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南充浩 オフィシャルブログ

エディ・スリマンへの評論からキムタクを連想した話

2019年1月17日 デザイナー 0

ファッション業界の人は、毎シーズン、著名デザイナーズブランドのコレクションショーを楽しみにしているが、当方はあまり興味がない。見てもよくわからないからだ。
それでも仕事の関係上、何度かは会場で見たことがある。
多分、仕事でなければ見に行きたいとは思わない。現にこの5年くらいはそういう仕事がないので、一度も見に行っていない。
興味がないから、ウェブでもほとんど見ない。
一方、ビジネスとしてはそれなりに薄~く関連があるから、各メゾンブランドの新就任デザイナーや退任デザイナーの情報は一応は記憶するようにしている。覚えきれないことも多いが。(笑)
モードの批評とかファッションの精神性とかトレンドが表現している人間の精神とかクリエイションの可能性とか、実はそんなものには当方は一切興味がない。
まあ、そんなスタンスの当方がこの記事は秀逸で面白いと思った。
 
「ラフ・シモンズ退任から予測する新しいデザイン時代の到来」
https://note.mu/affectus/n/n46f345f2d6e4
 
モードとかクリエイションとかそんなことはまったくわからないから言及する気もない。
面白いと思ったのは、カルバン・クラインを退任したラフ・シモンズと、そのライバルと目されているエディ・スリマンを見事に対比させ、それでいてビジネス視点も盛り込んでいるからだ。
単なるモード批評とかクリエイション評論なら読んでないし、よしんば読んだとしても興味は持たないし記憶しない。
昨年12月に「カルバン・クライン」からラフ・シモンズが去ることが決まった。
 

それほど大きなビジネス的期待を寄せられていたラフの新生カルバン・クラインだったが、結果的にはその期待に応えられなかったことになる。
売上を伸ばせなかった理由はどこにあるのだろう。
「メーン顧客層にとってファッション的に先鋭的すぎ、価格帯も高すぎた」
キリコCEOはこう述べているが、実際にラフのデザインを見ていると一理あると感じた。
 
しかし、その2018AWコレクションが市場に投入された2018年8月から10月期において既存店の売上が2%下落し、利払い前・税引き前当期利益(EBIT)は前年同期比14.7%減の1億2100万ドル(約136億円)ということだった。

 
2%の既存店減収は置いておいても14・7%減益はビジネス的には痛手である。いささか性急すぎる気もするが、デザイナーが交代になっても不思議ではない。
 

ファッションデザインと言えば、これまではデザイナーが強烈な世界観というビジョンを示し、そこに消費者の憧れを喚起して消費に結ぶつける「デザイナー視点」でのアプローチが王道であった。そのためのファンタスティックなショーであり、クールなビジュアルと言える。
だが、SNSの登場以降、人々は憧れよりも自分の価値観を第一にし、その価値観を重視する傾向へ世界はシフトした。その結果、ニーズは多様性を生み、メガヒットが生まれにくい時代になった。その時代のシフトとファッションデザインの王道アプローチに、ギャップが生まれているのではないだろうか。
ラフはファッションデザインの王道アプローチを、カルバン・クラインで展開していた。その手法が、ラフのカルバン・クライン不調の理由だった可能性はある。カルバン・クラインの顧客ニーズを捉えきれなかった可能性が。極端に言えば、ラフのデザインはモード史的には価値があったが、カルバン・クラインの顧客には価値がなかった。
 

SNSの登場以来、「人々は憧れよりも自分の価値観を第一に」という一節にはちょっと疑問があるが、それ以外は的確な評論ではないかと思う。カルバン・クラインの主要顧客には新しい提案が受け入れられなかったということだろう。
当方がこの一節に疑問を感じるのは、コレクションショーを見て「憧れ」を感じる消費者がそんなにたくさん存在するだろうかという点である。当方がこの手のショーを見てちっともわからない鈍い人間だからこそ、そういう人間が多数存在するとはどうしても思えない。多くの人はショーを見ても「わけがわからん」のではないかと思う。SNSによって、そういう本音が発信できるようになったし、そういう仲間も多数見つけられるようになったから、これまでの「憧れているふり」をしなくても済むようになっただけではないだろうか。
 
で、エディ・スリマンだが、セリーヌのデザイナーに就任した初コレクションショーは賛否両論だった。前シーズンまでのセリーヌファンは失望しただろうし、エディ・スリマンのファンは満足しただろう。なぜなら出展されたのは「いつものエディ・スリマン」だったからだ。
 

エディはディオールとサンローランで、ビジネス的に大きな結果を残した。特に興味深いのはサンローランでの結果だ。彼のデザインは「変わらない」と言われ、ファッション業界では批判が渦巻いた。しかし、業界内の評価とは裏腹に、エディのサンローランはメゾン史上最高の業績をあげる。
一見するとエディは自分の好きなデザインしかしていないように見えるが、正確に言うと彼は「自分の好きな人たち」のためにデザインをしている。ロックに陶酔する若者たちのために。エディはターゲットが明確なのだ。ターゲットのために、ターゲットが望む服をデザインしている。
そして、ターゲットが望むであろうビジュアルを的確に投入する。ブランドが変わっても、エディはターゲットを変えないので、結果的には同じデザインにしかならない。ブランドのDNAはエディには関係ない。

 
この評論は極めて的確ではないかと思う。
当方はこのエディ・スリマンを見ていると、キムタクを連想する。「何を演じてもキムタク」と揶揄される反面、常に出演テレビドラマは高い視聴率になる。南極探検しようが検事に就任しようが、キムタクである。しかし低かったといっても10%は確保できるのだから、この低視聴率の時代に大したものだと思う。
「何を演じてもキムタク」と「何のブランドをやってもエディ・スリマン」は大変似ていると感じる。

ラフとエディの差はそこにあるのではないか。デザイン的に評価が高いのはラフだが、ビジネス的には圧倒的にエディとなる。

この一節は極めて正しい認識ではないか。
当方は芸術とかアートとかモードとかそんなものは全然わからないから、洋服はどんなブランドでも「儲かってナンボ」だと思っている。大幅に儲けすぎる必要はないが、赤字にならない程度、倒産しない程度、社員をリストラせずに済む程度、には儲けなくてはならないと思っている。
崇高で理解不能な作品を作っているが赤字垂れ流しのブランドよりは、俗っぽい商品でも常に一定の利益を確保できているブランドの方が、当方は好きである。
そして、モードな新提案というのは、そういうことを好むコア層に向けてやる方が今後は適しているのではないかと思う。ちょうど、エディ・スリマンが常に自分のコアなファンに向けて提案し続けているように。
 

デザイナー(ブランド)が強烈な世界観というビジョンを示すアプローチではなく、明確にブランドのターゲットを設定し、そしてターゲットのライフスタイルを捉え、ターゲットの生活に喜びを提供するためにデザイナーが自身のクリエイティブを発揮する。そんなカスタマー視点のデザインが、ファッション界にも訪れる予感がしている。いや、すでに訪れているのかもしれない。
常にカスタマー視点でいること。消費者の生活に自分は何ができるか。それがこれからのファッションデザイナーに求められる。
 

今後しばらくはこういう傾向が強くなるだろう。しかし、この世の中は作用と反作用の繰り返しだから、何年後か何十年か後には、反作用で、クリエイションが異様に求められる時代が必ず到来するだろう。そこに向けて(いつ訪れるかわからないが)潰れない程度に生き延びるというのもクリエイション重視のデザイナーには必要な処世ではないかと思う。「止まっている時計は一日に必ず二度だけ時刻が合う」みたいなもので、生き延びていれば、一度はアジャストする時勢が訪れるからだ。
 

久しぶりにNOTEの有料記事を更新しました~
「アパレルの簡単な潰し方」
https://note.mu/minami_mitsuhiro/n/n479cc88c67bf

 

【告知】2月7日に東京で有料のトークイベントを開催します
https://eventon.jp/15877/

 
カルバンクラインのボクサーブリーフ高ッ

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