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素材にすらトレンドは存在する。若者に好まれる80年代調デニム生地

初心者向けファッション指南業者の間ではなぜかトレンド不要論がまかり通っているが、以前のブログで書いたように裾丈の長さすらトレンドに左右される。
ズボンや上着の太さも同様だ。
だいたい10年~20年くらいでトレンドが変化する。もっとわかりやすく言うと、大衆の好むポイントが変化する。

変化しなかったら欧米人は古代ローマ帝国時代から服装が変化しないということになるし、日本人は縄文時代から変化していないということになる。

また、好まれる素材もトレンドによって変化する。
トレンド不要論者はこの部分も無視している。

先日から2つのブランドの展示会と店舗内覧会に行った。

ワンオーとガービッジというブランドだ。
ワンオーはいくつかファッション系のメディアで取り上げられているから見た人も多いだろう。

ガービッジのリメイクジーンズ

ワンオーのリメイク商品

ガービッジは小松昇平氏というベテランデザイナーが再スタートで始めたブランドである。

両方とも、どカジュアルで、リメイク商品を目玉としている。
とくにジーンズのリメイクを一押ししている。

正直にいうと、リメイクジーンズの良さは当方にはさっぱりわからない。
破れた箇所を縫い合わせたり、裏布を当てて継ぎ当てたりすることは理解できる。
いわゆる、リペア加工ジーンズと同じだからだ。

しかし、そこに派手なワッペンを貼ったり、目立つ刺繍を入れたりすることは理解ができないし、それを着用したいとも思わない。

disっているのではない。自分の好みではないと言っているのである。

当方なら着用しないし、買わないが、この2つのブランドはいずれも大手有名セレクトショップへの卸売りが決定しているという。
こんなものをあの店に置くのかと驚くのだが、大手セレクトショップの連中はそういう目端だけは効くから、この手の商品が仲間内では盛り上がっているのだろうし、そういうものを好む雰囲気が上得意客の間には広がっているのだろう。
これこそ、まさに「トレンド」である。

新ブランド「ガービッジ」は古着のリーバイス501を仕入れてリメイクすることに現時点では特化している。
ワンオーも古着をリメイクしている。もっともこちらはジーンズに限らず、さまざまなウェアをリメイクしている。

微妙な差異はあるのだが、共通しているのはリメイクに使用する古着ジーンズは、いずれもジーンズマニアが喜ぶような「タテ落ち・凸凹表面感」のデニム生地で作られているのではないというところだ。

80年代~90年代前半の空紡糸デニム生地で作られた古着のリーバイス

ビンテージジーンズブームの後で作られたタテ落ちデニム生地を使ったジーンズ

80年代後半から90年代前半の、のっぺりと凹凸感のない空紡糸デニム生地で作られたジーンズを使用している。

ジーンズ業界の人にとっては基本知識だろうが、そうではない人のために少し空紡糸について書いてみる。
めんどくさい人は読み飛ばしてもらいたい。

空紡糸はオープンエンド糸とも呼ばれ、空気の流れによって原綿を糸に紡ぐ技術である。
空紡糸で織ったり編まれたりした生地は、カサカサしたドライな手触りと、見た目の厚さよりも軽いという特徴がある。
空紡糸との反対はリング糸と呼ばれ、こちらは空紡糸の生地に比べると、ややしっとりとした手触りがあり重量感もある。

空紡糸はその製造工程によって空気を含むので見た目の厚さよりも軽くなる。
また、繊維の長さの違う原綿をそのまま糸にするので、不均一な肌触りとなる。

逆にリング糸は原綿の繊維の長さをそろえて紡績する。

この空紡糸は製造コストが安くて大量生産に適しているから、安くて大量生産大好き国家のアメリカでは非常に喜ばれた。
80年代~90年代前半のアメリカではこの空紡糸の生地が本当によく使われた。
ジーンズしかりTシャツしかりである。

一方、世界的なジーンズのトレンドは、96年くらいに日本で生まれたビンテージジーンズブームによって、80年代以前の「タテ落ち・凹凸感のあるデニム」が好まれるようになった。
現在のマスはこちらになった。
一説には日本のデニム生地工場が世界的に評価されたのは、世界でもいち早く、このビンテージ風デニム生地を再現できたことによるものだといわれている。

さてガービッジが80年代~90年代前半の空紡糸リーバイス501のみをリメイクに使用する理由は2つ考えられる。

1、80年代以前のリーバイス古着は、かつてのビンテージジーンズブームでほとんど買いつくされ、今では手に入らなくなったから
2、空紡糸使いのデニム生地が今のトレンドだから

この2つである。

1の理由はいかんともしがたい。
ないものはない。

問題は2である。
当方も含めた40代以上のオッサン・オバハンにとってのデニム生地とは、ビンテージ風デニム生地で、その価値は不変だと思っている。

しかし、10代後半から20代の若者にとっての注目ジーンズとは、あの安物臭い80年代~90年代前半の空紡糸デニム生地を使ったジーンズなのである。

当方が、月に何度か講義するファッション専門学校の学生は、今わざわざジーンズを買うとしたら、あの80年代風デニム生地を使ったジーンズや80年代の古着を買っている。彼らの間ではあれが「かっこいい」のである。
どう見ても30年前に見た地元の中学生とか高校生にしか見えないのだが、それが良いらしい。

これが「トレンドの変化」である。
変化した理由はいろいろあるだろう。
もしかすると単純にオッサン・オバハンが穿いているから、タテ落ちデニム生地のジーンズは「オッサン・オバハン専用アイテム」に見えるだけなのかもしれない。
しかし、このようにして素材ですら、「トレンド」が変化する。
これを無視してトレンド不要論をぶち上げるのはいかがなものか?
それは単なるポジショントークではないのか。

良心的に指南するなら、「10年~20年ぐらいでトレンドは絶対に変化するからその都度ある程度アジャストすべきだ」と説くことではないのかと思う。

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ファッション初心者の男性はアイビー・プレッピースタイルで身を固めろ

柄にもなくファッション論を。
最近、ド素人男性に向けたファッション指南ビジネスを手掛けようとする人が、インターネット上を見ていると増えたような気がする。
この分野でもっとも成功したといえるのが、人気ファッションブロガーのMB氏だろう。

独自の理論化に取り組み、ある程度ロジカルな思考によってコーディネイトを作っていくという考え方がわかりやすい。
もっとも、ファッションなんて個人の好き嫌いで大いに左右されるからMB氏の趣味嗜好が絶対ではないし、まったくの無謬でもない。
しかし、まあどんな提案にしても及第点以上は確実にマークできることを考えると最大公約数的な言説だといえる。

MB氏のブログの読者数・閲覧者数・有料メルマガの登録者数の多さは、当方のこのブログが到底太刀打ちできるものではない。

成功者には敵対者がつきもので、MB氏への嫉妬、やっかみなどで全否定するファッション指南を志望する人がけっこう見かけるようになってきた。ほとんどの場合は「最大公約数」には程遠い意味不明の理論を牽強付会しているに過ぎないのだが。

まあ、それはさておき。

ド素人男性はそれほどまでに「おしゃれになりたい」とか「マシなコーディネイトを組みたい」とか本当に思っているのだろうか?
47歳の初老のおっさんとしては、大学時代の同級生を見ていても甚だ疑問に感じる。
彼らはファッションなんてまるで興味がないのではないかと思う。そしてそれが繊維・ファッション業界以外に進んだ人の大半以上の意見ではないかとも思う。

仮にそういうファッション指南業が成り立つと仮定して、オッサン的にド素人男性にアドバイスをしてみようと思う。

まず、一口に「オシャレ」と言っても、自己満足型と他人から良く見られたい型の2つに分かれる。
自己満足が他人からの評価と等しい場合は何も問題はないが、それはごくわずかしかいない。
40歳・50歳になっても全身スポーツウェアとかストリートブランドで身を固めて自己満足している男性は多いが、他人からの評価が高い人はほとんどいない。
それでも「他人の評価なんて気にしない」というなら、それはそれを貫けば良い話で、他人からのファッション指南なんて必要ない。
90年代後期の女子高生のヤマンバメイクなんて典型的な自己満足型だ。あれを「美しい」とか「かわいい」と思う人はほとんどいなかった。

他人から良く見られたい型なら、話は早い。
もっとも好感度が高い服装で、なおかつ自分の顔や体型・雰囲気にあった色柄を選べば良い。

10代後半から20代ならいざしらず、30歳を越えて顔が老けてくると、多くの場合、過度なスポーツカジュアル・ストリートカジュアルは似合いにくくなる。野球帽も似合いにくい。
若い男性の顔だと野球帽も似合うが、小じわが刻まれた中高年男性の汚い顔だとどうしてもスポーティーすぎる野球帽は似合いにくくなり、草野球チーム関係者とか場外馬券場に並んでいるオッサンにしか見えなくなる。似合うのはよほどに顔立ちが整っているか、そういうオシャレな雰囲気があるかのどちらかで、その両方とも圧倒的少数派である。

まず、キレイ目でまとめることが重要だ。
MB氏は「ドレス多めのカジュアル」という表現を使うが、ドレスとはスーツ系の総称として用いられており、スーツっぽいアイテムを多めに使用するのが、万人からの受けが確実に良くなる。
極言すれば「スーツが死ぬほど似合わない男はいない」からだ。どんなに見た目がアレな男でもスーツはそれなりに見える。

個人的にいうなら、アイビールックとかプレッピーファッションで身を固めていれば、概ね間違いはないと考えている。

アイビールックとはトラッドベースのカジュアルスタイルで、アメリカの富裕層子弟がしていた上品な服装で、アイビーをより新しくしたスタイルだとされている。

代表的なスタイルでいうと、

紺ブレ+ボタンダウンシャツ+セーター+チノパン+ローファーシューズ

というようなスタイルで、シャツとセーターの色合わせさえ間違えなければ、ほとんどどんな男性でもそれなりに「シュっとして(大阪のオバハン的表現)」見える。

チノパンに抵抗があるなら、これをジーンズに変えても成り立つ。

https://matome.naver.jp/odai/2135365349486041901

アイビースタイルとプレッピースタイル、そしてデニム

これでほとんどの男性ファッションの悩みは解決する。

あと靴は圧倒的にスニーカーよりも爪先が尖りすぎず・爪先が反り返りすぎないベーシックな革靴・ショートブーツを選ぶべきである。
もちろん、スニーカーの方がクッション性が良くて足が疲れにくいことはいうまでもないが、「他人から良く見られたい」という課題を最優先するなら革靴・ショートブーツを選ぶのが正解である。

ちょっとイケてない自分の写真を掲載するのは恐縮だが、先日、Yahoo!ショッピングで2足8000円の合皮サイドゴアブーツを買った。
その際、自撮りしてみたが、この手の革靴(合皮だけど)を履いた方が、背が高く足が長くスマートに見えないだろうか?

ちなみにこの日の服はセルビッジストレッチジーンズもケーブル編みコットンカシミヤセーターも両方ともユニクロのセール品だ。
セルビッジストレッチジーンズは1990円に値下がりして、ケーブル編みセーターは990円に値下がりしていた。

白いスタンドカラーシャツ(襟元が見えにくいが)はジーンズメイトのPB「ブルースタンダード」でこれも1900円に値下がりしているときに買った。

ブーツが1足4000円なので、全身合計で1万円未満である。

最初はアイビー、プレッピーで慣らしておけば99%間違いはない。

最近は「トレンドは必要ない」とか「ベーシックな定番だけで良い」とかいうファッション指南業者が多いが、これにも甚だ疑問を感じる。
初心者がアイビー、プレッピースタイルに慣れてくれば、そのうちに飽きて違うアイテムも着てみたいと思うようになる。
人間は飽きる生き物だからだ。
食事でも他の趣味でも異性にでもなんでも飽きる。
だからこの世から不倫とか浮気もなくならない。

じゃあ、年がら年中何とかの一つ覚えみたいに紺ブレ+白いボタンダウンシャツで満足し続けられるかという絶対にそれはない。
それで満足しているなら、そもそもファッションになんて興味がないのであり、国民服とか制服を着用していれば良いのである。

紺ブレに慣れたら、次は違う色柄のブレザー・テイラードジャケットが欲しくなる。
それにも飽きたら、今度はブルゾンタイプが欲しくなる。

そういうときにはMB氏の指南は生きてくるのではないかと思う。

ついでなので、トレンドについても言及しておく。

トレンドは存在しないとか言っている人は、近年のズボン丈の変化をどう見ているのだろうか。これこそトレンドそのものではないか。
その目は作り物なのだろうか。

2005年にブーツカットパンツが大流行したときのズボン丈は長めだった。
女性ならハイヒールを履くのでヒールが少し隠れるほど、ヒールを脱ぐと裾を引きずるほどの長さがスタンダードだとされた。
メンズも同様だ。

2008年にスキニーが始まって、裾丈は短めが良いとされるようになった。
現在、スキニーに対してワイドパンツやワイドテイパードパンツ(裾が細くなっている)がマス化しているが、いずれの裾丈もくるぶしくらいの短めがスタンダードとなっている。

1998年ごろのストリートファッションのころのワイドジーンズも裾が引きずるほど長く、靴の上でたまっているのがかっこいいとされたが、今時そんな丈の長さは野暮ったく見える。

どんなにベーシックな洋服でも10年おきくらいに裾丈や細さのトレンドは変わって、新たなスタンダードが生まれる。
それは人間が飽きる動物だからだ。10年くらいすれば飽きてきて細くしたり長くしたり太くしたりしたくなる。

ベーシックな洋服で全身を固めていればトレンドに左右されませんと断言してしまうのは危険な行為であり、人間の本能を無視している。個人的には人間の本能なんて嫌いだが、人間は動物とそれほど変わらないから、本能を無視してはビジネスは営めない。
「ベーシックな洋服はトレンドに左右されない」というのは、それこそファッション指南業者のポジショントークに過ぎない。

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局地的ファッショントレンドを過剰にクローズアップする愚かさ

柄にもなくファッショントレンドのことなんかをまとめてみたいと思う。

「ファッショントレンドのサイクルが早まっている」という声もあるが、それって本当だろうかと思う。
はっきりいえば、昔からファッショントレンドのサイクルは早かったし、今よりももっと早かった。
もっと正確にいえば、ファッショントレンドには長続きするものと、短命に終わるものとがある。
経済にもマクロとミクロがあることに似ている。
それを区別しないで「早い」とか「長い」とか「短い」とか言っていても単なる印象論にしかすぎず、実際のビジネスや習俗分析には何ら役に立たない。
それにしても「早い」とか「長い」とか「短い」という単語だけ抜き出せば、単なる下ネタのようにも見えてしまう。(笑)

当方のファッションの認識が90年代から始まるので、そこからの比較になるが、レーヨン、テンセルを使ったソフトジーンズが大流行したのは93年ごろだった。
当時、もちろん綿100%ジーンズはなくならなかったが、すごい人気で、ボブソンの04ジーンズがイズミヤ内のテナントでさえ、毎日平均すると5枚くらいは売れた。
1本8000円くらいなので、それだけで4万円の売上高になった。

ところが、このソフトジーンズブームは96年に終わる。
96年からは反対にゴワゴワしたビンテージジーンズが大ブームとなり、2000年くらいまで続く。
ソフトジーンズは2017年現在ではほとんど市場では見られなくなっているが、ビンテージジーンズは根強い愛好家がいるため、今でも一部のブランドが発売を続けている。

ボブソン最大のヒット商品となった04ジーンズだが、ブームは3年で終わり、今、店頭でその流れを汲む商品は見ることはない。

2000年ごろから股上の浅いローライズジーンズがブームとなり、これが2015年頃までカジュアルパンツのベースとなって、今でもその流れを汲む商品は店頭でも数多く見ることができる。

また、ローライズはブーツカットがメインだったが、このブーツカットブームは2005年をピークとして2007年で終了してしまった。

こうして見ると、ソフトジーンズのトレンドサイクルは早かったといえるし、ビンテージとローライズのサイクルは長いといえる。
ブーツカットも短かったというべきだが、2008年から登場したスキニーは、ワイドパンツが先端といわれる状況下でもベーシックアイテムとしてマス層に受け入れられているから、スキニーのトレンドサイクルも長いといえる。

トレンドにはその地域だけの「局地的トレンド」がいつも存在する。
いわゆる、「仲間内」だけのお楽しみの延長線上に位置するものだ。

ループタイが5年前に局地的に流行りすぐさま消えた。
また肩掛けセーターが復活したものの、たった1年で消えた。

こういうのは「局地的トレンド」といえる。

カジュアルパンツでいえば、99年頃カラーパンツが1年間だけ流行したが、そのカラーの中でも地域によって売れる色が異なっていた。
赤が売れた地域もあれば、黄色が良かった地域もある。
これも局地的トレンドだといえる。

局地的トレンドは、少人数にしか支持されないため飽きられるのが早い。

局地的トレンドだけを見て「トレンドサイクルは早い」とか「トレンドは使い捨てだ」なんて言っても意味がなく、じゃあ、スキニーの10年に渡るトレンドサイクルの長さ、ローライズの15年以上に渡るトレンドの長さはどう説明するのかということになる。

個人的にはそんなミクロトレンドや局地的トレンドには興味がないし、それを過剰にクローズアップして騒いだところで何の意味もなく、騒いでいるのは感情的な人か、ポジショントークで自身のビジネスを誘導したい人のどちらかではないかと思って見ている。

個人的には、2010年以降のファッショントレンドはずいぶんとトレンドサイクルは長くなったし、多様化して併存していると感じる。

昨年あたりからビッグトレンドとなったビッグシルエット、オーバーサイズだが、これは80年代後半から90年代前半のトレンドのリバイバルだといえる。
93年に上映された真田広之さん主演の映画、「新宿鮫」あたりを見てみれば、当時のファッションがよくわかる。

あの当時は、それこそビッグシルエットの商品一色で店頭が埋め尽くされていた。
70年代調のタイトシルエットの商品なんて売られている店はなかった。

今はどうか?

ビッグシルエットのトップス、ワイドパンツが売られている横でスキニーパンツが売られているし、タイトシルエットのトップスも売られている。
ジーユーがその好例である。

まさにマス層に向けたジーユーという売り場で、正反対のシルエットの商品が売られているということは、マス層は気分によってビッグシルエットとタイトシルエットを使い分けているということになる。

2008年頃一世風靡セピア一世を風靡したストールはどうだ。
あの当時は暑苦しいのに真夏にストールを巻いている人が老若男女問わずにいた。
首元に汗疹はできなかったのだろうか。

今、真夏にストールを巻いている人は一部の愛好家を除いてはいない。
しかし、ストールを巻いている人を見て「時代遅れ(笑)」と笑う人はあまりいないだろう。
あれはああいうジャンルを好む人という目で見ているはずだ。少なくとも当方はそう見ている。

ワイドパンツを穿いた人とスキニージーンズを穿いた人が並んで歩いていることも珍しくなく、そのどちらを見ても大げさに奇異に感じることはない。

自分が若いころ(25~20年前)のビッグシルエット一色の売り場を思い返してみれば、一目瞭然である。

ファッショントレンドは長くも短くもないし、それぞれのファッションテイストに愛好家がいて、それが併存並立しているのが今の状況といえる。そこに向かってどのようにビジネスを取り組むかが衣料品ビジネスの課題だといえるし、消費者は下ネタチックな「早い」「短い」なんていうポジショントークに惑わされないことが重要である。

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ノームコアについて納得できる説明を読んだ

少し前まで「トレンド」として話題になっていた「ノームコア」だが、衣料品業界にいる人間の解説はさっぱり意味がわからなかった。
何人に尋ねても意味の分からない答えが返ってくる。もしかしたら説明している当人たちも意味がわかっていなかったのではないかと思う。

「究極の普通」って何なんだよ(笑)。
一部のブランドを除いて90%のブランドは「普通の服」を販売している。
じゃあ、すでに自分も含めてほとんどの人間はノームコアじゃないか。
全身ユニクロで固めりゃいいんじゃね?意味わかんネー。

無地の洋服がノームコアだと解説する人もいた。
よっぽど変な柄は別として、ストライプとかボーダーとかチェックとか伝統的な柄でさえだめなのか?
白Tシャツとジーンズしかダメならみんなが90年代の吉田栄作みたいな服装をせねばならないのか?
じゃあ、別にそんな意味不明なトレンドなんてどうでもいいから当方はボーダー柄のTシャツを着るよ。

まあ、そんな感じである。
そのトレンドの何がかっこいいのかすら理解不能だった。
よって、当方はノームコアなんてどうでもよくて、興味の対象外として終わった。

で、当方は興味の対象外だからどうでもよかったのだが、どうやら「トレンド」としてのノームコアは終了していたようだ。
そんな中、ノームコアの解説で納得できるものを見つけてやっと腑に落ちた。

全世界で間違い続けられたまま終わった「ノームコア」の説明
https://togetter.com/li/1163351

である。ちょっと長いが納得のいく解説である。

要するにノームコアというのは概念とか哲学であり、黒無地のタートルネックセーターとかリーバイス501だとかグレーのニューバランスだとかそういうアイテムやコーディネイトに落とし込むものではないということだ。

オーガニックコットンと似ていると感じる。
オーガニックコットンも元来は、そのコットン自体に価値やら機能性やらがあるわけではなく、無農薬・無肥料で綿花を栽培するという社会活動である。それがいつの間にか、有機栽培された綿花に価値やら機能性やらがあるように誤認されている。

大体、そもそもが「何を着るか」にこだわらないのがノームコアなわけで、「ノームコアなアイテム」を話題しちゃったらハナからその哲学に反するわけで、もう支離滅裂じゃないですか。

http://www.newsweekjapan.jp/sasaki/2015/07/post_1.php

そしてこう結論づけるのだ。「かつて個性というのは、自分のやり方で人生を切り開いて行く自由への旅だった。しかしそれによって私たちは孤独になっただけだ。ノームコアはそうではなく、他人との違いを追求するのではない新たな自由を求める。自分だけが特別ではないということに解放感をもち、そこに順応することが共同体への帰属なのである。だからノームコアは、より平和的な生き方への道のりなのだ」

この辺りがもっとも象徴的だろう。

あー、実にめんどくさい。(笑)
こういう哲学とか概念とかは個人的には本当に大嫌いである。

このまとめにもあるように、スティーブ・ジョブズの着こなしによって「無地でなければ~」と誤解され、サードウェーブやらと混同され「上質な暮らし」と誤解されるに至った。それって「ロハス」と間違えてないか?

このまとめで嘆いておられるように、ミーハーなファッション業界人に消費されてしまったというのが実情である。

個人的にはこの「トレンド」に興味を持たなくてよかったと思う。
元来、こういう思想とか社会活動とかそういうのは大嫌いだからだ。
逆にこれに飛びつこうと思ったファッション業界人の気が知れない。あほなのだろう。

解説にもあるように、今でも揶揄される大学生の量産型ファッションは立派にノームコアである。
そのファッションテイストやジャンルにかかわらず、集団に溶け込む着こなしはすべてノームコアだといえる。
だからベーシックな服装だけがノームコアではないということだ。

コスプレイベントでそれに参加するためにコスプレするのもノームコアだし、セクシー系の愛好集団に入ってセクシー系の洋服を着るのもノームコアだし、ヤンキー集団に入ってヤンキーファッションに身を固めるのもノームコアだということになる。

ファッショントレンドでもなんでもなく、きわめて日常的で、解説にもあるようにほとんどの日本人が自然に体得していることである。

それをやれトレンドだ、やれ哲学だ、やれ概念だ、と何をめんどくさいことを言っているのかと思う。

それにしてもこの説明はお見事である。
多分実際にお会いして、交流すると極めて気が合わないと思うが、この論考は敬服するほかない。

個人的には、洋服なんてそこそこ安くて、そこそこカッコヨク見えて、機能性があればそれが最上だと思う。
わけのわからんブランドネームも要らないし、哲学も概念も社会活動も個人的には要らない。
そうなると、ユニクロか無印良品あたりがbestに近い存在になり、あとはライトオンとかジーユーとかウィゴー、ジーンズメイトあたりを組み合わせれば済む。

そういえば、つい先日、某ラグジュアリーブランドの販売員(もちろん男性)を連れてユニクロに行ったところ、1990円に期間限定値引きされていたワイドフィットチノにいたく満足してお買い上げになった。
オリーブグリーンのカラーを選んだのだが、試着してみて、「これスゴイですね。それでこの価格なら買いですよ」と感激しておられた。

「すべての物に大した違いはない」とまでは思わないが、大半以上の「物」というのはこの程度の差異しかないということだと思う。
そんなわけで、ノームコアについてのモヤモヤが晴れたのでスッキリした。
これから死ぬまでその方面には触らないでおこうと思う。

余談だが、Amazonでノームコアを検索すると、「ノームコアセンス」というブランドが出てくる。このネーミングはかつて発見した「ディーゼルパワー」に勝るとも劣らない。(笑)
あとナノユニバースにも「クライド ノームコア」というスニーカーがあるのも発見した。
ファッション業界がノームコアを解釈するとこうなるという見本ではないか。(笑)

 

NOTEを更新しました⇓
シャツ専門アパレル各社の生き残りと消滅を回顧する
https://note.mu/minami_mitsuhiro/n/n3d3b62325395

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ファッション分野に毎年大ヒット商品が生まれていた90年代の豊かさ

 90年代ファッションを回顧するという企画がウェブ上で流れてきたので、47歳のオッサンが27年前から18年前までを回顧してみると、今の30代の人々が回顧している90年代とは様相がだいぶと異なる。

なぜなら、27年前の1990年に当方は20歳だったが、30代の人は10代である。
今、39歳の人でも当時は12歳ということになる。1999年で21歳である。
今、39歳の人でもファッションシーンが記憶に残っているのは、早くても15か16歳くらいからだろう。となると最大でも94年ごろの記憶からしか残っていない。
仮にこの39歳の人が高校卒業後、大学進学のタイミングでファッションに興味を持ったとしたら、96年ごろからということになり、90年代を網羅できるほどの情報量がない。

39歳未満の人はなおさらだ。

90年代を正確に回顧できるのは40代以上で、80年代を正確に回顧できるのは50代以上、70年代を正確に回顧できるのは60代以上と考えるのがもっとも適切だろう。

ちなみに80年代は当方が10歳から19歳までの時期で、回顧できるとするならせいぜい85~89年までの4年間しかない。
しかも中学生から高校卒業までという極めてあやふやな記憶しかない。

そんなわけで47歳のオッサンが90年代の衣料品業界を思いつくままに回顧してみる。

ファッションや洋服の概念だとか哲学だとかそんなものに当方は微塵も興味がないので、売れた売れないというビジネス的結果が中心となる。

ここに文字にする前にざっと頭の中で挙げてみたが、90年代はバブル崩壊後で苦戦が続いたといわれているが、実は衣料品・ファッション用品については国民的ブームがほぼ毎年のように起きていたことに気が付いた。
2005年以降のビッグトレンドが生まれにくい時代からするとなんと恵まれた時代だったのかと今にして思う。
1~2年の誤差があるかもしれないが、当方の記憶がベースなのでお許しいただきたい。

89~91年ごろ 世界地図が描かれたバッグブランド「プリマクラッセ」が大学生に売れていた。MCMやらハンティングワールドやらも。
同じころ、トムクルーズの「トップガン」の影響でMA-1ブルゾンが大学生の制服のようになっていた。

93~96年ごろ レーヨンを交織・混紡したソフトジーンズが大ヒット、「04ジーンズ」がボブソン史上最大のヒット商品となった。

95年 ナイキエアマックス95が大ブームで、履いているのを強奪する追い剥ぎが多発した。

95~98年ごろ レーヨンジーンズへの反動として固くゴワゴワしたビンテージジーンズが大ブームになった。

97年 バーバリーブルーレーベルがバーバリーチェックのミニスカートを安室奈美恵に穿かせて大ヒット、アムラーが出現。

98年~ ユニクロのフリースが大ヒット、ユニクロブーム・低価格ブームが起きる。

99年ごろ ジーンズ、ズボンの股上が浅くなり現在に続くローライズジーンズが大ヒット。

99年  ツープライススーツショップ誕生。第1号はオンリーの「スーパースーツストア」。

ざっとこんな感じだ。
90年代後半には、一体何が良かったのかいまだにちっとも理解できない裏原宿系ブランドも大ヒットしたし、これら以外でもキムタクがドラマで着用したブランドはもれなく売れた。

また、95年~99年ごろは独立系デザイナーズブームもあり、関西でもビューティービーストや20471120などのブランドが話題となり、某専門学校ではビューティービーストの山下隆雄氏が講演に来ると、数百人規模で立ち見が出るほど学生が集まったという。

こうしてみると、裏原宿や独立系デザイナーなんていうどちらかというとコアな市場向けのブランドもヒットしたし、MA-1ブルゾン、04ジーンズ、ビンテージジーンズ、エアマックス、アムラー、ローライズ、ユニクロのフリースなんていうマス向けのビッグトレンドもほぼ毎年のように生まれていたことがわかる。ちなみにレーヨンジーンズのヒットからテンセルジーンズも生まれた。

2005年以降、とくに2010年以降の流れを知っていると、ビッグトレンドの生まれやすさに加えて、メジャー市場とコアな市場の両方で大ヒットが生まれることに驚いてしまう。

今は当時ほどのファッション・衣料品への需要や渇望感がない。

また価格破壊・低価格ブームが始まり、ユニクロが現在へと続く基礎を固めたと同時に、裏原宿や独立系デザイナーズブランドという高額品も同時に売れたというのもなかなか興味深い。

ちなみに携帯電話が普及し始めたのは97年以降のことで、当方が初めて手にしたのも97年か98年だったと記憶している。

90年代の当時は、バブルが崩壊しており、バブルを謳歌した80年代への羨望が渦巻いていたが、2017年の今から振り返ってみると衣料品業界・ファッション業界にとっては今とは別世界かと思うほどに恵まれた時代だったといえる。ただ、当時過ごしていた人間にそのことがわからなかっただけのことだ。それは90年代に限らずいつの時代もそうかもしれない。

70年代の高度経済成長期だって当時の人間にはそんなに好景気だとは思えなかっただろうし、80年代のバブル期だって同じだ。
過ぎ去ってみて初めてそういう時代だったということがわかる。人間の感覚なんて所詮はその程度の代物でしかない。

メジャーもマイナーも大きな売上高が稼げたということは、当時はファッションや衣料品というものが若者を中心に相当に重視されていたといえる。今のように携帯電話に金を支払う必要もないから、その分の可処分所得もプラスオンされていたといえる。また、それだけではなく、この当時の若者(今の40代)は極めてミーハーな性質があり、トレンドとされる物に恐ろしい勢いで群がっていたといえる。これは何もその年代だけのことではなく、それ以前のミニスカートブームやベルボトムジーンズブームでもわかるように上の世代にも共通する戦後日本の若者の性質といえる。

このころに比べると、2010年以降は嗜好や娯楽が極めて細分化されたといえる。
それゆえにファッションにそれほどに興味も持たれないし、それが万人受けする娯楽ともなり得ない。
ファッションは釣りや切手収集やガンプラ組み立てと等しい趣味の一分野になったと考えるのが正しいといえる。

いまだに「服づくりガー」とか「洋服の文化ガー」と叫ぶ人が業界にも業界外にも老若男女を問わず存在するが、それは2005年までの幻影を見ておられるのではないか。

ここまで嗜好と娯楽が細分化してしまえば、90年代のような状況に戻ることは不可能である。
今後は、細分化した嗜好と娯楽に対応できるブランドとファッション企業が生き残れる。
90年代の夢はまどろみながら見るにとどめるのが賢明である。

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シャツ専門アパレル各社の生き残りと消滅を回顧する
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「トレンド」は古来から存在する。過剰な反トレンド論はポジショントークか?

日米ともに従来型ファッションビジネスが行き詰まりを見せ始めたことから、「反トレンド論」みたいなものを見る機会がある。

米国でいうなら、それは「ノームコア」というトレンド(笑)になり、日本もそのトレンドを輸入した。

「トレンドに踊らされずにベーシックな服を着よう」という「トレンド」がノームコアだから、反トレンド論者がノームコアという「トレンド」に飛びつく構図はちょっと笑えて来る。

彼らは「トレンドとはビジネス目的で形成されているものだから、それに乗るのはアホらしい(意訳)」という主張をしているが果たしてそうだろうか?

現代ファッションでの「トレンド」が作られているということは否定しない。
特に流行色協会とやらが、2年前から設定する「トレンドカラー」なんて最たるものだ。
2年前に流行色を設定するとか意味わからん。それこそ「利権の塊」じゃないのか。

それはさておき。

しかし、衣服に流行があるというのは、今に始まったことではない。
いつの時代にも衣服の流行というのは存在する。
もうちょっと正確にいうと「衣服の流行り廃り」は古来から存在している。

そうでなければ、我々は今、この服装を着用していない。

近年のトレンドはたしかに人為的な側面はあるが、それでもままならないこともある。
「トレンド最右翼」とみなされていながらさっぱり売れなかった服も珍しくない。
また、予想外の商品がトレンドに浮上することもある。

このあたりの流れから考えると、トレンドは決して人為的に作られたものだけではなく、自然発生的要素もあるといえる。

ローマ帝国時代、為政者はトーガと呼ばれる長い布を体に巻き付けていた。
まあ、シーツを体に巻き付けているのを想像するとだいたいイメージできるのではないかと思う。

ローマ時代のトーガ

あんなもんにトレンドやファッションが存在するのかと普通なら思うが、それがそうではなかったらしい。

塩野七生さんのベストセラー「ローマ人の物語」(新潮社)によると、あのトーガにすらトレンドやファッションが存在したらしい。

どこをどう折り返して、ヒダを作るかとか、どれだけ布を余らせるかとか、シワの作り方・ヒダの作り方がカッコイイとかそういう価値観があったという。

塩野七生さんによると、ユリウス・カエサルはそのトーガの着こなしでファッションリーダーだった(意訳)という。

塩野七生さんの「カエサルLOVE」は有名だから、幾分か割り引くとしても、トーガの着こなしに「イケてる、イケてない」という価値観があったというのが驚きである。

要するにローマ帝国時代からトレンドはあったということになり、それは決してノームコア論者が言うような「ビジネスを背景」としたものではないということがわかる。
何せあの当時は今のようなファッションビジネスは存在していなかったのだから。

我が国でもそうだろう。

直垂や狩衣が今に生き残っていないのはなぜだ。
流行り廃りがあったから、それらは今の和服・呉服には残っていないのである。

江戸時代だって様々なトレンドがあったようで、男性の月代の剃り方だってその時々のトレンドがあった。

結局、今のファッションビジネスがあってもなくても洋の東西を問わず、人間が存在する限り、トレンドは存在するということになる。

つまるところ、トレンドや流行り廃りのサイクルが早いか遅いかの違いだけではないのか。

だから、反トレンド論というのはその大半が、自分のビジネスを拡大するための「単なるポジショントークにすぎない」と当方は見ている。

ところで、アパレルビジネスを総括したような記事では「最近、トレンド品を高額で販売する手法が通用しなくなり、アパレルは苦戦に転じた」というような意味のことが書かれてあるが、そんなビジネスモデルはどうなのだろうか?極めて非合理的ではないかと思う。

大学卒業後就職した洋服販売チェーン店は、渥美俊一氏のペガサスセミナーの流れを汲む会社だったので、そういう本を何冊か読まされたし、社内勉強会でもそこでの話題が出た。

そのときに「流行り廃りが緩やかで長期間使えるベーシック品は高額で、商品寿命の短いトレンド品は買いやすい廉価で販売する。これが消費者利益だ」という内容を習ったと記憶している。

この考え方は非常に合理的で論理的だと感じる。

ここでいうトレンド品とは、95年当時のナイキエアマックス95みたいな特定の品番への集中した人気ではなく、例えば「今季はワイドパンツが流行している」というような広い商品群を指している。

メンズで言えば、紺ブレなんかはディテール変化が緩やかだから比較的高価格に設定しても理屈には合う。一方、ガウチョパンツなんていうのは一過性トレンドだから買いやすい値段で販売する方が理論的だろう。

アパレル企業やブランドが衰退した理由はいくつもの複合的要因が複雑に絡み合った結果だと思うが、「トレンド品を高く売る」という非合理的なビジネスモデルもその一因だといえるのではないか。そして、ノームコアというトレンドに飛びついた反トレンド論者wwwwが反発しているのはそういうビジネスモデルに対してではないかとも思う。

我々一般人は、過度なトレンド崇拝論にも過度な反トレンド論にも耳を傾ける必要はなく、合理的に論理的に服を選べばよいだけである。

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アパレル業界は丸投げ体質か?
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「原価率50%」という思想はダイエーやユニクロの延長線上にある

 最近の報道を見ていると、トウキョウベースのブランドコンセプトは「原価率50%」じゃないかと思えてくる。(笑)

ブランドを確立するうえで真っ先に出てくるのは「高原価率」というのはどうなのだろうか。
それはファクトリーブランドや職人系のブランドの立ち位置ではないか。

似たようなブランドコンセプト(笑)にファクトリエがある。
こちらは疑似ファクトリーブランドを目指しているのだから、それはそれで良いのかもしれない。

ところで、国内外の低価格ブランドにやられっぱなしのアパレル業界人はこのブランドコンセプト(笑)に共鳴する人が多いように感じるのだが、実はこの考え方も、グローバル低価格ブランドは置いておいて、ユニクロやかつてのダイエーの思想の延長線上にあるといえる。

創業当時のダイエーやそれ以降の大手スーパーマーケット(GMS)の本来の思想は「良い物を買いやすい値段で提供する」である。97年ごろから飛躍的に売上高を拡大したユニクロも同じ考え方である。

バブル崩壊、リーマンショックで痛手を被った百貨店や百貨店と一体となったアパレル各社は、売上高低迷によって、原価率を切り下げ、商品の品質を下げている。
百貨店を販路とする某上場アパレル(あまり話題にならないマイナー企業)は2010年以降、秋冬のセーターの原価率を18%まで切り下げている。それでいて販売価格は据え置きか少し上げている。

で、これに対するアンチテーゼがトウキョウベースであり、ファクトリエであるといえる。

店頭販売価格こそ違うが、根本的な考え方はユニクロや創業当時のダイエーと同じで「良い物を買いやすい値段で提供する」である。

かつてのような高額素材をふんだんに使い、それを高額で販売するきらびやかなファッション業界が再現できるようなことは、今後ありえないと個人的には見ている。
ラグジュアリーブランドへのむやみなアホみたいな崇拝も2008年以降鳴りを潜めてしまったから、日本も欧米と同じく分相応な消費をする成熟社会になったといえる。

さて、こういう流れを見ていると面白い。
今日のアパログで「小売りの輪」という理論が紹介されている。

http://www.apalog.com/kitamura/archive/706

 マルコム・P・マクネアによる「小売の輪」理論(1957年)は、グランドセオリーとして引用される機会は多くはないが、ときおり私の頭をかすめる重要なフレームワークだ。

 追随業者が次々に参入し、価格競争がより激しくなる。

 価格だけでは武器にならなくなり、価格以外の付加価値(品揃え、設備やサービス)を増した競争が展開される。時間とともに人件費増加、規模の拡大によって本部費などの経費が増加、結果的に薄利多売から高粗利路線へと転換せざるを得なくなる。

 革新的な小売業者が既存のマーケットにローコスト、ローマージンの価格競争で市場参入しシェアを奪う。(価格が上がってきたところで、別の新しい革新的小売業者が誕生し、価格競争で市場参入してシェアを奪う。)

 以上のサイクルが、どこを始点にするわけでもなく終点にするわけでもなく、延々と回り続けるというのが小売の輪だ。

とまとめられている。

「良い物を安く」という思想がダイエーをはじめとするGMSを生み、同じ思想のユニクロが衣料品分野で参入し、GMSのシェアを奪った。今後、ユニクロがワークマンやドン・キホーテの自社企画衣料品にシェアをいくらか蚕食される事態が起きるだろう。

さらにその後、そのころには当方は死んでいるかもしれないが、ワークマンやドン・キホーテも新規参入業者に侵食されているかもしれない。

百貨店ブランドや大手セレクトショップへのアンチテーゼとしてトウキョウベースやファクトリエがあると見ているが、これとていずれ、さらなる新規参入業者に侵食されるか駆逐されるかしてしまうだろう。

例えば、先ごろ、ニトリがアパレル業界への進出を発表した。
具体策は何も発表されておらず、時期的にもいつ頃になるのかもわからないが、これも実現すれば、小売りの輪の一つで、新規参入業者が価格競争を仕掛ける事例になるだろう。

そのとき、ユニクロやジーユーがどれだけ侵食されるのか、もしくは他の低価格ブランドが駆逐されてしまうのかはわからないが、消費者が年間に買い物できる総額は決まっているのだから、他社からシェアが幾分か奪われるのは当然といえる。

そう考えると、高価格を維持し続けているラグジュアリーブランドの努力というものは、好き嫌いは置いておいてすさまじいものがあるといえる。

ブランドビジネスの本質は

「1円の物を1万円で売る」

ことにあり、それが支持されるのは、雰囲気でありブランドの歴史であり、店舗内装の見事さであり、ショッパーのかっこよさであり、販売員の接客応対であり、修理体制の整備によってである。

決して原価率の高さではない。

小売りの輪の中で勝ち続けることも容易ではないし、ラグジュアリーブランドへと昇ることも容易ではない。そういう厳しい世界の中で、日々もがき苦しんでいるのが我々だということになる。

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鎌倉シャツのビジネスモデルが秀逸なポイントを考えてみた
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「今の若者の服装には個性がなくなった」という主張は本当か?

 以前に書いたものと重複する部分があるが、20年前、25年前の若者は本当に「個性的」だったのかという疑問がある。

これに対比されるのが、「今の若者の服装は個性的ではなくなっている」という議論なのだが、それはどこかピントがズレていると個人的には感じられてならない。

我が国で、欧米では見られないような「奇抜な」着こなしが生まれたのは事実である。
その理由はさまざまあるだろうが、1つには、我が国には洋服の基本的な文化が定着していなかったということもある。

例えば、シャツの襟の違い、TPOに合わせた色使い、革靴の種類、などなどである。
そういうお約束がまるごと抜け落ちていたから、欧米では考えられないような奇抜なコーディネイトが生み出された。

近年、奇抜さ度合いが低下しているとするなら、それは、我が国に洋服文化の基本が定着し始め、欧米化しつつあるからではないのだろうか。

次に人口の問題もあるのではないかと思う。

http://shouwashi.com/transition-numberofbirths.html

20年前に20歳だった人たちは77年生まれである。
77年生まれの人は175万人いる。

一方、今、20歳の人たちは97年生まれで、119万人いる。
119万人「しか」といえばいいのか、119万人「も」といえばいいのかわからない。

しかし、55万人も人口が少ない。

71年、72年、73年、74年生まれはそれぞれ200万人を越える。これが団塊ジュニアと呼ばれる世代だ。当方は70年生まれだが、193万人もいる。

一方、89年以降、出生数は120万人前後が続いている。

http://nenji-toukei.com/n/kiji/10011/%E5%87%BA%E7%94%9F%E6%95%B0

97年と77年の比較だと55万人差しかないが、これを前後数年間の合計で比べてみるとどうだろうか、ざっと200万人近く人口が異なる。

単純に75~78年生まれの人口を合計すると700万人弱となる。
一方、95~98年生まれの人口を合計すると480万人前後となる。

これだけで220万人の差がある。

さらにその周辺年代の人口を合わせて比較してみるともっと人数差は広がるだろう。

となると、仮に300万人の差があったとしたら、どうだろうか。

奇抜な服装を好む「変な奴」が存在する割合が今も昔も一定だったとして、実数は大きく異なるだろう。

仮に「変な奴」の比率が1%だったとすると、75~78年生まれには7万人いることになる。
一方で95~98年生まれには4・8万人しかいないことになる。

2万人以上の差がある。
一口に2万人というと大したことがないように思えるが、ターゲットが2万人もいれば、立派に一つの市場が形成できる。

変な服装をした奴が2万人も多いと、如実に増えたと感じられる。

周辺年代を合わせるとその差はもっと増えるだろう。

となると、「変な服装」の人は今でもそれなりにいるが、絶対数が減っているので昔ほど「多い」とは感じられなくなっているのではないか。

今度は逆に、今はファッションで「ビッグトレンドが生まれにくい」と言われている。
たしかにこの10年間で大流行した商品はそれほど多くない。

一方、90年代はファッションの「ビッグトレンド」が大連発されていた。
バブルが崩壊して不景気感が増しても大ヒットアイテムが存在した。

バーバリーブルーレーベルのミニスカートだとか、ナイキエアマックス95だとか、ヴィンテージジーンズだとか、そういう大ヒットアイテムが毎年生まれていた。

これに関しては、日本人が成熟化して、それぞれ異なるファッションテイストに多様化したことも大きな理由だと考えられている。
アメカジが好きな人、ナチュラル系が好きな人、スポーツ系が好きな人、トラッド好きな人、それぞれが存在している。

90年代は大ヒットトレンドにファッションが集中していた。

こうして考えると、90年代の若者の方がトレンドに流されやすく無個性・没個性だといえる。
逆にそれぞれの好きなスタイルを堅持する今の若者の方が、トレンドに流されにくく個性があるともいえる。

それにしても「今の若者は個性がなくなった」と嘆くファッション業界人は、もう何年間同じことを言っているのだろうか。

いくら嘆こうと消費者の嗜好は簡単には変わらないのだから、自分たちの服を売りたければ、ある程度消費者の嗜好にアジャストする必要がある。
それができないならビジネスシーンから退場させられるのみである。

以前と消費の傾向が異なってきたのが、去年や一昨年からなら「ただ嘆いている」ことも理解できるが、もう5年前、10年前から同じような傾向になっている。
そろそろ適合させられなくては、到底ビジネスとは言えない。

ただ、嘆いてばかりいて、それによって自分たちの洋服を売りたいというなら、それは単なる「被害者ビジネス」ではないのか。

その手の人の最近の主張は、単なる被害者ビジネスに見えて仕方がない。

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クールビズは略装ではなく軽装

 ゴールデンウィークが終わるとそろそろクールビズが始まる。
クールビズが始まってもう13年くらいになり、すっかり定着したが、根強いクールビズ否定派も多い。
ネクタイの業界団体の反対論は論外としても、ファッション的見地からの反対論も一部に根強くある。

たしかによくあるサラリーマンのクールビズ姿はファッション的には間抜けて見える。

ノータイ白無地シャツに黒、濃紺、グレーなどのスーツスラックスという姿はなんだか間抜けな感じがする。
それはなんだか制服チックで、学生服の夏服とか鉄道職員の夏服っぽさがある。
ノータイ白無地シャツとダークカラーの無地スラックスをかっこよく着こなせる人間はかなり少ない。

20年ほど前に豊川悦司さんが、ドラマで駅員を演じており、その際、白無地シャツに濃色無地スラックスという夏の制服を着用していたのだが、それが異様にかっこよく見えた。
あれほどかっこよく着こなせる人はほとんど存在しない。

豊川悦司さんの場合は、高身長で脚が長く、スタイルが良いからであり、そういう条件を持った人は数少ない。

そういうファッション的見地からのクールビズ反対論は理解はできる。

理解はできるが、個人的にはそこに与する気はない。

なぜなら、冷房温度設定を28度に保つためには、上着+ネクタイ着用は不可能だからだ。
冷房温度設定を28度に保つ意味は個人的にはないと思っているし、自分で使う冷房は28度では暑くてたまらないのでだいたい23~25度設定を保っている。

しかし、なんだかよく分からないが、ほとんどの施設で28度設定になっているため、それに対応する必要がある。
そうすると、ジャケットとネクタイ着用では暑すぎて我慢大会になってしまう。

クールビズを廃止するなら、冷房設定温度を最低でも25度くらいまで下げないと無理だ。
逆に冷房温度を28度に保ちたいなら、クールビズは維持しなくてはならない。

どちらを取るかという話だと思う。

冷房温度を28度に維持したまま上着ネクタイ着用なんていうのは願い下げである。

さて、ファッション的見地からのクールビズ反対論には理解できるが、それに対して一理あると思った考察がある。

クールビズに自信のない男に教えたい新常識
そのスラックスやベルトは大丈夫ですか
http://toyokeizai.net/articles/-/167895

この中で、

「クールビズは略装か、それとも、軽装か?」
言葉のうえでは同義とされる両者ですが、正装(この場合スーツ)から引き算した略装コーディネート、一方、正装に向かって足し算した軽装コーディネート。両者は似て非なるものだと私は見ています。

という指摘があり、一理あると思った。

筆者も含めた年配の人の多くは、クールビズを略装だと思っている。
スーツスタイルからジャケットとネクタイを外した形をクールビズだと考えている。
だからダークスーツのジャケットを脱いでネクタイを外した「白無地シャツ+濃色スラックス」という服装になる。
そして、それは極めて似合う人が限定される服装だったといえる。

白無地シャツ+濃色スラックスというコーディネイトをかっこよく見せようと思うと、いわゆる「モード系」になるしかない。
上下細身のIラインを構築するか、昨今のオーバーサイズトレンドなら、ヨウジヤマモトスタイルにするかのどちらかということになる。

どちらもそこいらの中年・初老サラリーマンには着こなせないだろう。

そこでこの人は「軽装」と考えるべきだと説く。

例えば、シャツかスラックスのどちらかに柄を取り入れる。
ストライプやチェックという伝統的な柄である。間違っても花柄やサイケデリック柄ではない。

また、シャツとスラックスに明るい色を取り入れることも提案している。

色無地シャツに濃色スラックスになると、またどこかの施設の制服みたいになってしまうので、濃色無地スラックスならシャツを色+柄にすべきではないかと思う。

逆にスラックスに柄を取り入れると、柄シャツは着づらいので、襟が白くてボディが色無地のクレリックシャツを着用するのが良いのではないかと思う。

半袖シャツ1枚では落ち着かないという人は、シャツの上からベストを重ねると多少バランスはとりやすくなるのだろう。

ただ、これらの対策はどれもそれなりにファッションに興味を持って着慣れていることが前提となるため、シャツもネクタイもスーツも妻女任せという中年・初老サラリーマンには少しだけハードルが高い。
何事にも自助努力は必要ということである。

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ジーンズもデニム生地も特別視されなくなった

 今回はジーンズの話でも。

3年くらい前から「若い人がリーバイスの古着ジーンズを買っている。しかも80年代とか90年代前半の物を」という話をよく耳にする。
40代以上の層からすると、若い人の嗜好が何とも奇異に感じる。

というのは、当時のジーンズは股上が深く、何よりも使用しているデニム生地がのっぺりしていてヒゲなどのアタリ感がまったくでないといういう特徴がある。

これは「カッコ悪いジーンズの象徴」として、少なくともこの20年間とらえ続けられてきた商品だから、30代半ば以上のオッサン層からすると、それを嬉々として買い漁っている若い人の嗜好が奇異に感じられるというわけだ。

そしてこの商品傾向は90年代半ばまで続いた。

ジーンズ、デニム生地の傾向は90年代前半と後半で丸っきり変わってしまうのである。

90年代前半にはレーヨンやテンセルなどの素材を交織・混紡したソフトジーンズブームが起きる。
95年・96年ごろからビンテージジーンズブームが起きる。

ビンテージジーンズブームによって、デニム生地の傾向はそれまでと180度、いや540度変わってしまう。

綿100%の厚くて固い、ヒゲやアタリが出やすい表面に凹凸感のあるデニム生地が喜ばれるようになる。
そしてヒゲやアタリと同時に「タテ落ち」と呼ばれる縦方向へ細かくスジが出るような落ち方が好まれるようになった。

いわば色落ちのメリハリがはっきりくっきりわかるようになる。
ソフトジーンズも含めたそれまでのジーンズの色落ちにはメリハリがほとんどなかった。

そして99年ごろからはローライズジーンズブームが始まり股上が浅くなった。

現在、主流となっているジーンズは90年代半ばのビンテージジーンズブームと99年ごろのローライズジーンズが合体融合したものといえる。

デニム生地に関していえば、95年ごろから「タテ落ち」が王道となって今に至る。
そういう価値観が元になって、80年代・90年代前半のあのジーンズはこの20年間「超ダサい物」と評価されていた。

もうすでにちょうど1年前にこのことを書いているブログがあるからご紹介したい。

ダサ・デニムは、もはや ダサくないのだ。そーなのだ。
http://ameblo.jp/tcd-co-ltd/entry-12147427811.html

先日、あるカジュアルブランドのデザイナーと話をしたが、その際、

「20代~30代前半の若い人が運営しているブランドでは、80年代の『あのデニム生地』が使いたいというが、国内でも中国でも『あのデニム生地』はほとんど製造されていないから困っている」

という話題が出た。

国内のデニム生地メーカーの多くは、80年代のあのデニム生地を作ることを嫌がるし、現在は大量生産を行っていない。また中国のデニム生地メーカーも日本ブランドにその感覚を合わせているから、中国でもあまり生産されていない。

おそらく、日本や中国が技術指導を行っていない東南アジアの工場では作られているのではないかと思うが、どうだろうか。

先に挙げたTCDさんのブログから画像をお借りする。
今のデニム生地と80年代のデニム生地ではこれほど見え方が異なる。
左が80年代のデニム生地、右が現在のデニム生地である。

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色落ちの違いがお分かりになるだろう。

だから、先のデザイナーは、80年代デニム生地を好む若い層を指して、「30代半ば以上と以下では洋服に関する感覚がまったく異なっている」と指摘する。

そういえば、ここ何日間かで20代前半と思しき、若い女性がモロに80年代調のジーンズを穿いているのをちょこちょこ見かける。
生地はもちろん、あののっぺりとしたデニム生地。
形はおへそまで隠れるであろうハイウエストで、それは昨今のデザイン的ハイウエストジーンズとも形状が異なっている。

どう見ても、25年前(四半世紀前!)、筆者が大学4年生くらいの時代の人にしか見えないのだが、それがよしとされる感覚はやっぱりだいぶと異なっているといえる。

どうしてこういうことになったのかというと、20代の人は物心ついたころから、ずっと今のビンテージ調デニム生地を使ったジーンズを見て育ってきた。
40代以上のオッサンは、その商品を「20年前にわざわざ選んで買った」のだが、彼らからすると「当たり前に在る物、なんの変哲もない物」ということになる。

そして、若者にとって記憶にない80年代・90年代前半の「あのジーンズ」は「見たこともない斬新な商品」に見えるのだろう。

オッサン世代からすると、ほぼゴミ屑同然だった80年代・90年代前半のリーバイスの古着が、人気沸騰で品切れ状態になるというのも信じられない話である。

前回も書いたが、老若男女を問わず、「色落ちしにくいデニム」が一定の支持を受け、若者層にのっぺりとしたデニム生地が受けている状況を見ると、これまでデニム生地業界やジーンズ業界が「ジーンズとは」「デニムの魅力とは」と力説してきたことがどうもニッチなマニア層だけのものとなりつつあるように思える。

ジーンズやデニム生地は特別なアイテムや生地ではなく、洋服や生地の一種に過ぎなくなっているということで、今後はますますジーンズやデニム生地への特別視はなくなるだろう。

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