衣料品やファッション雑貨類において、粗悪品は問題外として、要求水準以上のクオリティがあれば、次は「売り方」を工夫すべきである。

産地や工場に行くとよく聞かれるのが「〇〇ブランドの方が売れているけど、うちの方が品質が良い。なぜなら、うちの生地の方が経糸が〇〇本多いから」というような言葉である。

別に経糸に限ったことではない。
ニットやジャージなら目付(めつけ)だったり、目数(めかず)だったりする。
縫製工場ならステッチの幅が〇〇ミリだとかそういう類のことである。

繰り返すが、粗悪品は問題外だ。

しかし、要求水準以上の品質が実現された後、さらに目数を1つ増やすとか、ステッチ幅を1ミリ縮めるとか、そういうミクロなことを追求しても消費者にはわからないし、商品は売れない。

もちろん、物作りの姿勢は否定しない。
それはいくらでも追求すれば良いが、売るためには違うテクニックが必要になる。
「売る」のと「開発する」のとで区別をつけて取り組まねば効果がないし、それをするのが工場の経営者である。

それができないなら工場の経営は他者に譲るべきだろう。

先日、ある国内靴下工場の人に会った。
最近の業績が芳しくないそうだ。

粗悪品を作っているのではない。
むしろ、高品質品を製造している。
だけど売れない。

問題は、品質ではなく、売り方ではないか。

最近は奈良の靴下産地の尽力もあってさまざまな国産靴下ブランドが生まれている。
機能性に焦点を当てたものもあれば、色柄などのファッション性に焦点を当てたものもある。
その中で、もっともポピュラーな国産靴下ブランドといえば、タビオの「靴下屋」だろう。

タビオの靴下はたしかに高品質だが、数ある国産靴下の中でもっとも品質が高いかというとそうでもない。
同等の商品も数々あるし、この某工場はタビオよりも高品質だと自負している。
まあ、控えめに見積もっても同等レベルにはあるだろう。

だが、売れ行き、知名度はタビオと各社では段違いだ。

どうしてそうなったのか。それは「売り方」「見せ方」の問題で、タビオが上手くてその他は下手くそだったからだ。

この某工場の社長は根っからの職人肌らしく、苦境を乗り切るために「さらに高品質化を目指そう」と発破をかけているらしいが、はっきり言ってピントがズレている。

売りたいなら、広報・宣伝に力と金を使うべきだし、販促も強化する必要がある。

単に品質をさらに高めたからといって、売れると考えているなら考え違いも甚だしい。

例えば、合格点が100点満点中60点だとする。
大概の消費者は70点~80点くらいの出来であれば、満足する。
あとは価格とかデザインとか機能性とかそういうところの工夫が重要になる。

ところが、今、この某工場がやろうとしていることは、93点の品質を95点に上げようとすることだ。
大変な難業だと思うが、消費者にはその2点の差はほとんど伝わらない。
なぜなら、消費者は靴下のプロではないからだ。

目数を1つか2つ増やしたところで、何の効果も消費者は実感できない。

それなら、目数を1つか2つ減らして値段を下げたほうがよほど消費者の食いつきが良い。

今回はたまたま靴下工場の人と会ったのでこういう書き方になったが、国内の他の分野の繊維製品もほとんど同じである。
消費者には実感できないミクロを越えたオミクロンな世界を必死になって追求している。

その行為は尊いが、ビジネスには不適合である。

こういうオミクロンな物作りの良さを追求している間は、この某工場の商況は好転しないだろうし、他の国内の繊維製造業の苦境は改善されない。

オミクロンな開発は重要だが、それはあくまでも開発と位置づけ、ビジネスはビジネスとして割り切っての生産が必要とされる。

繊維の製造加工業は、1点作ることに心血を注ぐ「作家活動」ではなく、あくまでも大量生産が基盤となった工業ビジネスに過ぎないのだから、その部分をキチンと区別する必要がある。
区別できない製造加工業は淘汰されてしかるべきである。

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