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南充浩 オフィシャルブログ

強い現場と弱い本社

2014年2月17日 未分類 0

 日本の物作りがダメだという意見を耳にする。
その実例として挙げられるのが家電である。
最近だと自動車も韓国製に追い上げられていると錯覚している人も見かけるが、自動車においてはハイブリッドカー、EVカーでは韓国製は日本製にまったく太刀打ちできていない。この見方はあまりにも自虐史観にとらわれ過ぎているといえよう。

さて、家電においても日本企業でも優劣が出始めている。
比較的堅調になり始めた企業と苦戦が続く企業。

こうした報道を見る限りにおいては、「日本の物作り」すべてがダメになったとは思えない。

繊維製品・雑貨では無い物ねだりなのか、日本製がプチブームである。
かといって日本製すべてが高品質というわけでもなく、日本製もアジア製も変わらない物もある。
アジア製にも高品質品がある。

日本製がアジア製に完全に勝っているかといわれるとちょっと疑問だが、アジア製に完全に劣っているというわけでもない。
個別の案件ではもっと様々な優劣があるだろうが、今回は大きくまとめてしまう。

繊維製品で見ると、日本製がアジア製より大きく優れているとはいえないが、劣っているとも言えないというのが現状ではないか。

先日から藤本隆宏さんの本を読み始めている。
講演したのを活字化しているので、ちょっと文章としては良く分からない部分もある。

しかし、これまでマスコミや業界で大勢を占めていた「日本物作り衰退論」というのは決して正しい見方ではないということがわかった。

藤本さんは「モジュラー(組み合わせ)型」の物作りはアジア勢に道を譲らざるを得ない状況になったが、「複雑型」の物作りは日本がいまだに世界的に優位にあると説く。
モジュラー型の代表はスマホやパソコン、家電、複雑型はハイブリッドカー、高機能便器などである。

その中で特に印象に残ったのが「強い現場、弱い本社」という考え方である。
繊維製造業でも同じではないかと感じる。

現場は製造に関して日夜、研究と作業を続けている。しかし、「何を作れ」とか「何を開発しろ」と現場に指示を出すのは本社である。本社からの指示なしで勝手に現場が目的も持たずに物を製造することはあり得ない。
藤本さんは、日本の製造業が衰退したように見える理由は「本社が指示能力を失ったから」だと説く。

実際に日本の繊維製造現場を見学すると、旧式の機械ながらその特徴を生かした物作りが行われている。
例えば、織布工場を例に取ると、織機を動かすのは現場である工場である。
しかし、工場のラインで働く人が「次のシーズンはこんな生地を作りましょう」と提案することはない。
「次のシーズンはこんな生地を作ろう」と指示するのは本社の仕事である。
またそういう次の商材を企画するのも工場ラインの仕事ではなく、本社の仕事である。

苦戦する国内繊維製造業において活況を呈している企業もある。
そういう企業はだいたい、次の商材開発を本社(零細では工場ラインも兼務している)が的確な指示を出し続けている。すべてが的確でなくても、次の商材開発に意欲的で営業活動も活発である。

一方、苦戦し続けている企業は、本社が下請け気質に甘んじているか、零細では本社と工場ラインのスタッフがほぼ同じなのだが、その本社兼現場が下請け気質に甘んじている場合が多い。

ここを何とかすれば国内繊維製造業も少しは全体的に上向きになるのではないかと思う。

日本製は優れているという思い込みは危険だが、日本製品はアジア製品より劣っていると自虐に陥る必要もない。旧式の織機だってそれによって作られる生地は、最新鋭織機で織られたアジア製の生地には出せない風合いを持っていることもある。

本社の企画・営業機能を強化することで、強い現場が生かされることができるのではないか。

ひどく大雑把だがそんな感想を持った。

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