「お客は一定の水準を越えている商品ならどこの商品でも良い」という意味の発言があったがまさにその通りだと思う。いわゆる衣料品に対しても同じことである。

もちろん、こだわりの愛好者を否定するつもりはないし、それはそれで愛好者同士仲良くやってくれよという感じしかない。

例えば、先日プラモデルを作る際、セメダインがなくなってしまったことに気が付いた。
Amazonで調べると何種類か出てきた。
プロ級になると、「〇〇のセメダインは乾きが遅いから云々」とか「〇〇のセメダインはキレが悪いからどうのこうの」とか、それぞれのメーカーやブランドにこだわりがあるかもしれないが、こちとら、素人の暇つぶしの人間にとっては、タミヤだろうがGSIクレオスだろうが値段が手ごろで容量がそれなりにあればどれでも良いのである。

衣料品だってそんなもんだということである。

衣料品の場合、嗜好品みたいな部分もあるから、見た目にもいろいろと意見がわかれる。
重要なのは

1、見た目(デザインの良しあし、トレンドの再現度合い)
2、素材・縫製の品質
3、値段
4、ブランド名などから発せられるイメージ
5、着心地(着用時の感触、シルエットの良さ)
6、機能性(ストレッチとか暖かいとか防水とか)

の6点ではないかと思う。

このうちの3点がそろっていれば、人は合格点をつけるのではないかと思う。
3点+値段なら当方は合格点をつける。

80年代・90年代に売れに売れていたダイエーなどの総合スーパーの低価格衣料品は、値段という1点のみで評価されていた。
総合スーパーで90年代半ばに爆発的ヒットを飛ばした1900円の形態安定加工シャツは、値段と機能性の2点が評価されたといえる。

現在、日本国内はユニクロに席捲されているが、今のユニクロは1,2,3,6が評価されていて、人によっては5も評価しているのではないかと思う。
4がもっとも弱い部分だったがそれすら改善されつつある。

しかし、90年代後半のユニクロは、3だけの存在で、かろうじて人によっては2、6も評価していたという程度だった。

ユニクロ以外のH&M、ZARA、ジーユー、ハニーズ、ライトオン、アダストリア、無印良品などなど、今、国内でそれなりの評価を受けているブランドは、少なくとも3点以上は評価されているのではないかと思う。

そういうシェアを取っているブランドの多くは、見た目のデザインは悪くない。ただし、奇抜さはない。

デザイナーズブランドやかつての最先端ブランドは、見た目が奇抜なものが多かった。
今でも多いかもしれない。

が、そういう服は売れにくくなっている。
個人的には「当たり前やんけ」としか思わないが、ファッション業界人にとってはそれが大きな問題なようで、それに対する考察?が様々行われているが、どれもこれも自分らの利権擁護だとしか思えない。

2000年代前半までのような奇抜な服が売れにくくなったことを衣料品業界人は「問題だ」というが、当方は「当たり前」であり、「好ましいこと」ではないかと思う。
それだけ日本の消費者が成熟したといえるからである。

これは他のベテランも指摘されたことがあるが、日本で原宿系のような奇抜なファッションが生まれたのは、そもそも「日本には洋服の基本がない」からである。
明治に洋装令が施行され、突如流入した異文化であり、戦後さらに急激に再び流入して今に至る。

洋服の基本が染みついている欧米からああいう奇抜な服装が生まれなかったのは、ちょうど、日本から奇抜な着物ファッションが生まれないのと同様ではないかと思う。


日本の“Kawaii”はどこへ? 米「WWD」記者が見た今の東京とこれから
https://www.wwdjapan.com/455389

この記事の考察は半分くらい賛成できるが、コメントの多くを独立系若手デザイナーが出しており、その考え方と一般大衆との乖離にはすさまじいものがあると感じる。

例えば

一方坂部デザイナーは、「以前は、みんなそれぞれ人と違う個性を持っていた。でも今、個性的な服を着て渋谷や新宿を歩けば、恥ずかしい気持ちになるだろう。どんなファッションが正しくて何が間違っているかの感覚が、今の若者にはある」と、若者の傾向をインターネットいじめのせいだと分析する。

とあるが、20年前の若者(ちょうど当方前後の世代)にそんな「人と違う個性」なんてあったかというと疑問だ。
それに奇抜な服装をすることだけがどうして「人と違う個性」なのか。あまりに薄っぺらい見識ではないだろうか。

20年前、25年前の若者こそ「〇〇ブーム」で流されまくっていた。
トップガンを見たらMA-1を着込み、ビンテージジーンズが流行ったといっては、わけのわからん古着ジーンズを高値で買った「業界のカモ世代」である。

どんなファッションが正しいのか理解しているということは、消費者は成熟し、リテラシーが高まったということで、舶来コンプレックスの塊の業界人にとってはそれだけ欧米に近づいているのだから歓迎すべきではないのか。

何を言っているのかと思う。

そんなことを言っているからデザイナーズブランドが作る服は売れないのである。

「奇抜な服装をすること=個性」という考え方こそ、30年前のステレオタイプではないか。



元来、「ファッション」に疎く、ファッション業界の雰囲気が嫌いな当方には最後の締めも理解できない。

KAWIIに代わって、インテリが注目されるだろうとの見通しだが、インテリは一朝一夕で身につくものではない。
インテリ化するためにはそれなりの頭の良さが必要となる(学歴以外でも)。

それほど賢くない人が集まっているアパレル業界、その予備軍たちが容易くインテリ化できるようになるとはまったく思わない。

頭の悪いままで何かをこじらせて、偽善に縋りつくことになるのが落ちだろう。

もしくは見た目だけそれらしくするか。

今までの手法が通じなくなったことをグダグダと嘆くよりも、今の消費者に売れる商品を作ることに心血を注ぐべきではないか。
ファッションはアートではなく、ビジネスなのだから。
アートがやりたければアートとして活動し、ビジネス的成果を求めなければよいのである。
自分たちのアート的志向を変えることなく、それでいてビジネス的成果も得たいというのは、ちょっと虫が良すぎるのではないか。

だからファッション業界人は嫌いなんだよ。


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