毎朝、顔を洗う時に多くの人は鏡を見る。
髪の毛をセットするときにも鏡を見る。

たしか、遠藤周作のエッセイだったと記憶しているが、「自分も含めてどんなブサイクな男女でも鏡で自分の顔を見ると、まんざらでもないと思ってしまう」というようなことが書かれてあって、確かに言いえて妙だと感じる。

で、自分が撮影された写真やら動画やらを見ると、その根拠のない自信は脆くも崩れ去ってしまう。(筆者の体験)
第三者の視点でとらえられた写真やら動画は、世間から見られている己の姿で、容姿が残念な人は筆者も含めてそれは事実として映し出される。

だから筆者は自分の画像や動画が嫌いであり、なるべく写真を撮らないようにしている。

遠藤周作のエッセイは個人の容貌の問題をとらえたものだが、実は会社、企業、組織、ブランドも他人から見る視点と自分たちが思っている立場は乖離している場合が多い。
どうしても自社、自ブランドについては希望的観測・楽観的視点を多く盛り込んでしまいがちで、その楽観的視点で練られた方針・作戦は、事実に立脚していないため失敗に終わる。

先日、こんな話を聞いた。

某百貨店がレディースの靴売り場で2万円未満の商品を全廃し、最低価格を2万円にしたいと靴メーカーに打診があったそうだ。

その理由は「阪急百貨店うめだ本店がそういう売り場構成をして好評だから」だという。

ちょっと冷静に考えてもらいたい。

阪急百貨店うめだ本店と自店の客層はまったく同じなのか?
客単価はまったく同じなのか?
立地条件はまったく同じなのか?
ステイタス性はまったく同じなのか?

これらの要素がまったく同じならば、そういう商品構成に変化させてもそれなりに売上高が取れるだろう。
しかし、それらの要素が異なるなら、売上高は稼げずにさらに売り上げ不振に陥る。

なぜなら、その売り方は「阪急百貨店うめだ本店に適したやり方」だからだ。
他の百貨店に適したやり方ではないからだ。

こういう話は本当に業界には掃いて捨てるほどある。

いわく「伊勢丹新宿店がやっているから当社も」
いわく「ロンハーマンが好調だから当社も」
いわく「エルメスのあの商品が好調だから当社も」

などなどだ。

アホかと。

エルメスと同じステイタス性、ブランド力があるのだろうか。
ロンハーマンと同じ(以下同文)
新宿伊勢丹と同じ(以下同文)

第三者から見ればこれほど簡単なことがなぜ当事者にはわからないのだろうと不思議でならない。

おそらく、その心理は「鏡で自分の顔を見て『まんざらでもない』と思ってしまうブサイクな男女」と同じなのではないかと考えられる。

当事者はどうしても自分のことは甘めに、希望的観測をふんだんに盛り込んで考えてしまいがちだ。

しかし、そんな甘い考え方では正しいやり方にはならないし、やり方が正しくないなら導き出される結果も正しくない。

心を鬼にして、不細工な自ら写真や動画を見続けるほかない。
そこに立脚してさまざまな施策を考えるべきだろう。

「自分で思っていたよりも太っているからダイエットする必要がある」とか「思っていたよりハゲかけているから髪型を工夫しなくてはならない」とか、残酷な現実を受け止めることで初めて効果的な施策を考え付くことができる。

以前にも書いたが、某大手アパレルの部長が素材メーカーに「ユニクロでバカ売れしたのと同じ素材を売ってほしい」と飛び込んできたことがあるが、この部長も「鏡を見てまんざらでもない」と思うタイプの人間だろう。

商品そのもののデザインも、価格設定も、店舗数も、客層もすべてがユニクロと異なるのに、素材だけ同じ物を使っても同じくらいの数量が売れるはずもない。

昨今流行りの産地ブランドも同じだ。

「欧米のラグジュアリーブランドと同じ生地を使っているから、値段も同じくらいに設定したい」なんていう妄言は何度も耳にしたことがある。

まずは「鏡を見てまんざらでもない」と思わなくなる訓練をする必要があるのではないか。



ぐうたら社会学 (集英社文庫)
遠藤周作
集英社
2014-03-07