物作り系の人々の「ハイエンドモデル」への固執は凄まじいが滑稽だと感じる。

先日、ちょっと唖然としてしまったのだが、ある取材先でこんな話を伺った。

冬山登山用、スキープレーヤー用のハイスペックダウンジャケットを作っていたメーカーが、もう少しスペックを下げたダウンジャケットをファッション用途で販売したところ、かなりのヒット作となった。
もちろん低価格品ではない。

それによってメーカーのイメージも好転したし、業績の好調さの一因にもなっている。

ところが、社内の古参の中には「あんな3000メートル級の冬山登山もできないようなダウンジャケットを販売するのはわが社の恥だ」とか「プロスキーヤーが着用できないような商品なんて・・・・」とか嘆く者もいるのだという。

もちろん、個人の思想は自由であるべきだが、あまりにもピントがずれていて笑えてくる。

3000メートル級の冬山登山をする人がどれほど世間に存在するのだろうか。
統計を取っていないからわからないが、せいぜい数千人程度ではないか。

そんなコアでニッチな層に向けて商品を作って売って、それでどれほどの売上高が稼げるのだろうか。
その会社が売上高3億円とか5億円程度ならそういうニッチ戦略でも良いが、会社の規模が何十億円、何百億円なら、そういうニッチな商品ではとても会社を支えられない。

必然的にある程度のマスに売れる商品を開発しなくてはならない。

3000メートル級の冬山登山に使用できるハイエンドモデルを否定しているわけではない。
それを作る技術は継承され伝承されねばならないから、そのためにも会社を存続させねばならない。

だったら会社が存続するためにはマスに販売できる商品を開発して、売上高を稼がねばならない。
その稼ぎでもってハイエンドモデルの技術継承・伝承を行えば良いのであって、ハイエンドモデルのみで会社の業績を支えなくてはならないという発想がおかしいのである。

超高額・ハイスペックなハイエンドモデルが飛ぶように売れればそれが理想だが、洋服に限らず家電でも自動車でもそんなことは起こりえない。
みんながレクサスやフェラーリを買えるわけではない。

だったら、庶民でも買いやすい商材を開発して収益を上げて、その収益でもって技術伝承を果たすことがもっとも合理的・論理的な考え方ではないか。

この古参社員たちの考え方は根本的におかしいのである。

物作り系の人にはこういう人が珍しくない。

いわく「デニム生地とは~」「ドレスシャツとは~」「スーツとは~」などなど。

はっきり言ってうんざりである。
そういう技術を突き詰めることは否定しないが、それを万人が欲しがっていると思い込むのはどうかと思う。

伝統工芸についても同じだと個人的には考えている。
いわゆる、正当な伝統工芸品を継承するためにも「売れやすい」商品を開発して、売上高を確保すべきだと考えている。

「本物の〇〇」が素晴らしいことは理解するが、その「本物の〇〇」が売れなくなっているのが現状ではないか。
その原因はデザインの悪さだったり、使い勝手の悪さだったり、けた外れの高価格だったり、メンテナンスの難しさだったり、する。
じゃあそういうものを解決した、普及版、簡易版、初心者版、一般ユーザー向け商品、などを開発すべきではないかと思う。

それで稼いだ売上高を、「本物の〇〇」を伝えるための原資にすれば良いだけのことである。
それがなぜわからないのか理解に苦しむ。

そう書くと、某伝統工芸の人がよくわからないコメントを寄せてきたのだが、「みんなに知られていないだけで、僕は工夫してそれなりに暮らせている」みたいな内容だった。
みんなに知られていない時点で、どうかと思う。
伝統工芸がどのようにして形を変えて生き残ってきたのかは知られるように努力すべきであろう。

個人としてそれで暮らせているのはけっこうなことだが、じゃあ業界全体ではどうか。
後継者難に陥っているのではないか。
それはひとえに「その事業で暮らせる」ということが知られてないためではないか。

僕は暮らせているという筆者個人への反論は、事業存続、事業伝承、事業継承にとって何の益もない。

製造業者の性向、嗜好はある程度は理解しているつもりだが、しかし、それがそのままで良いとは到底思わない。
生き残りたいなら生き残れるような策を講じるべきだし、こじらせたような作り手目線で普及版や簡易版の開発を否定することは、それは却って自分たちの首を絞めていることに気が付くべきである。