いわゆる「ファッション」ブログだとかファッション雑誌の記事だとかは、あまりにも感性に寄りすぎていて、読んでいて腑に落ちないことが多い。

「これが今の気分」とか「これがマイブーム」とかそういうことで締めくくられており、読んでいる側からすると、あなたの気分は理解できたけど、どうしてその着こなしがカッコイイということになるのかは理解できない。

タレントのファッション評論なんてもっと理解できない。
「この色合わせはダメ」なんて言ってるご本人が、すさまじく変な色合わせの服を着ていたりする。

結局のところ、それらの言論を総合すると「ファッションは感性」だとか「ファッションは感覚」というその一言で片づけられてしまうことになる。

だからほとんどファッションブログは読まない。
最近はファッション雑誌の記事も真剣には読まない。
タレントがファッションチェックをするような番組も見ない。

そんな中で唯一、必ず読んでいるのがKnower Magである。

ファッションを理論的に説明しているし、何よりも既製服のファッションを工業として捉えている点が賛同できる。
まあ、たまに「?」と思うこともあるが、彼なりの論理に沿っているのでブレがない。
人間同士なので何から何まで賛同できるようなことがないのが当たり前である。

先日はデザイナーズブランドについて工業の視点から論じていてかなり秀逸だったので紹介したい。
いわゆるファッショニスタと自称他称される人でこの視点を持っている人は少ない。
彼らは大概が良くわからない情緒論に立脚しており、話にならない。

http://www.neqwsnet-japan.info/?p=6609

「いやデザイナーズブランドはデザインの優位性がある!」
とも思うでしょうが、これも残念ながら最適化された生産背景の前では無価値です。

上述した通りですが従来型の「洋服を作る」という行為は時間と手間がかかるもの。他社が出してきた優良なデザインを「コピーしよう」と思ってもクイックに動くことはできませんでした。生地の手配、縫製工場のラインの空きなどなど思うようにはいきません。

しかしH&Mなど極度に効率化されたブランドは「すぐにコピーする」ことが出来ます。そうなると「デザイナーズブランドの優位性」はありません。もっともファストファッションは限られた客層に向けたデザイナーズと異なり、数多くの人を対象にしたマス層向けデザインにしなければならないため、「デザイナーズブランドの優位性」が完全に消えたわけではありませんが。

しかし「ユニクロアンドルメール」の様にクリエイティブなデザイナーとファストファッションが組んで「カプセルコレクション」などを数量限定で展開すればその優位性はますます薄れていきます。先端のデザインをマス向けの生産背景を流用して作るのですから。洋服は商業ですから、価格で戦わざるを得ません。そうなるとデザイナーズブランドは敗北を喫するでしょう。

とある。
まさにこの通りである。

洋服は工業であり商業である。
決して芸術品でも伝統工芸品でも美術品でもない。
それをやりたいのならオートクチュールへ行くべきで、既製服(プレタポルテ)をやるべきではない。

しかし、ファッションの頂点といわれるパリコレクションでもオートクチュールよりもプレタポルテの方が何年も前から注目されており、パワーバランスは完全に逆転したといわれている。

で、このブログでは「差を付けるのは着こなしである」と常々主張しており、以下のように続く。

「服は人によって似合うものが違うのだから、法則などないはずだ」と声高に主張する一部の業界人もいますが、それこそがアパレルを萎縮させ、着こなしの工夫を後退させることだということに気づいてほしいのです。

そしてそういった方のほとんどが上述の抽象性と具体性を理解できていません。抽象概念はあらゆるものにあてはめて100人いれば100通りの具体性を生み出すことができる「方程式」です。個性をつぶすものではありません。

逆に方程式や説明書すらない、100%自由なジャンルって存在するでしょうか?芸術ですら論理があります。

商業のファッションにおいては「客観的な見た目」がもっとも重要視されます。人の見た目、人の感覚は法則でまとめられないほど千差万別なものでしょうか。そうではないはずです。

事実、街では「あの人おしゃれだよね」「そうだよね」という会話が成り立っています。もしバラバラの価値観があるのであれば、そういった会話は成り立たないはずです。

とある。

昨年あたりから目に見えてアパレル不況が進んでいる。
供給過多な上に、経済とか経営のシステムをわかっていない経営者が多いからだろう。
目先の小銭にこだわって中長期的な投資ができない経営者も多々いるし、過去にもいた。

それ以外にも多くの業界人が「感覚」とか「感性」とか「情緒」とかに比重を置きすぎているのも要因ではないか。

たしかに「感覚」「感性」「情緒」も必要だが、既製服は工業化されたシステムで製造されている。
さらに販売は、極めて商業的な立地、スタイルでなされている。

感覚、感性、情緒を大前提に考えると、必ず失敗する。

読モブランドで10年以上続いているブランドなんて見たことがない。

アパレル不況と言われている現在こそ、工業と商業に立脚して考えなくてはならないのではないか。
効率的経営というのは、目先の10円の製造費を削ることでは決してない。
たかだか100枚くらいしか作らないのに工賃を10円削ったところで1000円だ。

どうせ、その手の経営者は毎晩、何万円も呑み代を払っているのだろう。
自分のポケットマネーを1000円削ればどうか。

日本の産地を救いたいという人は多いが、産地を救う方法は伝統工芸化でも芸術化でもなく、工業、商業として成り立たせることであると考えている。
なぜなら、繊維の製造・加工業は工業化されており、それを救うには工業化にふさわしい物作りをし、出来上がった物をできるだけ売りさばくという商業行為に依らざるを得ないからだ。


服を着るならこんなふうに (1)
縞野やえ
KADOKAWA/角川書店
2015-12-10


縞野やえ
KADOKAWA/角川書店
2016-03-08