南充浩の繊維産業ブログ

ファッションブログ・・・・と言いたいところだけれどもそこまでファッションに特化していないし、能力的にもできない。そこで繊維製造業、産地、アパレルメーカー、小売店など幅広く繊維産業全般についてぼちぼちと書きます。たまにマスコミ、経済問題についても書く予定。よろしくお付き合いください。 お仕事の依頼は minami_mitsuhiro@yahoo.co.jp まで。

繊維業界新聞の記者としてジーンズ業界を、紡績、産地、アパレルメーカー、小売店と川上から川下まで担当。 同時にレディースアパレル、子供服、生地商も兼務した。退職後、量販店アパレル広報、雑誌編集を経験し、雑貨総合展示会の運営に携わる。その後、ファッション専門学校広報を経て独立。 現在、記者・ライターのほか、広報代行業、広報アドバイザーを請け負う。

2017年01月

ブランド間のコラボが増えた理由を考えてみた

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 つい先日開催された2017秋冬コレクションでのルイ・ヴィトン×シュプリームのコラボが話題となった。
元より最先端ファッションやラグジュアリーブランドとは縁のない筆者だが、極めて個人的な外野からの感想を書いてみたいと思う。

このほかにもブランド間のコラボ発表が多くあったとのことだが、こうしたコラボばやりには二つの要因があると思う。

1つは、人気ファッションブロガーMB氏が指摘するように、ブランドごとのセグメントがボーダレスになりつつあるということである。

ルイ・ヴィトンという高級ブランドと、シュプリームというストリートカジュアルブランドが対等な存在としてコラボレーションしている。
世の中にはブランドなんて無数にあるが、多くは「〇〇系」とか「〇〇テイスト」でセグメントされている。
そして、ファッション業界人はそのセグメントを疑うこともなく墨守しており、それがために遅れた業界に成り下がったという側面がある。

例えばこんなことは日常茶飯事だ。

「ナチュラル系」なら天然素材しか使ってはいけないという強固な固定概念がある。
商品のデザイン自体がナチュラル感あふれる物であってもその素材組成が合繊混だったり、合繊のみだったりすると「うちはナチュラル系だから」と言って、取引しない単細胞バイヤーは掃いて捨てるほどいる。

あんたらは生地バイヤーなのか?
商品のデザインが気に入って興味を持っても、生地組成の固定概念に外れるからといって仕入れないのがバイヤーの仕事かね?

だから、どこもかしこも同じようなブランドラインナップの店ばかり増えるのである。
それでいて口では同質化を嘆いているのだが、同質化を招いているのはあんたらの強固な固定概念なのだから、自作自演としか思えない。

そういうブランドごとのセグメントが、2017秋冬コレクションからはなくなりつつあるといえる。
ルイ・ヴィトン×シュプリームに限らずだ。

少し前の2017春夏コレクションではヴェットモンとワークブランドのカーハートのコラボ商品が出品されていたそうだ。

確実にブランドごとのセグメントはなくなりつつあるのではないだろうか。

もう一つは、

コラボは「競合より共栄」時代の象徴?
http://www.senken.co.jp/report/hanami_isogimi_20170123/

の記事内でも指摘されているように、

ブランド単独では注目が集められなくなってきているからと考えられる。

単独同士では注目が集められいないから、2つか3つ集まると単独でやるよりは注目が集まるだろう。
そんな考えがどのブランドにも根底に流れているような気がする。

単独で展示会やっても集客できないから何社かで集まって展示会をやればそこそこ集客できるのではないか、という合同展示会開催の考えと似た部分があると感じてしまう。

たとえルイ・ヴィトンでも筆者のように興味のない人はまったく興味を示さなくなっているから、通常の「〇〇シーズンのテーマは××を掲げて」なんて記事なら1行も読まずに華麗にスルーする。
まだ「シュプリームとコラボ」という記事なら何の共感も感心もしないが、それでも記事を流し読むことくらいはする。

とどのつまりはそういうことではないだろうか。

衣料品の売れ行きがかつてのように回復することは考えにくいから、今後はますますこういうコラボレーションが増えるだろう。

記事のタイトルは業界紙ということで「共栄」としておられるが、実際のところは「共衰の象徴」ではないかと感じる。

ところで、個人的にはトータルブランド同士のコラボというのはいまいちピンとこない。

なぜなら、トータルアイテムがそろうブランド同士がコラボをする意味が感じられないからである。
単に名義貸しみたいな感じさえする。

個人的には、トータルアイテムブランドと、特定のアイテムや特定のジャンルで定評のあるブランドとのコラボが本当のコラボではないかと思う。

例えば記事中で紹介されていたヴェットモン×カーハートのようなコラボである。
リーバイスだとかラベンハムだとかノースフェイスだとかナンガダウンだとかそういうブランドとのコラボは意味があると思う。

最近ではコレクションブランドに限らず衣料品業界はコラボ流行りだが、本当に共衰を象徴していると感じられてならない。
単独では集客できなくなっているからだろう。

先日は三越伊勢丹とビームスのコラボが発表されたが、これも単独での集客に限界を感じた小売業同士のコラボだと感じる。
業怪人業界人からすると、「百貨店が大手セレクトとコラボするのは新しい」となるのだろうが、一般消費者から見れば、「どちらも古くからある有名なファッション小売店同士」で目新しさはあまり感じられない。
よくある業界内コラボの一つとしか言いようがない。

まあ、そんな感じで業界内コラボは今後ますます増え続けるだろう。
しかし、それは業界の業界による業界のための取り組みであって、一般消費者に広く響くことはあまりないだろう。そういう意味ではファッション業界はますますマニアックでオタクな世界に進んでいるといえるのではないか。










デービッド・アトキンソンへの妄信は危険

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 寺社の修復などを手掛ける小西美術工藝社という伝統企業がある。
この企業の社長に就任して、事業を再生したのがデービッド・アトキンソン氏である。

金融マンから転身したという変わり種で、わざわざ伝統工芸の社長に就任するくらいなのだから、親日的な人物なのだろうと推測される。

また国内でも、グローバル金融マン出身という出自も手伝って、彼の意見の信奉者が多い。
事業を再生した手腕に加えて、根深いグローバルコンプレックスを抱えている日本人は、イチコロで彼の信奉者になりうる資質を持っている。

アトキンソン氏の論調は聞くべきところが多く、最近はいささか挑発的な表現が増えたが、彼なりに我が国の産業を考慮しての提言だと感じる。
しかし、やっぱり「グローバル金融マン」の素性は捨てられないのだなあと感じる。
良くも悪くもアトキンソン氏はグローバル金融マンであり、グローバル金融マンにも当然負の側面もあるということである。

世の中に良い部分しかない存在なんてないのである。
どんなに良い事柄でも必ず負の部分を内包している。

例えば、アトキンソン氏は日本の産業の輸出を促進したいという意図からか、盛んに「一人当たりの輸出金額が低い」ということを最近主張し続けているが、本来は一人当たりの輸出金額は、国の経済力とは関係がない。

「『1人あたり』は最低」ではない日本経済の伸びしろ
http://totb.hatenablog.com/entry/2016/12/11/222220

ここから引用する前に、アトキンソン氏が盛んに比較して日本を挑発する材料にしている韓国についてだが、韓国は内需が極端に弱い国で、ほとんどを輸出に依存している。
しかも人口は日本の半分以下であるから、必然的に一人当たりの輸出金額は高くなる。

日本は内需が大きいので低くなるが、アトキンソン氏を含むグローバル金融マンが褒める韓国は、現在経済危機に見舞われており、日本との通貨スワップが再開されないままに、今年10月に中国との通貨スワップが終了すると、97年に続いて経済破綻する可能性は極めて高い。

余談だが、韓国での売上高が極端に高くなっている某国内スポーツアパレルは大丈夫だろうかと、業界では噂になっている。余計なお世話だが少しずつ韓国での売上比率を下げるべきだと個人的には考えている。

極端に外需に依存した韓国と比較する意味は本来ほとんどない。

さて、先の記事から内容を抜粋引用して紹介したい。

G7で日本の次に少ないのはアメリカですが、両国に共通するのは輸出の対GDP比が低いことです。人口が多い国は多種多様な産業を抱えられるため、人口が少ない国よりも貿易依存度が低くなる傾向があります。

ヨーロッパ諸国の1人当たり輸出額が多いのは、経済統合を進めた結果、貿易が日本やアメリカの国内取引に近いものになっているためです。各国が地理的に近いことも貿易が多くなる一因です。

「ものづくり大国」を名乗りながら、1人あたり輸出額は世界第44位と言われて、悔しくないですか。

という挑発は的外れです。アトキンソンはアメリカ人に「1人当たり輸出額は世界第42位と言われて、悔しくてないですか」、あるいはドイツ人に「オランダやベルギーに負けて悔しくないですか」と聞いているのでしょうか。


とのことであり、詳しいグラフは原文の記事を開いて確認していただきたい。

アトキンソン氏の挑発はおそらく(面談したことがないから文章から推測するに過ぎない)、我が国産業を考慮してのことではないかと思うが、立脚点が間違っているなら、多くの場合は終着点も間違える。
世の中にはたまに間違った過程で正しいゴールにたどり着くこともあるが、そんな僥倖は期待すべきものではない。

アトキンソン氏の立脚点は牽強付会にすぎる部分が目立っているといえる。
例えば、ノーベル賞受賞者の数についての批判は、明後日の方角過ぎて意味をなしていない。

1人あたりのノーベル賞受賞数が世界で第29位というのは、悔しくないですか。

も、2000年以降の自然科学分野ではアメリカ、イスラエル、イギリス、スウェーデンに次ぎます。1901年からの累計値に基づいて現在の日本を論じることはナンセンスです。


であり、これがまさしく正論である。

アトキンソン氏の経営手腕は評価される点も多いが、間違った議論が横行するのは望ましい環境ではない。

参考に次の記事も読んでいただきたい。

アトキンソンの誤診と失った20年
http://totb.hatenablog.com/entry/2016/12/24/094626

アトキンソン氏の意見は非常に参考になるものも多いが、意図的か無意識的か立脚点が間違っていることも多く、妄信するのは危険である。

彼の意見は、テレビのスポーツ評論家の発言程度に半分くらいは聞き流すのがちょうどよい具合ではないかと思う。

アトキンソン氏に限らず、特定の誰かの言うことを無批判に妄信するのは危険極まりない行為であり、他人に操られる結果になってしまう。

デービッド・アトキンソン 新・所得倍増論
デービッド アトキンソン
東洋経済新報社
2016-12-09



デービッド・アトキンソン 新・観光立国論
デービッド アトキンソン
東洋経済新報社
2015-06-05


軽自動車と低価格衣料品は長足の進歩を遂げた

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 筆者は基本的にペーパードライバーであり、それがためにゴールド免許を持っている。

しかし、免許を取得してから一度も運転をしなかったわけではなく、何度か練習を兼ねて運転をした結果、ペーパードライバーになった。

理由は運転が好きじゃないからだ。
運転している時間が苦痛で仕方がない。バスや電車なら寝てたり本を読んだり、スマホでニュースを読んだりできるが、運転している間はそれができない。
運転という行為に正直なところまったく面白みを感じなかったし、今でも感じない。

しかし、親父と二人暮らしになってから、もしものときは親父を病院まで運ぶ手段がないから、自動車の運転練習を再開すべきだろうかと思い始めた。

練習再開といっても、近隣の病院まで往復できればそれで良いので、例えば自動車で遠出したりなんていうことはこれっぽっちも考えていない。せいぜい、電車では行きにくい国道沿いのイオンモールへ行くぐらいである。

それほどに自動車の運転という作業には面白みを感じない。

そんな筆者がもしも自動車を買うとしたら今の軽自動車を選ぶ。

内側のスペースも広くなっているし、外見もそれなりにスタイリッシュになっている。
また、カーナビなどの装備も充実しているし、燃費も良くてスピードもそれなりに出る。

産地に取材に行ったりすると、軽自動車で迎えに来ていただくこともある。
乗せてもらって痛感するのだが、20~30年前の軽自動車とは雲泥の差である。

縁戚のおじさんにいまだにかなり古いタイプの軽自動車に乗っている人がいるのだが、自動車はあまり詳しくないがみたところ20年近く前の車種だと思われる。
もちろんカーナビなんて付いていない。パワーウインドウすらついていないのではないかと思う。

たまに乗せていただくのだが、やっぱり狭い。
快適性はまるでない。

同じ軽自動車でも今の軽自動車は格段に機能性とデザイン性がアップしていると、いつもおじさんの軽自動車に乗って痛感する。

男性には自動車好きが多い。
とくに運転そのものが好きな方も多い。

そういう方々は、非常に自動車にこだわる。

車種、デザイン性、機能性あらゆる点でこだわりがある。

走ることそのものが好きな人は、よく「日本車はつまらない」としてドイツ車などを選ぶ。
正直、その感覚はいくら事細かに説明してもらったところで筆者にはまるで理解ができないが、そういう嗜好が存在することだけは理解できる。

前置きが長くなったが、洋服も同じではないかと思う。

軽自動車に相当する低価格ブランドが、見た目も機能性も格段に良くなっており、ファッションにそれほど興味のない人にとっては、わざわざ高額ブランドやインポートブランドを買う理由がない。

何度も書いているが、30年前のジャスコの平場に並んでいる洋服は価格が安かった反面、見た目が死ぬほどダサかった。
いくらイケメンモデルが着用してもあのダサさは隠しきれなかっただろう。

使用している生地もいわゆる「ブランド物」とはまったく異なっていた。
ペラペラだったり色・柄がおかしかったりした。

「ブランド物」と同じような商品が欲しければ、「ブランド店」で買うほか手段がなかった。

だから筆者のような人間でさえ、DCブランドのバーゲンで服を買っていたのである。

今、低価格ブランドの衣料品は軽自動車同様に、見た目も機能性も向上した。
黙って着ていたら、そこらへんの百貨店やファッションビルに並んでいる洋服と区別ができない商品も増えた。

そうなると、低価格衣料でも十分だと考える消費者が増えることは不思議でもなんでもない。

一方、ファッションの好きな人というのは確実に存在するが、それは最早マスではない。
自動車そのものや運転すること自体が好きな人と同じような存在だといえる。

自動車好きの人はわざわざ高い車、燃費の悪い車、メンテナンスのめんどくさい車を買う。それが「味」だと言って。

これって、いわゆるオサレを自認するファッショニスタと呼ばれる人や業界人と同じではないか。

「味」だといって、髙い服、不必要なウンチク満載の服、メンテナンスのめんどくさい服、などを激賞して推奨する。

実はその判断基準は多くの人には理解されない。もちろんそうした判断基準が存在すること自体は理解できるが、多くの人はそういう服に惹かれる感性が理解できない。

筆者が自動車好き・運転好きの人間の感覚を理解できないのと同じである。

ファッションも自動車も「他人からどう見られたいかという要素がある」と指摘する人もいる。
たしかにそれはその通りである。
自動車の場合、ベンツとスズキの軽自動車は一目瞭然で違いがわかる。

とくにメーカーのエンブレムは絶対的に区別がつきやすい。

一方、洋服はどうだろうか?

ブランドのロゴやモノグラムが入ったアイテム以外はほとんど区別ができない。
バックポケットにステッチのないジーンズはユニクロなのか無印良品なのかドゥニームなのか、よく見てみないと区別ができない。

タグやリボンが付いていないMA-1タイプのブルゾンは、ユニクロなのかナノユニバースなのかユナイテッドアローズなのかは見ただけでは区別ができにくい。

そうなると、「かっこよく見られたい」と思っている人でさえ、低価格ブランドで十分だと考えてしまっても何の不思議もない。

今後、さらにそういう人は増えるだろう。

いわゆるそこそこに高額なファッション品を打ち出したいアパレル、ブランドは、割り切ってマニア層を狙うべきであり、ライトなマニア層あたりまでを獲得することを考えた方が合理的で論理的である。

いわゆるファッション品を打ち出しながら、マス層に買って欲しいと考えることは論理的には破綻している。
そして、そういう理解されづらいファッション品を打ち出しながら、「それを理解できないのは消費者が退化したからだ」などという妄言を吐くのは、愚か者のする行為である。












本物を作り続けるためにも「普及版」「簡易版」の開発は必要

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 物作り系の人々の「ハイエンドモデル」への固執は凄まじいが滑稽だと感じる。

先日、ちょっと唖然としてしまったのだが、ある取材先でこんな話を伺った。

冬山登山用、スキープレーヤー用のハイスペックダウンジャケットを作っていたメーカーが、もう少しスペックを下げたダウンジャケットをファッション用途で販売したところ、かなりのヒット作となった。
もちろん低価格品ではない。

それによってメーカーのイメージも好転したし、業績の好調さの一因にもなっている。

ところが、社内の古参の中には「あんな3000メートル級の冬山登山もできないようなダウンジャケットを販売するのはわが社の恥だ」とか「プロスキーヤーが着用できないような商品なんて・・・・」とか嘆く者もいるのだという。

もちろん、個人の思想は自由であるべきだが、あまりにもピントがずれていて笑えてくる。

3000メートル級の冬山登山をする人がどれほど世間に存在するのだろうか。
統計を取っていないからわからないが、せいぜい数千人程度ではないか。

そんなコアでニッチな層に向けて商品を作って売って、それでどれほどの売上高が稼げるのだろうか。
その会社が売上高3億円とか5億円程度ならそういうニッチ戦略でも良いが、会社の規模が何十億円、何百億円なら、そういうニッチな商品ではとても会社を支えられない。

必然的にある程度のマスに売れる商品を開発しなくてはならない。

3000メートル級の冬山登山に使用できるハイエンドモデルを否定しているわけではない。
それを作る技術は継承され伝承されねばならないから、そのためにも会社を存続させねばならない。

だったら会社が存続するためにはマスに販売できる商品を開発して、売上高を稼がねばならない。
その稼ぎでもってハイエンドモデルの技術継承・伝承を行えば良いのであって、ハイエンドモデルのみで会社の業績を支えなくてはならないという発想がおかしいのである。

超高額・ハイスペックなハイエンドモデルが飛ぶように売れればそれが理想だが、洋服に限らず家電でも自動車でもそんなことは起こりえない。
みんながレクサスやフェラーリを買えるわけではない。

だったら、庶民でも買いやすい商材を開発して収益を上げて、その収益でもって技術伝承を果たすことがもっとも合理的・論理的な考え方ではないか。

この古参社員たちの考え方は根本的におかしいのである。

物作り系の人にはこういう人が珍しくない。

いわく「デニム生地とは~」「ドレスシャツとは~」「スーツとは~」などなど。

はっきり言ってうんざりである。
そういう技術を突き詰めることは否定しないが、それを万人が欲しがっていると思い込むのはどうかと思う。

伝統工芸についても同じだと個人的には考えている。
いわゆる、正当な伝統工芸品を継承するためにも「売れやすい」商品を開発して、売上高を確保すべきだと考えている。

「本物の〇〇」が素晴らしいことは理解するが、その「本物の〇〇」が売れなくなっているのが現状ではないか。
その原因はデザインの悪さだったり、使い勝手の悪さだったり、けた外れの高価格だったり、メンテナンスの難しさだったり、する。
じゃあそういうものを解決した、普及版、簡易版、初心者版、一般ユーザー向け商品、などを開発すべきではないかと思う。

それで稼いだ売上高を、「本物の〇〇」を伝えるための原資にすれば良いだけのことである。
それがなぜわからないのか理解に苦しむ。

そう書くと、某伝統工芸の人がよくわからないコメントを寄せてきたのだが、「みんなに知られていないだけで、僕は工夫してそれなりに暮らせている」みたいな内容だった。
みんなに知られていない時点で、どうかと思う。
伝統工芸がどのようにして形を変えて生き残ってきたのかは知られるように努力すべきであろう。

個人としてそれで暮らせているのはけっこうなことだが、じゃあ業界全体ではどうか。
後継者難に陥っているのではないか。
それはひとえに「その事業で暮らせる」ということが知られてないためではないか。

僕は暮らせているという筆者個人への反論は、事業存続、事業伝承、事業継承にとって何の益もない。

製造業者の性向、嗜好はある程度は理解しているつもりだが、しかし、それがそのままで良いとは到底思わない。
生き残りたいなら生き残れるような策を講じるべきだし、こじらせたような作り手目線で普及版や簡易版の開発を否定することは、それは却って自分たちの首を絞めていることに気が付くべきである。








6兆円を割り込んだ百貨店売上高は今後さらに縮小する

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 多くの人がすでに話題にしているが、百貨店の売上高が36年ぶりに6兆円を割り込んだ。

16年の百貨店売上高6兆円割れ 36年ぶり 主力の衣料品落ち込む
http://www.sankeibiz.jp/business/news/170121/bsd1701210647002-n1.htm

日本百貨店協会が20日発表した2016年の全国の百貨店売上高(全店ベース)は5兆9780億円で2年連続で前年実績を下回り、36年ぶりに6兆円を割り込んだ。既存店ベースで前年比2.9%減だった。

16年の売上高は化粧品以外、ほぼ全ての商品で前年実績を下回った。特に主力の衣料品が前年比5.8%減と苦戦した。インバウンドは購買客数が18.5%増の約297万人だったものの、円高の影響もあり、免税売上高は5.3%減の約1843億円だった。

とのことであり、百貨店の売上高は1980年当時の水準に戻ったということになる。

衣料品不振のほか、この記事では触れられていないが、日経新聞の記事では食料品も1・8%減と微減しており、苦戦に転じたことがうかがえる。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL20HK5_Q7A120C1000000/

順調なのは、2・0%増となった化粧品を含む雑貨だけである。

衣料品が苦戦していることは隠しようもない事実で、外野から見ていて、百貨店衣料品の売上高が回復することはありえないと感じる。

これまで散々、このブログで書いてきたことの繰り返しになるが、百貨店の衣料品が売れなくなった理由は

1、消費者の可処分所得の減少または伸び悩み
2、百貨店に納品しているアパレル企業の商品企画の劣化
3、低価格ブランド商品の「見た目」の飛躍的な向上
4、ファッション業界人と百貨店関係者の浮世離れ

この4つである。

2と3の原因は、実は同根で、百貨店に納品していたアパレル各社、ワールドやらオンワードやらTSIやらは人件費削減の名目で90年代後半から企画部門を削減し続けている。

企画部門というのは主にデザイナー、パタンナーが属しており、彼らの多くはリストラされ、外部に放り出された。

彼らとて食べていかねばならないから、自分たちでOEM/ODM会社を作ったり、そういう会社に就職したり、商社の製品事業部に入社したりした。

アパレル各社は人件費を削減したのは良いが、結局、モノは企画できなくなるから、そういうOEM/ODM会社に商品企画を依頼するか、商社の製品部門に依頼する。

そういう会社は、特定の1社とだけ契約するわけではなく、売上高を稼ぐためには多くのアパレルと契約する。

百貨店に納品するアパレルの商品企画を手掛けながら、低価格ブランドの商品企画も手掛けるということが日常茶飯事に行われることになる。

同じ会社、同じ人間が企画するので、必然的に両者の企画内容は近しいものになる。

これが90年代後半なら、百貨店アパレルへの納入価格と低価格アパレルへの納入価格には大きな差があったから、百貨店アパレルには上質な素材を使い、低価格アパレルには廉価な素材を使ったりして、商品の見た目にも歴然とした差があった。

しかし、百貨店アパレルが苦戦に転じると、彼らは利益を何とか確保しようと納入価格の引き下げ、原価率の引き下げを平然と行うようになった。貧すれば鈍するを絵に描いたような状態である。

その結果、低価格ブランドと納入価格が大して変わらなくなり、使用素材もクオリティが低下し、商品の見た目も変わらなくなった。

同じような商品なら人間はだれでも安いほうで買う。

2017年現在、低価格ブランドが売れて、百貨店ブランドが売れないのは当たり前のことである。

化粧品を含む雑貨が唯一堅調といえるが、化粧品と衣料品を同様に比較して、化粧品を見習えという論調はミスリードを引き起こす。

化粧品はファッション用品ではあるが、消耗品である。
使い続ければ必ずなくなる。気に入った物は定期的に買いなおす必要がある。

ルブタンの口紅は使い続ければいつかはなくなる。
じゃあ、ルブタンの口紅は定期的に買いなおさねばならなくなる。
毎日使えば使うほどその消耗頻度は高くなり、買いなおすまでの期間は短くなる。

衣料品はどうだろうか。
1度購入すれば何年間も破損しない。
また、いくら気に入ろうが、化粧品ほど毎日使えるわけでもない。

分厚いウールのセーターはいくら気に入ろうが、真夏には着用できない。
せいぜい12月~3月までに4か月間しか着用できない。
保管中に虫に食われた場合は別として、4か月間の着用だから破損するまでには最低でも5年前後はかかるだろう。
保管場所にも限りがあるから、毎年毎年ウールのセーターを買い足すことはできない。

必然的に洋服を年間に買う枚数は制限されてしまう。

おそらく、もっとも洋服を買っている人は、一般消費者ではなく、衣料品業界関係者とアパレル販売員である。

衣料品は、「業界人の業界人による業界人のための商品」という傾向が色濃くなっている部分があるのではないか。

一方、同じ消耗品でありながら、有望視されていた「デパ地下」の食料品が減少しているのはどういうわけだろうか。

食品に関しては知識がないのでその理由はわからない。
もし、ご存知の方がおられたらぜひともご教授いただきたい。

甲斐性なしの貧乏人たる筆者からすると、デパ地下の食料品は化粧品と違って「日常使い」するものではないからかなと思える。
やっぱりハレの日だとか特別な日や贈答に買うけれど、日常的に自家需要として毎日買い続ける人は少ないのではないか、と貧乏人は思う。

あと、百貨店売上高が減少し続けている理由としては、

1、外商が弱っている、または横ばいである
2、地方店を中心に閉店が相次いでおり、百貨店の店舗数が減り続けている

である。

外商の強い百貨店と弱い百貨店の格差が開いていると耳にする。
高島屋や松坂屋、三越などは比較的外商が強いと耳にするが、一方で「うちの外商売上高はそんなに大きくない」と首脳陣が公式発表している百貨店もある。

http://fashion-hr.com/hr-talks/hr-talks_real/4842/

このサイトによると、

外商部の規模自体、バブル期と比べると今は40%くらいに小さくなってしまいましたしね。

と指摘している。

また、地方店はこれまでから閉店・倒産が続いており百貨店店舗数自体が減少し続けており、今後この傾向はますます強まる。
昨年後半にもそごう西武、三越伊勢丹、阪急阪神などが中小型地方店の閉鎖を発表しており、2017年以降はそういうケースがさらに増えると考えられる。
その一方で、今後新しく百貨店が新規オープンすることは考えにくく、店舗数は減少の一途をたどるだろう。

店舗数が減れば、売上高が減るのは当然といえる。

個人的には百貨店売上高は今後さらに縮小すると見ている。
将来的に残っているのは、都心の大型旗艦店のみということになっているのではないか。
そこが百貨店売上高の下げ止まりになるのではないだろうか。

鈴木敏文 孤高
日経BP社
2016-12-22



わがセブン秘録
鈴木 敏文
プレジデント社
2016-12-17










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