下請け受注の減少から、自社オリジナル製品の開発を始めた製造加工業者は少なくない。
今では産地企業のブランドも珍しくない。

しかし、その多くはなかなかうまく離陸しない。

その理由は大雑把にいって2つある。

1、商品自体のデザインが良くない
2、商品は良いが売り方・見せ方・伝え方・パッケージが良くない

この2つある。

1が起きる背景には、デザインという「形のない物」に金を払いたくないという製造加工業者特有のメンタリティが働くことがある。
デザイナーへの支払いをケチるあまりに、社内や身内の素人にデザインさせてしまうことがある。
それが成功する場合もあるが、多くの場合は素人は素人であり、売り物のレベルには達していない。

物そのものが良くないのだから、売れなくて当然である。

問題は2の場合だ。
物そのものはそこそこの出来であるのに、売り方・見せ方・伝え方・パッケージが良くないため、期待したほど売れないという状況だ。
最近は、製造加工業のオリジナル企画も向上しているので、こちらの場合の方が多くなっている印象がある。

例えば、ラグジュアリーブランド「〇〇」と同じ素材を使って、それよりも形状も工夫したという商品がある。
しかし、ラグジュアリーブランド「〇〇」ほどは当然売れない。
なぜなら、売り方・見せ方・伝え方・パッケージのレベルが全く異なるからだ。

先日、ある業者から新ブランドについての相談を受けた。
その際、一人の同席者がおられた。

商品自体の出来は及第点を越えていた。
だから「物」だけで勝負できるなら、そこそこの売れ行きが十分に期待できる。

そこで、同席者がこう指摘した。

ハイクラスブランドとの競合を目指すなら、例えばお買い上げいただいたときの「箱」と「ショッパー」は必要ですし、値札や下げ札のデザインにも工夫を凝らす必要があります。ハイクラスブランドはそれらも含めて顧客から支持されているのです。

この指摘は納得である。
同席者は12歳くらい年下と若いが、最先端ブランドで展示会やブランディング、ウェブ、印刷物などのディレクションを行っておられ、その指摘はさすがというほかない。

若くて、いわゆる「クリエイションガー」とだけ無責任に叫んでいるような輩とは一線を画している。

日本人には「ボロは着てても心は錦」を美徳とする部分がある。
小銭にシビアな関西人や地方民はとくにそれをよしとする。

パッケージや見せ方、伝え方などは些末な問題で、「物」そのものの品質やらデザインが良ければ、それでいいじゃないかと考える人は日本人には多い。

「ボロいけど安くて美味い飲食店」が支持されるのもそういう理由がある。

これは一面、たしかにそうなのだが、食品にせよ、ファッション用品にせよ「物」そのものの良し悪しだけで判断できる消費者というのは実際はそれほど多くない。
やっぱり、店構えや箱、ショッパー、ディスプレイ、販売員の態度、ステイタス性などにその判断は大きく左右される。

話は少しそれるが、昨今の店頭の同質化問題の一因は、プロであるバイヤーやマーチャンダイザーまでもが、「物」ではなく、店構えやディスプレイ、ステイタス性で商品を判断してしまっている点にあり、プロの素人化が進んでいるともいえる。

「外装ばかり立派で中身は大したことない」という批判は間違ってはいないが、逆にいえば、「大したこともない商品を高値で売ってそれで消費者を納得させられる」というのは大した手腕だともいえる。
それは単に、小手先のキャッチコピーを付けたり、きれいな外国人モデルを使った広告を出稿するだけでは到底なしえないことである。

しかし、商品自体の出来が良いなら、見せ方・売り方・伝え方・パッケージを工夫すれば売れる可能性が格段に高まる。それをやらないことは非常にもったいない。

しかも昨今は低価格ブランドでも商品自体のデザインやクオリティは水準点に達している。
一昔前のように「安かろう悪かろう」という商品は分野を問わず、かなり減っており、「安かろうそこそこ良かろう」が標準といえる。

そうなると、「物」自体の優劣はそれほどなくなってくるから、見せ方・売り方・パッケージなどの工夫が勝負を左右することになる。

時々、お会いするセメントプロデュースデザインの金谷勉社長から、以前こんな話を聞いた。
大阪の石鹸メーカーをブランディングした際、それまで普通の長方形の石鹸を作っていた地味なメーカーだったが、これを五角形に形状を変更し、パッケージをリニューアルしたところ、かなり売り上げが増え百貨店などからもオファーがあったという。
石鹸の成分そのものは変わっていないにもかかわらずである。

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http://cocoon-soap.com/index.html

製造加工業者はどうしても「作ること」を重視し、それの工夫と改良に邁進する特性があるが、それと同等の熱量を見せ方・売り方・伝え方・パッケージ作りに振り分ける必要がある。
「ボロは着てても心は錦」ではなく、心が錦なら着飾るべきなのである。