アパレル・ファッション業界にはアートへの劣等感をこじらせたのか、やたらと「作品」と呼びたがるアートスト気取りの人がいて、苦笑・失笑・冷笑を禁じ得ない。

量産既製服は工業製品であり、すべからく「商品」である。

何をもって「作品」、「商品」と区別するのかは個人によって定義が異なるだろうが、すくなくとも量産工業品は「作品」ではないという部分は多くの人が共通している認識だろう。

洋服において「作品」たりえるのは、オートクチュールか、もしくは個人で独創的なオーダーを受けた場合くらいだと考えるのが正常な思考だろう。

こんな書き込みが流れてきて唖然としたことがあるのだが、

ブランドが卸売りをすれば「商品」だが、直営店で販売すれば「作品」だ

と。

え?何を言っているのかまるでわからない。
この論法で行くなら、ルイ・ヴィトンが心斎橋の交差点にある直営店で販売しているのは「作品」ということになる。
そのとなりのディーゼルの直営店も「作品」になるし、横断歩道を渡った対面にあるシャネルも「作品」を販売していることになる。

さらにいうなら、自社企画商品を直営店のみで販売しているユニクロとジーユーも作品になるし、H&MもZARAもGAPも作品になる。

どうしてそういう思考になるのか理解ができない。

アパレル・ファッション業界には芸術やらクリエイティブやらに劣等感を抱いている人がかなりいて、そういう人たちの多くが「作品」を作りたがる。

まあ、趣味でならいくらでも「作品」とやらを作ってもらって結構なのだが、仕事として「作品」作りに心血を注がれると困る。
アパレルビジネスは売れてナンボ、儲けてナンボだから、売れない・儲けられない「作品」は不要で、売れて儲かる「商品」が必要なのである。

もちろん、全ブランドがユニクロのように国内売上高8000億円を実現する必要はない。

例えば、社員10人が世間平均以上の給料を安定的にもらえる売上高が5億円なら、それを維持することが目的でもかまわない。

「売上高より利益」とは言われるが、売上高が100万円もなければいくら無駄を省いたところで手元に残る利益なんて雀の涙ほどになる。

売上高が100万円なのに利益は1000万円なんてことは絶対に実現不可能である。

だから最低限の売上高が確保できるような「売れる商品」作りが必要不可欠となる。

デザインには客観性、機能性の実現が求められるが、アートは主観のみで製作できる。
自分の主観丸出しで製作したければアートを目指すべきなのであり、その代わりにアートは売れないと覚悟を決めなくてはならない。
なぜなら、主観丸出しで機能性も考慮されていないような物体を欲しがる人間なんてそんなに存在しない。
売れる可能性は極めて低いということだ。

世のデザイナー、パタンナー、それを目指す専門学校生は履き違えていないか?

長年、5店舗ほどにしか卸売りをしていなくて、どうやって生計を立てているのかよく分からないブランドも業界には存在する。
しかしそういうブランドの多くは親や配偶者が資産家で、そこから資金が常時流入してくるから、そういう採算度外視の洋服を長年製作し続けられるのである。
これは「作品」「アート」に近いといえる。(全然、その「作品」は欲しくないけど)

親や配偶者が資産家でなければ、そういうことを許してくれる資産家をパトロン、パトロネージとして探さなくてはならない。

「作品」が作りたい人はぜひそういう努力をしてもらいたい。

ただ、長年「作品」作りをしてきたブランド主宰者が、ビジネスを語りだしたのなら、その主宰者は自分の置かれた立場をまるで理解していないということになる。
単なる金持ちの趣味の道楽だったということである。

「作品」を作ろうが「商品」を作ろうがそれは個人の自由だが、自分の置かれた立場を理解せずに、量産品従事者が「作品」を志向してみたり、「作品」を作ってきた人がビジネスを語ったりするのは滑稽だし、世間のミスリードを引き起こしてしまう。

このあたりがごちゃ混ぜになっていることもアパレル・ファッション業界の混迷が続く一因になっているのではないだろうか。