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南充浩 オフィシャルブログ

時流に応じてアップデートできることが本物の「伝統」

2018年5月8日 産地 0

先日といっても3月末のことだが、とある会合で、以前から面識があった「ごのみ」という雑貨ブランドを展開している方と久しぶりにお会いした。
西陣織の技術を生かして数年以上前から活動されている雑貨ブランドなのだが、その日は、「正絹ではなく、摩擦に強いポリエステルで織った生地を使いました」というポーチを持ってきておられた。

「ごのみ」のポーチはこんなイメージ


これは正解だと思う。
バッグやポーチは自分や他人の身体と常に摩擦するから、摩擦に弱いシルクは不適合である。
バッグ類や名刺入れなど、摩擦して当然というアイテムには、いくら西陣織の伝統だからといって頑なに正絹を使うのは最低の愚策だと思う。
それこそ、製造側の自己満足にすぎず、消費者のことは何も考えていないのではないかと思う。
こういうことを書くと、製造業の人の多くはお怒りになるのだが、何も正絹の西陣織を否定しているわけではない。
それはそれとして技術伝承すれば良いし、製造し続ければよいと思っているが、用途も何も無視して頑なに正絹を何のアイテムにでも使用することは全く意味がないと言っているだけである。
現在、和装に限らず、日本の製造業には共通する宿病なのではないかと思う。
例えば、漆器にしろ銅器にしろデニム生地にしろ同じではないかと感じる。
デニム生地だと、製造業者の多くは「〇〇年代のビンテージ感覚あふれた凹凸感のある表面感、綿100%で厚みのあるデニム生地」が最高だと認識しているし、実際のところ当方だってそういうデニム生地を見るのは好きである。
ただし、当方の場合は、50歳手前の初老になっていることもあり、洋服に対して「我慢」することはしたくなくなっている。
シルエットやパターン(型紙)、サイズ取りにもよるが、綿100%厚地デニム生地で作られたジーンズは動きにくいのであまり穿きたくない。ここ5年間で綿100%ジーンズは1本も買っていない。
とくに細いシルエットのスキニージーンズが全盛だったということもあるだろう。
あんなものを綿100%で作られたら、拘束衣でしかない。
スキニージーンズならストレッチデニムでないと不快で仕方がない。
極太のワイドシルエットジーンズなら綿100%厚地デニムでも苦痛はかなり軽減される。
要するに用途やシルエットによって生地を使い分ければ良いだけの話ではないのか。
だが製造業者や愛好家の中には「ストレッチ混デニム生地は邪道」という人がいまだにいる。
漆器だってそうだ。
昔ながらの外側が黒で、内側が赤い手塗の漆器がある。
それはそれでよいと思うが、いかんせん値段が高すぎる。
味噌汁椀が3万円とか平気でしてしまう。
一方、職人の手間を考えれば、それは妥当な値段であることは間違いない。
しかしながら、今、あのデザインの3万円の味噌汁椀が欲しい人がどれほど存在するだろうか。
当方は買わない。
日常使いには値段的にもったいなくてできないし、かと言って、漆器を鑑賞用にする趣味もない。
職人側も売れないことには生活が成り立たない。
だったら、現在、売れるデザイン、売れる値段に漆器をリニューアルさせるしかない。
くどい様だが、伝統的な漆器を全部やめちまえと言っているのではない。
それはそれとして「伝統モデル」とか「クラシックモデル」とか「ハイエンドモデル」とか名称は何でもよいが、そういう形で製造し続ければよい。
リニューアル品で儲けたカネでそれを作り続けて伝承し続ければよいだけのことではないのか。
何が何でも旧来品を旧来の値段で売ろうとする方がよほど傲慢ではないかと思う。
デニム生地しかり西陣織しかりだ。
旧来の文物をそのまま保存したがるのは日本の良いところであり悪いところである。
長所と短所なんて同じ性質の見え方が異なるだけだから、良い方に発揮されたのが古い文物が今も残る日本であるし、悪い方に発揮されれば旧来品を旧来の値段で頑なに売りたがる製造業、ということになる。
良い事例も少し挙げておくと、当方の浅い知識では繊維から離れてしまう。
中華で散逸した文献が我が国だけで残っているということはよくある。
宋版史記なんかもそうだ。
これは略奪したのでもなんでもなく、我が国はそういう保存文化なので散逸を免れたということである。
正倉院の宝物として教科書なんかによく掲載されている琵琶がある。
阮咸琵琶というのだが、三国時代末期といえば良いのか、魏晋南北朝時代初期といえば良いのか迷うところだが、西暦3世紀ごろの中華では、「竹林の七賢」という政府高官であり文化人でもある7人グループがあった。
そのうちの一人が阮咸という人物で琵琶の名手だったという。彼が愛用した形の琵琶をそれにちなんで阮咸琵琶と呼ぶようになったが、本場の中華では相次ぐ戦乱によってとっくの昔に阮咸琵琶は消滅してしまった。
しかし、我が国の正倉院には今もそれが残っている。
雅楽なんかも中華では滅んで我が国には残っている文物の一つといえる。
そういう風土なので、旧来の物を旧来の値段で売りたがるという心情もわからないではない。
しかし、いくら「伝統ガー」とか「本物ガー」と叫んでみたところで要らない物は要らない。
大衆が欲しがらない物にいくら「伝統」とか「本物」というキャッチフレーズを付けてもマスには売れない。
時流に合わせてアップデートした物を売りながら、守りたければそれを売ったカネで旧来品を作ってその技術を伝承し続ければよいだけのことだと思う。
そのように考えれば、伝統工芸品に限らず、洋服もまだまだ新しい切り口があるのではないだろうか。
スポーツウェア用の素材を使ったストレッチ性があり洗濯性もあり、シワになりにくいというスーツがあちこちから発売されている。
ミズノのムーブスーツとかビームスのトラベルスーツとかはその代表だろうし、それの廉価普及版がジーユーのカットソースーツであり、スーパーストレッチドライスーツだと思う。
「スーツは純ウールまたはウール高混率素材しか認めない」
という原理主義者から見るとこれらの商品はいかにも邪道だが、利便性からこれらの商品を選ぶ消費者も増えている。
見た目が著しくおかしいならこれらの商品は到底売れないだろうが、見た目が従来のスーツと変わらなく、価格も値ごろだから当たり前に売れる。
決して消費者の感性が退化したわけでもなく、スーツの伝統が破壊されているわけでもない。
ロングランな商品はつねにアップデートされるものだし、派生品も数多く生み出される。
そのあたりを冷静に考えないと、本当に製造業は終わってしまう。
自分の代で廃業するなら守旧し続ければよいが、生き残りたいなら時代に適応するべきであり、守旧したままで生き残りたいというのは虫が良すぎる願望だろう。
当方が「まったく働かずに月給100万円欲しい」というのと同じくらいに虫が良すぎる願望だといえる。

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心斎橋筋商店街がドラッグストア街に変貌した理由とこれまでの変遷の推移
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竹林の七賢についてはこんな本で

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