南充浩の繊維産業ブログ

ファッションブログ・・・・と言いたいところだけれどもそこまでファッションに特化していないし、能力的にもできない。そこで繊維製造業、産地、アパレルメーカー、小売店など幅広く繊維産業全般についてぼちぼちと書きます。たまにマスコミ、経済問題についても書く予定。よろしくお付き合いください。 お仕事の依頼は minami_mitsuhiro@yahoo.co.jp まで。

繊維業界新聞の記者としてジーンズ業界を、紡績、産地、アパレルメーカー、小売店と川上から川下まで担当。 同時にレディースアパレル、子供服、生地商も兼務した。退職後、量販店アパレル広報、雑誌編集を経験し、雑貨総合展示会の運営に携わる。その後、ファッション専門学校広報を経て独立。 現在、記者・ライターのほか、広報代行業、広報アドバイザーを請け負う。

2017年07月

変化を嫌う企業は衰退する

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 旧大手アパレル、その他アパレル、百貨店と苦戦が続いているわけだが、経済環境や消費者心理の変化などの要因はさておき、「変化」を嫌っていることも大きな要因ではないかと思う。

百貨店が過度にファッションに特化した現在の形はどうかと疑問を抱くが、ファッションなんて時代に応じて変化するわけだから、経済環境や消費者心理に合わせて変化する必要があるのではないかと思う。

現在のラグジュアリーブランドだってかつては低迷した時期があり、そこから新しい取り組みで復活した。現在の姿が良かったか悪かったかは、判断のわかれるところだが、変化しなければ低迷し続ける古ぼけたブランドになっていたのではないかと思う。

百貨店は、かつて屋上に遊園地があった。
また大食堂があって、今の年配世代は、そこへ家族で行くのが楽しみだったという。

昔存在した北浜の三越には、映画館があった。
当方も小学生のころ、何度か親に連れられて映画館に行った。
今のシネコンに比べるともちろん小さい映画館だった(当時、シネコンは存在していない)が、母親からすると、単体の映画館に連れて行くよりも三越に連れて行った方が、アニメや特撮映画が上映されている間、ウインドウショッピングが楽しめるというメリットがあった。

梅田の単品の映画館だと近隣の商業施設と行き来するにはかなりの距離がある。

それらは採算が取れなくなって廃止されたのだが、今の百貨店はどうか。
集客ができないといいながら、ファッション然とした売り場づくりやイベントにこだわりすぎていないか?

昔は、もっとなりふり構わず集客していたのではないか。
いつから、お公家さんのような姿勢に変わったのか。

そもそも電鉄系以外の百貨店は、呉服屋から変化して生き延びたのではないのか。
変化しないことが美徳なら、百貨店になる前に呉服屋のままで死滅していたはずだ。


大手アパレルや老舗アパレルも同じだ。
意味の分からない名門意識とプライドだけを強烈に保持していて、商品づくりも売り方も変わろうとしていない。
ときどき、付け焼刃のように「業界のブーム」に飛びつくが、しょせんは後追いの付け焼刃なので失敗して撤退して傷口を広げるということをこの10何年間かくりかえしてきただけではないか。

97年ごろは猫も杓子もSPA
その次は猫も杓子も低価格
その次は猫も杓子もライフスタイル提案
今は、猫も杓子もEC・オムニチャネル

とまあ、こんなところで、すべて後追いの付け焼刃である。

例えば、現在苦境に陥っている三陽商会だが、創業当時は、

電気関係各種工業用品及び繊維製品の製造販売を目的として、東京都板橋区にて工作機械工具の修理加工、販売をおこなうべく同社を設立

と伝えられている。
繊維製品は扱っていたものの、電気関係工具がメインだったわけで、当初から名門アパレルではなかった。電気関係工具の会社が時代に合わせてアパレルメーカーへと変化したということになる。

老舗といえば、岡山、広島地区ののジーンズ専業アパレルも同じで、ほんの10年前までは名門意識が高かった大手が軒並み衰退凋落して、売上高を激減させている。

2005年には売上高が約130億円だった某ジーンズメーカーの現在の売上高は12億円にまで縮小している。
ほかの旧大手も似たり寄ったりである。

ジーンズ専業アパレルというのは、はるか悠久の昔から存在した名門・老舗だったのかというとそうではなくて、ほとんどが60年代後半以降に転身した企業ばかりで、その前はワーキングユニフォームや学生服メーカーだった。

ビジネスチャンスを目にして業態転換したわけである。

そうした企業がなぜか、変化することを拒んでいる。
変化を拒んで売上縮小、経営破綻、廃業などが相次いでいるが、それに対しての同情は感じない。変化を拒んでの自滅だとしか思えないからだ。

ダーウィンの進化論ではないが、変化に対応できないものは滅ぶしかない。

例えば、猫も杓子もSPA時代にあって、ジーンズ専業メーカー各社は最後まで直営店出店に抵抗した。
また近年だと、ジーンズメーカーに限らず、有名アパレルの多くは2010年ごろまではインターネット通販に抵抗し続けた。

その結果が、後追いの付け焼刃での取り組みである。

ランチェスターの法則によると、後追いで勝てるのは、「圧倒的物量のある大手」しかない。
しかし、「圧倒的物量のある大手」ですら、投資額が不十分なら局地戦で小戦力に負ける。
兵力を小分けにしての逐次投入は、各個撃破されるだけである。


これら企業の苦戦、衰退、凋落は「他山の石」の見本ではないか。





百貨店とは
飛田 健彦
国書刊行会
2016-12-28













百貨店は「殺される」のではなく「自死」しているだけ

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 誰が百貨店を殺すのか
閉店続き、市場規模36年ぶり6兆円割れ
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/NBD/15/depth/072400684/


この記事が日経ビジネスオンラインに掲載された。
オンラインはダイジェスト版で、こちらは誌面に掲載されたそのままである。

タイトルのつけ方は何とかの一つ覚えとしか言いようがなく実態を反映していないといえる。アパレルは「殺された」側面があるが、百貨店は記事中にもあるように、小売りの王様だった60年代・70年代にその優越性から、納入メーカーにリスクを押し付け、今に至るわけだから「殺された」というのは当てはまらず、「自死した」というべきであろう。


この記事は全般的によく考察されていると思うが、百貨店の売上高低下についての根本的な部分を見逃しているように感じる。
貧富の格差が拡大して、高額な百貨店衣料品を買えなくなった人が増えたということは前提にあるにしても、ファッション衣料と日常衣料が限りなく近接したことによって、「百貨店で服を買う」ことの意味が薄れていることを認識した書き方ではないと感じる。

例えば、記事中では

60年代は「百貨店で既製服を買う、という行為が時代の最先端だった」と、アパレルの歴史に詳しいウィメンズ・エンパワメント・イン・ファッションの尾原蓉子会長は指摘する。ファッションも今とは全く異質の輝きを放っていたのだが、百貨店はアパレル業界との「なれ合い」の中で、いつしかその輝きを失ったのだ。

とあるが、この認識は書き手も尾原氏も甘いのではないか。

60年代までは既製服そのものがほとんどなかった時代で、多くの場合は家庭で縫われていた。
当方の母親も70年代はまだ洋裁というものをやっていて、自分で洋服を縫っていた。
当時の雑誌には型紙が付録として付けられていた。

存在しなかった商品が供給されたのだから、消費者がそれに飛びつくのは当たり前で、初期のビデオデッキや初期の液晶テレビ、初期のiPhoneなどが飛ぶように売れたのと同じ理由だ。

また、初期商品が高額だということも家電製品や自動車と変わらない。
当然、60年代の既製服はそれなりに高額で、低価格衣料品は生まれていなかった。どうしても節約したい人は70年代が終わるころまでは、当方の母親のように自宅で縫っていた。

「百貨店で買うことが時代の最先端だった」のではなく、これまでに存在しなかった商品が百貨店に大量供給されたから、百貨店へ買いに行っただけのことである。
たしかに最先端だった部分はあるだろう。それ以外の商業施設がほとんどなかったのだから。
ここを記者も尾原氏も事実誤認しているのではないか。

一方、かつての百貨店は「大衆に受けそう」なものなら何でも飛びついて、導入するのが早かった。
昔、にぎわった大食堂も屋上の遊園地もその一例だろう。
これは記事が指摘する通りである。
それがいつの間にか過度な名門意識を持ち始め、プライドだけが高いガチガチの保守組織に変貌してしまった。

実際に百貨店での催事で売り場に立っていると、意味のない名門意識を持ち、プライドだけがやたら高く、保守意識で固まった社員が数多くいることを身をもって体験できる。
あんな社員ばかりなら、そりゃ業績が低迷しても仕方がない。

マスコミの多くは百貨店について割合に同情的な報道が多い。
例えば、この記事の「殺された」という表現にしてもそうだ。
逆に百貨店で買い物をしない(できない)人は年々増えており、今の20代・10代の多くは百貨店に行ったことさえない。
30代・40代にしても百貨店に行かなくなった人は多いのではないか。

当方は47歳にしてカネなしなので、百貨店で買い物をすることは10年位前からなくなった。
2007年ごろから百貨店で洋服は買っていない。

しかし、大手メディアにいる社員の多くは、いまだに百貨店で服を買っている。
彼らの収入の良さがうかがいしれるが、この格差が、百貨店報道のピントをズレさせているのではないかと思う。
大手メディアは二言目には「民意」とか「国民の声」とか「庶民感覚」いうが、それらからもっとも乖離した場所にいるのが大手メディアの社員である。

当方がやり取りしている経済誌の30代・20代の記者だっていまだに百貨店で洋服を買っている。
また、当方が様々なことを教えていただいた業界の先輩が付き合っておられる経済各誌の30代記者も百貨店で洋服を買っているという。
大手新聞社・大手テレビ局の社員も同様だろう。

彼らにとっては百貨店は「親しみのある場所」なのであり、今の40代以下の消費者の多くが百貨店離れしているのとは正反対といえる。

それにしても、百貨店が「ファッション」にこだわっているうちは、百貨店の売上高が回復することなんてありえないだろう。
先ほどの話に戻るが、既製服そのものがなかった60年代とは時代が異なる。70年代・80年代もまだその延長線上で服は売れた。
それぞれが洋服を持っていなかったからだ。しかし、今の消費者はそれぞれが膨大なタンス在庫を抱えている。
よほどの「何か」がなければ洋服なんて買う必要がないのである。

また、洋服の歴史がなかったころと、さまざまなテイスト別・ジャンル別・スタイル別でのすみわけが出来上がった現在とでは、洋服の売れ行きが異なるのは当然で、以前のような活況ぶりが戻る可能性があると考えるのはアホとしか言いようがない。

セクシー系、アメカジ系、ナチュラル系、原宿系などさまざまなスタイル別に住みわけがなされており、2000年までのように、全員がビッグトレンドに飛びつくような事態は今後絶対に起きない。

そこを理解しない限り、売れる洋服は作れないだろうし、百貨店の凋落の原因は報道できないだろう。

あと、横道にそれるが、相変わらずルミネの社長はピントのズレたことを言っていると思う。

バーゲンの前倒し傾向について

「売るプロが努力を放棄して、商品を作ってくれる人たちに申し訳ないと思わないのか」。駅のファッションビルを運営するルミネの新井良亮会長は憤る。

と記事中にあるが、そういうルミネそのものが、ウェブで先行値引き販売を行っている。定価で売る努力をいち早く放棄しているのはルミネ自身ではないか。何を言っているのか。


それに「作ってくれる人たちに申し訳ない」という人情論もまったく賛同も共感もできない。
作っている人はあくまでも「仕事」として作っているのであってボランティアでも人道的活動でも奉仕でもない。経済活動の一環である。
だったら、販売員だって「売ってくれる人」である。

「売ってくれる人に対して、こんな売れなさそうな商品を作って申し訳ないと思わないのか?」と言わねばならない。

当方が大好きな韓非子にはこうある。

王良が馬を愛し、越王勾践が民を愛したのは、民を戦に駆り立てたり馬を速く駆けさせるためである。医者が人の傷口を吸い、血を口に含むのは肉親の情愛ではなく、利益が得られるからである。

車作りの職人が車を作ると、人々が富貴になることを望み、棺桶職人が棺桶を作ると、人々が早く死ぬことを望む。これは車を作る職人が善人で、棺桶職人が悪人だということではない。

人々が富貴にならなければ車は売れないし、人々が死ななければ棺桶が買われることはない。人が憎いわけではない。人の死によって利益が得られるからである。

単なる経済活動、仕事である作り手に対して、「作ってくれる人」と言っている時点で、ルミネ社長の認識は2000年前の韓非子に遠く及ばないということがわかる。


庶民感覚から大きく乖離したメディアが同情的に報道しているうちは、百貨店が回復することもないだろうし、百貨店の委託販売体質が改革されることもないだろう。

百貨店は「殺される」のではなく、「自死している」としか言いようがない。


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限界点に達しつつある、しまむらのビジネスモデル

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 しまむらの第1四半期決算が2ケタ減益と大幅に悪化し始めた。

その兆候は今年の初めから見えており、既存店売上高が連続して前年割れを起こし始めていた。

しまむらは2016年2月期、2017年2月期で大幅増益して、メディアから持ち上げられたが、2014年2月期・2015年2月期と連続減益しており、当時のメディアの持ち上げ方には疑問を感じていた。

もっとも企業としての売上高自体は増収し続けていたから、強い企業であることは間違いないが、「勝ち組」と持ち上げるのはちょっとやりすぎではないかと思っていた。

しまむらの業績が急減速、「しまラー」惹きつけるネット通販やフリマアプリの脅威
http://www.sbbit.jp/article/cont1/33839

この記事は比較的良く書けていると思う。

2016年2月期の増益に転じた際、長らく量販店やユニクロ、しまむらなど低価格ブランドのカジュアルパンツのOEMを手掛けたことがある友人がこう指摘した。

「今回の増益の起爆剤は、裏地あったかパンツを100万本売ったこと。しかし、これまで売り切れ御免でやってきた企業が、ユニクロと同じ100万本という大量生産・大量販売システムに転換するのはいかがなものか?いずれ反動が来る」

と。

この指摘は早くも的中しつつあるといえるのではないか。

当時のメディアはどこも指摘していなかったが、100万本を売ったということは、100万本を調達したということになり、それはこれまでしまむらが得意としていた仕入れでは実現しにくく、自主企画商品を生産したということになる。
そのビジネスモデルはユニクロと同一のものであり、しまむらとしては異なるシステムを取り込み始めたということになるが、そんなことが簡単にできるはずがないというのが、友人の指摘である。

記事では、しまむらの強みを端的にまとめている。

その基本は「サプライヤーとよい関係を築くこと」。しまむらは「『4つの悪』の追放」という“仕入れの憲法”を打ち出した。4つの悪とは、「返品」「赤黒伝票(伝票の書き換えで見かけの売上を計上する手法)」「(納品後の)追加値引」「(発注した商品を納品させない)未引取」だ。

 しまむらの、全面的にリスクを負い、値下げしても売り切る“仕入れの憲法”を、サプライヤーは「しまむらはフェアな商売をする」と歓迎した。そして売れ残りにならないような、高品質の商品、売れ筋商品、流行遅れになりにくい商品、とっておきの新企画商品を、しまむらに優先的に供給した。店舗の商品の回転が早くなり、在庫が少なくなり、コストは抑えられ、しまむらにも利益になった。

 そうやって、取引先との間で「しまむらファミリー」と呼べそうな関係を構築すると、取引数量が拡大したサプライヤーは「他ならぬしまむらさんのご提案なら、多少の無理はききましょう」と値引き要請にも応じるようになる。そうやって適正な利益を確保しつつ他店より安い価格をつけることができ、それが業容拡大のエンジンになった。



これは事実で、しまむらの取引は綺麗なことで有名だ。
しかし、この「仕入れ」スタイルで運営するには、しまむらは企業規模が大きく成りすぎたといえる。
大手セレクトショップが軒並み「疑似SPA化」したことを見てもそれはわかるだろう。

主力の「ファッションセンターしまむら」だけで1378店舗もある。
これだけ店舗数が増えれば「仕入れ」だけで商品を賄うのは不可能で、実際、あまり報道されないが、しまむらも自主企画商品を製造しているし、OEM/ODM生産も利用している。

店舗数がこれだけ増えれば、スケールメリットがあるから自主生産が増えるのは当然だが、これまでとは異なるビジネスモデルへとすんなり移行できるとは思えない。

また、個人的意見でいえば、しまむらの売り上げ規模、店舗数ともに国内では限界点に達しつつあるのではないかと思う。

売上高は5654億円もある。

いくら、安くて買いやすいとはいえ、国内でこれ以上大幅に売上高を伸ばすことは難しい。

じゃあ、流行りの海外進出はどうか?というと、ユニクロや無印良品とは異なり、しまむらは品揃えの雑多さが魅力で、その雑多さは「日本のローカルチェーンならでは」という部分があり、海外では嗜好が違うのでその魅力は理解されにくいのではないかと思う。

また、都心部に店が少ないこともそろそろ弱点になりつつある。

郊外では店舗数は飽和しつつあるといえるが、1店舗あたりの売上高の低さを考えると家賃の高い都心には出店できにくい。

よしんば都心に出店したとしても現在のしまむらグループの店作りでは、他の低価格ファッションブランドと比べて大きく見劣りしてしまう。
店の見た目については、しまむらグループはかなりダサい。

国内市場ではそろそろ飽和点に達しつつある、しまむらグループは次はどのような取り組みをするのだろうか?

ユニクロのような大量生産・大量販売方式にするのか?それとも店作りや陳列方法を洗練させるのか?はたまた、グローバルSPA方式に切り替えて海外進出するのか?

いずれにせよ、これまでの「しまむら」モデルのままでさらなる企業規模の拡大というのは、かなり難しくなっていることは間違いない。



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ユニクロ vs しまむら(日経ビジネス人文庫)
月泉 博
日本経済新聞出版社
2009-11-03



しまむらとヤオコー
小川 孔輔
小学館
2011-01-26




「青い芝生」は存在しない

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 隣の芝生は青く見えるというが、本当にその通りだと思う。

基本的に自分も含めて我々は自分の体験したことしか理解できないことが多い。

例えば、昨年、ちょっと話題となったユナイテッドアローズの

「商品の品質を向上させ、原価を引き下げる」

という発言に対して衣料品業界からは疑問の声が出された。
衣料品という商品において、原価を引き下げながら商品の品質を向上させるというのは、かなり実現するのが難しい矛盾した要素なのである。

ところが、一方、他業界ではできないこともないらしい。
ニュースピックスというSNS?があるが、そこでは、他業界の人々が「可能だ」「UAの英断だ」と褒めちぎっていて違和感があった。
ニュースピックスはなんだかイシキタカイ系のビジネスオッサンが多くて、雰囲気が嫌いなのだが、この現象は面白いなあと思った。

当方も含めた衣料品業界の人間は経験的・業界のシステム的にそれは不可能に近いことが分かっている一方、他業界の人間もまた経験的・他業界のシステム的にそれは不可能ではないと考えていたということである。どちらも結局のところ自分の経験したことしか理解できないということになる。

これはひとえに業界だけのことではなく、他国との比較についてもいえることで、実際に他国に深く馴染んでいないとその国の実態はわからない。もっとも深く馴染んでももともとの大脳の構造がおかしければ、実態をゆがめて把握してしまうのだが。

日本では、他国を理想郷のように思っている人が多い。
ここに当てはめる他国は個人によって違う。
アメリカ、欧州諸国、中国、韓国などなど個人によってマチマチだが、「日本がダメだ」という認識では一致している。

他国デワーが常套句になるので、そういう自虐的な人々を「出羽守(でわのかみ)」と呼ぶ。

前置きが長くなったが、今、我が国では旧大手アパレルの不振によってブランド廃止・大規模閉店が相次いでいる。
アメリカも同様であり、その規模は我が国よりも大きい。

我が国の場合、その理由としてネット通販の隆盛やアパレル業界の構造自体の問題、不景気、などがあげられる。
一方、アメリカのアパレル不振を分析する場合、ネット通販の隆盛は語られることはあってもそれ以外の要因はあまり指摘されない。

とくに「不景気」は語られることがない。
アメリカのGDPは年々伸び続けているので、日本人からすると不景気は当たらないということだろうか。

ところが、このアメリカの記事によると、アメリカのアパレル不振はネット通販の隆盛だけが原因ではなく、不景気やオーバーストア、アメリカ人の消費行動の変化も大きな原因であると指摘している。

アマゾンではなかった…… アメリカの小売業を低迷させた2つの元凶
https://www.businessinsider.jp/post-100448

小売業者の過剰出店とアメリカ人の消費習慣の変化だ。

しかし、需要が追いつく前にアメリカは不況に突入、消費者が自由に使える支出は急激に減少した。こう話すのは、コネチカット大学不動産センター(Center for Real Estate)のジョン・クラップ(John Clapp)教授だ。

小売業者の多くは、不況が去れば売り上げも回復するだろうと期待していた。ところが、モールに出店する大半の小売店で、売上高が回復することはなかった。消費者の買い物習慣が変化したからだ。

特筆すべきは、消費者が「モノ」よりも「体験」を購入している点だ。

また、いざ「モノ」を買うとなっても、消費者の大半は正規の価格を支払うことはない。不況時に学び、それ以来身に付いた消費習慣だ。シアーズやメイシーズといった正規の価格で販売する百貨店が苦しみもがく一方、TJマックス(TJ Maxx)やマーシャルズ(Marshals)、ロス・ストアーズ(Ross Stores)などのディスカウントストアは盛況だ。

とある。

こうして見ると、日米は業界構造については多くの差異があるものの、アパレル不況に陥っている原因はほぼ同じだということになる。

日本のアパレル不況も、オーバーストアに不景気時に染みついた低価格志向、それに「服」という「物」ではなく、服を触媒とした「コト」消費によるものだというのは、みなさんが日々痛感されていることである。

こうして見ると、アメリカ市場という隣の芝生も決して青くなく、むしろ、日本と同じような芝生だということになる。

現実世界のどこにも絵に描いたような「理想郷」は存在しない。
「青い芝生」なんてものはこの世の中には存在しない。


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夏服をかっこよく着こなすには体型を整えるほかない

  • このエントリーをはてなブックマークに追加 はてなブックマーク - 夏服をかっこよく着こなすには体型を整えるほかない
 当方は夏が嫌いである。
まず高気温が嫌いだし、高湿度も嫌いだ。
汗をかきやすいので、汗が大量に出るのも嫌だ。

個人的な理想の夏は、25度に温度設定した冷房のきいた部屋から外に出ずに一日中過ごすことである。

ちなみに35度を越える高気温、70%以上の高湿度の環境でありながら、冷房温度28度設定なんていう取り組みをやっているのは日本くらいで、アメリカは華氏70度(摂氏21~22度)くらいの温度設定が標準的だといわれており、ヨーロッパでもだいたい24度くらいだといわれている。

日本よりも高温高湿度な東アジア・東南アジアではもちろん欧米並みに冷房温度設定は低い。

着る物についても夏は嫌いで、メンズのカジュアルだとTシャツ、ポロシャツ、半袖シャツくらいしかない。春秋冬だと、重ね着でいろいろと楽しめるし、体型なども誤魔化せるが、夏服は誤魔化しが効かない。
それでも誤魔化す方法はあるが、春秋冬の重ね着に比べると、誤魔化し効果は些少であり、せいぜい3%~5%上乗せできれば良いところだろう。

そんなわけで、今夏はバーゲンでもほとんど服を買っていない。
靴とか時計とかバッグとか肌着とかそういう物の方に目が行く。

先日、今夏初めてアウター用のTシャツをバーゲンで買った。

無印良品で、太番手ボーダー柄のTシャツを買った。
定価で1990円だったのが、先週、やっと30%オフの1393円に値下がりした。

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無印良品は変な部分があり、店舗によって商品の値段が異なることがある。
ネットの書き込みではさらに10%オフで買った人もいるらしい。


細いボーダー柄もあったが、個人的には細いボーダー柄はあまり似合わないので、太いボーダー柄を選んだ。
黒×白と、薄グレー×白があったが、汗をかくとグレー部分が濡れて色が濃くなるので、汗かきとしてはグレー系のTシャツは夏は敬遠する必要がある。そのため、黒×白を選んだ。

2005年ごろからハリウッドセレブブームだか何だかしらないが、細番手(細い綿糸)で編んだ薄手生地Tシャツが主流となったが、汗かきのオッサンにとって、真夏の着用は適さない。
なるべく厚手生地の商品を選んで買うようにしているが、商品自体があまり存在しなくなってきた。

単に綿花の使用量をケチっているだけではないかと邪推すらしたくなるほどである。

一般に広く流通している薄手生地Tシャツはだいたい4オンスか5オンスくらいが多い。
触感だけだと最近の薄手Tシャツは4オンスくらいではないかと感じる。

汗かきのオッサンに好ましいのは、6オンス以上の商品でこれがなかなかない。
2005年以前だとけっこう厚手のTシャツは流通していたのだが、いつの間にやら消え去ってしまった。

話は逸れるが、ある生産業者によると、2005年以降、衣料品に使われている素材は随分と劣化しているそうだ。
原因はさまざまある。

1、製造の低コスト化が求められるようになったこと(業界の都合)
2、すべての原料が高値になった

が個人的には最大の要因ではないかと見ている。

1は低価格対応、もしくは価格は据え置きで利益確保のための製造コストの削減が多く求められるようになり、使用素材ももちろん低価格化しているということである。

これは洋服の販売が不振になったことから、それに対応するための業界の都合であることは言うまでもない。

2は中国、東南アジア、インド、中東などの経済成長によって、衣料品需要が拡大していることが原因である。
アパレルの世界市場規模は300兆円にまで拡大したという報道があるが、その多くは中国、東南アジア、インドなどの市場が拡大したためで、需要の増加に対して供給量が追いつかなければ価格は上がる。衣料品の原料が高騰したのも同じ理由である。

綿花や麻の栽培量は需要に比例するほど増えていないし、羊毛はさらに増やしにくい。
動物の方が植物よりも増やすことが難しいからだ。

必然的に原料価格は上がらざるを得ない。

そんな状況から2005年以降、衣料品に使われている素材のクオリティは劣化が著しいのだが、たしかにその指摘にはそう思う。

同じ価格帯で2005年までに買った衣料品と、2005年以降買った衣料品を比べてみると、明らかに生地のクオリティが違う。
2005年以降の方が合繊の配合率が高まっていたり、低密度だったり、安物くさい表面感だったりする。

だから、その業者に言わせると、2005年以降の商品しか知らない若い世代は良い素材に触れる機会が減って気の毒だという。

閑話休題。

今回の太番手ボーダー柄は太い糸が使われているため、がっしりした触感がある。
生地は期待したよりも薄い感じがするが、定価1990円という低価格を考えると仕方がない。

それにしても夏服を着ている人を見ていると、自分も含めて体型の誤魔化しようがないと感じる。

春秋冬は重ね着で体型は随分と3割増しくらいで誤魔化せるが、夏服はモロに体型が出る。

「夏服をかっこよく着こなすコツ」なんていう特集がファッションメディアに掲載されるが、実際のところ夏服をかっこよく着こなすコツは、体型を整える以外にない。

肥満や極端なガリはどうにも誤魔化しは効かない。ボディビルダーのようなゴリマッチョが良いかどうかは別として、ある程度の筋肉は必要である。
さらにいうなら顔面も整っていなくてはならない。

結局、男女ともに夏服は、顔立ちが良くて体型の整っている奴がもっともかっこよく見える。

だから、夏服は嫌いなのである。


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