南充浩の繊維産業ブログ

ファッションブログ・・・・と言いたいところだけれどもそこまでファッションに特化していないし、能力的にもできない。そこで繊維製造業、産地、アパレルメーカー、小売店など幅広く繊維産業全般についてぼちぼちと書きます。たまにマスコミ、経済問題についても書く予定。よろしくお付き合いください。 お仕事の依頼は minami_mitsuhiro@yahoo.co.jp まで。

繊維業界新聞の記者としてジーンズ業界を、紡績、産地、アパレルメーカー、小売店と川上から川下まで担当。 同時にレディースアパレル、子供服、生地商も兼務した。退職後、量販店アパレル広報、雑誌編集を経験し、雑貨総合展示会の運営に携わる。その後、ファッション専門学校広報を経て独立。 現在、記者・ライターのほか、広報代行業、広報アドバイザーを請け負う。

トレンド

「トレンド」は古来から存在する。過剰な反トレンド論はポジショントークか?

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 日米ともに従来型ファッションビジネスが行き詰まりを見せ始めたことから、「反トレンド論」みたいなものを見る機会がある。

米国でいうなら、それは「ノームコア」というトレンド(笑)になり、日本もそのトレンドを輸入した。

「トレンドに踊らされずにベーシックな服を着よう」という「トレンド」がノームコアだから、反トレンド論者がノームコアという「トレンド」に飛びつく構図はちょっと笑えて来る。

彼らは「トレンドとはビジネス目的で形成されているものだから、それに乗るのはアホらしい(意訳)」という主張をしているが果たしてそうだろうか?

現代ファッションでの「トレンド」が作られているということは否定しない。
特に流行色協会とやらが、2年前から設定する「トレンドカラー」なんて最たるものだ。
2年前に流行色を設定するとか意味わからん。それこそ「利権の塊」じゃないのか。

それはさておき。

しかし、衣服に流行があるというのは、今に始まったことではない。
いつの時代にも衣服の流行というのは存在する。
もうちょっと正確にいうと「衣服の流行り廃り」は古来から存在している。

そうでなければ、我々は今、この服装を着用していない。

近年のトレンドはたしかに人為的な側面はあるが、それでもままならないこともある。
「トレンド最右翼」とみなされていながらさっぱり売れなかった服も珍しくない。
また、予想外の商品がトレンドに浮上することもある。

このあたりの流れから考えると、トレンドは決して人為的に作られたものだけではなく、自然発生的要素もあるといえる。

ローマ帝国時代、為政者はトーガと呼ばれる長い布を体に巻き付けていた。
まあ、シーツを体に巻き付けているのを想像するとだいたいイメージできるのではないかと思う。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%AC




あんなもんにトレンドやファッションが存在するのかと普通なら思うが、それがそうではなかったらしい。

塩野七生さんのベストセラー「ローマ人の物語」(新潮社)によると、あのトーガにすらトレンドやファッションが存在したらしい。

どこをどう折り返して、ヒダを作るかとか、どれだけ布を余らせるかとか、シワの作り方・ヒダの作り方がカッコイイとかそういう価値観があったという。

塩野七生さんによると、ユリウス・カエサルはそのトーガの着こなしでファッションリーダーだった(意訳)という。

塩野七生さんの「カエサルLOVE」は有名だから、幾分か割り引くとしても、トーガの着こなしに「イケてる、イケてない」という価値観があったというのが驚きである。

要するにローマ帝国時代からトレンドはあったということになり、それは決してノームコア論者が言うような「ビジネスを背景」としたものではないということがわかる。
何せあの当時は今のようなファッションビジネスは存在していなかったのだから。

我が国でもそうだろう。

直垂や狩衣が今に生き残っていないのはなぜだ。
流行り廃りがあったから、それらは今の和服・呉服には残っていないのである。

江戸時代だって様々なトレンドがあったようで、男性の月代の剃り方だってその時々のトレンドがあった。

結局、今のファッションビジネスがあってもなくても洋の東西を問わず、人間が存在する限り、トレンドは存在するということになる。

つまるところ、トレンドや流行り廃りのサイクルが早いか遅いかの違いだけではないのか。

だから、反トレンド論というのはその大半が、自分のビジネスを拡大するための「単なるポジショントークにすぎない」と当方は見ている。


ところで、アパレルビジネスを総括したような記事では「最近、トレンド品を高額で販売する手法が通用しなくなり、アパレルは苦戦に転じた」というような意味のことが書かれてあるが、そんなビジネスモデルはどうなのだろうか?極めて非合理的ではないかと思う。


大学卒業後就職した洋服販売チェーン店は、渥美俊一氏のペガサスセミナーの流れを汲む会社だったので、そういう本を何冊か読まされたし、社内勉強会でもそこでの話題が出た。

そのときに「流行り廃りが緩やかで長期間使えるベーシック品は高額で、商品寿命の短いトレンド品は買いやすい廉価で販売する。これが消費者利益だ」という内容を習ったと記憶している。

この考え方は非常に合理的で論理的だと感じる。

ここでいうトレンド品とは、95年当時のナイキエアマックス95みたいな特定の品番への集中した人気ではなく、例えば「今季はワイドパンツが流行している」というような広い商品群を指している。

メンズで言えば、紺ブレなんかはディテール変化が緩やかだから比較的高価格に設定しても理屈には合う。一方、ガウチョパンツなんていうのは一過性トレンドだから買いやすい値段で販売する方が理論的だろう。

アパレル企業やブランドが衰退した理由はいくつもの複合的要因が複雑に絡み合った結果だと思うが、「トレンド品を高く売る」という非合理的なビジネスモデルもその一因だといえるのではないか。そして、ノームコアというトレンドに飛びついた反トレンド論者wwwwが反発しているのはそういうビジネスモデルに対してではないかとも思う。

我々一般人は、過度なトレンド崇拝論にも過度な反トレンド論にも耳を傾ける必要はなく、合理的に論理的に服を選べばよいだけである。



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アパレル業界は丸投げ体質か?
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「原価率50%」という思想はダイエーやユニクロの延長線上にある

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 最近の報道を見ていると、トウキョウベースのブランドコンセプトは「原価率50%」じゃないかと思えてくる。(笑)

ブランドを確立するうえで真っ先に出てくるのは「高原価率」というのはどうなのだろうか。
それはファクトリーブランドや職人系のブランドの立ち位置ではないか。

似たようなブランドコンセプト(笑)にファクトリエがある。
こちらは疑似ファクトリーブランドを目指しているのだから、それはそれで良いのかもしれない。

ところで、国内外の低価格ブランドにやられっぱなしのアパレル業界人はこのブランドコンセプト(笑)に共鳴する人が多いように感じるのだが、実はこの考え方も、グローバル低価格ブランドは置いておいて、ユニクロやかつてのダイエーの思想の延長線上にあるといえる。


創業当時のダイエーやそれ以降の大手スーパーマーケット(GMS)の本来の思想は「良い物を買いやすい値段で提供する」である。97年ごろから飛躍的に売上高を拡大したユニクロも同じ考え方である。

バブル崩壊、リーマンショックで痛手を被った百貨店や百貨店と一体となったアパレル各社は、売上高低迷によって、原価率を切り下げ、商品の品質を下げている。
百貨店を販路とする某上場アパレル(あまり話題にならないマイナー企業)は2010年以降、秋冬のセーターの原価率を18%まで切り下げている。それでいて販売価格は据え置きか少し上げている。

で、これに対するアンチテーゼがトウキョウベースであり、ファクトリエであるといえる。

店頭販売価格こそ違うが、根本的な考え方はユニクロや創業当時のダイエーと同じで「良い物を買いやすい値段で提供する」である。

かつてのような高額素材をふんだんに使い、それを高額で販売するきらびやかなファッション業界が再現できるようなことは、今後ありえないと個人的には見ている。
ラグジュアリーブランドへのむやみなアホみたいな崇拝も2008年以降鳴りを潜めてしまったから、日本も欧米と同じく分相応な消費をする成熟社会になったといえる。

さて、こういう流れを見ていると面白い。
今日のアパログで「小売りの輪」という理論が紹介されている。

http://www.apalog.com/kitamura/archive/706

 マルコム・P・マクネアによる「小売の輪」理論(1957年)は、グランドセオリーとして引用される機会は多くはないが、ときおり私の頭をかすめる重要なフレームワークだ。

 追随業者が次々に参入し、価格競争がより激しくなる。

 価格だけでは武器にならなくなり、価格以外の付加価値(品揃え、設備やサービス)を増した競争が展開される。時間とともに人件費増加、規模の拡大によって本部費などの経費が増加、結果的に薄利多売から高粗利路線へと転換せざるを得なくなる。

 革新的な小売業者が既存のマーケットにローコスト、ローマージンの価格競争で市場参入しシェアを奪う。(価格が上がってきたところで、別の新しい革新的小売業者が誕生し、価格競争で市場参入してシェアを奪う。)

 以上のサイクルが、どこを始点にするわけでもなく終点にするわけでもなく、延々と回り続けるというのが小売の輪だ。


とまとめられている。

「良い物を安く」という思想がダイエーをはじめとするGMSを生み、同じ思想のユニクロが衣料品分野で参入し、GMSのシェアを奪った。今後、ユニクロがワークマンやドン・キホーテの自社企画衣料品にシェアをいくらか蚕食される事態が起きるだろう。

さらにその後、そのころには当方は死んでいるかもしれないが、ワークマンやドン・キホーテも新規参入業者に侵食されているかもしれない。

百貨店ブランドや大手セレクトショップへのアンチテーゼとしてトウキョウベースやファクトリエがあると見ているが、これとていずれ、さらなる新規参入業者に侵食されるか駆逐されるかしてしまうだろう。

例えば、先ごろ、ニトリがアパレル業界への進出を発表した。
具体策は何も発表されておらず、時期的にもいつ頃になるのかもわからないが、これも実現すれば、小売りの輪の一つで、新規参入業者が価格競争を仕掛ける事例になるだろう。

そのとき、ユニクロやジーユーがどれだけ侵食されるのか、もしくは他の低価格ブランドが駆逐されてしまうのかはわからないが、消費者が年間に買い物できる総額は決まっているのだから、他社からシェアが幾分か奪われるのは当然といえる。

そう考えると、高価格を維持し続けているラグジュアリーブランドの努力というものは、好き嫌いは置いておいてすさまじいものがあるといえる。

ブランドビジネスの本質は

「1円の物を1万円で売る」

ことにあり、それが支持されるのは、雰囲気でありブランドの歴史であり、店舗内装の見事さであり、ショッパーのかっこよさであり、販売員の接客応対であり、修理体制の整備によってである。

決して原価率の高さではない。

小売りの輪の中で勝ち続けることも容易ではないし、ラグジュアリーブランドへと昇ることも容易ではない。そういう厳しい世界の中で、日々もがき苦しんでいるのが我々だということになる。



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鎌倉シャツのビジネスモデルが秀逸なポイントを考えてみた
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「今の若者の服装には個性がなくなった」という主張は本当か?

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 以前に書いたものと重複する部分があるが、20年前、25年前の若者は本当に「個性的」だったのかという疑問がある。

これに対比されるのが、「今の若者の服装は個性的ではなくなっている」という議論なのだが、それはどこかピントがズレていると個人的には感じられてならない。

我が国で、欧米では見られないような「奇抜な」着こなしが生まれたのは事実である。
その理由はさまざまあるだろうが、1つには、我が国には洋服の基本的な文化が定着していなかったということもある。

例えば、シャツの襟の違い、TPOに合わせた色使い、革靴の種類、などなどである。
そういうお約束がまるごと抜け落ちていたから、欧米では考えられないような奇抜なコーディネイトが生み出された。

近年、奇抜さ度合いが低下しているとするなら、それは、我が国に洋服文化の基本が定着し始め、欧米化しつつあるからではないのだろうか。

次に人口の問題もあるのではないかと思う。

http://shouwashi.com/transition-numberofbirths.html

20年前に20歳だった人たちは77年生まれである。
77年生まれの人は175万人いる。

一方、今、20歳の人たちは97年生まれで、119万人いる。
119万人「しか」といえばいいのか、119万人「も」といえばいいのかわからない。

しかし、55万人も人口が少ない。

71年、72年、73年、74年生まれはそれぞれ200万人を越える。これが団塊ジュニアと呼ばれる世代だ。当方は70年生まれだが、193万人もいる。

一方、89年以降、出生数は120万人前後が続いている。

http://nenji-toukei.com/n/kiji/10011/%E5%87%BA%E7%94%9F%E6%95%B0

97年と77年の比較だと55万人差しかないが、これを前後数年間の合計で比べてみるとどうだろうか、ざっと200万人近く人口が異なる。

単純に75~78年生まれの人口を合計すると700万人弱となる。
一方、95~98年生まれの人口を合計すると480万人前後となる。

これだけで220万人の差がある。

さらにその周辺年代の人口を合わせて比較してみるともっと人数差は広がるだろう。

となると、仮に300万人の差があったとしたら、どうだろうか。

奇抜な服装を好む「変な奴」が存在する割合が今も昔も一定だったとして、実数は大きく異なるだろう。

仮に「変な奴」の比率が1%だったとすると、75~78年生まれには7万人いることになる。
一方で95~98年生まれには4・8万人しかいないことになる。

2万人以上の差がある。
一口に2万人というと大したことがないように思えるが、ターゲットが2万人もいれば、立派に一つの市場が形成できる。

変な服装をした奴が2万人も多いと、如実に増えたと感じられる。

周辺年代を合わせるとその差はもっと増えるだろう。

となると、「変な服装」の人は今でもそれなりにいるが、絶対数が減っているので昔ほど「多い」とは感じられなくなっているのではないか。


今度は逆に、今はファッションで「ビッグトレンドが生まれにくい」と言われている。
たしかにこの10年間で大流行した商品はそれほど多くない。

一方、90年代はファッションの「ビッグトレンド」が大連発されていた。
バブルが崩壊して不景気感が増しても大ヒットアイテムが存在した。

バーバリーブルーレーベルのミニスカートだとか、ナイキエアマックス95だとか、ヴィンテージジーンズだとか、そういう大ヒットアイテムが毎年生まれていた。

これに関しては、日本人が成熟化して、それぞれ異なるファッションテイストに多様化したことも大きな理由だと考えられている。
アメカジが好きな人、ナチュラル系が好きな人、スポーツ系が好きな人、トラッド好きな人、それぞれが存在している。

90年代は大ヒットトレンドにファッションが集中していた。

こうして考えると、90年代の若者の方がトレンドに流されやすく無個性・没個性だといえる。
逆にそれぞれの好きなスタイルを堅持する今の若者の方が、トレンドに流されにくく個性があるともいえる。

それにしても「今の若者は個性がなくなった」と嘆くファッション業界人は、もう何年間同じことを言っているのだろうか。

いくら嘆こうと消費者の嗜好は簡単には変わらないのだから、自分たちの服を売りたければ、ある程度消費者の嗜好にアジャストする必要がある。
それができないならビジネスシーンから退場させられるのみである。


以前と消費の傾向が異なってきたのが、去年や一昨年からなら「ただ嘆いている」ことも理解できるが、もう5年前、10年前から同じような傾向になっている。
そろそろ適合させられなくては、到底ビジネスとは言えない。

ただ、嘆いてばかりいて、それによって自分たちの洋服を売りたいというなら、それは単なる「被害者ビジネス」ではないのか。

その手の人の最近の主張は、単なる被害者ビジネスに見えて仕方がない。


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クールビズは略装ではなく軽装

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 ゴールデンウィークが終わるとそろそろクールビズが始まる。
クールビズが始まってもう13年くらいになり、すっかり定着したが、根強いクールビズ否定派も多い。
ネクタイの業界団体の反対論は論外としても、ファッション的見地からの反対論も一部に根強くある。

たしかによくあるサラリーマンのクールビズ姿はファッション的には間抜けて見える。

ノータイ白無地シャツに黒、濃紺、グレーなどのスーツスラックスという姿はなんだか間抜けな感じがする。
それはなんだか制服チックで、学生服の夏服とか鉄道職員の夏服っぽさがある。
ノータイ白無地シャツとダークカラーの無地スラックスをかっこよく着こなせる人間はかなり少ない。

20年ほど前に豊川悦司さんが、ドラマで駅員を演じており、その際、白無地シャツに濃色無地スラックスという夏の制服を着用していたのだが、それが異様にかっこよく見えた。
あれほどかっこよく着こなせる人はほとんど存在しない。

豊川悦司さんの場合は、高身長で脚が長く、スタイルが良いからであり、そういう条件を持った人は数少ない。

そういうファッション的見地からのクールビズ反対論は理解はできる。

理解はできるが、個人的にはそこに与する気はない。

なぜなら、冷房温度設定を28度に保つためには、上着+ネクタイ着用は不可能だからだ。
冷房温度設定を28度に保つ意味は個人的にはないと思っているし、自分で使う冷房は28度では暑くてたまらないのでだいたい23~25度設定を保っている。

しかし、なんだかよく分からないが、ほとんどの施設で28度設定になっているため、それに対応する必要がある。
そうすると、ジャケットとネクタイ着用では暑すぎて我慢大会になってしまう。

クールビズを廃止するなら、冷房設定温度を最低でも25度くらいまで下げないと無理だ。
逆に冷房温度を28度に保ちたいなら、クールビズは維持しなくてはならない。

どちらを取るかという話だと思う。

冷房温度を28度に維持したまま上着ネクタイ着用なんていうのは願い下げである。

さて、ファッション的見地からのクールビズ反対論には理解できるが、それに対して一理あると思った考察がある。

クールビズに自信のない男に教えたい新常識
そのスラックスやベルトは大丈夫ですか
http://toyokeizai.net/articles/-/167895

この中で、

「クールビズは略装か、それとも、軽装か?」
言葉のうえでは同義とされる両者ですが、正装(この場合スーツ)から引き算した略装コーディネート、一方、正装に向かって足し算した軽装コーディネート。両者は似て非なるものだと私は見ています。

という指摘があり、一理あると思った。

筆者も含めた年配の人の多くは、クールビズを略装だと思っている。
スーツスタイルからジャケットとネクタイを外した形をクールビズだと考えている。
だからダークスーツのジャケットを脱いでネクタイを外した「白無地シャツ+濃色スラックス」という服装になる。
そして、それは極めて似合う人が限定される服装だったといえる。

白無地シャツ+濃色スラックスというコーディネイトをかっこよく見せようと思うと、いわゆる「モード系」になるしかない。
上下細身のIラインを構築するか、昨今のオーバーサイズトレンドなら、ヨウジヤマモトスタイルにするかのどちらかということになる。

どちらもそこいらの中年・初老サラリーマンには着こなせないだろう。

そこでこの人は「軽装」と考えるべきだと説く。

例えば、シャツかスラックスのどちらかに柄を取り入れる。
ストライプやチェックという伝統的な柄である。間違っても花柄やサイケデリック柄ではない。

また、シャツとスラックスに明るい色を取り入れることも提案している。

色無地シャツに濃色スラックスになると、またどこかの施設の制服みたいになってしまうので、濃色無地スラックスならシャツを色+柄にすべきではないかと思う。

逆にスラックスに柄を取り入れると、柄シャツは着づらいので、襟が白くてボディが色無地のクレリックシャツを着用するのが良いのではないかと思う。

半袖シャツ1枚では落ち着かないという人は、シャツの上からベストを重ねると多少バランスはとりやすくなるのだろう。

ただ、これらの対策はどれもそれなりにファッションに興味を持って着慣れていることが前提となるため、シャツもネクタイもスーツも妻女任せという中年・初老サラリーマンには少しだけハードルが高い。
何事にも自助努力は必要ということである。


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ジーンズもデニム生地も特別視されなくなった

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 今回はジーンズの話でも。

3年くらい前から「若い人がリーバイスの古着ジーンズを買っている。しかも80年代とか90年代前半の物を」という話をよく耳にする。
40代以上の層からすると、若い人の嗜好が何とも奇異に感じる。

というのは、当時のジーンズは股上が深く、何よりも使用しているデニム生地がのっぺりしていてヒゲなどのアタリ感がまったくでないといういう特徴がある。

これは「カッコ悪いジーンズの象徴」として、少なくともこの20年間とらえ続けられてきた商品だから、30代半ば以上のオッサン層からすると、それを嬉々として買い漁っている若い人の嗜好が奇異に感じられるというわけだ。

そしてこの商品傾向は90年代半ばまで続いた。

ジーンズ、デニム生地の傾向は90年代前半と後半で丸っきり変わってしまうのである。

90年代前半にはレーヨンやテンセルなどの素材を交織・混紡したソフトジーンズブームが起きる。
95年・96年ごろからビンテージジーンズブームが起きる。

ビンテージジーンズブームによって、デニム生地の傾向はそれまでと180度、いや540度変わってしまう。

綿100%の厚くて固い、ヒゲやアタリが出やすい表面に凹凸感のあるデニム生地が喜ばれるようになる。
そしてヒゲやアタリと同時に「タテ落ち」と呼ばれる縦方向へ細かくスジが出るような落ち方が好まれるようになった。

いわば色落ちのメリハリがはっきりくっきりわかるようになる。
ソフトジーンズも含めたそれまでのジーンズの色落ちにはメリハリがほとんどなかった。

そして99年ごろからはローライズジーンズブームが始まり股上が浅くなった。

現在、主流となっているジーンズは90年代半ばのビンテージジーンズブームと99年ごろのローライズジーンズが合体融合したものといえる。

デニム生地に関していえば、95年ごろから「タテ落ち」が王道となって今に至る。
そういう価値観が元になって、80年代・90年代前半のあのジーンズはこの20年間「超ダサい物」と評価されていた。

もうすでにちょうど1年前にこのことを書いているブログがあるからご紹介したい。

ダサ・デニムは、もはや ダサくないのだ。そーなのだ。
http://ameblo.jp/tcd-co-ltd/entry-12147427811.html



先日、あるカジュアルブランドのデザイナーと話をしたが、その際、

「20代~30代前半の若い人が運営しているブランドでは、80年代の『あのデニム生地』が使いたいというが、国内でも中国でも『あのデニム生地』はほとんど製造されていないから困っている」

という話題が出た。

国内のデニム生地メーカーの多くは、80年代のあのデニム生地を作ることを嫌がるし、現在は大量生産を行っていない。また中国のデニム生地メーカーも日本ブランドにその感覚を合わせているから、中国でもあまり生産されていない。

おそらく、日本や中国が技術指導を行っていない東南アジアの工場では作られているのではないかと思うが、どうだろうか。

先に挙げたTCDさんのブログから画像をお借りする。
今のデニム生地と80年代のデニム生地ではこれほど見え方が異なる。
左が80年代のデニム生地、右が現在のデニム生地である。

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色落ちの違いがお分かりになるだろう。

だから、先のデザイナーは、80年代デニム生地を好む若い層を指して、「30代半ば以上と以下では洋服に関する感覚がまったく異なっている」と指摘する。

そういえば、ここ何日間かで20代前半と思しき、若い女性がモロに80年代調のジーンズを穿いているのをちょこちょこ見かける。
生地はもちろん、あののっぺりとしたデニム生地。
形はおへそまで隠れるであろうハイウエストで、それは昨今のデザイン的ハイウエストジーンズとも形状が異なっている。

どう見ても、25年前(四半世紀前!)、筆者が大学4年生くらいの時代の人にしか見えないのだが、それがよしとされる感覚はやっぱりだいぶと異なっているといえる。

どうしてこういうことになったのかというと、20代の人は物心ついたころから、ずっと今のビンテージ調デニム生地を使ったジーンズを見て育ってきた。
40代以上のオッサンは、その商品を「20年前にわざわざ選んで買った」のだが、彼らからすると「当たり前に在る物、なんの変哲もない物」ということになる。

そして、若者にとって記憶にない80年代・90年代前半の「あのジーンズ」は「見たこともない斬新な商品」に見えるのだろう。

オッサン世代からすると、ほぼゴミ屑同然だった80年代・90年代前半のリーバイスの古着が、人気沸騰で品切れ状態になるというのも信じられない話である。

前回も書いたが、老若男女を問わず、「色落ちしにくいデニム」が一定の支持を受け、若者層にのっぺりとしたデニム生地が受けている状況を見ると、これまでデニム生地業界やジーンズ業界が「ジーンズとは」「デニムの魅力とは」と力説してきたことがどうもニッチなマニア層だけのものとなりつつあるように思える。

ジーンズやデニム生地は特別なアイテムや生地ではなく、洋服や生地の一種に過ぎなくなっているということで、今後はますますジーンズやデニム生地への特別視はなくなるだろう。


こっそりひっそりインスタグラムやってます。
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