南充浩の繊維産業ブログ

ファッションブログ・・・・と言いたいところだけれどもそこまでファッションに特化していないし、能力的にもできない。そこで繊維製造業、産地、アパレルメーカー、小売店など幅広く繊維産業全般についてぼちぼちと書きます。たまにマスコミ、経済問題についても書く予定。よろしくお付き合いください。 お仕事の依頼は minami_mitsuhiro@yahoo.co.jp まで。

繊維業界新聞の記者としてジーンズ業界を、紡績、産地、アパレルメーカー、小売店と川上から川下まで担当。 同時にレディースアパレル、子供服、生地商も兼務した。退職後、量販店アパレル広報、雑誌編集を経験し、雑貨総合展示会の運営に携わる。その後、ファッション専門学校広報を経て独立。 現在、記者・ライターのほか、広報代行業、広報アドバイザーを請け負う。

産地

製造加工業者は「物作り」と同じ熱量を「販促」にも費やせ

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 下請け受注の減少から、自社オリジナル製品の開発を始めた製造加工業者は少なくない。
今では産地企業のブランドも珍しくない。

しかし、その多くはなかなかうまく離陸しない。

その理由は大雑把にいって2つある。

1、商品自体のデザインが良くない
2、商品は良いが売り方・見せ方・伝え方・パッケージが良くない

この2つある。

1が起きる背景には、デザインという「形のない物」に金を払いたくないという製造加工業者特有のメンタリティが働くことがある。
デザイナーへの支払いをケチるあまりに、社内や身内の素人にデザインさせてしまうことがある。
それが成功する場合もあるが、多くの場合は素人は素人であり、売り物のレベルには達していない。

物そのものが良くないのだから、売れなくて当然である。

問題は2の場合だ。
物そのものはそこそこの出来であるのに、売り方・見せ方・伝え方・パッケージが良くないため、期待したほど売れないという状況だ。
最近は、製造加工業のオリジナル企画も向上しているので、こちらの場合の方が多くなっている印象がある。

例えば、ラグジュアリーブランド「〇〇」と同じ素材を使って、それよりも形状も工夫したという商品がある。
しかし、ラグジュアリーブランド「〇〇」ほどは当然売れない。
なぜなら、売り方・見せ方・伝え方・パッケージのレベルが全く異なるからだ。

先日、ある業者から新ブランドについての相談を受けた。
その際、一人の同席者がおられた。

商品自体の出来は及第点を越えていた。
だから「物」だけで勝負できるなら、そこそこの売れ行きが十分に期待できる。

そこで、同席者がこう指摘した。

ハイクラスブランドとの競合を目指すなら、例えばお買い上げいただいたときの「箱」と「ショッパー」は必要ですし、値札や下げ札のデザインにも工夫を凝らす必要があります。ハイクラスブランドはそれらも含めて顧客から支持されているのです。

この指摘は納得である。
同席者は12歳くらい年下と若いが、最先端ブランドで展示会やブランディング、ウェブ、印刷物などのディレクションを行っておられ、その指摘はさすがというほかない。

若くて、いわゆる「クリエイションガー」とだけ無責任に叫んでいるような輩とは一線を画している。

日本人には「ボロは着てても心は錦」を美徳とする部分がある。
小銭にシビアな関西人や地方民はとくにそれをよしとする。

パッケージや見せ方、伝え方などは些末な問題で、「物」そのものの品質やらデザインが良ければ、それでいいじゃないかと考える人は日本人には多い。

「ボロいけど安くて美味い飲食店」が支持されるのもそういう理由がある。

これは一面、たしかにそうなのだが、食品にせよ、ファッション用品にせよ「物」そのものの良し悪しだけで判断できる消費者というのは実際はそれほど多くない。
やっぱり、店構えや箱、ショッパー、ディスプレイ、販売員の態度、ステイタス性などにその判断は大きく左右される。

話は少しそれるが、昨今の店頭の同質化問題の一因は、プロであるバイヤーやマーチャンダイザーまでもが、「物」ではなく、店構えやディスプレイ、ステイタス性で商品を判断してしまっている点にあり、プロの素人化が進んでいるともいえる。

「外装ばかり立派で中身は大したことない」という批判は間違ってはいないが、逆にいえば、「大したこともない商品を高値で売ってそれで消費者を納得させられる」というのは大した手腕だともいえる。
それは単に、小手先のキャッチコピーを付けたり、きれいな外国人モデルを使った広告を出稿するだけでは到底なしえないことである。

しかし、商品自体の出来が良いなら、見せ方・売り方・伝え方・パッケージを工夫すれば売れる可能性が格段に高まる。それをやらないことは非常にもったいない。

しかも昨今は低価格ブランドでも商品自体のデザインやクオリティは水準点に達している。
一昔前のように「安かろう悪かろう」という商品は分野を問わず、かなり減っており、「安かろうそこそこ良かろう」が標準といえる。

そうなると、「物」自体の優劣はそれほどなくなってくるから、見せ方・売り方・パッケージなどの工夫が勝負を左右することになる。

時々、お会いするセメントプロデュースデザインの金谷勉社長から、以前こんな話を聞いた。
大阪の石鹸メーカーをブランディングした際、それまで普通の長方形の石鹸を作っていた地味なメーカーだったが、これを五角形に形状を変更し、パッケージをリニューアルしたところ、かなり売り上げが増え百貨店などからもオファーがあったという。
石鹸の成分そのものは変わっていないにもかかわらずである。

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http://cocoon-soap.com/index.html

製造加工業者はどうしても「作ること」を重視し、それの工夫と改良に邁進する特性があるが、それと同等の熱量を見せ方・売り方・伝え方・パッケージ作りに振り分ける必要がある。
「ボロは着てても心は錦」ではなく、心が錦なら着飾るべきなのである。








過剰な「モノづくり神話」を創作することは、かえって製造加工業者をミスリードする

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 国内の繊維製造加工業者を鼓舞したいと考えるなら、それはすれば良いと思う。
しかし、その鼓舞の材料に「根拠に基づかない願望」「現実に立脚しない理想」を据えることは、却って製造加工業者をミスリードするだけで有害である。

海外一流ブランドがセールを一切しない理由
日本アパレルが疲弊した「構造的な原因」とは
http://toyokeizai.net/articles/-/167344

この記事は、いわば「理想郷」が語られており、それが現実に立脚していない点が問題である。

そもそも「海外一流ブランドがセールを一切しない」という前提自体が現実ではない。
コメント欄に「エルメスも本国では年2回セールをしている」とある。

それを裏付けるようなこんなブログもある。

1788話 パリSOLDES!これがHERMESエルメスのソルド!♪パリ ブログ
https://ameblo.jp/wanwancocococo/entry-12177105347.html

正規店舗では行わず、別会場で行われているようで、そこに出向いたレポートである。
別会場といえどバーゲンセールはバーゲンセールである。

東洋経済オンラインの記事で説かれているように、ルイ・ヴィトンが一流ブランドになったのは、単に「愚直に物作りに励んだ」とか「職人を大事にした」だけではない。
それは一要素であり、じゃあ、国内の繊維製造加工業者が「愚直に物作りに励んで」「職人を大事にした」のなら、その中からルイ・ヴィトンが生まれるのかというと、その可能性は極めて少ない。
個人的には可能性はゼロだと思う。

ミスリードを引き起こすと感じるのはそういう部分である。

LVMHが世界的ブランドになったのは、そもそもMHと合併し、不動産業も取り込んで、「ディオール」やらなんやらさまざまな高級ブランドを買収に次ぐ買収で巨大資本となったからだ。
巨大資本があるからこそ、販促、広報宣伝に潤沢な資金が投入でき、それゆえにブランドステイタスを向上させることができた。

今の国内の繊維製品の製造加工業者にそういう巨大資本が存在するのか。
ほんの一握りを除いては小規模零細企業ばかりである。
料金が数万円の業界紙へのお付き合い広告ですら出稿できないような財務内容である。

これでどうやってラグジュアリーブランドになれるのだろうか。

また、ルイ・ヴィトンというブランドは香水はそれほど有名ではないが、LVMH傘下の各ラグジュアリーブランドは香水が人気である。
香水は、ラグジュアリーブランドといえども価格がそれほど高くなく(2000~3000円で手に入る)、庶民でも買いやすい。おまけに洋服やバッグ類、皮革製品に比べて利益率がべらぼうに高い。
広くマス層に販売して高利益を得る、そういうビジネスモデルを確立している。

単に「愚直に物作りに励んだ」だけではない。

本当に製造加工業者を何とかしたいのなら、そういう「儲け方」もレクチャーすべきではないか。

マラソンでも水泳でも熱心に練習をすればほとんどの人がそれなりの距離を走れたり泳げたりするようになる。
4時間とか6時間で42・195キロを走れるようになるだろう。

しかし、2時間6分台で走れるようにはならない。そこには天性の才能が必要になるからだ。

今の国内の製造加工場に「物作りに励めばルイ・ヴィトンになれる」とサジェスチョンするのは、47歳のオッサンに対して「毎日、練習すれば必ず2時間6分台でフルマラソンを走れるようになりますよ」と励ますのと同じようなものである。

それに欧州の一流ブランドが本当に職人や工場を大切にしているのかどうかも怪しい。
ないがしろにしているとまでは思わないが、例えば、イタリアにだって工賃が安くて苦しい経営を強いられている工場がたくさんある。
だから、不法移民を含めた外国人労働者を使っているし、欧州のブランドは人件費と工賃が安いアフリカや東欧、中近東の工場を使っている。

もし、国内の製造加工業者の競争力を高め、自立化させたいのであるなら、「フィクションまみれの神話」を作ることではなく、自ら能動的に営業活動を行うようにさせるべきではないか。

これまで、提携ブランドの下請けに甘んじていた国内工場の多くは、今も下請け根性が染みついており、発注を待っている姿勢が強い。これを受注を獲得するために自ら営業するようにすべきではないか。

そして、自社オリジナル製品開発はその次の段階で、製品開発にはマーケティングやデザインの専門家が介在する必要がある。(専門家もピンキリだから選定は容易ではないが)

製品を作っただけではビジネスは完成しない。

最後は売り場を探す、もしくは売り場を作る必要がある。

ここまでできて初めて「製造加工業者の自立化ができた」ということになる。

そして昨日も書いたように、一流ブランドを作りたいのなら、販促、広報宣伝にも目を向けさせなくてはならない。

誰がどんな屁理屈をこねようと、感情的に反発を覚えようと、商売とは、

安く仕入れて(作って)、できるだけ高く売る

ことが絶対のルールであり、「高く売る」ためには「ブランド化(ブランディング)」「付加価値づくり」が必要不可欠となる。

消費者がその説明に納得できれば、提示した値段で売れるだろうし、納得できなければ、いくら「職人が精魂込めて」作ろうが、「伝統の技が云々」「希少な素材が云々」と叫んだところで、提示した値段では売れない。

提示した値段で売れないのは、「ブランディング」「付加価値づくり」に失敗しているからだ。

マクドナルドが一時期、原価をさらされて批判されたが、それは「ブランディング」「付加価値づくり」に失敗したということに他ならない。

こういうことをまるっと抜きにして「モノづくりに専念した」「職人を大切にした」と吹聴するのは、ファクトリエという会社が自社のビジネスを有利に進めるためのポジショントークでしかない。






従来型の物作りにこだわりながらマス層へのヒットを願うのは現実性に乏しい

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 洋服もその他も含めて、物作りの姿勢は大きく2つに分かれる。

1、従来通りの商品を作り続ける
2、市場の売れ行きに合わせて作る商品・作り方を変える

である。

様々な意見があるのは承知しているが、ビジネスの観点からいえば個人的には2が正しいと考えている。
1の姿勢は否定しない。ニッチ層に向けて作って売るという自覚があるなら。

しかし、1の姿勢を取りながら、「マス層に売りたい」と考えるのはいただけない。
さらにいうと「昔ながらの良さがわからない方が悪い」「マス層に売れてしかるべき」と考えるのはもっともナンセンスである。そういう業者にはまったく共感を覚えない。

例えば、大ヒットしている「カレンブロッソ」のゴム底草履がある。
大ヒットしているといってもユニクロやGUのように百万枚とかそういう数量ではない。
しかし、生産キャパいっぱいの状態が続いている。将来的な不安もあって生産キャパを増やすことはしないそうだが、それがまた値崩れを防いでいるという側面もある。
需要が供給を上回り続ける限り、値崩れは起きない。

ヒットの要因は、コルク芯+革底で作られていた従来の草履をEVA台+ゴム底に改良したことにある。
これで格段にクッション性が高まり、足が疲れなくなった。
また従来品よりは雨でも滑りにくくなった。

要は機能性が格段に向上したということである。

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和装関係の展示会やイベントに出向いても、この草履の着用者が多い。
普段は「伝統ガー」とか言ってる人も、この草履を履いている。
言ってしまえば、人間は誰しも楽な方が良いのである。伝統か快適さかどちらかを選べと言われたら、ほとんどの人は快適さを選ぶ。もちろん筆者もそうだ。

筆者はマゾヒストではないから、苦痛を我慢する趣味は持ち合わせていない。

カレンブロッソの廣田裕亘社長とは定期的にお会いしていろいろと話を伺うことがあるが、これがヒットしたのは、ご自身でも予想外だったとのことだし、運やタイミングの良さも大いにあったが、伝統に固執せずに機能性を向上させなければ、その運もつかめなかっただろう。

それとあと、履物というところも定期的な買い替え需要を産んでいる。
洋服と違って、履物は地面と直接摩擦するので、絶対に定期的に傷む。
だから補修か買い替え需要が絶対に生じる。その買い替え需要に至るまでの期間は洋服よりも格段に短い。

後から考えればヒットする理由はそろっているのだが、そこにたどり着けたのは廣田社長の話を聞けば聞くほど「たまたまだった」としか思えなくなる。(笑)

それはさておき。

このゴム底草履がヒットすれば、当然、世の中に広まる。
もしかすると、近い将来、草履といえばすべてゴム底草履になってしまう可能性もゼロとは言えない。
そうすると「伝統」の草履作りの技術は廃れる。
不要な技術は廃れても当然じゃないかという考えもあるが、従来の技術を守りたいと考える人もいる。
その存在は否定しない。

そういう人が、従来品を作り続けて「売れなくては困る」「本物の良さがわからない人が増えた」という理屈にたどり着くと思うのだが、そこは大いに疑問である。

例えば、ゴム底草履を収入の柱としながら、そこで得た利益で細々と従来型草履の技術伝承をすれば良いのではないか。
売れる物を作って売って、その収益で伝統技術の継承をするのがもっとも理論的で効率的ではないか。


豆腐のため、ファッションショーにも通う
相模屋食料 鳥越淳司社長
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/interview/15/269473/033000078/?P=1

ザク豆腐を開発した相模屋食料の社長インタビューが掲載されているが、この豆腐メーカーは通常の豆腐も生産し続けている。
その一方で話題になりやすいザク豆腐やデザート向けのナチュラル豆腐といった「変わり種」を開発している。

どちらか一方だけだと売上高200億円は達成できなかっただろう。
通常の豆腐だけの生産だと面白みもないし話題性もない。需要だってそんなに広がらない。
広報販促の手段はありきたりな「安心・安全」とか「手作り」とか「大豆の本来の味」とか打ち出しに終始してしまう。

この打ち出しは同業他社と同じであり、埋没してしまって消費者には見向きもされない。

他方、ザク豆腐やナチュラル豆腐などのおもしろ商品だけだと、売れ行きが不安定になる可能性が高い。
話題性はあるかもしれないが、大いに外す場合もある。

それを考えると従来品と飛び道具という二刀流は非常にリスクが低いといえる。

繊維やその他商品の物作りも同じではないか。
そこを理解した業者だけが生き残ることになるのは、自然な流れで当然の結末だろう。










おとぎ話的な欧州工場礼賛では日本の製造加工場は生き残れない

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 衣料品、服飾雑貨品などを便宜的に今回は「ファッション用品」とまとめさせていただく。

「ファッション用品」の国産品をめぐる議論はそれなりに目に付くようになってきたが、多くの場合は微妙なものに終始している。
議論の方向性はいくつかに集約できるが、

1、国産品を手掛ける企業のポジショントーク
2、極度のセンチメンタリズムから来る盲目的国産品擁護
3、グローバル的見地からの国際分業論
4、数少ない自立化成功者からの体験談

ざっとこんな感じの分け方ができるのではないかと思う。
個人的にもっとも価値が高いのが4だが、個々の成功事例は特殊要素を多く含み過ぎていて、広く取り入れられるものではない。
その中のエッセンスを如何に的確にとらえて、自社・自ブランドに適合できるようにアレンジメントするかがカギになるが、その作業を上手くできる人、企業、ブランドは数少ない。

2と3はカードの裏表で聞くべき部分もあるが、全面的に採択はできない。
個人的な意見でいうと2を採用することはかなり危険だと感じる。

1についてだが、これは3分の1から半分くらいは聞くべき提言がある。
問題は、個々の企業やブランドによるポジショントークなので妄信するのは危険だという点である。

日本に「超一流アパレルブランド」がない理由
コスト削減の果てに「日本製の服」は僅か3%
http://toyokeizai.net/articles/-/164345

この記事には聞くべき提言も多いが、ポジショントークの代表ともいえる。

是々非々で内容を見てみよう。

まず、個人的に「是」とする部分を抜粋する。

〇コスト削減が図られる中、メイド・イン・ジャパンを支えてきたのは外国人研修生です。衣服・繊維製品の製造に従事する研修生は1万2000人(公益財団法人国際研修協力機構「外国人研修・技能実習事業実施状況報告 2010 年」)。この背景には、賃金の低い縫製業は国内で人材が集まりにくく、 リソースを研修生に頼らざるをえないという事情があります。

しかも、せっかく技術を覚えてもらっても研修生は3年程度で本国に帰ってしまうため、その度に新しい研修生を招いて育成を行うというループに陥っているのが現状。「技術を後世に継承する」という理想とは乖離しています。

〇では、メイド・イン・ジャパンが復活するためには何が必要でしょうか。私は、以下の3要素が重要だと考えています。

・マーケットを意識する:
日本製の商品は、クオリティへの定評はあるものの、デザインに改良の余地があります。技術は保持していますが、 消費者のニーズに合致した商品をブランドとして提供するという意識はまだ根付いていません。イタリアやフランスの工場は、流行やマーケットを念頭に置いてものづくりを行っています。その意識が日本の工場にも根付けば、技術をより効果的にアウトプットできるでしょう。

・主体性を持つ:
長らく下請けとして機能してきたため、メーカーから提示される工賃や仕様書、生地などに従うという受け身の姿勢がしみ付いています。ブランドとして自立するためには、この体質からの脱却が不可欠。培ってきた縫製やパターンの技術を生かして「こんな商品はどうですか?」といった能動的な提案を行っていくことが大切です。

この部分であり、3要素の3つ目は是認できない。

では「非」とする部分を抜粋してみる。

その1

 「本物のブランドはものづくりからしか生まれない。エルメスも、ルイ・ヴィトンも、グッチも工房から生まれた。君が今挙げたブランドは、日本製なのか?」

その2

 ・非効率なものづくりへの投資:
中国やベトナム、ミャンマーでは、大きな資本を持つ企業が最先端のミシンを導入し、大量の洋服が効率的に生産されています。人件費の高い日本が差別化を図るために必要なのは、旧式力織機や時間のかかる染め技術などを使って、あえて非効率な路線を突き進むこと。たとえば、岡山の旧式力織機で作られるデニム生地がシャネルやルイ・ヴィトンなどの商品にも使われているように、他の工場も非効率なものづくりに投資して独自の付加価値を高めていくべきです。

の2点である。

その1についてだが、イタリアブランドも生産問題に揺れている。「イタリアブランドはすべてイタリアで作られている」なんていう牧歌的な状況ではない。
世界に詳しいこの記事の筆者ならご存知だと思うのだが。

今のイタリアブランドは、中国製・東欧製・アフリカ製などがある。
インド製やトルコ製もある。またイタリアの工場は低賃金の外国人労働者で成り立っている。
少し前の記事だがこういう報道がある。

【グッチ】Made in Italy、崩壊 イタリアブランドの実態
http://buono-italia.com/madeinitaly/

イタリアの代表的ブランドGucciが、外国人労働者を酷使して収益をあげている、ということが、2014年2月の告発によって判明しました。


FURLA|フルラの生産国について|Made in Italy ??
http://pineboy.com/column-13-jun-2016-furla

人気・売上ともに絶好調なブランドの「フルラ」ですが、商品の生産国はイタリア製の他に中国やルーマニア、チュニジアなどがあります。


また、イタリアでは産地そのものが中国人に乗っ取られているという報道も相次いでいる。
代表的なところを紹介すると、少し前の記事だが、

欧州に「丸ごと中国」工場 資本も、従業員も、原料も
http://www.asahi.com/business/intro/TKY201203040488.html

プラートにある中国人経営の衣服工場は約3千。人口19万人のうち中国人は不法移民を含め4万人以上とされ、人口比では欧州最大のチャイナタウンだ。


とある。実質的にプラートのマジョリティは不法移民を含む中国人だということになり、イタリア工場とはいえ、メイドバイチャイニーズが実態であり、我が国の外国人実習生によるメイドバイ外国人という状況と何も変わらない。

この手の各種報道をまとめているのがこのまとめニュースである。

GUCCI, PRADA(笑) イタリア製のブランド品を作っているのは、イタリアに不法滞在の 中国人
https://matome.naver.jp/odai/2146253926029760101


また、これ以外にフランスブランドでも似たようなことがある。
中国工場に出張した際に、「maid in france」と刻印されたパーツが山のように積まれているのを見たことがあるという人も多い。

イタリア製もフランス製も組み立てを中国や外国で行い、最後の加工だけをイタリア、フランスで行えば認可されるというシステムになっている。
このため、中国をはじめとする外国で組み立てが行われているブランドも数多くあるのは業界では公然の秘密となっている。まさか、世界に詳しいあの記事の筆者が知らないとは思えない。

・コストの安い海外生産
・外国人労働者(実習生)に支えられた国内生産

この2点については、日本も欧州もそう大差がないということである。

それを打破するための処方箋として記事では、非効率な物作りへの投資を挙げているが、すでに日本の工場の機械設備は中国をはじめとするアジア諸国に比べて旧式化しており、わざわざ今から投資する必要もなく非効率である。逆に製造加工場の多くは将来不安から設備投資できる状況になく、旧式機械をそのまま使い続けている。

そういう意味ではすでに非効率な物作りは投資するまでもなく、多くで実施されているといえる。

日本の製造加工場の中にはたっぷりと資産を持っているところもあり、そういうところはあくせくと働く必要もない。いろいろなしがらみや制約があるから事業を続けているだけで何かきっかけがあれば廃業したいと考えている。すべての製造加工場が貧困なわけではない。

もちろん資金繰りに窮している製造加工場もある。
この部分での格差が大きいため製造加工場間での足並みもそろいにくい。

日本製を残したい、製造加工場として存続したい、と強く願う工場や業者は存在する。
そういう工場や業者は真の意味で自立化する必要がある。

自立化というと、自社オリジナル製品を開発することだと考える人が多いが、自ら製造加工の仕事を取りに行くということがはじめの一歩である。
過去の製造加工場は、待っていてもブランドから仕事が舞い込んだ。中にはガッチリと特定のブランドの生産ラインに組み込まれることもあった。

そのため、製造加工場にはいまだに待ちの姿勢のところも少なくない。

これを能動的に受注を獲得しに動くということが自立化だと考える。

ファクトリエでもなんでもそうだが、特定の企業やブランドが作ったシステムに乗っかることだけを考えているのでは、過去の受動的なアパレルブランドとの取り組みと何ら変わらない。
それはまた新しい先の下請けに甘んじるということである。

フランスやイタリアは自国で生産しており、日本の業者はさらに非効率的なモノづくりに特化すべき、というようなおとぎ話的な立ち位置で議論をしても国内の製造加工場は復活も存続もできないだろう。

現実を踏まえてその上でどう対処するか、それでも製造加工場を続けたいのか、その意思が求められる。最早、すべての製造加工場が救われることは不可能なので、意思のある工場だけがどのようにして生き残るかを考えるべきだろう。




デービッド・アトキンソンへの妄信は危険

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 寺社の修復などを手掛ける小西美術工藝社という伝統企業がある。
この企業の社長に就任して、事業を再生したのがデービッド・アトキンソン氏である。

金融マンから転身したという変わり種で、わざわざ伝統工芸の社長に就任するくらいなのだから、親日的な人物なのだろうと推測される。

また国内でも、グローバル金融マン出身という出自も手伝って、彼の意見の信奉者が多い。
事業を再生した手腕に加えて、根深いグローバルコンプレックスを抱えている日本人は、イチコロで彼の信奉者になりうる資質を持っている。

アトキンソン氏の論調は聞くべきところが多く、最近はいささか挑発的な表現が増えたが、彼なりに我が国の産業を考慮しての提言だと感じる。
しかし、やっぱり「グローバル金融マン」の素性は捨てられないのだなあと感じる。
良くも悪くもアトキンソン氏はグローバル金融マンであり、グローバル金融マンにも当然負の側面もあるということである。

世の中に良い部分しかない存在なんてないのである。
どんなに良い事柄でも必ず負の部分を内包している。

例えば、アトキンソン氏は日本の産業の輸出を促進したいという意図からか、盛んに「一人当たりの輸出金額が低い」ということを最近主張し続けているが、本来は一人当たりの輸出金額は、国の経済力とは関係がない。

「『1人あたり』は最低」ではない日本経済の伸びしろ
http://totb.hatenablog.com/entry/2016/12/11/222220

ここから引用する前に、アトキンソン氏が盛んに比較して日本を挑発する材料にしている韓国についてだが、韓国は内需が極端に弱い国で、ほとんどを輸出に依存している。
しかも人口は日本の半分以下であるから、必然的に一人当たりの輸出金額は高くなる。

日本は内需が大きいので低くなるが、アトキンソン氏を含むグローバル金融マンが褒める韓国は、現在経済危機に見舞われており、日本との通貨スワップが再開されないままに、今年10月に中国との通貨スワップが終了すると、97年に続いて経済破綻する可能性は極めて高い。

余談だが、韓国での売上高が極端に高くなっている某国内スポーツアパレルは大丈夫だろうかと、業界では噂になっている。余計なお世話だが少しずつ韓国での売上比率を下げるべきだと個人的には考えている。

極端に外需に依存した韓国と比較する意味は本来ほとんどない。

さて、先の記事から内容を抜粋引用して紹介したい。

G7で日本の次に少ないのはアメリカですが、両国に共通するのは輸出の対GDP比が低いことです。人口が多い国は多種多様な産業を抱えられるため、人口が少ない国よりも貿易依存度が低くなる傾向があります。

ヨーロッパ諸国の1人当たり輸出額が多いのは、経済統合を進めた結果、貿易が日本やアメリカの国内取引に近いものになっているためです。各国が地理的に近いことも貿易が多くなる一因です。

「ものづくり大国」を名乗りながら、1人あたり輸出額は世界第44位と言われて、悔しくないですか。

という挑発は的外れです。アトキンソンはアメリカ人に「1人当たり輸出額は世界第42位と言われて、悔しくてないですか」、あるいはドイツ人に「オランダやベルギーに負けて悔しくないですか」と聞いているのでしょうか。


とのことであり、詳しいグラフは原文の記事を開いて確認していただきたい。

アトキンソン氏の挑発はおそらく(面談したことがないから文章から推測するに過ぎない)、我が国産業を考慮してのことではないかと思うが、立脚点が間違っているなら、多くの場合は終着点も間違える。
世の中にはたまに間違った過程で正しいゴールにたどり着くこともあるが、そんな僥倖は期待すべきものではない。

アトキンソン氏の立脚点は牽強付会にすぎる部分が目立っているといえる。
例えば、ノーベル賞受賞者の数についての批判は、明後日の方角過ぎて意味をなしていない。

1人あたりのノーベル賞受賞数が世界で第29位というのは、悔しくないですか。

も、2000年以降の自然科学分野ではアメリカ、イスラエル、イギリス、スウェーデンに次ぎます。1901年からの累計値に基づいて現在の日本を論じることはナンセンスです。


であり、これがまさしく正論である。

アトキンソン氏の経営手腕は評価される点も多いが、間違った議論が横行するのは望ましい環境ではない。

参考に次の記事も読んでいただきたい。

アトキンソンの誤診と失った20年
http://totb.hatenablog.com/entry/2016/12/24/094626

アトキンソン氏の意見は非常に参考になるものも多いが、意図的か無意識的か立脚点が間違っていることも多く、妄信するのは危険である。

彼の意見は、テレビのスポーツ評論家の発言程度に半分くらいは聞き流すのがちょうどよい具合ではないかと思う。

アトキンソン氏に限らず、特定の誰かの言うことを無批判に妄信するのは危険極まりない行為であり、他人に操られる結果になってしまう。

デービッド・アトキンソン 新・所得倍増論
デービッド アトキンソン
東洋経済新報社
2016-12-09



デービッド・アトキンソン 新・観光立国論
デービッド アトキンソン
東洋経済新報社
2015-06-05


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