どんな伝統的な技術であろうと、その商品が売れなかったり、それに従事している人の生活が困窮すれば廃れてなくなる。これは厳然とした事実であり、そこにセンチメンタリズムが介在する余地はない。

先日、こんな記事が掲載された。論調は至極もっともである。

「幻の葛細工」が消えた意外な理由
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tanakaatsuo/20161028-00063774/

葛(クズ)という植物の繊維を使ってさまざま道具を作る技術が我が国にはあった。
滋賀県甲賀地方の水口には「水口細工」という葛細工があった。

ちなみに葛はカズラとも読む。

江戸期、明治期を通して一大産業で、戦後もそれなりの需要があったのだが昭和40年代に突然姿を消してしまい、その製法すらわからなくなってしまったのだという。

その消えた理由について次のように説明されている。

実は高度経済成長期に入ると、水口町周辺に多くの機械や電気の部品工場が進出した。そこへ水口細工の職人がこぞって転職したからだ。その背景に、水口細工づくりの工賃が安く、しかも注文に波があって職人の収入が安定しなかったことがある。その点、工場勤務は給料もそれなりによく、多くは月給制だった。
逆に水口細工そのものは、職人が激減したため注文に応えられなくなり、得意先を失う。土産物、贈答品等の需要はなければないで納まってしまう。

そうなると消滅は早い。しかも、あまりに日常の産業だったことや工程が分業制だったこともあり、製作技法はどこにも記録されていなかった。やがて世代が代わると、受け継がれることなく消えてしまったのである。そして平成に入ると、水口細工の存在自体が地元の人からも忘れられていく。

とのことであり、さらに次のように続く。

ここで気づくのは、作り手が(工賃や待遇で)報われなければ作り続けられないという当たり前のことだ。とくにほかに移る仕事がある場合は早い。どんなに人気の商品でも、作り手が逃げ出したら生産は滞るし、注文に応えられなければ代替品に取って代わられる。

とのことである。

水口細工が消えた理由は全然意外でもなんでもなく、当然至極であり、消えない方がおかしいといえる。

これは何も「水口細工」や他の伝統工芸に限定されたことではあるまい。
現在隆盛を極めているさまざまな産業も同じである。

ある産業に従事している人々は、給料が良かったり、安定した収入があるなら、そちらの別産業に転身する。これを非難することはよほどの聖人君子でないと無理である。
だれだって自分の生活が大事だし、だれだってある程度の楽はしたい。
別に自己犠牲を払ってまでその産業を死守し続けなくてはならない理由など微塵もない。

需要がなくなればその産業が滅びるのは当たり前だし、水口細工のようにある程度の需要があっても従事する人々の生活が潤っていなければ滅びるのは当たり前である。
困窮を我慢していても誰もほめてはくれないし、ほめられただけなら何の得にもならない。

それを部外者がどうのこうのという資格はない。
どうしても部外者が保存したければ、寄付するなり、資本出資なりをすれば良い。
それ以外の人間が「技術を残せー」とか「文化ガー」などということは完全な筋違いである。

国内の伝統産業のみならず、洋装向けの繊維産業も滅びの危機に瀕している。
生き延びたい人々は様々なアクションを起こしておられ、それはそれなりに称賛に値する取り組みも多い。

1、商品を変える、商品のデザインを変える
2、売り方を変える
3、見せ方を変える
4、伝え方を変える

この4つのうち、最低でもどれか一つでも実行しなければ滅びに向かった産業は生き残れない。
変えたくないならそのまま滅んでも当然だと思っている。

現在、生き残りを図るために、多くのそういう産業従事者が東京ギフトショーやルームスなどの大型見本市や合同展示会に出展している。
海外の著名展示会への出品も珍しくない。

「そんなものに参加しなくても自分は食えている」という人もたまにお目にかかる。
それは立派なことなのでそういう人は限界までご自分のやり方を貫徹されれば良いと思う。

しかし、ギフトショーやルームスに出展している製造・加工業者の多くは上手く行っていない。
そういう人々から打開策を求められることがあるが、それには上に挙げた4つのうちどれかを変えなくては無理だろう。できれば4つすべてを変えることが望ましいが。

売れる・売りやすい商品を作る、売れる売り方をする、売れる見せ方をする、売れる伝え方をする。

それ以外には打開策はない。
「今まで通りの商品を作って、売り方も見せ方も伝え方も今まで通りで、でも売上高を拡大したい」なんていうのは単なるワガママに過ぎない。

あけびを編む―ネイチャーズクラフト
谷川 栄子
農山漁村文化協会
1994-10