今日はちょっと小ネタを。

我々、オッサン世代では業界の常識だとされていることが若い世代では知られていないことが多い。
だから若いモンはケシカランと言いたいわけではなく、こうやって風習は変遷していくのだなあと感じる。

先日、WWDにこんな記事が掲載された。

丸井が証券会社を設立 若者の資産運用をサポート
https://www.wwdjapan.com/611550

金融について論じたいのではない。残念ながら当方は金融についての知識はない。
そうではなく、丸井が金融に進出するのは出自から言えば、至極親和性が高く違和感はないということが言いたいのである。

このニュースを見たときに、丸井ならあり得るだろうなと思った。

ところが、「業界の美肌プリンス」の異名をとる深地雅也さんにとっては意外だったそうだ。
深地さんは当方よりも12歳年下だが、亥年生まれなので、戌年生まれの当方より11年下の36歳である。
その年代の人にとっては丸井と金融というのは結び付かないのだそうで、もちろん丸井の出自もほとんど知られていない。
たった11年でその差ができる。

90年代以降の丸井はマルイの表記と「OIOI」という謎のロゴを掲げたファッションビルとして知られている。
マルイと読ませたいなら「OI」だけで十分じゃないかと思う。
どうして二つ繰り返すのかをネットで検索したところ、マルイからの正式なコメントがいくつかあったが、どれも共通しているのは「とりあえずOIOIでマルイと読んで欲しい。それ以上の理由はない」というものだったので、理屈抜きでそう読めということである。なんという理不尽さ。

当方は関西生まれ関西育ち関西在住なので、実は90年代後半になるまでマルイの存在を知らなかった。
関西には店がないからだ。
マルイと同様に関西でなじみがないのがパルコである。
心斎橋に申し訳程度のショボいパルコともっとショボいパルコデュエがあったが、90年代半ばにはほとんど顧みられることのない商業施設だった。

だから、今でもそうだが、当方はマルイにもパルコにも親近感はまるでない。
これは多くの関西人に共通しているのではないか。

まあ、それはさておき。

90年代後半には通販カタログでマルイの存在を知ったのだが、その扱っているブランドのラインナップを見て当方も「ファッションビルだ」と思った。
繊維業界新聞に入社して、マルイについて質問したところ、当時のデスクから「ファッションビルじゃなくて百貨店だ」と指摘されたが、扱っているブランドに百貨店らしさは微塵もなかった。

その後、33歳ごろに当方より7歳くらい上の関西の経営者と話す機会があったが、そのとき、その人が「親戚に東京のカード屋さんの経営者の親戚がいる」という言葉が飛び出した。

「東京のカード屋????」なんだそれ?
「VISAカードか?」

なんて考えていると、それはマルイのことを指していた。

なぜなら、1960年にマルイが初めて日本にクレジットカードをもたらしたからだ。
1950年代にアメリカで開発されたクレジットカードを日本に初めて持ち込んだのがマルイである。
とはいえ、今のクレジットカードと当時のマルイのクレジットカードはシステムがだいぶと異なっていたという証言もある。

さらにいえば、当方よりも年長の人たちは、マルイのことを「月賦屋さん」と呼んでいる。
そういえば当方が子供のころ、親世代は高い買い物を「月賦」で買っていた。
「月賦」は「げっぷ」と読む。決してゲップと表記してはいけない。

高額な商品を月々何万円かの分割で支払う方法であり、マルイが売上高を伸ばしたのはクレジットカードと月賦販売だった。
今でいうクレジットカードのリボ払いみたいなものである。

クレジットカード導入と月賦という仕組みを作ったマルイは当初から金融業と密接に結びついていたことがわかる。
だから2018年に証券に参入したところで意外でもなんでもなく、極めてマルイらしい施策といえる。

WWDには解説記事もある。

丸井、証券会社設立の謎 本業は小売りにあらず?
https://www.wwdjapan.com/612523

そもそも当初は家具店だった。1931年に月賦販売店からのれん分けの形で独立した創業者・青井忠治は、東京・中野に店舗を構えた。それを発展させる形で戦後、月賦販売の家具店を開いた。高価な家具は現金で一括払いできないけれど、月々の分割払いならなんとか買える。月賦の仕組みは庶民に支持された。創業時から小売業と金融業が一体のビジネスを展開していたわけだ。青井忠治は60年に日本初のクレジットカードを発行。以降、月賦にかわりクレジットという言葉が市民権を得ていく。

72年に2代目・青井忠雄が社長に就くと、ターゲットを若者に絞った戦略を推進する。高度経済成長期を経て、豊かになった若者の洋服の支出が増えると読み、ファッションを主力にした「若者向け百貨店」を首都圏で多店舗化した。同時に学生でも所有できる「赤いカード」を展開。80年代に社会現象となったDCブランドのブームは、赤いカード抜きには語れない。高価な服を現金で買えない若者たちは、赤いカードの分割払いを利用して、マルイの店舗でDCブランドを買いあさった。

とのことで、これまでずっと販売業と金融業の二人三脚で企業運営してきたことがわかる。

若い人にとっては「ファッションビルのマルイ」だが、当方以上の年配層からすると「マルイはカード屋・月賦屋」なのである。
そして、wikipediaによると、マルイは通常の百貨店ではなく「月賦百貨店」という希少業態に分類されるとのことだ。
だから業界紙の当時のデスクはマルイを「百貨店」と分類していたということになる。

このマルイに限らず、若い人の間でその出自が知られなくなったことは業界内にも数多くある。

例えば、伊藤忠商事と丸紅がもとは同じ会社だったことや、アバクロンビー&フィッチ(アバクロ)は文豪アーネスト・ヘミングウェイが愛用した老舗ブランドだったということ、ZARAは98年に日本上陸した当初はビギと合弁企業だったということ、などなどだ。

現在、人々を賑わせている事象も10年後や20年後には風化してしまって記憶から消えてしまうことになるのだろう。
これまでもこれからも人間社会はそうやって続いていくのである。

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ジーンズの洗い加工はレーザー光線で行う時代
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マルイの歴史がまとまった本もあるみたい。