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南充浩 オフィシャルブログ

難問である

2013年9月4日 未分類 0

 クールジャパン政策についての議論が盛んである。
部外者からすると、もとよりこれは結論の出ない議案であるので、全方位が納得できる結論が議論で出るとは思えない。

部外者なので識者の言説を読むほかはないのだが、そもそもどうなれば成功型なのかということも明確ではない。
これが企業や業界の話なら簡単で、売上高を10%伸ばしますとか、利益率を2%高めます、というような数値目標が立てやすい。
しかし、これは文化事業であるので、どういう形を持って「成功」と見なすのかがなかなか定めにくい。
また、通常の企業活動とは異なり、どれくらいの期間でその「成功」を目指すのかという期間設定も難しい。

繰り返すが、企業なら「5年後に売上高100億円を目指します」という目標設定が可能だが、文化事業に関してはそうではない。

とりあえず、日本の文化を広めるために国が支援しますよということくらいしか我々にはわからない。

これに対して様々な意見があり、それらは一面ですべて正しい。

例えば、「文化を他国に輸出するのは国策でどうのこうのできるものではない。自然な流れに任せるべき」というものがある。これはこれで正しい。その通り正論である。

しかし、国としてやることを決めたのなら何らかの行動は起こさざるを得ない。

数百億円規模の予算が動く。
じゃあ、このお金をどのように使えば有効なのかというのも明確ではない。
それぞれの意見がすべてそれなりに正しい。

企業活動なら、「○億円の投資で○○活動を行う、その活動によって○○億円の売上高を確保し、利益率を●%高めます」と明確に数値設定が可能である。
しかし、今回の数百億円の予算を投入して、何にどれだけの効果があるのかは現時点ではだれも予測できない。
しかもどれだけの期間取り組めば、効果が出るのかもわからない。

こういうことに国が多額の予算をつぎ込むことに批判もある。
それはそれで正しい。

けれども他方で、他国は文化産業に国が投資しているから育成ができており、我が国はその取り組みが遅れているという意見もある。
筆者の知人で、地場産業とかプロダクトデザイン支援を長年行ってきた一民間人の大先輩がおられる。
マスコミに出てくるような著名な方ではない。それこそ草莽の士である。
彼に言わせると「韓国は国ぐるみでデザイン教育を強化しており、早晩我が国のデザインが追い抜かれるかもしれない」とのことだ。

これは彼の感想でしかないのだが、好き嫌いは別として韓国が近年、自国文化を強硬に国ぐるみで輸出・発信しているのは事実である。
筆者は、かなり「ゴリ押し感」を感じて彼らの取り組みが好きではないのだが、そういう取り組みを行っている国もある。結果的には成功していない部分も多い(例えばアメリカ進出、日本でのミュージカル公演など)が、我が国がそれに近いことをやっても非難されるいわれはない。

で、個人的には慶應義塾大学の中村伊知哉教授が書かれていた意見に概ね賛同である。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakamura-ichiya/20130522-00025115/

難問である。クールジャパンやコンテンツを話題にすると、「そんなの国のやることかよ!」という声が必ず飛び交う。マンガ、アニメ、ゲームの海外人気が認知されたとはいえ、未だサブカル扱いなのだ。

そう、国のやることだ。これは特定産業の育成策ではない。コンテンツを支援するのは、外部効果が大きいからだ。コンテンツ産業の売り上げを伸ばすというより、コンテンツを触媒として、家電や食品や観光などを含む産業全体、GDPを伸ばすことが狙い。むろん、ナイ教授のいうソフトパワー、つまり文化の魅力で他国を引きつける政治学的な意味合いもある。

中略

しかも、日本の文化予算は他国に比べかなり低い。文化予算/政府予算は、日本が0.13%なのに対し、フランスや韓国は1%近くある。文化政策のプライオリティーを全政策のどのくらいに位置づけるか、を考える機会であろう。

とのことである。

そして、我が国の文化事業への取り組みが何となく白い目で見られがちなのは、

それは、予算にしろ規制緩和にしろ、どこにどう政策資源を配分するかの「目利き」が国民から信頼されていないせいもあろう。コンテンツのよしあしを政治家や官僚が判断できっこない、という指摘はごもっとも。審議会のような権威の集まりも白眼視されがちだ。

と指摘されている。

今のクールジャパン審議会の有識者が完全に正しいとは筆者も含めてだれも思っていない。
その有識者の人選でさえ見識を疑われている部分もある。

その上で

20年前、政府にコンテンツ政策を打ち立てようと企てた研究会の事務局を務めていた時、ある委員の発言が今も耳に残る。「こういう政策は、本気で100年やり続けるか、何もやらないか、どちらかだ。」私は、「そうだ、政府は本気で100年やり続けろ。」と言いたい。

と締めくくられており、この部分に賛同する。

成功の形態もわからない、数値化も難しい取り組みとはあっては、「やるか、やらないか」を決めるしかない。その上で何らかの成果が出るまでは「本気で100年やり続けろ」としか言えない。目先の「費用対効果」なんて言い出したらこんな取り組みはしない方がマシということになる。

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