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南充浩 オフィシャルブログ

「大人女子」というコピーが気持ち悪い

2011年3月24日 未分類 0

 個人的に「●●女子」「●●男子」という呼び方が好きではない。
しかし「●●男子」の方は、「草食系男子」以外はあまり定着しなかったように思う。
下手くそな広告代理店が「弁当男子」や「男子会」なる造語をひねくり出したが、どうもパッしない。職場に弁当を持ってきている男性社員を「弁当男子」と定義しているようだが、妻子ありの40過ぎの男性社員が自宅から弁当を持ってきているのを「弁当男子」と呼ぶのはかなり無理があると感じる。せいぜい、30代前半までではないだろうか。

妻子持ちで自宅から弁当を持ってきている40代社員は「弁当持ってきているオッサン」である。
また男性だけで遊びに行ったり食事会をすることを「男子会」と名付けようとした痕跡があるが、これなどは、今までから普通に行われていることであり、ことさら「男子会」などと名付ける必要性がまったく感じられない。

一方で「●●女子」と言うのは何となく定着した感じがあるのだが、自分は極力使いたくない。
WEB版の大辞林によると、女子(じょし)の意味は

1、おんなの子、むすめ
2、おんな、女性、婦人

である。

女子には元来、女性の意味もあり「女子トイレ」という言い方は「女性、婦人」の意味で日常的に使用されていると思う。しかし「●●女子」という言い方は、おそらく「おんなの子、むすめ」の意味で使用されているのではないだろうか。

で、違和感を感じるのは明らかに「おんなの子」でも「むすめ」でもない年代にまで「女子」という言葉が使われ始めているところである。「むすめ」で通用するのは、せいぜい30代半ばまでが限界(かなりサバを読んで)だと思う。

先日、マガジンハウス社から新しい女性雑誌「Lips(リップス)」が創刊された。
そのキャッチコピーに「大人女子」という珍妙な言葉が使われているのだが、この言葉の座りの悪さは尋常ではない。まさか、この「女子」は「女性」という意味で使用されているとは思えない。それなら普通に「大人女性」で十分である。
明らかに「おんなの子、むすめ」の意味で使用されていると感じられるのだが、「大人」と「むすめ」は反対の意味があり、両立はしない。ここで使用される「大人」が、まさか「たいじん」や「うし」の意味で使われているとは到底思えない。やはり「おとな」という意味だろう。

また巷には「40代女子」という言葉があふれ、これからは「50代女子」という言葉も使われそうである。残念ながら「40代」は「おんなの子」でも「むすめ」でもないし、ましてや50代はあと少しで老人の域に足を踏み入れる。
まあ「気分だけはむすめ時代と変わらず」という意味合いも込められているのだろうが、どうも「おばちゃんが痛々しく若ぶっている」という風にしか捉えられない。彼女らの「むすめ」時代はとっくの昔に終わっているから。
定年間際のオッサンを「50代男子」と呼んでみるとその異様さが浮き彫りになる。「50代女子」という呼び名はこれと同様に気味が悪い。

もういっそのこと40代・50代は「オバハン女子」、60代以上は「ババア女子」で良いのではないかとも思えてくる。

「いつまでも若々しくありたい」。こう願うのは人間の自然な欲求である。それに平均寿命が延びた分だけ、今の女性も男性も年齢の割に若く見える人も多い。
しかし、社会の中核を担っている40代、50代が何時までも「むすめ」気分ではどうしようもない。50代までが何時までも軽々しいのもどうかと思う。

先日、テレビか何かで、自民党の山本一太議員が50歳を過ぎているのに若々しいという話題があった。たしかに彼は男前ではないが、スマートな体型のおかげもあって若く見える。40歳そこそこに見えると思う。一方、故・田中角栄氏は39歳のときにすでに「自民党のオヤジ」と恐れられていたという。田中角栄氏を賛美するつもりは毛頭ないのだが、50歳を過ぎていて貫禄がまるでないというのも疑問を感じる。

軽々しい40代、50代が増え続ける社会というのもどこか正常ではないと思える。人間は誰でも老いるし、死ぬ。もう一度そのことを実感しなくてはいけないのではないか。

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