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「奇抜な服装=個性」という考え方こそカビの生えたステレオタイプだ

 「お客は一定の水準を越えている商品ならどこの商品でも良い」という意味の発言があったがまさにその通りだと思う。いわゆる衣料品に対しても同じことである。

もちろん、こだわりの愛好者を否定するつもりはないし、それはそれで愛好者同士仲良くやってくれよという感じしかない。

例えば、先日プラモデルを作る際、セメダインがなくなってしまったことに気が付いた。
Amazonで調べると何種類か出てきた。
プロ級になると、「〇〇のセメダインは乾きが遅いから云々」とか「〇〇のセメダインはキレが悪いからどうのこうの」とか、それぞれのメーカーやブランドにこだわりがあるかもしれないが、こちとら、素人の暇つぶしの人間にとっては、タミヤだろうがGSIクレオスだろうが値段が手ごろで容量がそれなりにあればどれでも良いのである。

衣料品だってそんなもんだということである。

衣料品の場合、嗜好品みたいな部分もあるから、見た目にもいろいろと意見がわかれる。
重要なのは

1、見た目(デザインの良しあし、トレンドの再現度合い)
2、素材・縫製の品質
3、値段
4、ブランド名などから発せられるイメージ
5、着心地(着用時の感触、シルエットの良さ)
6、機能性(ストレッチとか暖かいとか防水とか)

の6点ではないかと思う。

このうちの3点がそろっていれば、人は合格点をつけるのではないかと思う。
3点+値段なら当方は合格点をつける。

80年代・90年代に売れに売れていたダイエーなどの総合スーパーの低価格衣料品は、値段という1点のみで評価されていた。
総合スーパーで90年代半ばに爆発的ヒットを飛ばした1900円の形態安定加工シャツは、値段と機能性の2点が評価されたといえる。

現在、日本国内はユニクロに席捲されているが、今のユニクロは1,2,3,6が評価されていて、人によっては5も評価しているのではないかと思う。
4がもっとも弱い部分だったがそれすら改善されつつある。

しかし、90年代後半のユニクロは、3だけの存在で、かろうじて人によっては2、6も評価していたという程度だった。

ユニクロ以外のH&M、ZARA、ジーユー、ハニーズ、ライトオン、アダストリア、無印良品などなど、今、国内でそれなりの評価を受けているブランドは、少なくとも3点以上は評価されているのではないかと思う。

そういうシェアを取っているブランドの多くは、見た目のデザインは悪くない。ただし、奇抜さはない。

デザイナーズブランドやかつての最先端ブランドは、見た目が奇抜なものが多かった。
今でも多いかもしれない。

が、そういう服は売れにくくなっている。
個人的には「当たり前やんけ」としか思わないが、ファッション業界人にとってはそれが大きな問題なようで、それに対する考察?が様々行われているが、どれもこれも自分らの利権擁護だとしか思えない。

2000年代前半までのような奇抜な服が売れにくくなったことを衣料品業界人は「問題だ」というが、当方は「当たり前」であり、「好ましいこと」ではないかと思う。
それだけ日本の消費者が成熟したといえるからである。

これは他のベテランも指摘されたことがあるが、日本で原宿系のような奇抜なファッションが生まれたのは、そもそも「日本には洋服の基本がない」からである。
明治に洋装令が施行され、突如流入した異文化であり、戦後さらに急激に再び流入して今に至る。

洋服の基本が染みついている欧米からああいう奇抜な服装が生まれなかったのは、ちょうど、日本から奇抜な着物ファッションが生まれないのと同様ではないかと思う。

日本の“Kawaii”はどこへ? 米「WWD」記者が見た今の東京とこれから
https://www.wwdjapan.com/455389

この記事の考察は半分くらい賛成できるが、コメントの多くを独立系若手デザイナーが出しており、その考え方と一般大衆との乖離にはすさまじいものがあると感じる。

例えば

一方坂部デザイナーは、「以前は、みんなそれぞれ人と違う個性を持っていた。でも今、個性的な服を着て渋谷や新宿を歩けば、恥ずかしい気持ちになるだろう。どんなファッションが正しくて何が間違っているかの感覚が、今の若者にはある」と、若者の傾向をインターネットいじめのせいだと分析する。

とあるが、20年前の若者(ちょうど当方前後の世代)にそんな「人と違う個性」なんてあったかというと疑問だ。
それに奇抜な服装をすることだけがどうして「人と違う個性」なのか。あまりに薄っぺらい見識ではないだろうか。

20年前、25年前の若者こそ「〇〇ブーム」で流されまくっていた。
トップガンを見たらMA-1を着込み、ビンテージジーンズが流行ったといっては、わけのわからん古着ジーンズを高値で買った「業界のカモ世代」である。

どんなファッションが正しいのか理解しているということは、消費者は成熟し、リテラシーが高まったということで、舶来コンプレックスの塊の業界人にとってはそれだけ欧米に近づいているのだから歓迎すべきではないのか。

何を言っているのかと思う。

そんなことを言っているからデザイナーズブランドが作る服は売れないのである。

「奇抜な服装をすること=個性」という考え方こそ、30年前のステレオタイプではないか。

元来、「ファッション」に疎く、ファッション業界の雰囲気が嫌いな当方には最後の締めも理解できない。

KAWIIに代わって、インテリが注目されるだろうとの見通しだが、インテリは一朝一夕で身につくものではない。
インテリ化するためにはそれなりの頭の良さが必要となる(学歴以外でも)。

それほど賢くない人が集まっているアパレル業界、その予備軍たちが容易くインテリ化できるようになるとはまったく思わない。

頭の悪いままで何かをこじらせて、偽善に縋りつくことになるのが落ちだろう。

もしくは見た目だけそれらしくするか。

今までの手法が通じなくなったことをグダグダと嘆くよりも、今の消費者に売れる商品を作ることに心血を注ぐべきではないか。
ファッションはアートではなく、ビジネスなのだから。
アートがやりたければアートとして活動し、ビジネス的成果を求めなければよいのである。
自分たちのアート的志向を変えることなく、それでいてビジネス的成果も得たいというのは、ちょっと虫が良すぎるのではないか。

だからファッション業界人は嫌いなんだよ。

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独立系デザイナーズブランドのゴールになるか?

 昨日の書いたことの延長線上なのだが、国内デザイナーズブランドを大手企業が買収することが増えてきた。

これは国内デザイナーにとっては喜ばしいことだと思う。
90年代後半のインディーズデザイナーズブーム以降、デザイナーズブランドにはゴールがなかった。

起業したのは良いけれど、そのあと、どうなったら「上がり」なのかが見えず、多くのデザイナーはエンドレスに活動を続けている。(していた)

当時は、大手アパレルの外注企画という仕事があったが、所詮は外注にすぎず、年間契約400万円程度で何年間か契約するだけのことで、そこからの飛躍はない。

下手をすれば1年で契約は打ち切られるから、自分のブランドが売れていないデザイナーにとっては死活問題となる。

当時、オリゾンティが外注企画ではなく、いくつかそういうブランドを抱え込んだが、売れずに早々に廃止している。

良いか悪いかは別にして、欧米だと、有名メゾン、有名ブランドがデザイナーやプロデューサーにそういう独立系デザイナーを高額な年俸で契約する。(年間400万円程度ではなく)
もちろん、契約は長く続く場合もあれば、数年で終わる場合もある。

しかし、数年で終わったところで、「〇〇ブランド前デザイナー」とか「〇〇ブランド元プロデューサー」という肩書が付いて回るから、それでビッグビジネスが展開できる。

これをゴールといえばいいのか、スタートといえば良いのかわからないが、一つの区切りにはなる。
次の明るい展開が待っている。

90年代後半以降の日本ではこういう事例はほとんどない。

デザイナー自身が経営者となって、ビッグブランドに育てれば良いとは思うが、それをできるデザイナーはほとんど見たことがない。
やっぱりデザイナーというのは多くの場合、デザイナーであり経営者ではない。

ファッション専門学校のデザイン学科やデザイン学部の生徒と接する機会があるが、やっぱり彼らは「クリエイト志向」だし、「物作り志向」だ。
学校もそれを良しとしている。

企業に就職して企業内デザイナーとなるならそれでも良いが、ファッション専門学校が看板にしている「デザイナーズブランドを立ち上げるデザイナー」を目指すなら、金勘定は必須だ。
むしろ金勘定の方が重要である。
金勘定のできる人間をパートナーとするなら話は別だが、多くのデザイナーはそうではないし、デザイナー志望学生もそういう発想はない。

なぜ、専門学校がそれを教えないのかが疑問である。

「夢」だけ語って食っていけるならこの世は天国だが、現実世界にそんな天国は存在しない。

逆にそんな天国を作りたいとも思わないが。

近年だと独力で成功したといえるデザイナーズブランドは、ミナペルホネンくらいだろうか。
日経BP社の「誰がアパレルを殺すのか」では、年商30億円・従業員150人とある。
年商30億円規模のデザイナーズブランドは国内では稀だ。

知名度だけは高い東京コレクション常連ブランドも実際の年商はトップクラスで3億~5億円程度しかなく、その他は年商1億円にも満たないものが多い。

年収5000万円なら大したものだが、年商5000万円ということは、ほとんど利益がないことになる。
そこに材料代、工賃、家賃、人件費、水道光熱費、電話代、備品代すべてが含まれるからだ。

しかし、そのミナペルホネンでさえ、年商30億円に対して従業員150人は多すぎるといわれる。
直営店を複数運営するからこその従業員の多さだろうが、人件費はどうなっているのかまったくの疑問でしかない。

まあ、いずれにせよ、ミナペルホネンに並ぶくらいの年商規模のデザイナーズブランドは国内にはほとんどないということに変わりはない。

そういうデザイナーズブランドに対して、アタッチメントやファセッタズムの大手企業による買収は、喜ばしいゴールが提示されたのではないかと思う。

大手企業に買収され、もしかすれば増資されて今までできなかったような新しい展開をすることができるかもしれない。
ビッグブランドに育って、デザイナー本人は巨額のカネを手にして引退でき、「豊かな老後」を迎えられる可能性も出てくる。

ゴールが見えなくてエンドレスに細々と活動し続けることは、若いうちなら良いかもしれないが、50歳・60歳が見えてきた人間にとっては無間地獄にも等しい拷問だろう。
実際に50歳手前の筆者はそういう心境であり、夢に見るのは、巨額のカネを手に入れて引退して「豊かな老後」を迎えることだけである。まあ、実現しそうにはないが。(笑)

今回の相次ぐ買収が成功するか失敗するかはわからない。
昨日も書いたように、そもそも国内に「高額デザイナーズブランド」への需要は限りなく少ない。
価格的にも商品的にも。

しかし、ある程度の実績が作れれば、これらに続く企業が生まれるだろう。
大手によるブランド買収が独立系デザイナーにとって一つのゴールになりえる可能性がある。
何とも喜ばしいことではないか。

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誰がアパレルを殺すのか
杉原 淳一
日経BP社
2017-05-25


誰がアパレルを殺すのか
杉原 淳一
日経BP社
2017-05-25


国内デザイナーズブランドのビジネス化は本当に難しいと感じる

 「アタッチメント」「ファセッタズム」など最近、いわゆるデザイナーズブランドの買収がパラパラと起きている。
個人的には、デザイナーズブランドにとって企業に買収されるということは、非常に幸運なことではないかと思って見ている。

あ、そういえば「ケイタマルヤマ」もマミーナが展開するようになった。

一方で「アウラ」を展開していたコードナインは経営破綻となった。

国内デザイナーズブランドは、90年代後半からビジネスとして確立できることが非常に難しいと感じる。

売り上げ規模が増えれば何でもよいというわけではないが、売上高が極小のままでは、生活自体が立ち行かない。

「売上高じゃなくて利益だ」という声を聴くことがあるが、利益額が売上高以上になることは絶対にない。
どんなに利益率が高くても100%は越えられない。

例えば、売上高が100万円しかないのに、利益額を500万円にすることは不可能だ。

利益額500万円が欲しければ売上高を最低でも500万円には引き上げないといけない。
利益率100%として500万円だから、現実的に利益率100%なんていう商売はないから、500万円の利益が欲しければ少なくとも600万円以上は売らねばならないことになる。

売上高じゃなくて利益が重要というのは、それなりに売上高が稼げている企業にだけ当てはめられる言葉で、売れてないブランドはまず売上高を増やすことが重要になる。

現実的に多くのデザイナーズブランドは売れていない。
知名度が高いブランドでも売上高は極めて少ない。

以前に、このブログで「まとふ」について書いたことがあるが、卸売り先が5店舗くらいしかないということは、売上高はかなり少ないと考えられる。
まったくの推測だが年商は5000万円くらいが上限ではないのか。

「ファセッタズム」の買収額はたったの4182万円だった。
通常の「ブランド」として考えると、知名度からすると、その買収額は破格に安いといえる。

記事の中には前の所有会社の経営が悪化したためで、ファセッタズムのせいではないというような内容のものがあったが、買収額はその企業なりブランドなりの外部評価だから、ファセッタズムはその程度の評価しか外部からは、受けられなかったということになる。

自分と仲間数人で売上高が3億円あって、それなりに利益も確保できているからそれで十分というデザイナーズブランドも一部にはある。
それはそれで結構なことで、そういう生き方もある。

ただ、そういう立ち位置に昇れるデザイナーズブランドは極めて少なく、簡単になれるものではない。

逆に「もっと売上高を拡大して第二のギャルソン、サカイを目指すぜ!」というなら、自力では不可能なので資金力のある企業に買収してもらうほかない。

そもそも、国内デザイナーズブランドの需要というのは、日本国内では極めて小さいと見ている。
間違ってはいけないのは、日本国内の内需やアパレル市場規模が小さいというわけではない。
縮小し続けてはいるが、日本のアパレル市場規模は世界でも上位にランクインする。
そうでなくては、欧米ブランドやアジアブランドがわざわざ日本市場へ進出するはずがない。
彼らは儲からないことが一目瞭然な国には絶対に進出しない。
彼らは慈善団体ではなく、利潤追求団体だからだ。

そういう国内市場規模でも、国内デザイナーズブランドに対する需要は極めて小さいと感じる。

なぜなら、日本人の消費者も業界人も極めて舶来コンプレックスが強いから、高額なブランドを買うなら、まずは
欧米ブランドということになってしまう。
そして、手が届きやすい中価格の国内ブランドということになるが、この場合は、いわゆる国内企業や国内ファクトリーブランドがその対象となる。

さらにお手軽なのが、デザイン面で向上した低価格ブランド、グローバルSPAなどということになる。

国内デザイナーズブランドは、価格的には国内企業ブランドやファクトリーブランドよりも上だから、競合するなら欧米ブランドということになり、消費者心理的にも支持が得られにくい。

また、商品のテイスト・デザイン的にも企業ブランドやファクトリーブランドよりもトガっている、変テコりん、だからマスには支持されにくいし、そういう服を買ったところで着ていく場所、シチュエーションもない。

となると、圧倒的に企業ブランドやファクトリーブランドの方が使い勝手が良い。
または低価格ブランドの方が使い勝手が良くてしかも安い。

じゃあ、デザイナーズブランドをビジネス的に拡大するためには、広く世界に売って、薄く広く利益と売上高を稼ぐほかないのではないかと思う。

日本も含めてどこか特定の国だけで売上高を大きく増やすことは難しい。
なぜなら、日本も含めてどこの国も富裕層の人口は少数で限られているからだ。
欧米ラグジュアリーブランドと殴り合ってでもその少数の富裕客を強奪しなくてはならない。

だから、個人経営よりも大手資本に買収された方がやりやすい。

ただし、これまでのデザイナーズブランドの買収の多くは上手くいかなかった。

90年代のオリゾンティしかり、つい最近までの興和しかり、である。

90年代後半のインディーズデザイナーズブームなんて単なるあだ花に終わってしまった感がある。

このあたりの理屈をデザイナーズブランド側も飲み込んで、ビジネスと開発(クリエーションという言葉は嫌いなので)のバランスを取らないと、いくら大企業に買収されてもブランドとして成長することはありえないのではないかと思う。

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若手デザイナーは大手セレクトショップや百貨店との取引を志向すべきではない

 昔は若手デザイナーと知り合う機会が多かった。
90年代後半は独立系デザイナーブームがあったから独立するデザイナーが多かった。
独立したデザイナーはだいたい同年輩か少し年上だったから、いろいろと話を聞いた。

オッサンになるとあまり知り合う機会がないし、こちらもあまり独立系デザイナーに興味がないから積極的に取材はしない。
それでもたまに知り合うこともある。
今、知り合うデザイナーたちは自分よりもはるかに年下で、中には自分の息子とさほど年齢の変わらない人もいる。(笑)

ビジネス的に上手く行っているデザイナーもいるが、大半以上の若手デザイナーは窮乏している。
40代前後のデザイナーでも上手くいっていない人が多いという感触がある。

さて、そんな中、先日、ある若手デザイナーと話す機会があった。

ちらっと販路についての意見を求められたのだが、やっぱり若いだけあって現実を把握できていないという印象を受けた。

若手デザイナーは、大手セレクトショップや有名百貨店との取引を目標に活動をしていたというのだが、残念ながらその目標が達成される可能性は極めて低い。

もし、同じ目標を持っていて窮乏している若手デザイナーがいるなら、その目標は変更すべきだとお伝えしたい。

なぜなら、大手セレクトショップも有名百貨店も若手デザイナーズブランドを積極的に取り入れられる体制にはなっていないからだ。
まず、大手セレクトショップから見て行こうか。

ユナイテッドアローズ、ビームス、ジャーナルスタンダード、エディフィス、ナノユニバース、トゥモローランドなどなどという大手セレクトショップがあるが、彼らは洋服に関しては自社企画製品比率が平均して8割から9割に達している。
よく、新聞記事などで「自社製品比率は7割」とか「6割」とか書かれているが、それは靴やバッグ、帽子などの雑貨を含めているから自社製品比率が下がっているのである。
靴やバッグ、帽子などの雑貨は他社からの仕入れブランドが多い。

一方、洋服に関しては8割以上が自社製品であり、仕入れ品はほんの1割程度しかない。
仕入れ品は「目玉商品」や「見せ玉」がほとんどで、主力となる売れ筋商品は自社製品である。

となると、さほど知名度のない若手デザイナーズブランドがその中に割って入ることは不可能に近い。
見せ玉は有名ブランド、著名ブランド、有力ブランドに決まっている。

極端な言い方をすると、「有名なあの〇〇ブランドの商品も並べている我がセレクトショップはオシャレな雰囲気でしょ?」とアピールするための「見せ玉」なのである。
これが無名なデザイナーズブランドに置き換わるはずがない。

大手セレクトショップ各社は、すでに疑似SPA業態になっている。この認識をしっかり持つべきである。

次に有名百貨店を見よう。

百貨店は商品を仕入れる際、買い取らず、ほとんどが委託販売であることは有名であり、事実である。
平場と呼ばれる売り場を委託商品で埋めている。
他方、平場以外は各ブランドの直営店がテナントとして入店している。

資本力に乏しい若手デザイナーズブランドが直営店を出店することは不可能である。
どこぞの金持ちを親族に持っているなら別だが。

つぎに、平場に仕入れてもらうにしても委託である。
そうすると、期末には売れ残った商品が返品される。
資本力に乏しいブランドがその返品に耐えられるだろうか。

有名百貨店と取引ができるとするなら、催事、ポップアップショップがせいぜいである。

ポップアップショップは1週間ほどの期間だし、売れ残ったらすべて返品されるとはいえ、投入する商品枚数も知れている。
売上高の3割から4割を百貨店にもっていかれるが、事前に出店費用を払う必要もない。

伊勢丹新宿店や阪急うめだ本店などの有名百貨店なら、ポップアップショップを開催することは宣伝広告の代わりにもなる。

だから開催しても損はない。

しかし、開催するなら、年1回か2回にとどめておくのが適切だろう。

年に5回も6回も開催すれば、儲けが少なくデザイナー側が疲弊してしまう。
なにせ売上高の3割から4割は百貨店にもっていかれるのだから。
また商品がその都度返品されるからその在庫を抱えるという危険もある。

さらに開催するためには商品が必要だからその分製造しなくてはならない。
製造すれば製造費が必要になる。

だから百貨店と付き合いたいなら、ポップアップショップを年に2回開催するのがせいぜいだろう。

若手デザイナーが卸売り先を探したいのであれば、以前に比べると随分と数は減ったが、地方の有力専門店にアプローチをかけるべきである。

地方の有力専門店も自社企画商品を作っているケースが増えたが、それでもまだ大手セレクトほどには疑似SPA化していない。十分に入るチャンスはある。
また百貨店のような委託販売ではなく買い取りの場合も多い。

地方の有力専門店は大手セレクトや百貨店ほど知名度がないから探しづらいかもしれないが、いろいろな人に教えてもらってアプローチをする必要がある。

いくら、作っている物が良かろうが、斬新であろうが、売り込む先を間違えれば1枚も売り場には並ばない。

業界の現実をしっかりと把握して、活動してもらいたい。




量産既製服は「作品」などではなくすべて「商品」である

 アパレル・ファッション業界にはアートへの劣等感をこじらせたのか、やたらと「作品」と呼びたがるアートスト気取りの人がいて、苦笑・失笑・冷笑を禁じ得ない。

量産既製服は工業製品であり、すべからく「商品」である。

何をもって「作品」、「商品」と区別するのかは個人によって定義が異なるだろうが、すくなくとも量産工業品は「作品」ではないという部分は多くの人が共通している認識だろう。

洋服において「作品」たりえるのは、オートクチュールか、もしくは個人で独創的なオーダーを受けた場合くらいだと考えるのが正常な思考だろう。

こんな書き込みが流れてきて唖然としたことがあるのだが、

ブランドが卸売りをすれば「商品」だが、直営店で販売すれば「作品」だ

と。

え?何を言っているのかまるでわからない。
この論法で行くなら、ルイ・ヴィトンが心斎橋の交差点にある直営店で販売しているのは「作品」ということになる。
そのとなりのディーゼルの直営店も「作品」になるし、横断歩道を渡った対面にあるシャネルも「作品」を販売していることになる。

さらにいうなら、自社企画商品を直営店のみで販売しているユニクロとジーユーも作品になるし、H&MもZARAもGAPも作品になる。

どうしてそういう思考になるのか理解ができない。

アパレル・ファッション業界には芸術やらクリエイティブやらに劣等感を抱いている人がかなりいて、そういう人たちの多くが「作品」を作りたがる。

まあ、趣味でならいくらでも「作品」とやらを作ってもらって結構なのだが、仕事として「作品」作りに心血を注がれると困る。
アパレルビジネスは売れてナンボ、儲けてナンボだから、売れない・儲けられない「作品」は不要で、売れて儲かる「商品」が必要なのである。

もちろん、全ブランドがユニクロのように国内売上高8000億円を実現する必要はない。

例えば、社員10人が世間平均以上の給料を安定的にもらえる売上高が5億円なら、それを維持することが目的でもかまわない。

「売上高より利益」とは言われるが、売上高が100万円もなければいくら無駄を省いたところで手元に残る利益なんて雀の涙ほどになる。

売上高が100万円なのに利益は1000万円なんてことは絶対に実現不可能である。

だから最低限の売上高が確保できるような「売れる商品」作りが必要不可欠となる。

デザインには客観性、機能性の実現が求められるが、アートは主観のみで製作できる。
自分の主観丸出しで製作したければアートを目指すべきなのであり、その代わりにアートは売れないと覚悟を決めなくてはならない。
なぜなら、主観丸出しで機能性も考慮されていないような物体を欲しがる人間なんてそんなに存在しない。
売れる可能性は極めて低いということだ。

世のデザイナー、パタンナー、それを目指す専門学校生は履き違えていないか?

長年、5店舗ほどにしか卸売りをしていなくて、どうやって生計を立てているのかよく分からないブランドも業界には存在する。
しかしそういうブランドの多くは親や配偶者が資産家で、そこから資金が常時流入してくるから、そういう採算度外視の洋服を長年製作し続けられるのである。
これは「作品」「アート」に近いといえる。(全然、その「作品」は欲しくないけど)

親や配偶者が資産家でなければ、そういうことを許してくれる資産家をパトロン、パトロネージとして探さなくてはならない。

「作品」が作りたい人はぜひそういう努力をしてもらいたい。

ただ、長年「作品」作りをしてきたブランド主宰者が、ビジネスを語りだしたのなら、その主宰者は自分の置かれた立場をまるで理解していないということになる。
単なる金持ちの趣味の道楽だったということである。

「作品」を作ろうが「商品」を作ろうがそれは個人の自由だが、自分の置かれた立場を理解せずに、量産品従事者が「作品」を志向してみたり、「作品」を作ってきた人がビジネスを語ったりするのは滑稽だし、世間のミスリードを引き起こしてしまう。

このあたりがごちゃ混ぜになっていることもアパレル・ファッション業界の混迷が続く一因になっているのではないだろうか。



独立系若手ファッションデザイナーを取り巻く厳しい状況

 昨年末に30歳前後くらいの若い独立系デザイナーにお会いする機会があった。
またこの18年間くらい変わらずに交流してもらっているベテランデザイナーもいる。

一方、10年位前に異業種へ転身した元デザイナーとも久しぶりに会う機会があった。

今年47歳になるオッサンとしては同年輩から上の独立系ファッションデザイナーと、30歳前後の若手デザイナーを比べると、彼らを取り巻く環境の一つが大きく変わっていることが気になる。

40代前後から上の世代の独立系デザイナーは、若い時分はほぼ全員が大手アパレルや大手セレクトショップの外注デザインを手掛けていた。
自身のブランドの服なんてそんなに売れるわけもないから、外注デザインこそが彼らの実際の生活を支えていたといえる。

実際に18年間変わらない付き合いをしてもらっているベテランデザイナーは、「独立した直後から10年間、大手セレクトショップと外注デザイナーの契約をしてきた。年間数百万円レベルの契約金だったので、ブランドが軌道に乗るまでそれで生活を賄えたことは大きかった」と話してくれたことがある。

異業種に転身した元デザイナーも「現役時代は大手アパレルの外注を何社か受け持っており、それで生活が賄えていた」と以前話してくれた。

ところが、最近の若手デザイナーと話しているとこの「外注デザイン」なるものが話題の上ることが極端に少ない。
ほぼないといえる。

もちろん、これは筆者の狭い身の回り調査なので、実態はそうではないのかもしれない。
また、筆者がそこまで話を聞き出せていないだけかもしれない。

そういう可能性は否定できないのだが、どうも「外注デザイン」なるものの需要が減っているのではないかと感じられてならない。

外注デザインとは、大手アパレルや大手セレクトショップが自社オリジナル品を企画する際に、その商品デザインを社外に外注するというシステムで、90年代後半~2005年ごろまではこの外注を実際の生活の糧にしている独立系デザイナーは多かった。知っている範囲の独立系デザイナーはほぼ例外なくこの外注デザインで生活を賄っていた。

外注デザインなるものの需要が減っている理由は2つあると思っている。

1つは、大手アパレルが軒並み不振なため、外部デザイナーへの契約金が捻出できないこと

もう1つは、デザイン作成から業務を請け負うODM企業が業界内に増えたこと

この2つではないかと思っている。

先日、某ODM企業の展示ルームにお邪魔した。
大手アパレルや大手セレクトショップに納める商品が展示されている。
完成度はそれなりに高く、ライトオンスデニム生地のワンピースが1950円で納品されることに驚きを隠せなかった。
おそらく納入先の店頭では少なくとも1万円前後で売られると考えられる。

たった1950円でこれほどの商品が製造できてしまうところが驚きである。
1950円で納品するということは、当たり前だが製造原価は工賃を含めてもそれより安い。
一体いくらで作っているのかということになる。
しかもクオリティはそれなりに高い。

高品質低価格もここまで極まったかという感じがする。

こういうODM企業は決して珍しいわけではなく業界では普通に掃いて捨てるほどある。

これほど安く高品質商品がODM業者を使えば作れるのなら、身元があやふやな独立系デザイナーにそれなりに高い金を払って商品デザインを外注する必要もない。

またODM企業は、デザイン起こしだけでなく、生産管理も自社で行うし、検品も行う。
独立系デザイナーは生産管理は行わず、デザインを渡すだけになる。

どちらが企業にとって使い勝手が良いかというとODM企業になる。

それにしても「外注デザイン」の需要が減少していると思われる分だけ、今の若手独立系デザイナーは昔よりも厳しい立場での操業を余儀なくされているといえる。
製造加工業者が生き残りのためには自立化が必要だが、独立系若手デザイナーも「外注デザイン」という下請け仕事が望みにくくなっているため、自立化が必要不可欠といえる。

それには昔ながらのファッションデザインという業務の在り方から外れた手段を採る必要があるのではないか。

いやはや、難しい時代である。




アパレル企業のデザイナーの技量は極度に低下してしまった

 普段は、物作りも重要だが、売り方の工夫も重要ということを書いている。
しかし、それは物作りの技術が一定の水準を満たしているという前提があってこそだ。

アパレル不振はさまざまな原因があるが、企画・デザイン担当者の劣化ということもあるのではないかと感じる。
アパレル企業が経費削減を目的として、外部にデザイン・企画を丸投げにし始めたのは90年代くらいからだと、業界ではいわれている。

バブル崩壊、拓銀・山一ショックを経て、その丸投げ度合いは強まる一方だった。

2000年代に入ると、丸投げはさらに強まり、OEM(生産請負)は当たり前、ODM(デザインからの請負)も当たり前、OBM(ブランド設計からの請負)まで登場して、じゃあアパレル側は金を払うだけかよという状況にまで堕ちた。

この丸投げ度合いに比例して、デザイン企画担当者の技能も落ちに落ちている。
そういう意味では今の若いデザイン企画担当者は、入社直後からODM、OBMが当たり前の環境にあるため、デザイン企画の技能が伸びるはずもなく、学生時代レベルにとどまっているのは当然であり、見方によっては彼らも被害者だともいえる。

近年、瀧定やタキヒヨー、サンウェルなどの大手生地問屋が展示会に製品のサンプルを展示することが増えたが、それはアパレルのデザイン企画担当者が生地を見てどんな製品を作ったら良いのか想像できなくなったからだ。

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(瀧定名古屋の2017冬素材展示会に出品された製品サンプル)

生地を洋服にまで仕立ててそれを展示する。そうするとその生地はよく売れるそうで、最近ではその製品サンプル自体を何十枚と発注するアパレルも珍しくない。
最早、考える力を捨て去っていると言っても言い過ぎではないだろう。

先日、ニット生地をいろいろと見ていた。
だいたい、30~40センチくらいの各種編地を見せて、それを元にアパレルや雑貨ブランドから受注をもらうのだが、ニットの業界もブランドのデザイン企画担当者の劣化が止まらないそうだ。

マフラー・ストール担当デザイナーという名刺を持った人間が堂々と「30センチくらいの編地を見ただけではマフラーの完成図が想像できないから、180センチの長さまで編んで、先端にはフリンジを付けてほしい」と寝言を言ったそうだ。

180センチの長さでフリンジまでついていたら、それは生地サンプルではなく、製品であり完成品そのものである。
なら、このマフラー・ストール担当デザイナーなんて存在自体が不要ではないか。
この生地屋にデザイン企画から丸投げしてしまえば、無能なデザイナーの人件費も削減できるではないか。

あと、恥ずかしげもなく、サンプル生地を見て、生地屋や糸商社に「柄は同じで、ほかの配色も考えてくれ」とか「柄は同じで、違う配色を15種類作って見せてくれ」と堂々と妄言を吐くデザイナーや企画担当者も珍しくない。

いやいや、その「ほかの配色」を考えるのがデザイナーや企画担当者の仕事であり、それを生地屋や原料メーカーに求めてどうするのか?

だったら、そんな無能なデザイナーや企画担当者の存在理由はない。
全員解雇したほうが人件費を削減できてアパレル、ブランド側も利益が確保できるだろう。

いまや、ド素人でも金さえ払えばオリジナル製品が簡単に作れてしまうほど、繊維業界の業界インフラは整備されている。
このことが、もともと低かったアパレル業界への参入障壁をさらに低くして、もはや無いのと同じ状況になってしまった。

メリットとしては常に新しいプレイヤーが参戦できて業界に流動性が生まれるということだが、デメリットにはデザイナーや企画担当者の技能が極度に劣化してしまったことが挙げられる。

まあ、そんな似非デザイナー、パクリエイターが闊歩する業界が作った製品が売れないのは不思議でもなんでもなく、むしろ当然といえるだろう。




ド素人の身内にデザインを任せて産地企業のブランド化はいつも失敗する

 産地企業も純然たる下請けでは生き延びることができないので続々と自社ブランドを開発するようになっている。
で、先日、業界紙でそんな特集を読んだ。

記事の内容はまあ可もなく不可もなく、がんばってくださいねという感想しかないが、商品写真を見たところかなり「???」という感じを受けた。
もちろん、撮影が悪いことも考えられる。
また印刷されたのでそれによって見栄えが悪くなったことも考えられる。

もしかしたら実物はかなり良い感じなのかもしれない。

しかし、画像を見ただけの感想でいうなら、ちょっと購買してもらうのは難しいんじゃないかと感じる商品が多かった。

画像を見た感じだと、素人のデザイン画に基づいて素人が縫製したようだった。

ここからは完全に推測だが、商品デザインをもしかしたら工場のオッサンとかにいちゃんがやっていないか?

あと、このブランドのターゲットは?コンセプトは?テイストは?価格帯は?
工場の社長とかオッサンとかが思い付きで設定していないか?練られたものとは到底思えなかった。

多くの繊維の製造加工業者は「物」にはいくらでも金を支払うが、「形のない物」には1万円の金だって支払いたがらない。
ここでいう「形のない物」とはデザインだったり広報だったりブランドプロデュースだったりマーケティングだったりのことを指す。
これらはオリジナル商品を販売するにおいて必ず必要となる要素である。

けれども手に取って見られるような「物」ではない。

1台何千万円、何億円もするような機械を買うことにあまり躊躇はしない。
知っている範囲でいうと、かなり気軽に機械を買う。

が、デザイナーに支払う1万円は異様に惜しがる。どうせ毎晩酒を飲みに行って何万円も支払っているんだからそれをデザイナーのギャラに回せばよいと思うのだが、そうではないようだ。
このあたりの産地のおっさんのメンタルはまるっきり理解不能である。理解したいとも思わないが。

それはさておき。

ブランドスタート時にデザインのプロを使わないことで、当初の投資額は下げられるかもしれないが、走り始めてからの修正に次ぐ修正にかかるコストを考えると、どちらがお得なのかちょっとわからなくなる。
もしかしたら、素人デザインで素人製作から始まって何年も修正し続けていく方がトータルコストは高いのではないかと最近思い始めている。

また素人デザインで始めたことによってブランドがビジネス規模に育つまでの長い月日を考えるとこれもかなり無駄ではないかと思える。

プロを適切に使えば、その半分の年数でビジネス規模に育つ可能性が高い。

このあたりのコスト総額は算出するのが難しいが、実際のところ、開始当初にデザイナー費をケチることがそんなにお得だとは思えない。

それにしてもこういう話は10年前からあって今もまったく変わっていない。

某染工場がデザイナーと契約してオリジナル柄を開発し、その柄を使ったオリジナル製品を作ったことがある。
もう10年前のことだ。

ところが2年目くらいに助成金が切れたのか、彼らが想像したほど(かなり過大な期待を抱いていたっぽい)売れなかったからか、デザイナーとの契約をやめて自社で図柄開発をすると言い出した。

だれが図柄を開発するかというと、ド素人たる社長の息子である。
サンプルを見せてもらったことがあるが、近所のオッサンが描いた落書きと同レベルだった。

これをいろいろな展示会に出品したが、ド素人の落書きが施された商品が受注されるはずもなく、いつの間にかこっそりひっそりブランドは終わっていた。

こんなことをやっている工場は今でも珍しくない。

どうすれば成功するのかということをまとめることは難しいし、その通りにやっても成功するとは限らない。
ユニクロと同じことを今から別の会社がやったって成功するとは限らないのである。

しかし、こうやれば失敗するというノウハウは100%外れない。

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし、である。

こういう産地企業の失敗事例は掃いて捨てるほどあり、どれもこれも同じような理由で失敗している。
産地企業同士の情報網でそういう失敗事例は即座に広まるはずである。
どうして繰り返される失敗事例に学ばないのか。

そういう産地企業のメンタルは本当に不可解で理解不能である。

「形のない物に金は払いたくない」という産地特有のメンタリティーはそろそろ矯正すべきである。
そうでなければ何百年やったって自社ブランド開発なんてできっこない。





産地とデザイナーの協業が成功しにくい理由

 昨今では産地企業とデザイナーの協業が増えてきたが、だからといってデザイナーを起用した産地ブランドが成功する確率はあまり高まっていないと感じられる。
もとからすごく成功するという案件ではなかったが、今もその確率はそんなに高まっておらず、従来レベルのままではないかと感じられる。

さて、産地とデザイナーの協業について繊研新聞などでも折に触れられているが、某ベテランデザイナーからは「そんな取り組みは20年前も30年前にもあったけど、どれもほとんどものにならずに終わっているだけ」と辛辣だがなかなか適切な意見をいただいたことがある。

この某ベテランは、筆者よりも年上でおそらく60歳前後だと思われる(正確な年齢を知らない)が、過去に産地企業とのコラボや産地展示会のディレクションを行ったことがある。
実体験に基づいての意見だといえる。

20年以上前のこの業界の実情は知らないが、18年前に業界新聞に入ったときにはすでに、産地とデザイナーの協業はあった。
例えば、産地展示会でデザイナーブランドのファッションショーを開催したり、そのデザイナーが産地で新規開発された特別な生地を使ったりしていた。
90年代後半にはすでにそういう取り組みがあって、成果がほとんど出ていないが、現在まで連綿と続いてきた。
ベテランがいうように、この18年間だけを見ても別に珍しい取り組みではない。

ではなぜデザイナーを起用した産地企業のブランド作りは成果が出ない場合が多いのか。

産地企業や産地全体のブランド会議に何度か出席した経験上からいうと、大きく2つの理由がある。

1、産地企業や産地がデザイナーに丸投げをしすぎている
2、デザイナー側の能力不足

この2つが絶妙なバランスで混然一体となって不幸な結果を招くケースがほとんどである。

まず1である。
産地や産地企業に多いのが「売れるデザインにしてよ」なんていうあいまいな仕事の発注の仕方である。

いやいや、オッサンよ、ブランドコンセプトは?ターゲットは?販路は?テイストは?

これらがクリアにならないとデザイナーはデザインができない。
これらの組み立てまでデザイナーに丸投げするということだろうか?
それならデザイナーの職分ではなく、もはやプロデューサーである。

ブランドを立ち上げたいのだったら、嘘でも仮でも事業主がそのあたりは提示しなくてはならない。
デザイナーとの話し合いの結果修正されるのは構わないが、すべてを最初から丸投げというのはあまりにも無責任である。
丸投げということはデザイナーに全権委任することになるから、デザイナーが好き勝手なデザインを上げても文句は言えない。
それで文句を言うなら、「お前が自分でやれよ」って話になる。

次に2である。

デザイナーという人々は「売ること」にすごく長けていない場合が多い。もちろん例外はいる。
マーケティングとかほとんど気にしていない(ように見える)人も多い。

まあ、ニーズを聞いて追随するのは賢い戦略ではないが、かといって「ニーズを作ってやるぜ」なんてことは、挑戦することを否定はしないが並みの人間には不可能だ。
で、多くのデザイナーの場合、「ニーズを作る」能力に関しては並みの人間と変わらない人が多いように感じる。あくまでも体感的にだが。

変に意気込んでマーケティングに基づかないでモノを作ると、なんやよく分からない独りよがりの製作物が出来上がってしまったりする。

自分の趣味の範疇でやるなら大いにけっこうだが、一応売り物を目指しているならそれはどうかと思う。
あくまでも「デザイン」だから「アート」ではないわけで、売り物にしなくてはならない。
デザインはあくまでも客観性・機能性が求められる。主観的で良いのはアートだけである。

また、「こういうものを作るのはどうでしょう?」という提案の際に具体的なプレゼン物があまりない。
けっこう口先だけで説明する人もいる。

これまで存在しなかったものをプレゼンする際、言葉だけで相手を納得させるのは不可能である。
これまでの見分の範疇から外れたものを人は理解しない。
その範疇外のものをどうやって理解させるのかがプレゼンのコツになる。

そのコツに対しては様々な意見があろうが、先日ご紹介したカルチュアコンビニエンスクラブの増田社長のお言葉を拝借すると、

・リアル化
・実績を示す

が重要になる。

デモ版とかサンプルとか画像とかそういう「リアル化」である。
で、そういう似たような事例を展開した結果どうなったかという「実績」を示す。
自分の過去の実績でも良いだろう。あんまり実績を盛り過ぎると繊維・ファッション業界に跳梁跋扈するアレオレ詐欺になるからご注意を。

これで相手は理解が深まりやすくなる。
もちろん百発百中ではないが、命中精度はこれまでよりは高まるだろう。

デザイナーと産地との協業、デザイナーを起用しての産地ブランド作り、いずれの動きも否定しないし、これでもそれなりに応援はしているつもりだが、以上のようなことをデザイナー、産地側ともに念頭に置いて活動を見直してみてはどうか?

おそらくこれまでよりは成功確率が高まると思うのだが。


情報デザインの想像力―イメージの史学
藤本 貴之
プレアデス出版
2005-02


小規模ブランドが集まって素材を共通化して製造コストを引き下げてはどうか?

 以前、このブログで、小規模アパレルやインディーズ系デザイナーズブランドは何社か素材を共通化して、製造コストを下げることを模索するべきではないかと書いたことがある。

先日、現在抱えている仕事の一環で、ベテラン有名デザイナー(本人は中堅とおっしゃっていたが)とお会いした。
このデザイナーの実際の商品を見たことがある人はあまり多くはないように思うが、名前を聞いたことがある人は多いのではないかと思う。
それくらいには有名でありベテランであるデザイナーである。

その人がその場で、

自分も含めて今のデザイナーズブランドは、企業規模が成長する見通しが立たない。
企業規模が成長しないことには、生地も縫製もミニマムロットに達することができずにアップチャージで割高な生産体制になってしまう。
そのため店頭販売価格が高くなり、さらに売れないという状況が繰り返されている。

と指摘した。
そこで、その解決策として、

いくつかの小規模ブランドが集まって、使用素材を共通化するとか、原料の仕入れを共通化することで製造コストを下げ、店頭販売価格を引き下げることで、販売数量の拡大を目指すべきではないか。

との方策を示された。
これに対しては、以前にも同意見を書いたことがあるので、非常に現実的な方策だと評価して賛同したい。

蛇足ながら付け加えると、何もユニクロばりの2000円とか3000円の商品を作ろうということではなく、5万円の商品を25000円にできるのではないかという話である。

クリエイター系の人と考えがかみ合わないのは、生地も縫製もミニマムロットにはるかに達しないがために工賃のアップチャージが繰り返され、販売価格が高騰するということに対して、危機感を持っていない人が多い点である。

10万円のジーンズが製造されたとして、もし、多くの消費者に10万円のジーンズを買うほどの可処分所得があったとして、無名のブランドの10万円のジーンズを買うだろうか。
おそらくほとんどの人が買わないと思う。

同じ10万円のジーンズを買うならプラダやグッチのジーンズを買うのではないか。

なぜなら、

1、ステイタス性があるから
2、ブランドへの信用度が高いから
3、他者から称賛される可能性が高いから

である。

無名のデザイナーズブランドの10万円のジーンズにこの3つが備わっているだろうか?
3つとも備わっていないと言えるのではないか。

そのブランドの熱烈なファン以外、ステイタス性は感じないだろう。

筆者がブランド主宰者なら例えば2万円台に販売価格を引き下げることを検討する。

いくら「素晴らしい物です」とか「こだわって作ってます」と言ったところで、多くの人にとって10万円という価格はポンと出せる金額ではない。
そういう人の人数は限られている。

だったらもう少し買いやすい価格帯を模索すべきで、3000円とか4000円の値付けを模索する必要はないが、1万円台・2万円台で販売できるモノづくりを考えるべきではないかと思う。

デビュー以来変わらず懇意にしてもらっている、スー・ヒライというブランドがある。

http://www.si-hirai.com/

いつの間にか18年くらいのお付き合いになっている。

このデザイナーの平井達也さんが、3~4年くらい前、こんなことを言った。

「スプリングコートみたいな薄手のコートを59000円とか60000円台とかで値付けしているインディーズ系デザイナーズブランドが多いが、それでは売れにくいと思う。彼らの薄手コートが異様に高価格なのは製造枚数が少なすぎることでアップチャージが発生しているからで、それは販売側の論理で消費者には関係ない。それにその値段を支払うなら、多くの消費者は有名海外ブランドで買う。だからぼくは使用素材のクオリティを少し下げてでも29000円くらいで販売できるようにモノづくりをする」と。

この考えには非常に共感した。

冒頭のデザイナーも含め、こういう視点がないとインディーズ系とか小規模ブランドの商品は売れにくいと思う。

一方で、大手生地問屋のタキヒヨーとか瀧定あたりから引っ張ってきたのか、ワールドとイトキンとタカキューがまったく同じ色使いのチェック柄シャツを販売していることがある。
店頭販売価格は4000円~7000円くらいだ。

こういうのは、消費者としてはちょっと萎えてしまう。
おそらく偶然に不可抗力的に重なったのかもしれないが、逆にこの3社が「製造コスト引き下げのために素材を共通化しました」くらいの発表をすればかっこいいが、偶然重なりましたというのでは、安い素材を選んだからたまたま重なってしまったように見えてしまう。(たぶんこちらが実情)
それでは消費を喚起できない。

だから、特徴のある柄の素材は共通化する必要はないが、無地のベーシックな生地とかダウンジャケットに使用するダウン(羽毛)だとか、そういう部分の共通化は模索すべきではないか。

「海外ラグジュアリーブランドと同等のステイタス性と信用度がある」と考えているブランドは、どうぞご自身の思う道(そちらは獣道だが)を突っ走ってもらえば良いが、そうでないなら、ちょっと真剣に考えてみてはどうか。

そうすることで、小規模ブランドやインディーズ系ブランドの売り上げ規模が拡大できる可能性が少しは高まるのではないか。

ただ、問題はその「共通化」の旗振り役を誰がやるかである。
出たがり・やりたがりの人は多いが、多くの場合は「俺が俺が」が強すぎて人望がまるでなかったりする。
またこれまでの実績が単なる虚名に過ぎない場合も多く、実働させてみるとさっぱり業務が進まないことも珍しくない。こういうのをアレオレ詐欺というのであるが、その輩は業界に掃いて捨てるほどいる。

そのあたりの旗振り役を誰がやるのかが実現できるかどうかのカギになるだろう。




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