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南充浩 オフィシャルブログ

デザイン業界の勘違い

2016年3月17日 考察 0

 遅ればせながら、「だからデザイナーは炎上する」(藤本貴之さん著 中公新書クラレ)の感想を書いてみる。

昨年夏の佐野研二郎氏による東京オリンピックのエンブレム盗用問題を分析した本である。
後半は、新エンブレム選考委員会のダブルスタンダードと「変わらない業界体質」について指摘してある。

それとともに「デザインとは何か」ということも考えている。

ちなみに、個人的には佐野研二郎氏はデザインセンスが優れていたとかデザイナーとして優れているとは見ていない。営業力とプレゼン力に優れているとは思うが。あと政治力にも優れているのだろうと思う。

閑話休題

この著書の最終章では、デザインとデザイナー、デザイン業界の勘違いについて3つにまとめている。

・デザインを特殊なものだと思っている
・デザイナーはクリエイティブだと思っている
・インターネットの時代でもデザイン/デザイナーのあり方は変わらないと思っている

である。

この著者の本業はいわゆる「グラフィックデザイナー」であり、オリンピックエンブレム問題もグラフィックデザインに関する事象だった。
それゆえこの3つの勘違いへの指摘はグラフィックデザインに対することだと考えられるが、ファッション業界、プロダクトデザイン業界にも通じるのではないかというのが個人的な感想である。

以前にこの本を紹介した際にアートとデザインの違いについて引用した。
もう一度要約しておくと、「製作者の主観のみで作られるのがアート、客観性・機能性を求められるのがデザイン」ということだった。

ポスターやカタログはグラフィックデザイン、絵画はアートと分けられると思うが、ポスターやカタログは「見てもらう人に書かれている内容を理解してもらう」という目的があるから客観性や機能性(この場合は分かり易さ)が必要だが、絵画の場合は別にそれは必要がない。製作者の主観のみで描くことが許されている。

衣料品や雑貨、工業製品の場合は、使用されることが前提なので常に客観性と機能性が求められる。
頭を通す穴があけられておらず「着用できない衣服」なんていうのは、衣料品ではなく、布アートということになる。
如何に高名なデザイナー、ラグジュアリーブランドが発売したとしても「着用ができない衣服」は売れない。
いわゆる「ブランド力」を評価して買う人は一部にいるかもしれないが、衣服としての価値はゼロである。
無名のブランドだと「ブランド力」もないからまるっきり売れないだろう。

著者の藤本さんは、「『勘違い』をこじらせないために必要なこと。それはデザイナー自身が『デザイナーとは技術者である』という現実を直視することだ」と書いている。
さらに続けて「すでにデザインは私たちの生活に密着している。だからこそ誰にとっても日常の一部であり、特殊な専門性の中だけで展開されるものではない、ということを理解することである」とも書いている。

個人的にはこの主張に賛成である。

逆にファッション業界は、デザイナーをクリエイターとわざわざ呼び直し、「クリエイターはアートと交流を深めるべきだ」というような主張がまかり通っており、本当に大丈夫だろうかと危惧してしまう。

それこそグラフィックデザイン業界がこじらせた「勘違い」を後追いしているのではないか。

例えば盛んに「希少性」ということを言われるが、繊維業界は、糸の生産も生地の生産も染色加工も、縫製もある程度の数量を前提として組み立てられており、今更家内制手工業へは戻れない。
極一部のブランドが戻ることは可能だが業界を挙げてそちらへシフトするわけにはいかない。そんなことをすれば製造加工業者はたちどころにクラッシュしてしまう。

綿や麻、シルクなどの原料を生産している国々の経済も危機に瀕する。
これらの原料を生産している国々は発展途上国が多く、軽工業や農業が国の経済を支えている。
その軽工業や農業が立ち枯れすれば、国の経済自体が危機に瀕してしまう。
「軽工業がだめになったから重化学工業やハイテク産業、サービス業を強化する」なんてことができるのは先進国に限られる。

発展途上国にはハイテク産業もサービス業も存在しない。

糸も生地も染色加工も縫製も、数量を前提として組み立てられた時点で「希少性」なんてものはなくなってしまっている。
少なくとも同じデザインの服は世の中に100枚は存在するし、同じ生地は5反(250メートル)ぐらいは存在する。

希少性に立脚すればするほど、よくわからない話になってしまう。

洋服のデザインについてもクリエイティブ性を発揮すればするほど着る人が少なくなる。
パリコレなどのステージでオブジェみたいな服が登場するが、実際にあれを何百枚も販売するわけではない。
あんなものを日常生活において着用する人間なんて皆無である。
あれを見せて、日常生活で着られる服を販売するのがパリコレブランドの手法である。

実際に洋服に求められるデザインとは、あんなオブジェっぽいものやコスプレのためのものではないだろう。

トレンチコートをブランドごとにどうアレンジするか
ジーンズをどう解釈してブランドごとにアレンジするか

という類のものだろう。

もしくは、すでに存在する物を如何に再編集してスタイリングするか、というようなことではないか。

昔は、カーゴパンツにネクタイはNGだったが、今ではそれは普通のスタイリングになっている。
これなんかはスタイリングを再編集した結果といえるだろう。
テイラードジャケットとジーンズの組み合わせもその範疇に入るのではないか。

だから個人的にはファッションデザイナーはクリエイターやアーティストではなく、技術者であり設計者でありアレンジャーだと思っている。

そのように考えた方が、業界としては健全なビジネスが構築できるのではないかと思う。


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