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南充浩 オフィシャルブログ

洋服を10年持たせたかったら着用回数と洗濯回数を減らせば実現できる

2018年12月26日 考察 0

洋服の傷み具合は、万全の体制で保管したとして、着用回数×洗濯回数で決まる。
着用回数と洗濯回数が多ければ多いほど洋服は早く傷む。
巷や知人にも「安い服は早く傷む」という人がいるが、着用回数と洗濯回数を極限まで減らして保管すれば恐らく10年以上は軽く持つ。
当方は、仕事柄手持ちの洋服が多いので、ウールの虫食いによる破損を除いてはそれほど洋服は傷まない。1枚あたりの着用回数と洗濯回数が少ないからである。
2008年以降、収入の激減と百貨店ブランドの凋落によって、購入する洋服のほとんどが低価格品でさらにそこからの値引き品ばかりになった。
ユニクロ、無印良品、ライトオン、ジーンズメイト、グローバルワーク、レイジブルーあたりが6大愛用ブランドだったが、2016年からはここにジーユーが加わり7大愛用ブランドになった。
GAPは最近ほとんど買わなくなった。それこそTシャツなんかは生地が粗悪すぎて持ちが悪そうだからだ。
2008年頃に値引きで買ったユニクロのセーターはいまだにヘタれておらず着用できている。ユニクロで2005年くらいに買ったツイードジャケットもいまだに傷んでいない。
理由は着用回数が少ないからだ。
 
2008年ごろにH&Mやフォーエバー21などの外資ファストファッションが上陸すると、安くてトレンド性が高いものの、品質的にはイマイチだったが大ヒットとなった。
2015年ごろからその勢いは鈍化したものの、その間、外資ファストファッションへの反発が業界やメディアの一部から生まれた。
これが、ファストファッション悪玉論で、アンチファストファッションは「10年持つ服」とか「100年持つ服」なんていうスローガンを掲げて、今に至っている。
洋服の価値はさまざまあってしかるべきだと考えているから、10年持つ服とか100年持つ服なんていう「ニッチジャンル」「極小市場」があっても当然だとは思うが、それは決して主流派になることはない。
なぜなら、この手の服を掲げるブランドは概して「モノヅクリ」系だが、この手の服を製造する縫製工場、生地を供給する生地工場、副資材メーカーはすべて「大量生産」の仕組みで成り立っているからである。
例えば、某D2Cブランドは大手生地工場に出資をお願いしたことがあるが、大量生産の仕組みが崩れればこの大手生地工場は経営が成り立たなくなり、とてもではないがD2Cブランドへの出資などできなくなってしまう。
お分かりだろうか?
生地しかり副資材しかり縫製しかりである。
かつてのオートクチュールや街のオーダー店のような縫製を手掛けている工場はほとんどない。縫製工場も工場ごとに基準は異なるが、ある程度の数量がないと縫製業として成り立たない。
いわゆるミニマムロットというやつだ。
30枚なのか50枚なのか100枚なのかは別として、縫製工場としてはその基準をクリアしてもらいたいわけで、オーダーの真似事のように1枚だけの縫製なんてよほどのカネをもらわない限りやりたくない。
 
10年持つ服というのは、正直なところ着用回数と洗濯回数を減らせば、H&Mやフォーエバー21の品質ではあり得ないかもしれないが、ユニクロや無印良品レベルの品質なら実現することが可能であるというのが個人的な経験である。
だから、当方は巷でチラホラと見かける「10年持つ服ブランド」にはまったく何の共感も共鳴もない。シンパシーはゼロだ。
某S陽商会が提唱する「100年持つ服」(S陽商会の場合はコート)だって、それはそれで面白い取り組みだし、そういうコンセプトによる商品開発があっても良いと思うが、個人的にはそんな耐久性が必要なのかな?と思う。
買ってすぐに破損するのはダメだが、例えば5年とか10年くらいで適当な時期に破損してくれた方が捨てて買い替えるきっかけになるから、当方としてはその程度で十分ではないかと思う。
世の中にはさまざまな商品があって、それぞれ耐久年数が異なる。
先日、自宅の全自動洗濯機が壊れたがこれは7年が寿命だった。昔の洗濯機なら構造が単純だからその2倍くらいは持ったのではないかと思う。
パソコンならどうだろうか5年前後だろうか?今の液晶テレビも20年は持たないだろうが、昔のブラウン管のテレビは当方の自宅では20年くらい使っていた。
一方、貴金属や宝石、陶磁器なんかは何十年~何百年も持つ。それは化学変化を起こしにくいからである。
 
さて、洋服だが1年や2年で破損するとガッガリしてしまうが、逆に何十年とか100年の耐久性を求めることが適切なのだろうかと疑問を持っている。
糸も生地も貴金属や宝石に比べるとはるかに脆く化学変化を起こしやすい。何年間かで劣化しても当然である。
日本には着物があって、着物は何代も引き継ぐというからそのイメージを洋服に当てはめているのかもしれないがそれはナンセンスなイメージ投影に過ぎないのではないかと思う。
着物は洋服ほど変化しない。もちろん少しずつ変化しているし、サイズ感も変わってはきているが、洋服ほどの変化はない。
戦後70年間で洋服はあまり変化しなくなったが、100年前の洋服とは材質云々ではなく、デザインや形状が大きく変化している。今、100年前の洋服を着ている人がどれほどいるだろうか?それを着て一般的な社会生活を営んでいる人はほとんどいない。
ということは、100年後の洋服も以前よりは変化の幅が少ないとしても、ある程度変化してしまっている可能性も決して低くはない。
資料として残すこと以外で100年後まで洋服を持たせる意味というのを当方はあまり感じない。
決して「長持ちする服」というジャンルを消滅させるべきだとは考えないが、ブランド側やメディアは、ニッチ市場であることを強く認識しながら展開、紹介する必要があるのではないかと思う。このジャンルがメインのシステムになることは今後もあり得ないのだから。
 

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【有料記事】地方百貨店を再生したいなら「ファッション」を捨てよ
https://note.mu/minami_mitsuhiro/n/n56ba091fab93
2016年に行ってお蔵入りした三越伊勢丹HDの大西洋・前社長のインタビューも一部に流用しています

 
そんな三陽商会の100年コートをどうぞ~
 

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