタンス在庫を持っている。今、安い高いを問わず定期的に洋服を買っている人はかなりのマニアだといえる。
そしてそういうマニアが支える市場が大きく伸びないのは当たり前である。

次に、業界人が認めたがらない事実として「低価格ブランドの商品デザインの向上」という点が挙げられる。

黒の無地のセーターとか、紺の無地のトレーナーなんていうベーシックなデザインの商品は、ユニクロの商品も無印良品の商品も百貨店に並んでいるブランドもほとんど区別ができない。
それほどに見た目は均一化している。

何度も書いているが、筆者が25歳くらいのときは、はっきりと違っていた。
百貨店・専門店に並んでいる洋服と、ユニクロなどに並んでいる洋服は色・柄・形・デザイン・シルエット・素材、すべてが異なっていた。
安いブランドの商品はどうしようもなくダサかった。95年当時のユニクロの商品なんてどうしようもないくらいにダサかった。あんなものは作業着程度にしか使えない。

イオンやヨーカドーの平場に並んでいる洋服の方がまだマシだった。
それでも派手な色や柄の服はやはり見劣りした。

だから、百貨店や専門店に並んでいるような洋服がほしい場合は、百貨店か専門店でしか買えなかった。

前にも書いたが、94年に略礼服ではない黒いスーツを買おうとしたなら、それはDC系ブランドの店しか置かれてなかった。しかも定価が8万円でバーゲンで5万円に下がる程度である。

今、略礼服ではない黒いスーツはツープライスショップで18000円で売っているし、西友でも8000円くらいで売っている。

この違いである。

今、低価格ブランドの商品の見た目は百貨店・専門店ブランドとほとんど変わらない。
だったら低価格商品でもかまわないという人が増えるのは当たり前で、ここを「感性が低下した」とか「本物をわからなくなった」と批判するのはピントがズレている。

また、百貨店・専門店向けブランドはデザインの外注化、OEM/ODM生産に頼りすぎてすっかり商品の企画力が弱っており、外注化された商品のデザインは同質化してしまうようになった。

極端な話、低価格ブランドと百貨店ブランドが同じ外注先でデザインされているようなことだって決して珍しくない。同じ会社がデザインすれば似ないほうが不思議である。

そして、ファッション業界の中心にいる人々の浮世離れである。
彼らは20年前から何も変わっていない。ところが世間は変わった。
彼らは20年前ほど憧れの存在ではなくなったし、彼らの発するルー大柴みたいな横文字交じりのインタビューは以前ほど興味を持って読まれなくなった。

例えば、何をやっているのかよくわからない人に藤原ヒロシという人がいる。
昔からファッション雑誌でお見掛けしたが何をやっている人かは良く知らない。
まあ、筆者は名前くらいは知っているが、業界関係者ではない今の消費者はこの人の名前すら知っているのかどうか怪しい。

当然、彼の動向は注視しない。

彼がプロデュースしたバーやらなんやらに大挙して足を運ぶのは消費者ではなく、業界関係者だろう。

衣料品を最も多く買っているのは実はアパレル販売員であるという現象に似ている。

以前にも書いたが、「毎シーズンのパリコレ」とか「今季のトレンド」についてなんて一般人とは話題にもならない。マニアックすぎるのである。業界関係者ですら話が合わないだろう。

それよりも「男塾」や「ドラゴンボール」についてのほうが、30代~50代の人間は話が合うだろう。
男塾やドラゴンボールについてなら、所属する業界は関係なく話が弾む。

90年代・2000年代まである程度の憧れとして眺められていた業界関係者は、今はそこまで憧れの目では見られなくなっているというのが実態である。

この4つを認識して、商品開発やブランド事業に取り組まないと、売れる洋服や売れるブランドなんて永遠に生まれない。
チャラっとした服装をした業界関係者が、適当にカルチャーを匂わせながら、和製英語交じりのルー大柴みたいなトークで消費者を引き寄せられたのはもう過去の遺物である。






大手アパレルの業績低迷はリーマンショックのせいではない

 この20年間の国内アパレル業界の動向をまとめた記事が繊研プラスに掲載された。

元記事は今年5月に繊研新聞に掲載されたものだ。

http://www.senken.co.jp/news/management/business-fashion/

長文だが一読の価値はある。
ベテラン記者が数人でまとめられただけあってかなり状況を正確に伝えていると思う。
さすがの労作といえる。

しかし、個人的には細かいことだが気になる部分もある。

流れが変わったのは08年のリーマンショックから。急速に価格志向が強まる中、海外のファストファッションが進出、低価格帯の市場を相当占めるまでになった。

とある。これがメディアとしての意見なのか、業界関係者の意見をまとめたものなのかわからないのだが、例えば、凋落著しいワールドやイトキン、TSI、三陽商会などの大手百貨店アパレルは口を「リーマンショック以降」と口をそろえているが、彼らが凋落したのは果たしてリーマンショックだけのせいだったのか甚だ疑問を感じる。

逆にいえば、じゃあリーマンショックさえなければ2016年現在もある程度順調に業績は推移していたと考えるのか?と問いたい。

個人的には、リーマンショックがなくても彼らは凋落していたと考えている。
もっといえば、いまだにリーマンショックに凋落の責任を押し付けているところを見ると、まだまだ問題点を自覚していないのだなと思う。

たとえば記事中で引用されているグラフを見てみよう。

リーマンショック以降、急速に低価格の服が市場に増えたと書いてあるが、グラフの高低だけを虚心坦懐に眺めると、オレンジの低価格のグラフもリーマンショックでは縮小している。グレーの「その他」も縮小しているから、洋服の市場そのものが縮小したといえる。

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記事中より引用

その後、グレーの伸び率に比べて低価格は2010年からジワジワと上昇しているが、2014年の低価格品の売上高は2005年とほぼ同額であることに気が付く。

だから「低価格が急速に増えた」のではなく、正しくは「リーマン・ショックで低価格品も減ったが2010年からジワジワと回復し、2014年になって2005年当時とほぼ同額にまで回復した」と言うべきだろう。

逆に「その他」(たぶん、低価格品以外の中高級品という意味だろう)が2009年に5兆円に減ってから、2014年になっても5兆円のままそれ以上の回復が見られない。
2015年、2016年は統計が出ていないので推測するほかないが、おそらくは2014年とほぼ同額だろう。大きく伸びていることは考えにくい。

以上の2点から考えると、低価格品は以前から4兆円前後あり、リーマンショックで凹んだものの、2014年には2005年当時と同額にまで回復した。一方で、中高級品は5兆円に下がったまま回復していないということがわかる。

さらにいえば、少なくとも2005年時点で現在とほぼ同額の低価格品市場が存在したとも言え、低価格衣料は何も突然にリーマンショック以降に登場したわけではないということになる。

一方で、中高級品はグラフ上でのピーク時の2006年、2007年から1兆円前後の売上高を減らしたままということになり、それは中高級品を供給販売してきたアパレル各社が旧態依然で何の対策も打たなかったということになる。

何らかの対策は打ったが、効果的な対策は何一つ打たなかったというのが正確な描写だろう。

後半には、衣料品の平均単価という折れ線グラフがある。

これによると、2008年から急激に下がり、2011年がもっとも低くなり、2136円になっている。
その後上昇し始め、2014年には2405円にまで上がっている。これは2008年に平均単価が下がり始める直前の数値とほぼ同額で、2004年・2005年はもう少し高い。

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記事中より引用

しかし、リーマンショック以降、急速に低価格品が市場に増えたという説明とこのグラフは矛盾しているのではないか。

なぜなら平均単価は上昇しているからだ。

もし、低価格品が増えたというなら、2011年と同額かそれよりも下がるか、よしんば上がったとしてもその上昇幅はわずかになるはずで、2008年当時にまで急回復することは考えられない。
となると、一概に低価格品が増えたとは言えないのではないか。

「価格訴求だけで消費者は動かなくなった」という説明と、「リーマンショック以降、急速に低価格品が増えた」という説明は矛盾するといえる。

個人的に、大手アパレル各社の凋落のきっかけはたしかにリーマンショックだったと思うが、しかし、リーマンショックがなかったとしても凋落は止めようがなかったと見ている。
それまでに問題点が山積しており、それが顕在化するきっかけにリーマンショックがなっただけであり、リーマンショックがなくてもやがて問題点は顕在化して、業績は凋落していたと個人的には感じている。

むしろ、いまだに責任をリーマンショックだけに押し付けている思考を見ると、大手アパレル各社はまだまだ回復しないと思う。ひょっとすると永遠に回復しないのではないかとも思う。

大手アパレル各社の問題点はこれまでもさんざんこのブログで指摘してきたし、今回の記事中にもあますところなくまとめられているので今回は繰り返さない。

しかし、リーマンショックは遠く過ぎ去り、「価格訴求だけで消費者は動かなくなった」時代に突入したにもかかわらず、大手アパレル各社は一層苦戦しているのはなぜか?経営陣は謙虚に原因を考える必要があるのではないか。

価格訴求で動かなくなったのなら、本来、各社が得意とする状況になったにもかかわらず2014年以降、状況はさらに悪化しているのはなぜか?

かつては時代の空気をいち早く読み取り、新しい取り組みをするのが特徴だったアパレル各社が、成功体験をいまだに引きずったまま、腰が重くなり、悪質な伝統工芸のように鈍重に十年一日のごとく過去の価値観を振りかざしているのが現状ではないか。

そんなままで、業績が復活するはずもない。



センチメンタリズムとノスタルジーでは国内生地産地を救うことはできない

 8月からindependというウェブメディアで月に1本か2本を書くことになった。

https://independ.tokyo/

トレンドとかショップのことはすでにこれまでから書かれているので、製造加工業のことを中心に書くことになる。

手始めに高野口産地の2社について書いた。
なぜここを選んだのかと言うと馴染みが深いから取材に行きやすいという理由もあるが、日本で唯一のフェイクファー産地でありながら、知名度が今一つ業界内でも高くないというところである。
せっかくなのにもったいないなと思い、少しでも認知度を高めたいと思ったからである。

前編が岡田織物で、後編が妙中パイルである。

岡田織物編
https://independ.tokyo/column/%e5%b2%a1%e7%94%b0%e7%b9%94%e7%89%a9/

妙中パイル編
https://independ.tokyo/column/%e5%a6%99%e4%b8%ad%e3%83%91%e3%82%a4%e3%83%ab%e7%b9%94%e7%89%a9/

詳しくはクリックして全文を読んでいただきたいのだが、両社に共通するのは、「メイドインジャパンブーム」だとか「日本製生地への高評価」だとか言われることが増えたが、実際のところはそれほど売上高は増えていないという点である。

景気は「気」からと言われるように、雰囲気が盛り上がることは大事だが、雰囲気だけ盛り上がって実態が伴わないならあまり意味がない。

岡田織物は今でも唯一、産地内で海外輸出を続ける企業で、ルイ・ヴィトンやプラダなどのラグジュアリーブランドに納品を続けているが、売上高が増えたかというとほとんど変わらない。ピーク時からは減少したままである。

妙中パイルも衣料品向けの出荷は減ったままで、液晶画面の研磨用布や化粧をするときにつかうパフ用生地などで減少を補てんしている状況にある。

記事中にも書いたが、高野口産地の産地組合には昭和60年ごろは380社強の加盟があった。売上高総額は660億円だった。さらに非加盟社で有力企業が何社もあったから実際のところは産地売上高は700億円を越えていたのではないかと考えられる。

それが今では加盟者数は62社で総売上高は60億円にまで縮小している。

社数でいえば6分の1、売上高でいえば10分の1にまで縮小しているということになる。

これが日本の生地産地の現状で、高野口産地以外の他産地も似たような状況に立たされている。

今年6月には高野口産地で、また1社廃業している。
今後、国内の機屋や染色工場が減ることはあっても増えることは考えられない。

現在の市況を冷静に見れば、「メイドインジャパンを盛り上げるためにグローバルSPAやグローバルファストファッションを排斥しよう」なんていうキャンペーンが実を結ぶはずもなく、個人的には失笑を禁じ得ない。
そもそも洋服自体の供給が過剰なのであって、ファストファッションを排斥したところで供給過剰状態は改まるはずもない。

しかも可処分所得が減少している中で、高額品のみを生き残らせたところで、全社がその恩恵を受けるはずもなく、売れるところは売れるだろうが、売れないところは今以上に売れなくなる。
普通の人間は無い袖は振れないのである。
収入が少ないのにわざわざ高額な衣料品を買おうと思う人間は少数派である。

そして富裕層も少数派である。

少数派を相手に商売をして全社が共存共栄できるはずもなく、売れない会社は当然淘汰される。
産地企業が置かれる状況はファストファッションを排斥したところでおそらくほとんど変わらないだろう。

産地企業なんて今すぐすべて滅んでしまえとは思わないが、なんとしてでも現存する産地企業をすべて残すべきだとも思わない。
そんなことは社会主義経済ででもない限り不可能である。

今後も産地企業は減り続けていくだろう。
産地企業が補助金や助成金を過剰にあてにしたままなら減るスピードはさらに早まるし、自らの努力を放棄したような企業はつぶれるべきだとも思う。

が、事業主が続けたいという意思があって、それなりの努力をする産地企業があるなら、それは何とか活路を見出してもらいたいと思う。補助金やら助成金は本来そういう企業を助けるためのもので、やる気のない企業に年金のように付与するものではない。

岡田織物も妙中パイルも、ときどき個人的には「アレっ」と首を傾げるような取り組みはあるが、それは個人的見解の相違であって、自助努力を続けている。
事業主にやる気があるうちは何とか事業を継続できる状況が続いてもらいたいと思う。

ただの安っぽいセンチメンタリズムとノスタルジーでは国内産地企業なんて到底救うことはできないし、若手クリエイターや極小ロットブランドが「救う」なんていうのはどれほど上から目線なのかとも思う。

個人的にそういう風潮に賛同できないのは、多くのそういう小さいブランドは産地に対して「手作業」や家内制手工業のイメージを抱いているように感じるし、そうとらえている場合が多いと感じるからだ。
しかし、国内の生地産地は工業製品の産地であり、各社によって設定は異なるが、経済ロットに沿って活動する営利企業なのである。
別に無形文化財でも伝統工芸でもない。

最低でも3反(150メートル)の生地を織らないと不採算だという機屋に対して、「手作業で20メートルだけ生地を織ってください。それが文化伝承です」というのは到底正しいやり方ではない。
本当に産地を「救いたい」のなら、そういうブランドが世間への影響力を強め、売上高を極大化させるほかない。


アスレジャートレンドなのにスポーツ用品店が売れないのは当たり前

 米国では、スポーツウェアをファッションに取り入れた「アスレジャー」に注目が集まっている。
わが国にもそのトレンドは流入しつつあり、ジョガーパンツやジョグジーンズのような商品がそれなりに動いている。
ユニクロが昨年からずっとジョガーパンツを継続していることからもわかるようにすでにマス層にも一定需要がある。

しかし、アメリカで言われるほどの大トレンドかというとそうでもないように感じる。
それこそ「アネロ」の口金リュックの方がよほどビッグトレンドではないか。

また、通常のスポーツカジュアルとアスレジャーの区別をすることも非常にむつかしい。
例えば綿100%のスエットパーカはもともとはスポーツアイテムとして区分される。しかし、もう何十年もの間、ベーシックなカジュアルウエアとして認識されてきた。
ベーシックなアメリカンカジュアルスタイルを挙げろということになるとかならずスエットパーカは挙げられる。

そしてこれを供給するのはスポーツメーカーだけではない。
通常のカジュアルブランドが市場に供給している。
むしろ、本格的なスポーツメーカーは綿100%のスエットパーカなんてほとんど作っていないし、作ったところでスポーツ色が強すぎて「ダサい」という評価を下される。

スニーカーにしてもそうで、スポーツアイテムだが、昔からベーシックなカジュアルアイテムの一つとして認識されている。今の世の中でスニーカーを「スポーツ専用アイテム」ととらえている人のほうが少ないだろう。

この辺りを指して、ことさら「アスレジャーだ」と指摘するのはどうも違うのではないかという気がする。

アメリカで言われる「アスレジャー」はもう少し本格的なスポーツウェアを日常着として取り入れているような気がする。もっと競技用に近い合繊100%で原色バリバリの、Tシャツだとかレギンスだとかナイロンパーカとかそういうものではないかというイメージがある。

しかし、これとても体育教師が常に着用しているようなジャージパンツを四六時中愛用するオッサンとかジイさん・バアさんというのは何十年も前から存在したわけで、彼らをアスレジャーだと指摘する人はいない。
むしろ今も昔も「ダサい人」として認識されている。

スポーツ用品の「ヒマラヤ」が赤字転落している。
これはすでに多くの媒体で報じられている。
東洋経済オンラインにも詳細に報じられている。

ヒマラヤ、過去最多13店舗を「閉鎖」する事情
スキー人気低下、ファッション性でも出遅れ
http://toyokeizai.net/articles/-/133438

2015年秋冬が暖冬でスキー・スノボ用品を得意とするヒマラヤは苦戦を強いられた。
これはその通りだろう。
ちなみにじゃあ、スキー・スノボ用品の市場規模はどうなっているのかというと、

「レジャー白書2013」によると、98年にスキー・スノボ人口は1800万人に達してピークを記録したが、2013年には770万人にまで低下しているという。
しかし、2012年・2013年は横ばい推移だともしている。

また「スポーツ産業年鑑」(株式会社日本能率協会総合研究所)によるとスキー・スノボ用品の市場規模は91年の4300億円がピークで、2012年には1100億円にまで低下しているともある。

91年のピークはバブル期とスキー人気の重なりで、スキー人気はバブル崩壊とともに崩れた。
じゃあ人口が98年にピークになった理由はなぜかというと、これはスキーに代わってスノボが若者に人気となったからだろう。ちょうど90年代半ばからスノボが注目され始める。
だが、その後、スノボ人気も低下して今に至る。

直近の動向はどうなっているのかというと、矢野経済研究所によると、2015年のスノー・スノボ用品の市場規模は前年比95.5%の496億7,000万円だとある。先にあげた1100億円とは大きく数字が異なるが、おそらく統計に含める品目などに差があるために、合計金額にも大きな差が生じたのではないかと推測されるが、ここで重要なのは2015年度の市場規模は減少しているという点である。

こういう背景を踏まえるとスキー・スノボを得意とするヒマラヤの業績が低迷することは何の不思議もない。
むしろ低迷しないほうが不思議である。

最近の東洋経済オンラインの企業分析記事は的確なものが多いが、ヒマラヤの苦戦について「アスレジャーのトレンドに乗れなかった」と指摘している点は少し疑問である。

その理由を3つ挙げる。

1、アスレジャーはトレンドの要素ではあるが、どこまでをアスレジャーに含めるかその境界線が難しい
2、ヒマラヤに限らずスポーツ用品店は、ファッショントレンド品の買い場として消費者に認識されていない
3、アスレジャーというファッション自体が曖昧で明確な境界線がない

この3つであり、ヒマラヤを筆頭とするスポーツ用品店がファッショントレンド客を取り込めるはずがない。
ヒマラヤもムラサキスポーツもアルペンもゼビオも消費者はファッション用品を買う店とは認識していない。
本格的なスポーツ用品を買う店としてしか認識していない。

アスレジャーがトレンドだからスポーツ用品店が売れるなら、地方の駅前にあるような個人経営のスポーツ用品店だって売れなければおかしい。
ところが、オッサン・オバハンが一人でやってるような5坪・10坪の個人経営のスポーツ用品店は衰退の一途をたどっている。ファッション用品店としては論外だし、スポーツ用品店としてもゼビオやアルペンやヒマラヤの足元にも及ばない。

そしてそのゼビオやアルペンやヒマラヤも一般消費者はファッション用品店としてはまったく認識していない。

だからいくらアスレジャーがトレンドに浮上してもスポーツ用品店はその恩恵を被ることはない。

そしてスポーツ用品店にはファッショントレンド品を売るノウハウ・見せるノウハウはまったくない。
いくらトレンドにスポーツテイストが浮上しようと既存の経営陣とスタッフではそれに対応することは不可能なのである。

しかもその「アスレジャー」というトレンドそのものが意外にボンヤリとしていてカテゴリーが明確ではない。
曖昧模糊としたイメージにはなおさらスポーツ用品店は対応できない。

だからヒマラヤがアスレジャートレンドに乗れないのは当然だといえる。

メディアの指摘にはときどき疑問を感じるのだが、例えば「ファッショントレンドにジーンズが浮上しているのに、ジーンズチェーン店の業績が伸びないのはなぜか」というような指摘があるが、それはジーンズチェーン店がトレンドを買う店だと認識されていないからである。
同じジーンズを扱っていても、ジーンズチェーン店の多くは「ファッション」として認識されていない。
「ファッショントレンドとしてのジーンズ」を買う店は別なのである。

ヒマラヤとアスレジャーの関係もこれと同じである。

ここを理解しないとせっかくの的確な分析も画竜点睛を欠くということになってしまう。

もし、スーツがファッショントレンドに浮上しても「洋服の青山」や「紳士服のはるやま」「AOKI」で買う人はそれほどいない。
ファッショントレンドとしてのスーツを買う店は別なのである。

とはいえ、自称ファッション店wwwが「うちはトレンドだから」とか「うちは高感度だから」という一々気取っているのも癪に障るのだが。(笑)




凄まじいサバイバル戦に突入したファッション雑誌

 世間はお盆休みである。
このブログも13日から休んで16日から再開したい。

さて、またファッション雑誌の廃刊が発表された。

アネキャンとランズキである。

「アネキャン」が休刊 販売部数や広告収入の低迷が響く
https://www.wwdjapan.com/business/2016/08/10/00021215.html

ギャル向け雑誌「ランズキ」が休刊 ツイッター上で発表
https://www.wwdjapan.com/business/2016/08/09/00021204.html

購読部数の低下と広告収入の低迷が雑誌の廃刊の理由だ。
それ以外の廃刊理由はよほど特殊な場合を除いてない。

ランズキはそんなにメジャーな雑誌ではなかったが、アネキャンというそこそこメジャーな雑誌までが廃刊に追い込まれているというのはちょっと驚いた人も多いのではないかと思う。

なぜ雑誌の購読部数が減るのかというと、これまで何度も書いてきたが様々な要因がある。

1、可処分所得の減少で何冊もファッション雑誌を買わなくなったこと
2、無料コーディネイトアプリや無料コーディネイトブログの発達によってファッション雑誌を買う必要がなくなったこと
3、見目麗しいモデルが洋服を着ていても、リアリティが薄く、読者の再現性が低いこと
4、雑誌の取り上げる「人気ブランド」が広告スポンサーにほぼ限定されており、市場の人気をあまり反映していないこと

などが挙げられる。

これらの打開策は残念ながらない。

全部どうしようもない。
とくに4なんて雑誌の収益が悪化すればするほど広告スポンサーは優遇される。

いっそ逆張りで、雑誌に恩を売る目的で資金に余裕があるアパレルやブランドは大量に広告出稿してみてはどうか?
これまでになく誌面でも優遇されるだろうし、雑誌や出版社にも恩を売れる。
好調な時にスポンサードしたところで感謝もされないが、これだけ雑誌が不振になればものすごく感謝される。
それこそ、やりようによっては雑誌や編集部を奴隷のように扱うことも可能だろう。

まあ、それはさておき。

じゃあファッション雑誌がすべてなくなってしまうのかというとそうは思わない。
やっぱりファッション雑誌を読みたいと思う読者も何万人かは存在する。

ただ、これまでのようにいくつもの雑誌が何十万部という購読者を得るということが不可能になっただけである。

各ジャンルで1誌か2誌は今後も確実に残るだろう。
これまでのように部数が飛躍的に向上するという現象はなくなるだろうが。

メンズだとマニアックだといわれるライトニングという雑誌がある。
筆者もライターとして過去に5回か6回くらい原稿を書いたことがある。
マニア以外は見向きもしないと思うが、安定的に10万部前後の部数を印刷している。
実際の購読部数はこれより少ないと思われるが、購読部数が減少し続ければ印刷部数を支えることは不可能だ。
よほどのアホ経営者でない限りは、購読が激減しているのに印刷部数を維持させることはない。
購読の減少に合わせて印刷部数も減少させる。
印刷部数が減少しないということは購読部数も減少していないということになる。

これまでは部数の大幅な上昇や、複数の大部数誌の併存が見込まれた女性向けファッション雑誌もライトニングのように、一定部数維持で推移し続けるようになるのではないか。
そして女性向けといえどもそういう雑誌が各ジャンルに1誌か2誌存続できる程度ではないか。

どの雑誌が、それほど多くはない残存者メリットを享受できるのか。
ファッション雑誌は凄まじいサバイバル戦に突入したといえる。
共存共栄は考えられない。



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