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南充浩 オフィシャルブログ

「ジーンズ業界」は残らないが「ジーンズ製造加工業界」は今後も残る

2015年10月7日 未分類 0

 先日、このブログでジーンズナショナルブランドの凋落の原因について書いたところ、有限会社TCDさんがその補足ブログを書いてくださったのでご紹介したい。

http://ameblo.jp/tcd-co-ltd/entry-12081206018.html

『ファション業界に取り込まれたジーンズというアイテム』
http://blog.livedoor.jp/minamimitsu00/archives/4494893.html

まさに仰る通りな内容でした。
その中で
「どうすればジーンズブランドは凋落しなかったのか?」
と、空想され、その答えを
「製造ノウハウをきっちりと握りしめていればよかった。」
のではないかとされ

その現実的方策として
縫製工場、洗い加工場を自社で運営し
協力工場のLINEを隙間なく埋め
商社に他業種からの受注の必要を感じさせないほどの
数量を依頼し続ける。
という、およそ不可能な方策しかなかったのではないか?
と、仮定。
よって、ナショナルジーンズブランドの凋落は
不可避であった!と結論づけておられます。

ほぼ正解です。
ただ、内部の人間として、少し掘り下げますと・・・。
最大の原因は
*人材の流出
です。

『日本ハーフ』さんや『大石貿易』さんのように
早い段階で姿を消した
優秀な企画者がいたジーンズブランドの人材を
同業種のメーカーがすくい取りきれず
それどころか
エドウィン、リーバイス、ビッグジョン、ボブソンも
だらだらと人材を流出し続けました。

ジーンズは
縫い糸から、各種付属、縫い自体、洗い加工、そして生地
すべてが特殊です。
なので、工場もさることながら
メーカーのMDやデザイナーがノウハウと人脈を
包括して握っています。
一般のブランドが、いきなり工場に話を持って行っても
たいした商品はできません。

また以前より指摘をしてきましたが
ジーンズNBは、基本的には “金持ち” でした。
金が有るうちに、有効な 『M&A』 をすべきだったと考えています。

まぁ、そういった意味でも
全ては
“人材” です。

加工のプロとか
ニッチなデザインができるヤツとか
生産管理に秀でた人とか
概して、その特殊性の高さゆえに
スペシャリストのみを優遇し
ゼネラリストの能力のあるものを冷遇する気風が
業界全体に蔓延していました。

経営者、役員の先見性の無さと
村意識と傲慢さが
業界全体の低迷を招いたことは明確です。

そして多くの人材がクモの子を散らす如く
野に放たれました。
その帰結が現在です。

ただ、このような状況は
日本で特有なものではありません
世界的な流れです。

とある。

この補足に感謝したい。

結局、無数のOB・OGが野に放たれ、それぞれがOEM・ODM請負会社を設立し、ジーンズブランド以外のブランドからの注文を受けるようになった。

製造工程のノウハウやら人脈やらを彼らは握っているわけだから、彼らを通すと、どんなブランドでも正当な報酬さえ払えばジーンズナショナルブランドと同等の商品を作ることができる。

それが現在の状況である。

で、先日も書いたようにこの流れを押しとどめることは不可能だったのではないかと思う。
TCDさんが書いておられるように、日本特有のものではなく世界的な流れでもある。

また早期退職した人を各社がサルベージしても結局は人材過多となってしまい、言葉は悪いが飼い殺しみたいな状態に置かれる人も多数出現しただろう。
一方、人材を囲い込むと言っても、定年退職した人までを囲い込むことは不可能である。
定年退職した後に、自営でOEM・ODM請負会社を立ち上げる人も中にはいただろうから、遅かれ早かれ人材とノウハウは流出したと考える方が正解だろう。

ただし、人材とノウハウの流出スピードは相当遅くなっただろうが。

大石貿易は古くに創業された会社で、日本ハーフは当時、新興メーカーだった。
このほかにもタカヤ商事、サンダイヤ、ラングラージャパン、帝人ワオ、ブルーウェイなどからも人材は多数流出している。

ワーキングユニフォームだとか白衣だとか特殊用途衣料は別として、ファッション用途の衣料品は「村」を保ち続けることはほぼ不可能だろう。

これはワイシャツもそうだろう。

正式にはドレスシャツというが、年配の人はワイシャツとかカッターシャツと呼ぶ。
かつて大手シャツ専業アパレルというのが何社かあった。
ちょうどジーンズナショナルブランドのような感じだ。

トミヤアパレル、カネタ、信和シャツ、松屋シャツ、CHOYA、すべて経営破綻した。
トミヤアパレルは業務を再開しているが、往年の勢いはない。

業界新聞記者として入社した97年当時にあった大手シャツ専業アパレルで無傷で残っているのは、先日、CHOYAから事業譲渡を受けた山喜、それからフレックスジャパンとナイガイシャツ、SPA化した東京シャツ、中堅のスキャッティオーク、くらいである。

結局、ドレスシャツもファッションアイテムに取り込まれたから、シャツ業界という「村」を維持することは難しかったということだろう。

もうかつての「ジーンズ業界」は残っていないし、これから復活することもないだろう。
しかし、「ジーンズ製造加工業界」は依然として残る。そこがなくなったら多くのファッションブランドがジーンズを企画製造することができなくなるからだ。

すでに2000年前半でさえ、岡山・福山界隈の産地企業は「ジーンズナショナルブランドからの受注が減った分をレディースアパレルやSPAブランド、セレクトショップからの受注を増やしてカバーしている」と話していたくらいだ。
2015年現在だと、むしろそちらの方が主要取引先になっているのではないか。

「ジーンズ製造加業界」はすでにファッション業界と直結してしまっているから、今後、もし「新しいジーンズ業界の枠組み」を作りたいのなら、レディースアパレル、メンズアパレル、SPAブランド、セレクトショップなどの参加を促さないと意味をなさないだろう。

もっとも「新しいジーンズ業界の枠組み」なんてものを改めて構築する意味があるとは到底思えないし、そんなものを構築したい人なんていないと思うのだが。




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