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南充浩 オフィシャルブログ

「なくなったら困る」といわれるブランドを目指そう

2015年9月8日 未分類 0

 先日、某ファッション専門学校の理事長と雑談をした。
かつてのお得意さんであった大手アパレルの苦境に話題が及んだ時、こうおっしゃった。

「そりゃワールドが仮に潰れてなくなったとしても消費者はだれも困らないからね」と。

便宜上ワールドとおっしゃったが、ここにオンワード、イトキン、ファイブフォックス、三陽商会、TSIいずれを入れても成り立つ文章である。

そして「ユニクロや無印良品がなくなると困る消費者がたくさんいる」とも。

これが今の立場を端的に表しているのではないかと思う。

理事長の真意は、嗜好品ブランドと実需品ブランドを対立させたわけではない。
海外では嗜好品でも富裕層には「いつも〇〇はあのブランドで買ってたからあれがなくなったら困る」というブランドがある。

これに比べると、我が国の大手アパレル各社はそこまで消費者に支持されたブランドがあっただろうか?
皆無とは言わない。
ライセンス契約が終了した三陽商会のバーバリーなんかはそれに近かっただろう。
しかし、各社の展開するブランド数は多いが、そこまで支持されたブランドは少ないと言わざるを得ない。

H&Mだって、デザイナーコラボ商品発売前には何百人くらいの行列ができる。
正直にいうと、個人的にはあれの何が良いかはさっぱりわからない。
何年か前のLAVINコラボドレスが発売されたことがあったが、何日か後に難波の店舗を覗いてみると、意外にたくさん残っていて拍子抜けしたことがある。
それとドレスっていうのは、素材やディスプレイ法も重要なのだと改めてわかった。
なぜなら、クオリティの高くない素材で作られたドレスが雑然とハンギングされている光景は、極めて安っぽく見えたからだ。
強いて言えば、学芸会の舞台衣装が吊り下げられている感じとでも言えば良いのだろうか。

筆者の好みはさておき。

H&Mだってそれだけの人が毎回並ぶということは、ファン層を多数獲得しているということである。
デザイナーコラボなんて必需品ではあるまい。ファッション用品としてH&Mに期待しているという人がそれだけ多数存在するということである。

サマンサタバサだって筆者に良さがさっぱりわからないけど、熱心なファンがいる。
毎年の売上高に増減があったとしてもメンズでは「ポール・スミス」人気は根強い。

今、不振と言われている大手アパレル内にそういうブランドがいくつ存在するのか。
もちろんゼロとは言わないが、極めて少ないということは内部の方が一番お分かりなのではないだろうか。

原因はなんなのだろうか。
多分一つではなく、さまざまな要素が複雑に絡み合っているのではないかと思う。

経費削減を目的に外注丸投げ企画を増やしたこともその理由の一つだろう。
また、発信の方法がいつまで経っても「担当者や経営者の顔の見えない」旧来型の発信に終始していることもその理由の一つだろう。

類似の代替品が世の中に多く登場して競争に負けたというのも理由の一つだろう。
値ごろ価格の「コムサ・イズム」なんてブランドは現在どれほどの需要があるのだろうかと疑問に感じる。
値ごろ価格のファミリー向けブランドなんて掃いて捨てるほどあるし、驚くほど低価格でもない。
「コムサ」独特だったモードテイストもすっかり薄まっているし、これなら無印良品やユニクロでも代替できるのではないかと思う。価格もそちらの方が安い。

発信方法にしても、インターネットは不可欠だし、SNSも最早不可欠だろう。
そうした中で、担当者や経営者の「顔が見えない」発信はあまり効果がない。共感を得にくい。

もちろん炎上という危険性はあるが、まったく個性の見えない発信ではだれも見てくれない。

例えば

「〇〇ブランド〇〇店です
本日、コートが入荷します。かわいいダッフルですよ~」

とか

「〇〇ブランドです。
本日発売のファッション雑誌××に6ページ特集されます。御見逃しなく」

なんていう宣伝告知しか発信されていなかったら、だれがそんな発信を逐一見ようと思うだろうか。
まだテレビコマーシャルの方がエンターテイメント性があって面白い。

過ぎたことを言っていても始まらないから、今後の生き残りをかけて、各社とも根強いファンが存在する「なくてはならないブランド」作りを目指さなくてはいけないのだと思う。

それはトレンドアイテムを如何に早く作るかというだけでは足りない。
トレンドアイテムを如何に早くパクるかなんてのは問題外である。

価格競争も行きついた感がある。
低価格というだけではそれほど珍しくなくなった。
安い洋服なんていくらでも探せるし、現在以上の低価格化を実現することは不可能だろう。

となると、如何に共感を得て、固定客を多く作るかということが重要なのではないか。
何だかまわりまわって、スタート地点に戻ってきたような感じがあるが、もしかしたら正解はもともとずっと同じで、それを眺める人間たちの目には別の物に映っていただけなのかもしれない。

まあ、なんだか、らしくない情緒的な意見で結ぶのはちょっと申し訳なのだが。



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