南充浩の繊維産業ブログ

ファッションブログ・・・・と言いたいところだけれどもそこまでファッションに特化していないし、能力的にもできない。そこで繊維製造業、産地、アパレルメーカー、小売店など幅広く繊維産業全般についてぼちぼちと書きます。たまにマスコミ、経済問題についても書く予定。よろしくお付き合いください。 お仕事の依頼は minami_mitsuhiro@yahoo.co.jp まで。

繊維業界新聞の記者としてジーンズ業界を、紡績、産地、アパレルメーカー、小売店と川上から川下まで担当。 同時にレディースアパレル、子供服、生地商も兼務した。退職後、量販店アパレル広報、雑誌編集を経験し、雑貨総合展示会の運営に携わる。その後、ファッション専門学校広報を経て独立。 現在、記者・ライターのほか、広報代行業、広報アドバイザーを請け負う。

デザイナー

「奇抜な服装=個性」という考え方こそカビの生えたステレオタイプだ

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 「お客は一定の水準を越えている商品ならどこの商品でも良い」という意味の発言があったがまさにその通りだと思う。いわゆる衣料品に対しても同じことである。

もちろん、こだわりの愛好者を否定するつもりはないし、それはそれで愛好者同士仲良くやってくれよという感じしかない。

例えば、先日プラモデルを作る際、セメダインがなくなってしまったことに気が付いた。
Amazonで調べると何種類か出てきた。
プロ級になると、「〇〇のセメダインは乾きが遅いから云々」とか「〇〇のセメダインはキレが悪いからどうのこうの」とか、それぞれのメーカーやブランドにこだわりがあるかもしれないが、こちとら、素人の暇つぶしの人間にとっては、タミヤだろうがGSIクレオスだろうが値段が手ごろで容量がそれなりにあればどれでも良いのである。

衣料品だってそんなもんだということである。

衣料品の場合、嗜好品みたいな部分もあるから、見た目にもいろいろと意見がわかれる。
重要なのは

1、見た目(デザインの良しあし、トレンドの再現度合い)
2、素材・縫製の品質
3、値段
4、ブランド名などから発せられるイメージ
5、着心地(着用時の感触、シルエットの良さ)
6、機能性(ストレッチとか暖かいとか防水とか)

の6点ではないかと思う。

このうちの3点がそろっていれば、人は合格点をつけるのではないかと思う。
3点+値段なら当方は合格点をつける。

80年代・90年代に売れに売れていたダイエーなどの総合スーパーの低価格衣料品は、値段という1点のみで評価されていた。
総合スーパーで90年代半ばに爆発的ヒットを飛ばした1900円の形態安定加工シャツは、値段と機能性の2点が評価されたといえる。

現在、日本国内はユニクロに席捲されているが、今のユニクロは1,2,3,6が評価されていて、人によっては5も評価しているのではないかと思う。
4がもっとも弱い部分だったがそれすら改善されつつある。

しかし、90年代後半のユニクロは、3だけの存在で、かろうじて人によっては2、6も評価していたという程度だった。

ユニクロ以外のH&M、ZARA、ジーユー、ハニーズ、ライトオン、アダストリア、無印良品などなど、今、国内でそれなりの評価を受けているブランドは、少なくとも3点以上は評価されているのではないかと思う。

そういうシェアを取っているブランドの多くは、見た目のデザインは悪くない。ただし、奇抜さはない。

デザイナーズブランドやかつての最先端ブランドは、見た目が奇抜なものが多かった。
今でも多いかもしれない。

が、そういう服は売れにくくなっている。
個人的には「当たり前やんけ」としか思わないが、ファッション業界人にとってはそれが大きな問題なようで、それに対する考察?が様々行われているが、どれもこれも自分らの利権擁護だとしか思えない。

2000年代前半までのような奇抜な服が売れにくくなったことを衣料品業界人は「問題だ」というが、当方は「当たり前」であり、「好ましいこと」ではないかと思う。
それだけ日本の消費者が成熟したといえるからである。

これは他のベテランも指摘されたことがあるが、日本で原宿系のような奇抜なファッションが生まれたのは、そもそも「日本には洋服の基本がない」からである。
明治に洋装令が施行され、突如流入した異文化であり、戦後さらに急激に再び流入して今に至る。

洋服の基本が染みついている欧米からああいう奇抜な服装が生まれなかったのは、ちょうど、日本から奇抜な着物ファッションが生まれないのと同様ではないかと思う。


日本の“Kawaii”はどこへ? 米「WWD」記者が見た今の東京とこれから
https://www.wwdjapan.com/455389

この記事の考察は半分くらい賛成できるが、コメントの多くを独立系若手デザイナーが出しており、その考え方と一般大衆との乖離にはすさまじいものがあると感じる。

例えば

一方坂部デザイナーは、「以前は、みんなそれぞれ人と違う個性を持っていた。でも今、個性的な服を着て渋谷や新宿を歩けば、恥ずかしい気持ちになるだろう。どんなファッションが正しくて何が間違っているかの感覚が、今の若者にはある」と、若者の傾向をインターネットいじめのせいだと分析する。

とあるが、20年前の若者(ちょうど当方前後の世代)にそんな「人と違う個性」なんてあったかというと疑問だ。
それに奇抜な服装をすることだけがどうして「人と違う個性」なのか。あまりに薄っぺらい見識ではないだろうか。

20年前、25年前の若者こそ「〇〇ブーム」で流されまくっていた。
トップガンを見たらMA-1を着込み、ビンテージジーンズが流行ったといっては、わけのわからん古着ジーンズを高値で買った「業界のカモ世代」である。

どんなファッションが正しいのか理解しているということは、消費者は成熟し、リテラシーが高まったということで、舶来コンプレックスの塊の業界人にとってはそれだけ欧米に近づいているのだから歓迎すべきではないのか。

何を言っているのかと思う。

そんなことを言っているからデザイナーズブランドが作る服は売れないのである。

「奇抜な服装をすること=個性」という考え方こそ、30年前のステレオタイプではないか。



元来、「ファッション」に疎く、ファッション業界の雰囲気が嫌いな当方には最後の締めも理解できない。

KAWIIに代わって、インテリが注目されるだろうとの見通しだが、インテリは一朝一夕で身につくものではない。
インテリ化するためにはそれなりの頭の良さが必要となる(学歴以外でも)。

それほど賢くない人が集まっているアパレル業界、その予備軍たちが容易くインテリ化できるようになるとはまったく思わない。

頭の悪いままで何かをこじらせて、偽善に縋りつくことになるのが落ちだろう。

もしくは見た目だけそれらしくするか。

今までの手法が通じなくなったことをグダグダと嘆くよりも、今の消費者に売れる商品を作ることに心血を注ぐべきではないか。
ファッションはアートではなく、ビジネスなのだから。
アートがやりたければアートとして活動し、ビジネス的成果を求めなければよいのである。
自分たちのアート的志向を変えることなく、それでいてビジネス的成果も得たいというのは、ちょっと虫が良すぎるのではないか。

だからファッション業界人は嫌いなんだよ。


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独立系デザイナーズブランドのゴールになるか?

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 昨日の書いたことの延長線上なのだが、国内デザイナーズブランドを大手企業が買収することが増えてきた。

これは国内デザイナーにとっては喜ばしいことだと思う。
90年代後半のインディーズデザイナーズブーム以降、デザイナーズブランドにはゴールがなかった。

起業したのは良いけれど、そのあと、どうなったら「上がり」なのかが見えず、多くのデザイナーはエンドレスに活動を続けている。(していた)

当時は、大手アパレルの外注企画という仕事があったが、所詮は外注にすぎず、年間契約400万円程度で何年間か契約するだけのことで、そこからの飛躍はない。

下手をすれば1年で契約は打ち切られるから、自分のブランドが売れていないデザイナーにとっては死活問題となる。

当時、オリゾンティが外注企画ではなく、いくつかそういうブランドを抱え込んだが、売れずに早々に廃止している。

良いか悪いかは別にして、欧米だと、有名メゾン、有名ブランドがデザイナーやプロデューサーにそういう独立系デザイナーを高額な年俸で契約する。(年間400万円程度ではなく)
もちろん、契約は長く続く場合もあれば、数年で終わる場合もある。

しかし、数年で終わったところで、「〇〇ブランド前デザイナー」とか「〇〇ブランド元プロデューサー」という肩書が付いて回るから、それでビッグビジネスが展開できる。

これをゴールといえばいいのか、スタートといえば良いのかわからないが、一つの区切りにはなる。
次の明るい展開が待っている。

90年代後半以降の日本ではこういう事例はほとんどない。

デザイナー自身が経営者となって、ビッグブランドに育てれば良いとは思うが、それをできるデザイナーはほとんど見たことがない。
やっぱりデザイナーというのは多くの場合、デザイナーであり経営者ではない。

ファッション専門学校のデザイン学科やデザイン学部の生徒と接する機会があるが、やっぱり彼らは「クリエイト志向」だし、「物作り志向」だ。
学校もそれを良しとしている。

企業に就職して企業内デザイナーとなるならそれでも良いが、ファッション専門学校が看板にしている「デザイナーズブランドを立ち上げるデザイナー」を目指すなら、金勘定は必須だ。
むしろ金勘定の方が重要である。
金勘定のできる人間をパートナーとするなら話は別だが、多くのデザイナーはそうではないし、デザイナー志望学生もそういう発想はない。

なぜ、専門学校がそれを教えないのかが疑問である。

「夢」だけ語って食っていけるならこの世は天国だが、現実世界にそんな天国は存在しない。

逆にそんな天国を作りたいとも思わないが。

近年だと独力で成功したといえるデザイナーズブランドは、ミナペルホネンくらいだろうか。
日経BP社の「誰がアパレルを殺すのか」では、年商30億円・従業員150人とある。
年商30億円規模のデザイナーズブランドは国内では稀だ。

知名度だけは高い東京コレクション常連ブランドも実際の年商はトップクラスで3億~5億円程度しかなく、その他は年商1億円にも満たないものが多い。

年収5000万円なら大したものだが、年商5000万円ということは、ほとんど利益がないことになる。
そこに材料代、工賃、家賃、人件費、水道光熱費、電話代、備品代すべてが含まれるからだ。

しかし、そのミナペルホネンでさえ、年商30億円に対して従業員150人は多すぎるといわれる。
直営店を複数運営するからこその従業員の多さだろうが、人件費はどうなっているのかまったくの疑問でしかない。

まあ、いずれにせよ、ミナペルホネンに並ぶくらいの年商規模のデザイナーズブランドは国内にはほとんどないということに変わりはない。


そういうデザイナーズブランドに対して、アタッチメントやファセッタズムの大手企業による買収は、喜ばしいゴールが提示されたのではないかと思う。


大手企業に買収され、もしかすれば増資されて今までできなかったような新しい展開をすることができるかもしれない。
ビッグブランドに育って、デザイナー本人は巨額のカネを手にして引退でき、「豊かな老後」を迎えられる可能性も出てくる。

ゴールが見えなくてエンドレスに細々と活動し続けることは、若いうちなら良いかもしれないが、50歳・60歳が見えてきた人間にとっては無間地獄にも等しい拷問だろう。
実際に50歳手前の筆者はそういう心境であり、夢に見るのは、巨額のカネを手に入れて引退して「豊かな老後」を迎えることだけである。まあ、実現しそうにはないが。(笑)

今回の相次ぐ買収が成功するか失敗するかはわからない。
昨日も書いたように、そもそも国内に「高額デザイナーズブランド」への需要は限りなく少ない。
価格的にも商品的にも。

しかし、ある程度の実績が作れれば、これらに続く企業が生まれるだろう。
大手によるブランド買収が独立系デザイナーにとって一つのゴールになりえる可能性がある。
何とも喜ばしいことではないか。



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誰がアパレルを殺すのか
杉原 淳一
日経BP社
2017-05-25



誰がアパレルを殺すのか
杉原 淳一
日経BP社
2017-05-25



国内デザイナーズブランドのビジネス化は本当に難しいと感じる

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 「アタッチメント」「ファセッタズム」など最近、いわゆるデザイナーズブランドの買収がパラパラと起きている。
個人的には、デザイナーズブランドにとって企業に買収されるということは、非常に幸運なことではないかと思って見ている。

あ、そういえば「ケイタマルヤマ」もマミーナが展開するようになった。

一方で「アウラ」を展開していたコードナインは経営破綻となった。

国内デザイナーズブランドは、90年代後半からビジネスとして確立できることが非常に難しいと感じる。

売り上げ規模が増えれば何でもよいというわけではないが、売上高が極小のままでは、生活自体が立ち行かない。

「売上高じゃなくて利益だ」という声を聴くことがあるが、利益額が売上高以上になることは絶対にない。
どんなに利益率が高くても100%は越えられない。

例えば、売上高が100万円しかないのに、利益額を500万円にすることは不可能だ。

利益額500万円が欲しければ売上高を最低でも500万円には引き上げないといけない。
利益率100%として500万円だから、現実的に利益率100%なんていう商売はないから、500万円の利益が欲しければ少なくとも600万円以上は売らねばならないことになる。

売上高じゃなくて利益が重要というのは、それなりに売上高が稼げている企業にだけ当てはめられる言葉で、売れてないブランドはまず売上高を増やすことが重要になる。

現実的に多くのデザイナーズブランドは売れていない。
知名度が高いブランドでも売上高は極めて少ない。

以前に、このブログで「まとふ」について書いたことがあるが、卸売り先が5店舗くらいしかないということは、売上高はかなり少ないと考えられる。
まったくの推測だが年商は5000万円くらいが上限ではないのか。

「ファセッタズム」の買収額はたったの4182万円だった。
通常の「ブランド」として考えると、知名度からすると、その買収額は破格に安いといえる。

記事の中には前の所有会社の経営が悪化したためで、ファセッタズムのせいではないというような内容のものがあったが、買収額はその企業なりブランドなりの外部評価だから、ファセッタズムはその程度の評価しか外部からは、受けられなかったということになる。


自分と仲間数人で売上高が3億円あって、それなりに利益も確保できているからそれで十分というデザイナーズブランドも一部にはある。
それはそれで結構なことで、そういう生き方もある。


ただ、そういう立ち位置に昇れるデザイナーズブランドは極めて少なく、簡単になれるものではない。


逆に「もっと売上高を拡大して第二のギャルソン、サカイを目指すぜ!」というなら、自力では不可能なので資金力のある企業に買収してもらうほかない。


そもそも、国内デザイナーズブランドの需要というのは、日本国内では極めて小さいと見ている。
間違ってはいけないのは、日本国内の内需やアパレル市場規模が小さいというわけではない。
縮小し続けてはいるが、日本のアパレル市場規模は世界でも上位にランクインする。
そうでなくては、欧米ブランドやアジアブランドがわざわざ日本市場へ進出するはずがない。
彼らは儲からないことが一目瞭然な国には絶対に進出しない。
彼らは慈善団体ではなく、利潤追求団体だからだ。

そういう国内市場規模でも、国内デザイナーズブランドに対する需要は極めて小さいと感じる。

なぜなら、日本人の消費者も業界人も極めて舶来コンプレックスが強いから、高額なブランドを買うなら、まずは
欧米ブランドということになってしまう。
そして、手が届きやすい中価格の国内ブランドということになるが、この場合は、いわゆる国内企業や国内ファクトリーブランドがその対象となる。

さらにお手軽なのが、デザイン面で向上した低価格ブランド、グローバルSPAなどということになる。

国内デザイナーズブランドは、価格的には国内企業ブランドやファクトリーブランドよりも上だから、競合するなら欧米ブランドということになり、消費者心理的にも支持が得られにくい。

また、商品のテイスト・デザイン的にも企業ブランドやファクトリーブランドよりもトガっている、変テコりん、だからマスには支持されにくいし、そういう服を買ったところで着ていく場所、シチュエーションもない。

となると、圧倒的に企業ブランドやファクトリーブランドの方が使い勝手が良い。
または低価格ブランドの方が使い勝手が良くてしかも安い。

じゃあ、デザイナーズブランドをビジネス的に拡大するためには、広く世界に売って、薄く広く利益と売上高を稼ぐほかないのではないかと思う。

日本も含めてどこか特定の国だけで売上高を大きく増やすことは難しい。
なぜなら、日本も含めてどこの国も富裕層の人口は少数で限られているからだ。
欧米ラグジュアリーブランドと殴り合ってでもその少数の富裕客を強奪しなくてはならない。

だから、個人経営よりも大手資本に買収された方がやりやすい。

ただし、これまでのデザイナーズブランドの買収の多くは上手くいかなかった。

90年代のオリゾンティしかり、つい最近までの興和しかり、である。

90年代後半のインディーズデザイナーズブームなんて単なるあだ花に終わってしまった感がある。

このあたりの理屈をデザイナーズブランド側も飲み込んで、ビジネスと開発(クリエーションという言葉は嫌いなので)のバランスを取らないと、いくら大企業に買収されてもブランドとして成長することはありえないのではないかと思う。




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若手デザイナーは大手セレクトショップや百貨店との取引を志向すべきではない

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 昔は若手デザイナーと知り合う機会が多かった。
90年代後半は独立系デザイナーブームがあったから独立するデザイナーが多かった。
独立したデザイナーはだいたい同年輩か少し年上だったから、いろいろと話を聞いた。

オッサンになるとあまり知り合う機会がないし、こちらもあまり独立系デザイナーに興味がないから積極的に取材はしない。
それでもたまに知り合うこともある。
今、知り合うデザイナーたちは自分よりもはるかに年下で、中には自分の息子とさほど年齢の変わらない人もいる。(笑)

ビジネス的に上手く行っているデザイナーもいるが、大半以上の若手デザイナーは窮乏している。
40代前後のデザイナーでも上手くいっていない人が多いという感触がある。

さて、そんな中、先日、ある若手デザイナーと話す機会があった。

ちらっと販路についての意見を求められたのだが、やっぱり若いだけあって現実を把握できていないという印象を受けた。

若手デザイナーは、大手セレクトショップや有名百貨店との取引を目標に活動をしていたというのだが、残念ながらその目標が達成される可能性は極めて低い。

もし、同じ目標を持っていて窮乏している若手デザイナーがいるなら、その目標は変更すべきだとお伝えしたい。

なぜなら、大手セレクトショップも有名百貨店も若手デザイナーズブランドを積極的に取り入れられる体制にはなっていないからだ。
まず、大手セレクトショップから見て行こうか。

ユナイテッドアローズ、ビームス、ジャーナルスタンダード、エディフィス、ナノユニバース、トゥモローランドなどなどという大手セレクトショップがあるが、彼らは洋服に関しては自社企画製品比率が平均して8割から9割に達している。
よく、新聞記事などで「自社製品比率は7割」とか「6割」とか書かれているが、それは靴やバッグ、帽子などの雑貨を含めているから自社製品比率が下がっているのである。
靴やバッグ、帽子などの雑貨は他社からの仕入れブランドが多い。

一方、洋服に関しては8割以上が自社製品であり、仕入れ品はほんの1割程度しかない。
仕入れ品は「目玉商品」や「見せ玉」がほとんどで、主力となる売れ筋商品は自社製品である。

となると、さほど知名度のない若手デザイナーズブランドがその中に割って入ることは不可能に近い。
見せ玉は有名ブランド、著名ブランド、有力ブランドに決まっている。

極端な言い方をすると、「有名なあの〇〇ブランドの商品も並べている我がセレクトショップはオシャレな雰囲気でしょ?」とアピールするための「見せ玉」なのである。
これが無名なデザイナーズブランドに置き換わるはずがない。

大手セレクトショップ各社は、すでに疑似SPA業態になっている。この認識をしっかり持つべきである。

次に有名百貨店を見よう。

百貨店は商品を仕入れる際、買い取らず、ほとんどが委託販売であることは有名であり、事実である。
平場と呼ばれる売り場を委託商品で埋めている。
他方、平場以外は各ブランドの直営店がテナントとして入店している。

資本力に乏しい若手デザイナーズブランドが直営店を出店することは不可能である。
どこぞの金持ちを親族に持っているなら別だが。

つぎに、平場に仕入れてもらうにしても委託である。
そうすると、期末には売れ残った商品が返品される。
資本力に乏しいブランドがその返品に耐えられるだろうか。

有名百貨店と取引ができるとするなら、催事、ポップアップショップがせいぜいである。

ポップアップショップは1週間ほどの期間だし、売れ残ったらすべて返品されるとはいえ、投入する商品枚数も知れている。
売上高の3割から4割を百貨店にもっていかれるが、事前に出店費用を払う必要もない。

伊勢丹新宿店や阪急うめだ本店などの有名百貨店なら、ポップアップショップを開催することは宣伝広告の代わりにもなる。

だから開催しても損はない。

しかし、開催するなら、年1回か2回にとどめておくのが適切だろう。

年に5回も6回も開催すれば、儲けが少なくデザイナー側が疲弊してしまう。
なにせ売上高の3割から4割は百貨店にもっていかれるのだから。
また商品がその都度返品されるからその在庫を抱えるという危険もある。

さらに開催するためには商品が必要だからその分製造しなくてはならない。
製造すれば製造費が必要になる。

だから百貨店と付き合いたいなら、ポップアップショップを年に2回開催するのがせいぜいだろう。

若手デザイナーが卸売り先を探したいのであれば、以前に比べると随分と数は減ったが、地方の有力専門店にアプローチをかけるべきである。

地方の有力専門店も自社企画商品を作っているケースが増えたが、それでもまだ大手セレクトほどには疑似SPA化していない。十分に入るチャンスはある。
また百貨店のような委託販売ではなく買い取りの場合も多い。

地方の有力専門店は大手セレクトや百貨店ほど知名度がないから探しづらいかもしれないが、いろいろな人に教えてもらってアプローチをする必要がある。

いくら、作っている物が良かろうが、斬新であろうが、売り込む先を間違えれば1枚も売り場には並ばない。

業界の現実をしっかりと把握して、活動してもらいたい。








量産既製服は「作品」などではなくすべて「商品」である

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 アパレル・ファッション業界にはアートへの劣等感をこじらせたのか、やたらと「作品」と呼びたがるアートスト気取りの人がいて、苦笑・失笑・冷笑を禁じ得ない。

量産既製服は工業製品であり、すべからく「商品」である。

何をもって「作品」、「商品」と区別するのかは個人によって定義が異なるだろうが、すくなくとも量産工業品は「作品」ではないという部分は多くの人が共通している認識だろう。

洋服において「作品」たりえるのは、オートクチュールか、もしくは個人で独創的なオーダーを受けた場合くらいだと考えるのが正常な思考だろう。

こんな書き込みが流れてきて唖然としたことがあるのだが、

ブランドが卸売りをすれば「商品」だが、直営店で販売すれば「作品」だ

と。

え?何を言っているのかまるでわからない。
この論法で行くなら、ルイ・ヴィトンが心斎橋の交差点にある直営店で販売しているのは「作品」ということになる。
そのとなりのディーゼルの直営店も「作品」になるし、横断歩道を渡った対面にあるシャネルも「作品」を販売していることになる。

さらにいうなら、自社企画商品を直営店のみで販売しているユニクロとジーユーも作品になるし、H&MもZARAもGAPも作品になる。

どうしてそういう思考になるのか理解ができない。

アパレル・ファッション業界には芸術やらクリエイティブやらに劣等感を抱いている人がかなりいて、そういう人たちの多くが「作品」を作りたがる。

まあ、趣味でならいくらでも「作品」とやらを作ってもらって結構なのだが、仕事として「作品」作りに心血を注がれると困る。
アパレルビジネスは売れてナンボ、儲けてナンボだから、売れない・儲けられない「作品」は不要で、売れて儲かる「商品」が必要なのである。

もちろん、全ブランドがユニクロのように国内売上高8000億円を実現する必要はない。

例えば、社員10人が世間平均以上の給料を安定的にもらえる売上高が5億円なら、それを維持することが目的でもかまわない。

「売上高より利益」とは言われるが、売上高が100万円もなければいくら無駄を省いたところで手元に残る利益なんて雀の涙ほどになる。

売上高が100万円なのに利益は1000万円なんてことは絶対に実現不可能である。

だから最低限の売上高が確保できるような「売れる商品」作りが必要不可欠となる。

デザインには客観性、機能性の実現が求められるが、アートは主観のみで製作できる。
自分の主観丸出しで製作したければアートを目指すべきなのであり、その代わりにアートは売れないと覚悟を決めなくてはならない。
なぜなら、主観丸出しで機能性も考慮されていないような物体を欲しがる人間なんてそんなに存在しない。
売れる可能性は極めて低いということだ。

世のデザイナー、パタンナー、それを目指す専門学校生は履き違えていないか?

長年、5店舗ほどにしか卸売りをしていなくて、どうやって生計を立てているのかよく分からないブランドも業界には存在する。
しかしそういうブランドの多くは親や配偶者が資産家で、そこから資金が常時流入してくるから、そういう採算度外視の洋服を長年製作し続けられるのである。
これは「作品」「アート」に近いといえる。(全然、その「作品」は欲しくないけど)

親や配偶者が資産家でなければ、そういうことを許してくれる資産家をパトロン、パトロネージとして探さなくてはならない。

「作品」が作りたい人はぜひそういう努力をしてもらいたい。

ただ、長年「作品」作りをしてきたブランド主宰者が、ビジネスを語りだしたのなら、その主宰者は自分の置かれた立場をまるで理解していないということになる。
単なる金持ちの趣味の道楽だったということである。

「作品」を作ろうが「商品」を作ろうがそれは個人の自由だが、自分の置かれた立場を理解せずに、量産品従事者が「作品」を志向してみたり、「作品」を作ってきた人がビジネスを語ったりするのは滑稽だし、世間のミスリードを引き起こしてしまう。

このあたりがごちゃ混ぜになっていることもアパレル・ファッション業界の混迷が続く一因になっているのではないだろうか。





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