日本全国にはさまざまな生地産地がある。
著名な産地からマイナーな産地までさまざまある。

しかし、産地のおじさんたちはすべからく「我々の産地はそれなりに知名度がある」と本気で思っている。
本気でそう思いこまねば事業なんてやっていられないという側面はもちろんあるが、あまりにも現状とそれに対する認識がかけ離れている場合は失笑を禁じ得ない。

そして実情と自己の認識が一致しないから、いつまでも有効な施策を打ち出せないでいる。

先日、大赤字の決算見通しが発表された三陽商会なんかもその典型ではないかと感じる。

売上高の半分近くを稼ぎ出していたといわれるバーバリーとのライセンス契約が切れ、その後継ブランドとして「マッキントッシュロンドン」とまた新たにライセンス契約を結んだ。
若年層に人気だった「バーバリー・ブルーレーベル」と「バーバリー・ブラックレーベル」の後継として、新たにバーバリーとライセンス契約を結びなおして「ブルーレーベル・クレストブリッジ」と「ブラックレーベル・クレストブリッジ」を後継ブランドとしたが、3ブランドとも恐ろしいほどの不振だと伝えられる。

http://diamond.jp/articles/-/97429

このダイヤモンドオンラインの記事によると、マッキントッシュロンドンは、

百貨店関係者によると、バーバリーロンドン時代と比べて売り上げが4~5割落ちている売り場もあるというのだ。

という状態。

またクレストブリッジの両ラインは

売り上げはバーバリーの名前を冠していたときと比べて4月時点で良くて6掛け、悪いと5掛け弱だとされ、まさにのっぴきならない状況に追い込まれているのである。

という状態にあり、3ブランドとも惨憺たるありさまである。

そして

もっとも、百貨店関係者はこの惨劇に衝撃など受けていない。バーバリーを失ってからのことについては「三陽商会の予想より悪くなることがあっても良くなることはない」と割り切っていたからだ。

という百貨店からの声も掲載されているが、百貨店のこの判断は正しいといえる。
それは百貨店のみならず、業界全体の判断であろう。

それはさておき。

結局、三陽商会がマッキントッシュ、クレストブリッジという新しいブランドを打ち出したのは、バーバリーがなくなったという危機的状況が背景にあることは同情すべきだが、新しいブランドに対する自己認識が甘かったのではないかと思う。

大衆が思うよりも甘い判断基準で動いたのではないかと感じられてならない。

筆者は常々、「孫子」と「韓非子」を日本人全員に幼少期から教え込むべきだと考えているが、「孫子」の中に、

敵を知り己を知れば百戦危うからず

という有名な一節がある。

彼我の戦力差・立ち位置を的確に把握できて比較検討できれば、百回戦って百回勝てるということである。

たしかにその通りだ。
だから筆者も若いころは、如何に相手のことを知るかが重要だと考えていたが、初老と呼ばれる年齢になって最近は「己を知ることのほうが難しい」と感じるようになった。

全然無名なのに「うちの産地は有名だから」と思い込んでいる産地のおっちゃん、「クレストブリッジ」がそれなりに「バーバリー」の後継ブランドとして受け入れられると見ていた三陽商会の首脳陣、すべて「己を知ることができなかった」といえる。

相手のことを知ることはそれほど難しくない。
様々な情報や噂話を広く集めて、首脳陣や担当者の人間性を知ればある程度は正確に把握することができる。
情報のスペシャリストの分析は多くの場合的中するし、当たらない場合でも大外れはしない。

しかし、自己の立ち位置や自社の強みと弱みを正確に把握できているケースは非常に稀である。
ひどく楽観的にとらえている場合が多い一方で、ひどく悲観的にとらえている人や組織もある。
楽観的すぎても悲観的すぎてもそれは「己の実像」とは異なっており、彼我の戦力差を的確に分析できる材料としては使い物にならない。

そういう筆者も己の実像は的確に把握できていない。
できていないからこそ、この体たらくで生き恥をさらしているといえる。

若いころから初老の現在まで、精神論や根性論はまったく好むところではないが、自己や自社をきわめて客観的に見るように心がけなくてはならないとの思いを近年強くしている。

国内の生地産地、三陽商会に限らず、多くの苦戦企業は自己・自社の実像を正確にとらえられていないのではないか。苦戦続きの百貨店も「己を知らない」代表的な業界といえるだろう。
百貨店全体の売上高はピーク時から半減しており、今やセブン&アイホールディングス1社より少なくなりつつあるのに、いまだに「小売業界の王様」気取りの経営陣や社員がいるのは、滑稽を通り越して憐憫さえ感じてしまう。

客観視能力は訓練でしか手に入らない。

多くの苦戦企業が「己を知ること」を心がけて苦境を脱してもらいたいと願う。