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南充浩 オフィシャルブログ

それを言っちゃお終いなのだろうけど

2014年9月17日 未分類 0

 創業130年弱の名門シャツメーカー、CHOYAが事業譲渡後に会社清算されることが決まり、栄枯盛衰は世の常とはいえ、驚いた次第だったが、大手シャツメーカーも大阪本社で残っているのは山喜とナイガイシャツくらいになってしまった。

日清紡の子会社になってしまったCHOYAとナイガイシャツだが、百貨店・専門店向けのCHOYAが先になくなり、量販店向けのナイガイシャツが残るとは夢にも思わなかった。

そういう意味では、ジーンズとワーキングユニフォームの関係にどこか似ていると感じる。
ジーンズがファッション化したことによってジーンズ専業アパレルはそれほど恩恵を被らず、リーバイスとエドウインを除くナショナルブランドの多くは凋落してしまった。
一方、実需対応のワーキングユニフォームメーカーは多少の苦戦はありつつも今もほとんど淘汰されずに残っている。
一概にファッション化することが良いこととは言えないと、改めて思った。

それはさておき。

シャツメーカーもかつては大阪に大手が数多くあった。
カネタ、信和シャツ、松屋シャツ、トミヤアパレルなどである。
シャツ最大手だったトミヤアパレルは筆者が業界紙記者となった90年代後半には本社機能の多くをすでに東京に移していた。

シャツからの連想でスーツを思い返してみても、メルボ紳士服、トレンザ、ロンナー、大賀、ジョイックスコーポレーションとそうそうたる顔ぶれが大阪市内の谷町筋界隈にあった。
今、ジョイックスを除いてスーツメーカー各社は大幅に規模を縮小している。
またロンナーとジョイックスを除いては本社を谷町筋界隈から移転させてしまっている。
ほとんどが東京へ機能集中させており、登記上残っている大阪の本社も谷町4丁目界隈からは遠く離れてしまっている。

子供服もかつては大阪には大手が数多く本社を構えていた。
ビンテージジーンズで一世を風靡したブランドも大阪本社、大阪での創業というのが多かった。

で、まあ、今も「大阪のファッション復興」というスローガンを掲げた取り組みをときどき見かけるわけだが、過去20年近くも断続的に見続けているということは、20年かかっても復興できなかったということを証明しているといえる。

その取り組みの目玉企画は時代によって変えられてきたが、デザイナーズブランドだったり、新興アパレルだったり、スタイリストだったりしたのだが、それらが大阪で隆盛を極めていた時代があったのだろうか。
寡聞にして筆者には20年前からの知識しかないが、知る範囲においてはそういう隆盛はなかった。

そういう取り組みで必ず使われるのが「大阪らしさ」と言う言葉なのだが、それってどういうことだろうか?
東京人にはないカラフルな色柄を着こなしに組み入れることだろうか。
想像力の乏しい筆者にはそれくらいしか想像することができない。

それよりも例えばかつての谷町筋のスーツメーカーを再集結させて何かイベントをやった方がよほど「大阪らしい」のではないかと感じる。
別にスーツではなく、子供服でもビンテージレプリカジーンズでもワイシャツでも構わないが、それらの方がよほど具体的で分かり易いのではないかと思う。

しかし、そもそもこれだけ本社機能が流出してしまった大阪で「ファッション再興」なんていう取り組みが必要なのだろうかと根本的な部分で疑問を抱いてしまう。
それを言っちゃお終いなのだろうけど。

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