カテゴリー: トレンド (1ページ / 2ページ)

「トレンド」は古来から存在する。過剰な反トレンド論はポジショントークか?

日米ともに従来型ファッションビジネスが行き詰まりを見せ始めたことから、「反トレンド論」みたいなものを見る機会がある。

米国でいうなら、それは「ノームコア」というトレンド(笑)になり、日本もそのトレンドを輸入した。

「トレンドに踊らされずにベーシックな服を着よう」という「トレンド」がノームコアだから、反トレンド論者がノームコアという「トレンド」に飛びつく構図はちょっと笑えて来る。

彼らは「トレンドとはビジネス目的で形成されているものだから、それに乗るのはアホらしい(意訳)」という主張をしているが果たしてそうだろうか?

現代ファッションでの「トレンド」が作られているということは否定しない。
特に流行色協会とやらが、2年前から設定する「トレンドカラー」なんて最たるものだ。
2年前に流行色を設定するとか意味わからん。それこそ「利権の塊」じゃないのか。

それはさておき。

しかし、衣服に流行があるというのは、今に始まったことではない。
いつの時代にも衣服の流行というのは存在する。
もうちょっと正確にいうと「衣服の流行り廃り」は古来から存在している。

そうでなければ、我々は今、この服装を着用していない。

近年のトレンドはたしかに人為的な側面はあるが、それでもままならないこともある。
「トレンド最右翼」とみなされていながらさっぱり売れなかった服も珍しくない。
また、予想外の商品がトレンドに浮上することもある。

このあたりの流れから考えると、トレンドは決して人為的に作られたものだけではなく、自然発生的要素もあるといえる。

ローマ帝国時代、為政者はトーガと呼ばれる長い布を体に巻き付けていた。
まあ、シーツを体に巻き付けているのを想像するとだいたいイメージできるのではないかと思う。

ローマ時代のトーガ

あんなもんにトレンドやファッションが存在するのかと普通なら思うが、それがそうではなかったらしい。

塩野七生さんのベストセラー「ローマ人の物語」(新潮社)によると、あのトーガにすらトレンドやファッションが存在したらしい。

どこをどう折り返して、ヒダを作るかとか、どれだけ布を余らせるかとか、シワの作り方・ヒダの作り方がカッコイイとかそういう価値観があったという。

塩野七生さんによると、ユリウス・カエサルはそのトーガの着こなしでファッションリーダーだった(意訳)という。

塩野七生さんの「カエサルLOVE」は有名だから、幾分か割り引くとしても、トーガの着こなしに「イケてる、イケてない」という価値観があったというのが驚きである。

要するにローマ帝国時代からトレンドはあったということになり、それは決してノームコア論者が言うような「ビジネスを背景」としたものではないということがわかる。
何せあの当時は今のようなファッションビジネスは存在していなかったのだから。

我が国でもそうだろう。

直垂や狩衣が今に生き残っていないのはなぜだ。
流行り廃りがあったから、それらは今の和服・呉服には残っていないのである。

江戸時代だって様々なトレンドがあったようで、男性の月代の剃り方だってその時々のトレンドがあった。

結局、今のファッションビジネスがあってもなくても洋の東西を問わず、人間が存在する限り、トレンドは存在するということになる。

つまるところ、トレンドや流行り廃りのサイクルが早いか遅いかの違いだけではないのか。

だから、反トレンド論というのはその大半が、自分のビジネスを拡大するための「単なるポジショントークにすぎない」と当方は見ている。

ところで、アパレルビジネスを総括したような記事では「最近、トレンド品を高額で販売する手法が通用しなくなり、アパレルは苦戦に転じた」というような意味のことが書かれてあるが、そんなビジネスモデルはどうなのだろうか?極めて非合理的ではないかと思う。

大学卒業後就職した洋服販売チェーン店は、渥美俊一氏のペガサスセミナーの流れを汲む会社だったので、そういう本を何冊か読まされたし、社内勉強会でもそこでの話題が出た。

そのときに「流行り廃りが緩やかで長期間使えるベーシック品は高額で、商品寿命の短いトレンド品は買いやすい廉価で販売する。これが消費者利益だ」という内容を習ったと記憶している。

この考え方は非常に合理的で論理的だと感じる。

ここでいうトレンド品とは、95年当時のナイキエアマックス95みたいな特定の品番への集中した人気ではなく、例えば「今季はワイドパンツが流行している」というような広い商品群を指している。

メンズで言えば、紺ブレなんかはディテール変化が緩やかだから比較的高価格に設定しても理屈には合う。一方、ガウチョパンツなんていうのは一過性トレンドだから買いやすい値段で販売する方が理論的だろう。

アパレル企業やブランドが衰退した理由はいくつもの複合的要因が複雑に絡み合った結果だと思うが、「トレンド品を高く売る」という非合理的なビジネスモデルもその一因だといえるのではないか。そして、ノームコアというトレンドに飛びついた反トレンド論者wwwwが反発しているのはそういうビジネスモデルに対してではないかとも思う。

我々一般人は、過度なトレンド崇拝論にも過度な反トレンド論にも耳を傾ける必要はなく、合理的に論理的に服を選べばよいだけである。

noteで有料記事を更新しました~♪

アパレル業界は丸投げ体質か?
https://note.mu/minami_mitsuhiro/n/n7d4a58f99afe

あと、インスタグラムもやってま~す♪
https://www.instagram.com/minamimitsuhiro/

「原価率50%」という思想はダイエーやユニクロの延長線上にある

 最近の報道を見ていると、トウキョウベースのブランドコンセプトは「原価率50%」じゃないかと思えてくる。(笑)

ブランドを確立するうえで真っ先に出てくるのは「高原価率」というのはどうなのだろうか。
それはファクトリーブランドや職人系のブランドの立ち位置ではないか。

似たようなブランドコンセプト(笑)にファクトリエがある。
こちらは疑似ファクトリーブランドを目指しているのだから、それはそれで良いのかもしれない。

ところで、国内外の低価格ブランドにやられっぱなしのアパレル業界人はこのブランドコンセプト(笑)に共鳴する人が多いように感じるのだが、実はこの考え方も、グローバル低価格ブランドは置いておいて、ユニクロやかつてのダイエーの思想の延長線上にあるといえる。

創業当時のダイエーやそれ以降の大手スーパーマーケット(GMS)の本来の思想は「良い物を買いやすい値段で提供する」である。97年ごろから飛躍的に売上高を拡大したユニクロも同じ考え方である。

バブル崩壊、リーマンショックで痛手を被った百貨店や百貨店と一体となったアパレル各社は、売上高低迷によって、原価率を切り下げ、商品の品質を下げている。
百貨店を販路とする某上場アパレル(あまり話題にならないマイナー企業)は2010年以降、秋冬のセーターの原価率を18%まで切り下げている。それでいて販売価格は据え置きか少し上げている。

で、これに対するアンチテーゼがトウキョウベースであり、ファクトリエであるといえる。

店頭販売価格こそ違うが、根本的な考え方はユニクロや創業当時のダイエーと同じで「良い物を買いやすい値段で提供する」である。

かつてのような高額素材をふんだんに使い、それを高額で販売するきらびやかなファッション業界が再現できるようなことは、今後ありえないと個人的には見ている。
ラグジュアリーブランドへのむやみなアホみたいな崇拝も2008年以降鳴りを潜めてしまったから、日本も欧米と同じく分相応な消費をする成熟社会になったといえる。

さて、こういう流れを見ていると面白い。
今日のアパログで「小売りの輪」という理論が紹介されている。

http://www.apalog.com/kitamura/archive/706

 マルコム・P・マクネアによる「小売の輪」理論(1957年)は、グランドセオリーとして引用される機会は多くはないが、ときおり私の頭をかすめる重要なフレームワークだ。

 追随業者が次々に参入し、価格競争がより激しくなる。

 価格だけでは武器にならなくなり、価格以外の付加価値(品揃え、設備やサービス)を増した競争が展開される。時間とともに人件費増加、規模の拡大によって本部費などの経費が増加、結果的に薄利多売から高粗利路線へと転換せざるを得なくなる。

 革新的な小売業者が既存のマーケットにローコスト、ローマージンの価格競争で市場参入しシェアを奪う。(価格が上がってきたところで、別の新しい革新的小売業者が誕生し、価格競争で市場参入してシェアを奪う。)

 以上のサイクルが、どこを始点にするわけでもなく終点にするわけでもなく、延々と回り続けるというのが小売の輪だ。

とまとめられている。

「良い物を安く」という思想がダイエーをはじめとするGMSを生み、同じ思想のユニクロが衣料品分野で参入し、GMSのシェアを奪った。今後、ユニクロがワークマンやドン・キホーテの自社企画衣料品にシェアをいくらか蚕食される事態が起きるだろう。

さらにその後、そのころには当方は死んでいるかもしれないが、ワークマンやドン・キホーテも新規参入業者に侵食されているかもしれない。

百貨店ブランドや大手セレクトショップへのアンチテーゼとしてトウキョウベースやファクトリエがあると見ているが、これとていずれ、さらなる新規参入業者に侵食されるか駆逐されるかしてしまうだろう。

例えば、先ごろ、ニトリがアパレル業界への進出を発表した。
具体策は何も発表されておらず、時期的にもいつ頃になるのかもわからないが、これも実現すれば、小売りの輪の一つで、新規参入業者が価格競争を仕掛ける事例になるだろう。

そのとき、ユニクロやジーユーがどれだけ侵食されるのか、もしくは他の低価格ブランドが駆逐されてしまうのかはわからないが、消費者が年間に買い物できる総額は決まっているのだから、他社からシェアが幾分か奪われるのは当然といえる。

そう考えると、高価格を維持し続けているラグジュアリーブランドの努力というものは、好き嫌いは置いておいてすさまじいものがあるといえる。

ブランドビジネスの本質は

「1円の物を1万円で売る」

ことにあり、それが支持されるのは、雰囲気でありブランドの歴史であり、店舗内装の見事さであり、ショッパーのかっこよさであり、販売員の接客応対であり、修理体制の整備によってである。

決して原価率の高さではない。

小売りの輪の中で勝ち続けることも容易ではないし、ラグジュアリーブランドへと昇ることも容易ではない。そういう厳しい世界の中で、日々もがき苦しんでいるのが我々だということになる。

noteで有料記事を始めてみました~。

鎌倉シャツのビジネスモデルが秀逸なポイントを考えてみた
https://note.mu/minami_mitsuhiro/n/na76c612e6d37

あと、インスタグラムもやってま~す♪
https://www.instagram.com/minamimitsuhiro/


「今の若者の服装には個性がなくなった」という主張は本当か?

 以前に書いたものと重複する部分があるが、20年前、25年前の若者は本当に「個性的」だったのかという疑問がある。

これに対比されるのが、「今の若者の服装は個性的ではなくなっている」という議論なのだが、それはどこかピントがズレていると個人的には感じられてならない。

我が国で、欧米では見られないような「奇抜な」着こなしが生まれたのは事実である。
その理由はさまざまあるだろうが、1つには、我が国には洋服の基本的な文化が定着していなかったということもある。

例えば、シャツの襟の違い、TPOに合わせた色使い、革靴の種類、などなどである。
そういうお約束がまるごと抜け落ちていたから、欧米では考えられないような奇抜なコーディネイトが生み出された。

近年、奇抜さ度合いが低下しているとするなら、それは、我が国に洋服文化の基本が定着し始め、欧米化しつつあるからではないのだろうか。

次に人口の問題もあるのではないかと思う。

http://shouwashi.com/transition-numberofbirths.html

20年前に20歳だった人たちは77年生まれである。
77年生まれの人は175万人いる。

一方、今、20歳の人たちは97年生まれで、119万人いる。
119万人「しか」といえばいいのか、119万人「も」といえばいいのかわからない。

しかし、55万人も人口が少ない。

71年、72年、73年、74年生まれはそれぞれ200万人を越える。これが団塊ジュニアと呼ばれる世代だ。当方は70年生まれだが、193万人もいる。

一方、89年以降、出生数は120万人前後が続いている。

http://nenji-toukei.com/n/kiji/10011/%E5%87%BA%E7%94%9F%E6%95%B0

97年と77年の比較だと55万人差しかないが、これを前後数年間の合計で比べてみるとどうだろうか、ざっと200万人近く人口が異なる。

単純に75~78年生まれの人口を合計すると700万人弱となる。
一方、95~98年生まれの人口を合計すると480万人前後となる。

これだけで220万人の差がある。

さらにその周辺年代の人口を合わせて比較してみるともっと人数差は広がるだろう。

となると、仮に300万人の差があったとしたら、どうだろうか。

奇抜な服装を好む「変な奴」が存在する割合が今も昔も一定だったとして、実数は大きく異なるだろう。

仮に「変な奴」の比率が1%だったとすると、75~78年生まれには7万人いることになる。
一方で95~98年生まれには4・8万人しかいないことになる。

2万人以上の差がある。
一口に2万人というと大したことがないように思えるが、ターゲットが2万人もいれば、立派に一つの市場が形成できる。

変な服装をした奴が2万人も多いと、如実に増えたと感じられる。

周辺年代を合わせるとその差はもっと増えるだろう。

となると、「変な服装」の人は今でもそれなりにいるが、絶対数が減っているので昔ほど「多い」とは感じられなくなっているのではないか。

今度は逆に、今はファッションで「ビッグトレンドが生まれにくい」と言われている。
たしかにこの10年間で大流行した商品はそれほど多くない。

一方、90年代はファッションの「ビッグトレンド」が大連発されていた。
バブルが崩壊して不景気感が増しても大ヒットアイテムが存在した。

バーバリーブルーレーベルのミニスカートだとか、ナイキエアマックス95だとか、ヴィンテージジーンズだとか、そういう大ヒットアイテムが毎年生まれていた。

これに関しては、日本人が成熟化して、それぞれ異なるファッションテイストに多様化したことも大きな理由だと考えられている。
アメカジが好きな人、ナチュラル系が好きな人、スポーツ系が好きな人、トラッド好きな人、それぞれが存在している。

90年代は大ヒットトレンドにファッションが集中していた。

こうして考えると、90年代の若者の方がトレンドに流されやすく無個性・没個性だといえる。
逆にそれぞれの好きなスタイルを堅持する今の若者の方が、トレンドに流されにくく個性があるともいえる。

それにしても「今の若者は個性がなくなった」と嘆くファッション業界人は、もう何年間同じことを言っているのだろうか。

いくら嘆こうと消費者の嗜好は簡単には変わらないのだから、自分たちの服を売りたければ、ある程度消費者の嗜好にアジャストする必要がある。
それができないならビジネスシーンから退場させられるのみである。

以前と消費の傾向が異なってきたのが、去年や一昨年からなら「ただ嘆いている」ことも理解できるが、もう5年前、10年前から同じような傾向になっている。
そろそろ適合させられなくては、到底ビジネスとは言えない。

ただ、嘆いてばかりいて、それによって自分たちの洋服を売りたいというなら、それは単なる「被害者ビジネス」ではないのか。

その手の人の最近の主張は、単なる被害者ビジネスに見えて仕方がない。

インスタグラムはこちら~♪
https://www.instagram.com/minamimitsuhiro/



クールビズは略装ではなく軽装

 ゴールデンウィークが終わるとそろそろクールビズが始まる。
クールビズが始まってもう13年くらいになり、すっかり定着したが、根強いクールビズ否定派も多い。
ネクタイの業界団体の反対論は論外としても、ファッション的見地からの反対論も一部に根強くある。

たしかによくあるサラリーマンのクールビズ姿はファッション的には間抜けて見える。

ノータイ白無地シャツに黒、濃紺、グレーなどのスーツスラックスという姿はなんだか間抜けな感じがする。
それはなんだか制服チックで、学生服の夏服とか鉄道職員の夏服っぽさがある。
ノータイ白無地シャツとダークカラーの無地スラックスをかっこよく着こなせる人間はかなり少ない。

20年ほど前に豊川悦司さんが、ドラマで駅員を演じており、その際、白無地シャツに濃色無地スラックスという夏の制服を着用していたのだが、それが異様にかっこよく見えた。
あれほどかっこよく着こなせる人はほとんど存在しない。

豊川悦司さんの場合は、高身長で脚が長く、スタイルが良いからであり、そういう条件を持った人は数少ない。

そういうファッション的見地からのクールビズ反対論は理解はできる。

理解はできるが、個人的にはそこに与する気はない。

なぜなら、冷房温度設定を28度に保つためには、上着+ネクタイ着用は不可能だからだ。
冷房温度設定を28度に保つ意味は個人的にはないと思っているし、自分で使う冷房は28度では暑くてたまらないのでだいたい23~25度設定を保っている。

しかし、なんだかよく分からないが、ほとんどの施設で28度設定になっているため、それに対応する必要がある。
そうすると、ジャケットとネクタイ着用では暑すぎて我慢大会になってしまう。

クールビズを廃止するなら、冷房設定温度を最低でも25度くらいまで下げないと無理だ。
逆に冷房温度を28度に保ちたいなら、クールビズは維持しなくてはならない。

どちらを取るかという話だと思う。

冷房温度を28度に維持したまま上着ネクタイ着用なんていうのは願い下げである。

さて、ファッション的見地からのクールビズ反対論には理解できるが、それに対して一理あると思った考察がある。

クールビズに自信のない男に教えたい新常識
そのスラックスやベルトは大丈夫ですか
http://toyokeizai.net/articles/-/167895

この中で、

「クールビズは略装か、それとも、軽装か?」
言葉のうえでは同義とされる両者ですが、正装(この場合スーツ)から引き算した略装コーディネート、一方、正装に向かって足し算した軽装コーディネート。両者は似て非なるものだと私は見ています。

という指摘があり、一理あると思った。

筆者も含めた年配の人の多くは、クールビズを略装だと思っている。
スーツスタイルからジャケットとネクタイを外した形をクールビズだと考えている。
だからダークスーツのジャケットを脱いでネクタイを外した「白無地シャツ+濃色スラックス」という服装になる。
そして、それは極めて似合う人が限定される服装だったといえる。

白無地シャツ+濃色スラックスというコーディネイトをかっこよく見せようと思うと、いわゆる「モード系」になるしかない。
上下細身のIラインを構築するか、昨今のオーバーサイズトレンドなら、ヨウジヤマモトスタイルにするかのどちらかということになる。

どちらもそこいらの中年・初老サラリーマンには着こなせないだろう。

そこでこの人は「軽装」と考えるべきだと説く。

例えば、シャツかスラックスのどちらかに柄を取り入れる。
ストライプやチェックという伝統的な柄である。間違っても花柄やサイケデリック柄ではない。

また、シャツとスラックスに明るい色を取り入れることも提案している。

色無地シャツに濃色スラックスになると、またどこかの施設の制服みたいになってしまうので、濃色無地スラックスならシャツを色+柄にすべきではないかと思う。

逆にスラックスに柄を取り入れると、柄シャツは着づらいので、襟が白くてボディが色無地のクレリックシャツを着用するのが良いのではないかと思う。

半袖シャツ1枚では落ち着かないという人は、シャツの上からベストを重ねると多少バランスはとりやすくなるのだろう。

ただ、これらの対策はどれもそれなりにファッションに興味を持って着慣れていることが前提となるため、シャツもネクタイもスーツも妻女任せという中年・初老サラリーマンには少しだけハードルが高い。
何事にも自助努力は必要ということである。

インスタグラム始めました~♪
https://www.instagram.com/minamimitsuhiro/




ジーンズもデニム生地も特別視されなくなった

 今回はジーンズの話でも。

3年くらい前から「若い人がリーバイスの古着ジーンズを買っている。しかも80年代とか90年代前半の物を」という話をよく耳にする。
40代以上の層からすると、若い人の嗜好が何とも奇異に感じる。

というのは、当時のジーンズは股上が深く、何よりも使用しているデニム生地がのっぺりしていてヒゲなどのアタリ感がまったくでないといういう特徴がある。

これは「カッコ悪いジーンズの象徴」として、少なくともこの20年間とらえ続けられてきた商品だから、30代半ば以上のオッサン層からすると、それを嬉々として買い漁っている若い人の嗜好が奇異に感じられるというわけだ。

そしてこの商品傾向は90年代半ばまで続いた。

ジーンズ、デニム生地の傾向は90年代前半と後半で丸っきり変わってしまうのである。

90年代前半にはレーヨンやテンセルなどの素材を交織・混紡したソフトジーンズブームが起きる。
95年・96年ごろからビンテージジーンズブームが起きる。

ビンテージジーンズブームによって、デニム生地の傾向はそれまでと180度、いや540度変わってしまう。

綿100%の厚くて固い、ヒゲやアタリが出やすい表面に凹凸感のあるデニム生地が喜ばれるようになる。
そしてヒゲやアタリと同時に「タテ落ち」と呼ばれる縦方向へ細かくスジが出るような落ち方が好まれるようになった。

いわば色落ちのメリハリがはっきりくっきりわかるようになる。
ソフトジーンズも含めたそれまでのジーンズの色落ちにはメリハリがほとんどなかった。

そして99年ごろからはローライズジーンズブームが始まり股上が浅くなった。

現在、主流となっているジーンズは90年代半ばのビンテージジーンズブームと99年ごろのローライズジーンズが合体融合したものといえる。

デニム生地に関していえば、95年ごろから「タテ落ち」が王道となって今に至る。
そういう価値観が元になって、80年代・90年代前半のあのジーンズはこの20年間「超ダサい物」と評価されていた。

もうすでにちょうど1年前にこのことを書いているブログがあるからご紹介したい。

ダサ・デニムは、もはや ダサくないのだ。そーなのだ。
http://ameblo.jp/tcd-co-ltd/entry-12147427811.html

先日、あるカジュアルブランドのデザイナーと話をしたが、その際、

「20代~30代前半の若い人が運営しているブランドでは、80年代の『あのデニム生地』が使いたいというが、国内でも中国でも『あのデニム生地』はほとんど製造されていないから困っている」

という話題が出た。

国内のデニム生地メーカーの多くは、80年代のあのデニム生地を作ることを嫌がるし、現在は大量生産を行っていない。また中国のデニム生地メーカーも日本ブランドにその感覚を合わせているから、中国でもあまり生産されていない。

おそらく、日本や中国が技術指導を行っていない東南アジアの工場では作られているのではないかと思うが、どうだろうか。

先に挙げたTCDさんのブログから画像をお借りする。
今のデニム生地と80年代のデニム生地ではこれほど見え方が異なる。
左が80年代のデニム生地、右が現在のデニム生地である。

o0800059013613185827

色落ちの違いがお分かりになるだろう。

だから、先のデザイナーは、80年代デニム生地を好む若い層を指して、「30代半ば以上と以下では洋服に関する感覚がまったく異なっている」と指摘する。

そういえば、ここ何日間かで20代前半と思しき、若い女性がモロに80年代調のジーンズを穿いているのをちょこちょこ見かける。
生地はもちろん、あののっぺりとしたデニム生地。
形はおへそまで隠れるであろうハイウエストで、それは昨今のデザイン的ハイウエストジーンズとも形状が異なっている。

どう見ても、25年前(四半世紀前!)、筆者が大学4年生くらいの時代の人にしか見えないのだが、それがよしとされる感覚はやっぱりだいぶと異なっているといえる。

どうしてこういうことになったのかというと、20代の人は物心ついたころから、ずっと今のビンテージ調デニム生地を使ったジーンズを見て育ってきた。
40代以上のオッサンは、その商品を「20年前にわざわざ選んで買った」のだが、彼らからすると「当たり前に在る物、なんの変哲もない物」ということになる。

そして、若者にとって記憶にない80年代・90年代前半の「あのジーンズ」は「見たこともない斬新な商品」に見えるのだろう。

オッサン世代からすると、ほぼゴミ屑同然だった80年代・90年代前半のリーバイスの古着が、人気沸騰で品切れ状態になるというのも信じられない話である。

前回も書いたが、老若男女を問わず、「色落ちしにくいデニム」が一定の支持を受け、若者層にのっぺりとしたデニム生地が受けている状況を見ると、これまでデニム生地業界やジーンズ業界が「ジーンズとは」「デニムの魅力とは」と力説してきたことがどうもニッチなマニア層だけのものとなりつつあるように思える。

ジーンズやデニム生地は特別なアイテムや生地ではなく、洋服や生地の一種に過ぎなくなっているということで、今後はますますジーンズやデニム生地への特別視はなくなるだろう。

こっそりひっそりインスタグラムやってます。
https://www.instagram.com/minamimitsuhiro/




オッサン層にまで商品が行き渡ったとき、次のトレンドに移り変わる

 流行がマス層に行き渡ると、新しい流行が生まれる。
この新しい流行は局所的な盛り上がりで終わる場合もあるし、それが新たな定番化する場合もある。

前者は、有象無象の湧いては消える地域限定のストリートトレンドで、数え上げるときりがないが、キャップの内側のタグ(素材表示やメーカーを表記してあるタグ)をわざと出してかぶるという意味のわからないトレンドも昔はあった。どこがかっこいいのかさっぱりわからなかったからマス化することなく消えた。

パンツの腰穿きはマス化したトレンドだといえるが、それを股下30センチくらいまで極端に下げた穿き方は不便な上にペンギンみたいなヨチヨチ歩きになって不格好だったのでマス化することなく消えた。

後者の代表例は、ローライズパンツだろう。パンツの股上は2000年ぐらいに低くなってそれが新定番になった。
パンツの腰穿きも好き嫌いはあるだろうがそれなりに定番化している。

メンズの細身シルエットも2003年ごろにトレンドに浮上して新定番化した。

ニッチ層を狙う極小ブランドならそういう泡沫トレンドに飛びついて商品化するのはありだが、何十億円規模以上の売上高を狙うブランドはマス化するトレンドを選別して商品化する必要がある。

一部の例外もあるが、だいたいは「意味のわからない」もの、「見た目かっこわるい」もの、「似合う人が少ない」ものは、泡沫トレンドで終わりやすいと感じる。
その逆の要素を満たしているものはマス化しやすい。

スキニーパンツも新定番化した代表例だろう。

次のトレンドという声は2年ほど前からあったが、ワイドパンツの着用者が増えたのは昨年秋くらいからだと感じる。2015年の春夏シーズンにはすでにワイドパンツがトレンドだという声が上がっていたが、東京に出張した際に、東京駅、原宿、渋谷あたりで路上観察した限りにおいては着用者はほとんどいなかった。

目に見えて着用者が増え始めたのが昨年秋ごろからだと感じている。

エドウインやカイタックファミリー、ジョンブルなどのメーカーによると、いまだにスキニーパンツの需要は「定番商品」として一定量あるとのことだが、ワイドパンツの需要も増えている。

逆に路上観察していて、気が付くのが、スキニーもしくはそれに類した細身シルエットのパンツを穿いたオッサンの姿が増えたことである。

この場合のオッサンは見た目の年齢が40~60歳くらいの男性を指している。
もちろん、筆者自身もこの中に入る。

どうだろうか、2年ほど前から細身のカジュアルパンツを穿いたオッサンが増えたように感じている。

ジーンズメーカーによると、大手ネット通販で40代男性が買ったパンツの売れ行き1位商品はなんと、スキニーパンツだったという。

それも「かなり細めのスキニー」だという。

今現在、路上観察の範囲では、ワイドパンツ着用者は女性が多い。
女性でも若い世代が中心で、40代以上でワイドパンツを着用している女性は、見るからにファッション好きな人に限られている。

男性のワイドパンツ着用者は圧倒的に10代、20代が多く、30代以上はスキニーもしくは細身パンツである。

逆にいうと、スキニーパンツは本当に定番化してマス化したといえる。
なにせ、40代のオッサンが買った1位商品がスキニーパンツなのだから、どれほどマス化したかわかるだろう。

オッサンは女性、若い男性に比べて、トレンドに飛びつきにくい。
そのオッサンが愛用するようになったということは、トレンドは終わりに近づいており、これは本当の意味で定番化したといえる。

オッサンが愛用するほど大衆化したなら、脱スキニーを考えるファッション好きが増えるのは無理もない。
それが今春夏のワイドパンツ着用者が増えた理由の一つだろう。

加齢なるオッサンど真ん中の筆者もこの3年くらいは細身のパンツばかり買っている。
脚が太いので、レオタードみたいなピチピチのパンツは買わないが、レギュラーストレートより細めのパンツしか買っていない。

こんな風にマストレンドは徐々に、緩やかに移り変わる。

今日までスキニーを穿いていた人が、いきなりワイドパンツだけを穿くようになるなんてことはない。

レディースのかつてのブーツカットパンツだってそうだ。
40代・50代までが着用して定番化してしまうと、2008年からはスキニーがトレンドに浮上した。
2010年ごろに学校の保護者会に行くと、女性保護者はほぼもれなくブーツカットを穿いていた。
30代・40代はブーツカットで、20代はスキニーという別れ方をしていたが、2015年ごろになると、40代ももれなくスキニーを着用するようになった。
そこまでスキニーが行き渡れば次のトレンドに移り変わる。

もう子供たちが大きくなったので保護者会に出ることもなくなり、今の女性保護者はどんな服装が主流なのかわからないが、服装を観察するのはなかなか面白く、世の中のマストレンドの移り変わりが顕著にわかった。

今のワイドパンツが数年後に新定番化するかどうかはわからない。
もし、新定番化するなら数年後に買ってみたいと思う。
これがオッサンの代表的な消費行動といえる。




「カッコイイ」と「ダサい」の判断基準があいまい過ぎてよく分からない

 筆者も含めた一般消費者がオサレなファッソニスタを別世界の人間のように感じる理由の一つに、彼らのいう「オシャレ」の判断基準があいまい過ぎて理解不能だという点があるからだ。

一般人からすると明らかに「変」「奇抜過ぎる」「ダサい」と感じるアイテムや着こなしを「オシャレ」「クール」「抜け感がある」などと言って評価する。その評価基準があまりにもわかりにくい。
ファッソニスタの多くはほとんど非理論的で感覚的な人が多いから、その判断基準も極めて曖昧模糊とした感覚的なものだと考えられるが、そんな曖昧模糊とした判断基準を一般人が包括的に理解し、それをわが身に取り込むことは至難の業だし、そんな異様にめんどくさい作業をしてまで「オシャレ」になる必要性もまったく感じられない。

かくして一般人は、ファッソニスタを別世界の住人だとして関知しないようにする。当然の結果だろう。
それによってさらにファッショニスタたちは「オタク度」を高めてゆくという好循環を繰り返すわけである。

数日前からYEEZYというアディダスとカニエ・ウエストのコラボスニーカーが話題になっている。
「かっこいい」という話題ではなく、「ダンロップのスニーカーに似てないか?」という話題である。

これを上手くまとめているのがたびたび紹介している山田耕史さんのブログだ。

カニエ・ウエストブランドの人気スニーカーの元ネタ、ダンロップ説。
http://t-f-n.blogspot.jp/2017/02/yeezy-runner.html

各商品の画像をふんだんに取り込んで比較させているので、非常にわかりやすい。
ぜひ、全文をお読みいただきたい。

このスニーカーを単品で見ると、正直なところカッコイイとは到底思えない。
各氏が指摘するようにダンロップのスニーカーにそっくりである。

ダンロップのスニーカーというのは世間的にどういう位置づけかというと、「安くてダサい」である。
そこら辺のイケてない初老のオッサンが靴流通センターあたりで1900円くらいで買ってきて普段履きしているダサいスニーカーというのが、一般人が抱くダンロップのスニーカーに対する普遍的なイメージである。

61-220-1

(我らがダンロップの代表的モデル)
http://item.rakuten.co.jp/mode-shoes/61-220/

おそらく、このスニーカーを激褒めしているファッソニスタたちに質問しても「ダンロップのスニーカーは安くてダサい」と答えるだろう。

しかし、よく似たデザインの蟹江敬三 カニエ・ウエストモデルは「カッコイイ」「オシャレ」だと評価する。

一般人からするとその判断基準が全く理解できないし、単なるダブルスタンダードだとしか思えないわけである。筆者もその判断基準は理解できない。

まあ、せいぜい、「アディダスだからだろうな」とか「蟹江・ウエストだからだろうな」という理由しか思い当たらず、似たようなデザインでも発売元が違えばOKなのかという根本的な疑問は残ったままである。

スニーカーに限らず、こういうことは多くある。
その判断基準がもう少し論理的・非感覚的にならなければ、ファッショニスタはますます一般人から隔離されたオタク化を深めることになるだけだろう。

それはさておき。

今までイケていたものがダサいとなり、ダサかったものがカッコイイとなることは、ファッションにおいてはよくある。

80年代にはイケてたケミカルウォッシュジーンズが、90年代半ばには「超ダサい」アイテムの代名詞になってしまった。
逆に今後、ダンロップのスニーカーがイケてると見られるようになる可能性もゼロではない。

2012年のまとめ記事だが、これが今現状のダンロップのスニーカーに対する大衆の評価である。

【徹底討論】 なぜお前らは自分の意思でダンロップの靴を選ぶのか
http://mudainodqnment.ldblog.jp/archives/1713810.html

ここではダンロップの愛好者はダンロッパーと総称されている。

今回のように予期せぬ形でダンロップのスニーカーが注目されると、同じ「安いダサい」カテゴリーの横並びブランドとして知られるブリヂストンとスポルディングのスニーカーにも脚光が浴びることがあるのかどうかが気になる。

愛好者数の多さと「安いダサい」度合の髙さでいくと、ダンロップに並ぶのがスポルディングとブリヂストンだと考えられる。

bri323-m1

(ブリヂストンはこんな感じ)

実は筆者も大学生のころ、近所の靴流通センターで1900円くらいで買った白のブリヂストンのスニーカーを愛用していた時期がある。

このブログの読者ならご存知だと思うが、筆者は大学を卒業するまでまるでファッションには興味がなく、母親に買い与えられたジャスコとイズミヤの1900円くらいの洋服で常に過ごしていた。
靴については今まで触れる機会がなかったが、靴ももちろん同じレベルだった。

買う場所はだいたいジャスコかイズミヤ、あとは近所にあった靴流通センターだった。

あと、そこら辺のモサっとした親爺が普段履きしているスポルディングのスニーカーもなかなか捨てがたい味わいがある。

ダンロップに続いてスポルディングやらブリヂストンやらのスニーカーが注目を集めるような驚天動地の事態が起きるかどうかに期待したい。




今春のワイドパンツは昔のように裾を引きずる長さはNG

 今日は柄にもなくトレンドのことでも書いてみようかと思う。

自分のオサレ度に自信を持っている人は男女を問わずちょっとめんどくさいと感じる。
なんだろうか、その自信に満ちた表情を何らかの形で踏みにじってやりたいなんて思うのはたぶん筆者の人間性が歪んでいるせいだろう。(笑)

それはさておき。

これまで細身のスキニーシルエット一辺倒だったパンツだが、一昨年くらいからワイドシルエットがトレンドに浮上してきた。
今年の春夏はそのワイドパンツ類の着用者がさらに増えそうな気配があり、各社ともワイドパンツの提案が増えている。

逆にスキニー人気もそこそこに根強く、先端ファッションブランドはどうだかしらないが、筆者が利用するマス層向けの店なら、スキニーがベースで、そこにワイドがプラスされる感じである。

こういうトレンドの話になると、太いか細いかに注目する人が業界内でも多いのだが、現在のトレンド傾向は、実は太くても細くても一つだけ変わらない部分がある。

それは「丈」である。
ジョーではない。カタカナにするとレングスである。
英語のスペルだとlength。

要するに丈の長さである。

スキニーシルエットが08年に主流となって以降、ズボンの丈は少し短めが主流になった。
真冬でもくるぶしが見えるくらいの丈が男女ともに主流になった。それは今も変わらない。

昔、といっても10年ほど前までは長らく「ズボンの丈は靴の上にワンクッション乗るくらいが最適」とされてきたが、スキニー全盛になり、その後、アンクル丈や7分丈ズボンが発売されたことによって、「靴の上ギリギリくらいのノンクッション丈」が新しいスタンダードになった。

筆者の親世代(70代)なら、「丈が短すぎる」と感じるだろうが、これが新しい標準になってすでに7年くらいが経過している。

元来、股下が短く、腰の位置が下についている人が多い日本人にとって、ワイドパンツは似合いにくいとされてきたし、筆者もそう感じる。
要するに短足にワイドパンツは似合わないことが多く、さらにいえば、ワイドパンツでワンクッションの丈の長さにしてしまえば、地面に裾を引きずるようになって見た目にもだらしなくなる。

だからという部分も含めて2008年以前のワイドパンツブームはどれもこれも業界が煽るほどには広がらずに、いつも一部の人たちだけのトレンドで終息してきた。

同じ着こなしなら、今回のワイドパンツブームもあまり広がらないと考えていたが、今回のワイドパンツは丈がノンクッションで短いのが主流である。
スキニーと丈の長さは同じなのである。
さらにいえば、裾が少し細くなったテイパードシルエットのほうがどんな人にも似あいやすい。

要するに、太さには違いがあるが、丈の長さは同じであり、同じ靴が着用できるということになる。

かつての丈長めのワイドパンツなら履く靴を変えなくてはならなかったが、今回のワイドパンツは履く靴は変えなくても良いということになる。

スキニーは丈が短いので靴底がフラットなスニーカーを合わせられるが、もし、丈の長いワイドパンツを穿くとスニーカーなら裾を引きずってしまう。
必然的に、男性ならかかとがついたワークブーツ類、女性ならかかとのあるヒールやパンプス類を合わせることになる。

しかし、今回のワイドパンツはくるぶしくらいまでの丈なのでスキニーと同じスニーカーを合わせることができる。

極論をいえば、今回のワイドパンツはスキニーの亜流・変型版ともいえるだろう。

先日、お邪魔したジョンブルの今春夏向け展示会でも、ゆとりのあるシルエットのパンツをくるぶし丈で提案しており、2005年当時の引きずるような丈の長さとは全く異なる。今後はこれが主流になると考えられる。

IMG_2456

(今春夏のジョンブルのワイドパンツ)

img10531474347

(2005年の裾を引きずるようなジーンズ)
http://www.rakuten.co.jp/joy/757113/767120/

ついでにいうと、春夏シーズンというのは体形が残念な男女にとって、ワイドパンツを合わせやすい季節でもある。

呼び名は様々あるが、大概の人がそれなりにカッコよく見える着こなしに3つのシルエットがある。

1、トップスがタイトでボトムスがワイド (Aライン)
2、トップスがタイトでボトムスもタイト (Iライン)
3、トップスがワイドでボトムスがタイト (YラインまたはVライン)

である。

逆によほど顔も体形も整っていないと難しいのが、上下ともにワイドなシルエットでそろえることである。
そこら辺の人間がやってしまえば、90年代のイケてないヒップホッパーみたいになってしまうことは間違いない。

で、ワイドパンツを合わせるには、トップスをタイトにするのがコツだが、秋冬だとダウンジャケットやら分厚いウールのコートやらで、トップスはもれなく膨れるのでワイドパンツを合わせることは容姿の残念な人は避けたほうが良い。

春夏だとトップスはカットソーやシャツ1枚になるので自然とコンパクトになるからワイドパンツを合わせてAラインを作りやすい。
容姿の残念な人は、トップスのシャツやカットソーをタイトなシルエットにすれば、少しはマシに見えるだろう。

そんなわけで容姿も頭髪も残念な筆者は、できるだけ無難な着こなしを心掛けたいと思う。




中高年男性はビッグシルエットの着用を避けるべき

 これまで続いたタイトシルエット、ジャストシルエットにも飽きが来たのか、ルーズなシルエット、ビッグシルエットが2015年ごろからトレンドに浮上してきた。

最初にレディースで動きがあり、メンズがそれに続いている。
マスを狙うユニクロでさえもカットソー(いわゆるTシャツ類ね)やトレーナー、セーターなどでビッグシルエットを打ち出しており、衣料品業界関係者はこの動きを見て「ユニクロでさえ発売し始めたのだから、このトレンドは定着化する」と指摘しているが果たしてそうだろうか?

男性、とりわけ中年・高年層がこのビッグシルエットを安易に取り入れるのは非常に危険だと個人的に見ている。
30代以上の男性がビッグシルエットを着こなすことは、若い男性よりも難しいと感じる。
また、男性の方が女性よりも全般的に年代を問わずビッグシルエットを着こなすことは難しいと感じる。

シルエットの変化について大雑把なおさらいをしてみよう。
80年代半ばからダボダボのシルエットのソフトスーツが流行となった。
カジュアルアイテムも軒並みゆったりシルエットになった。

90年代半ばまではその傾向は続いており、90年代後半からローライズジーンズが流行するにしたがって徐々に細身シルエットへと変わっていったが、当時は現在ほどストレッチ混素材が発達していなかったため、着用できる人は限られていた。
要するにスマートな人しかタイトシルエットの洋服は着られなかったということである。

そのうちにストレッチ混素材が普及するとともに2004年ごろ、エディ・スリマンがディオールのコレクションで超タイトシルエットを打ち出してから、タイトシルエットがマス化して定着した。

そして、現在、ビッグシルエットがトレンドに再浮上しているからエディ・スリマンから数えても12年目、その兆候が出始めたころから数えると、20年弱ぶりということになる。

今の若い世代はその前のビッグシルエットの時代を記憶にすらとどめていない世代だといえる。
だからビッグシルエットが「目新しい」と映るのである。

オッサン・オバハン世代からすれば「あ、ワシらが若いころに着ていた服やわ」ということで何の新鮮味も感じないのだが。

ビッグシルエットはひとまず復活を果たした。
現在のトレンドはタイトシルエットとビッグシルエットが混在しているというのが正しい姿だろう。

上下ともにビッグシルエットの洋服は着用しない。
そんなものは90年代のだらしないヒップホッパーだけで十分だ。

ビッグシルエットが復活したことで、今、店頭ではこんなセールストークが使われている。

「ゆったりしたシルエットなので着やすいですよ」
「ゆったりしたシルエットなので体型が隠れてスマートに見えます」
「ゆったりしたシルエットなので着る人を選ばずに誰でも似合います」

果たして本当だろうか?中高年男性でビッグシルエットが似合う人は恐ろしく少ないのが実情である。

ビッグシルエットの似合う順番でいえば、やせ形から普通体型に限定すると、

若い女性>中高年女性≧若い男性>>>>中高年男性

という順番になっている。中高年男性はビッグシルエットが最も似合いにくいと思う。

例えば、グローバルワークの写真で比較してみよう。

まず、ビッグシルエットのニット。正式には「7ゲージリブビッグニットプルオーバー」である。

item_742437_main_12_b

http://www.dot-st.com/globalwork/disp/CSfGoodsPage_001.jsp?ITEM_CD=742437


どうだろうか?比較的容姿が整ったモデルの男性が着て、このダボつきである。
容姿が整っておらず、中年太りした巷の中高年男性がこれを着るとどれほどダボついて見えるか想像は容易ではないか。

続いてジャストシルエット、ややタイトなシルエットのニットである。
正式名称は「ミラノリブカタボタンボーダープルオーバー」(長ッ)である。

item_737489_main_05_b

http://www.dot-st.com/globalwork/disp/CSfGoodsPage_001.jsp?ITEM_CD=737489

こちらはこの15年間ほど主流だったジャストサイズ、タイトシルエットのニットであり、ちょうど同じモデルさんが着用していて比較しやすいが、こちらの方が圧倒的にスマートに見えるのではないか?

くどいようだがもう一度並べるので見比べてもらいたい。

item_742437_main_12_b
item_737489_main_05_b

上の画像の方が太って見え、下の画像の方がスマートに見えるのではないか?

ビッグシルエットはたしかに着ていて楽だというメリットはあるが、よほどに容姿と体型が整っていないと着こなすことは難しい。

ビッグシルエットがなぜダボついて見えやすいか、なぜ太って見えやすいかということを考えたい。

まず、例えば先ほどのモデル男性を例にとって考える。

このモデル男性は中年太りしていない。お腹は出ていない。
タイトシルエット、ジャストシルエットならそれがわかる。
しかし、ビッグシルエットの場合、そのあたりはダボついていてわからない。
だから「ごまかせる」と考えられがちだが、逆にダボついているがために却って、お腹が出ているように感じられるのである。

また、肩幅が広くてお腹が出ていない格闘家体型の男性がビッグシルエットを着ると、広い肩幅でシルエットが固定されて、それがズドンと下まで続くので、却って太って見える。お腹が出ているか出ていないかはダボついたシルエットによってまったくわからなくなってしまう。

だから格闘家体型の男性はピタっとしたシルエットの服を着た方が、広い肩幅と引き締まった腹回りが強調されてスマートに見える。

次の落とし穴は、首の長さと顔の大きさ(輪郭のごつさ)である。

ビッグシルエットの場合、ウエストがどれだけ細く引き締まっていてもそれは外部からはわからない。
首が長くて顔の輪郭の小さい男性がビッグシルエットを着た場合、ビッグシルエットとのアンバランスさで、細さが際立つことになるが、首が短くて顔の輪郭がごつい男性が着た場合は、首と輪郭に引きずられて外部から見えない腹回りも、それなりにゴツいのではないかと、脳が勝手に想像する。

首が短くて顔の輪郭がデカい中高年男性はもっとも太って見えやすい。

仮にタイトシルエット、ジャストシルエットを着た場合は、顔がデカくて首が短くても、腹回りが細いことは簡単に外部から見える。よって、他人は「あ、首が短くて顔がデカいけど体は痩せている」ということが認識できるわけである。論理的にも視覚的にも。

ビッグシルエットの場合、体型が隠されているため他人からはその確認ができないのである。

だから肩幅が広くて首が短くて顔がデカいオッサンはスマートに見えたかったらビッグシルエットを着るのは避けて、タイトシルエット、ジャストシルエットを着るべきである。

ビッグシルエットは体型が隠れてしまうからこそ、首が長くて顔が小さくて肩幅が広すぎない、やせ形からスマートな体型の人間しか似合わないのである。

首が長くて顔が小さくて、肩幅があまり広すぎない体型の男性は残念ながらビッグシルエット以外の洋服も似合いやすい。人間は生まれながらにして不公平に作られているのである。

女性の方が男性よりも似合いやすいのも同じ理屈である。

女性は肩幅が狭い。
首の長短は様々あるが、顔の大きさは男性よりは小さい。
だからビッグシルエットを着ていてもそれなりにスマートに見える。

肩幅が広くて首が短くて顔がデカい男性がビッグシルエットのTシャツ類を無造作に着ていると、リングへ入場してくるプロレスラーか、休日の柔道家みたいに見えてしまう。

それに40代以上の中高年男性がビッグシルエットの服を着ると、新作を買ったように見えずに、バブル期に買った物をタンスの奥から引っ張り出してきたように見える。
これにセカンドポーチを小脇に抱えたら完璧にバブル期のオッサンが出来上がる。

「新作の洋服を買うオサレに敏感なオッサン」ではなく、「バブル期の服を今まで大切に保管していた物持ちの良いオッサン」になってしまう。

しかし、いくらタイトシルエット、ジャストサイズが理想といったところで、タイト過ぎればピチピチになりすぎて、「動物戦隊ジュウオウジャー」の変身後みたいになる。

66efe9d1gw1f0qpkjrklfj20hs0a0n0f-560x315

http://akkinews.net/archives/117821

極端なピチピチを避けつつも、ジャストシルエット、タイトシルエットを基本にワードローブをそろえた方が、中高年男性や容姿の整っていない男性は、まだマシに見える。

容姿の整っていない男性や中高年男性が、考えなしにビッグシルエットのトレンドに飛びつくのはかなり危険である。




小手先のトレンド論で売上高を大きく左右できた時代はすでに終わっている

 筆者が40代後半の感性の衰えたオッサンだからかもしれないが、ここ10年間くらいで、洋服において「これぞ画期的だ」というような新機軸のデザインやディテールは見たことがない。

コーディネイトや着こなしなんかではある。

例えば、インナーダウン。
これまでダウンジャケットといえば、アウターとして着る物だったが、薄手にしてジャケットの下に着るという発想である。
登山なんかでは当たり前だったが、これをカジュアルとして提案することは新しかった。
ユニクロのおかげなのか、最近ではおよそファッションとは縁遠い風貌のサラリーマンのオッサンでさえインナーダウンを着ている姿を見かける。

ただし、インナーダウンというコーディネイトもここまで行き渡れば、あとはひたすら商品の微細なマイナーチェンジを続けて何とか売り上げ維持を図るというのがアパレル業界の通例である。

しかし、商品の微細なマイナーチェンジを繰り返すことで売り上げを維持するという手法は、2000年ごろまでなら通用したが、現在では通用しなくなっている。

昨年買ったウルトラライトダウンと今年のウルトラライトダウンがどう違うのか?
物としてはまだ傷んでいないから今年も来年も再来年も着用できる。

いわく「色のトーンが少し変わりました」
いわく「スナップボタンの色を変更しました」
いわく「素材の光沢感を少し抑えました」
いわく「スナップボタンの材質を変えました」
いわく「着丈が1センチ長くなりました」

そんな微細なマイナーチェンジで「買おう」と思う消費者は今はほとんどいない。

可処分所得が減ったこともあるが、社会が成熟化しており、ほとんど変わらない商品を毎年わざわざ買い替えるような不合理な行動はとらない。

多くのアパレル、衣料品販売店はまだこのバブル期の発想のままだ。
微細な小手先の変化で何とか売り上げを作ろうとしており、その究極の発想が「他社の売れ筋を丸パクリする」ことである。

売れている商品を寸分たがわずコピーすれば自社の商品も同じくらい売れると思っている。

先日、関西で売れに売れており、業界で注目を集めている苦楽園のセレクトショップ「パーマネントエイジ」に4~5年ぶりに取材に伺った。

http://www.permanent-age.co.jp/

その取材内容はまた、ウェブメディア「インディペンド」に掲載するが、その中でパーマネントエイジの林行雄社長の言葉の中で印象的なものがあった。

https://independ.tokyo/

「今のアパレル業界は、ナイフとフォークで食べていたトンカツを『今季は箸で食べなさい。そうすれば美味しく感じるでしょう?』という小手先の変化に終始している」

という比喩で、「成熟化した社会ではそういうやり方では物は売れない」という指摘に続いた。

まったく上手い例えだと思うが、売れるようになるためにはトンカツそのものの味付けを変えるか、トンカツではない料理を出すかということが根本的な解決になるのに、そこに踏み込もうという企業、ブランドはあまり多くない。

以前にご紹介した河合拓氏の記事と同様の趣旨だ。

http://news.livedoor.com/article/detail/11470311/

先日、ある業界団体の討議会に参加した。アパレル業界をどうしてゆくべきかという議論が活発になされていたが、業界の常識にどっぷりつかった人は昔のフレームワークから抜け出せず、物事を「XXX系」という括りで語り、「この系」は流行る「この系」は廃れるという具合に昔から繰り広げられている「トレンド議論」を繰り返していた。

中略

「トレンド論」でなく「システム論」、「ビジネスモデル論」こそ重要なのである。分析の軸が間違っているのだ。

という内容で、国内のアパレル事業者にこの観点を持っている者はあまりにも少ない。

もちろん、大企業と町場の個人経営の洋服店が同様の手法で活性化することはないが、個人経営の洋服店がトレンドとかディスプレイとかの手法に特化して売上高を改善することは理解できるが、問題は大企業までもがいまだに同じ発想をしているということである。

大苦戦が続いているワールド、三陽商会、イトキンなどはその典型ではないか。

新ブランドや展示会の記事を読んでもほぼトレンド論に終始している。
トレンド論が正しいやり方であるなら、これまで何十年間もトレンド論に終始してきたアパレル企業がどうしてここまで凋落することになったのか。
そのことだけでもトレンド論だけでは通用しなくなったことを証明している。

トレンド論が無駄とは言わないが、商品トレンドだけで売れ行きを大きく左右できた時代はとっくに過ぎ去り、今後そういう時代に戻ることは二度とない。




1 / 2ページ

©Style Picks Co., Ltd.