筆者は食べ物にほとんどこだわりがない。
食材や味付けに好き嫌いはあるが、こだわりがない。
例えばセロリは嫌いだ。わざわざ自分で好んでセロリという食材を買うこともないし、外食した際にセロリを使った料理を頼むこともない。

しかし、外食店に入る際には、別にファストフードでも構わないと思って入るし、牛丼でもつるまるうどんでもサイゼリヤでもバーミヤンでも王将でも鳥貴族でも入る。
それらの店の料理がすごく不味いとはぜんぜん思わない。

値段の割にはそこそこに美味しいと思う。
味覚というのは千差万別なので、「あんなものは不味くて食えない」という人がいても不思議ではないが、賛同はできない。

実際のところ、「もっと高くても良いから美味い物が食いたい」と思っている人がいても不思議ではない。
筆者にはそういう人の気持ちはこれっぽっちも理解できないが。

筆者はそこそこに安くて、そこそこに美味ければそれで十分なのである。

でもそれじゃ満足できないという人も存在する。
そういう人が存在することはまったく問題ないが、そういう人が「今の外食産業は間違っている」だの「安い物はすべからく不味い」だのという意見を高らかに主張するのを見えると萎えるし、まったく共感できない。

洋服でも同じではないかと思う。

筆者にとって自分が着る洋服は「そこそこに安くて、そこそこに見映えが良くて、そこそこの品質であればそれで良い」のである。
とびきり上質であることも、とびきりかっこいいこともまったく必要ではない。
それがすごく高額なら、自分とはまったく無縁の製品である。

しかし、洋服業界の人の多くはそうは思わないようである。
自分が携わっている製品には良くも悪くも何らかの思い入れとか思い込みがある。
どうしても贔屓目に見てしまうのは仕方がないことだろう。共感はできないけど。

けれども「そこそこ」で良いと思っている人が多いから、ユニクロやしまむらが躍進し続けているのではないのか。
その大多数の消費者行動を否定しても仕方がないのではないかと思う。

飲食の場合、食べてしまえば消えるものだし、人間は最低でも何日かに1回は食事をとらねば死んでしまうから、定期的な需要が確実に生じる。
また元々の単価が安いから、高いと言っても昼食に2000円も使えばそこそこに良い物が食べられる。中には例外もあるが。

一方、衣料品の場合、よほどの激しい何かが生じなければ短期間で破損することはあまり考えられない。
着用頻度にもよるが、どんな粗悪品でも最低でも2シーズンくらいは着用できるのではないか。
また単価は大概の場合飲食物よりは高い。
天神橋筋商店街のバッタ屋にでも行かない限り、Tシャツは最低でも390円くらいはするだろう。
ズボン類も安くても500円くらいはする。

長持ちするしそこそこに単価が高いとなると、衣料品は本来頻繁に買われる物ではない。

その需要に合わせて衣料品を企画製造していたら、今のアパレルや洋服販売店は企業体としては存続できない。まるっきり趣味の世界になってしまう。

だからアパレルや洋服販売店が企業体として存続したいのであれば、毎日、服が売れ続けなくてはならない。
そのためにどう売るかをメーカーもお店も工夫を凝らす。

大多数の人間はファッションにそこまで興味も情熱もないから、「そこそこ安くてそこそこかっこよくて、そこそこ質が良ければそれで十分」と考えている。
そういう層に向けてそういう商品を企画製造販売することは、理にかなったビジネスモデルである。
まことに合理的だ。

それがユニクロであり、外資ファストファッションであり、ハニーズであり、しまむらである。

これらを否定してみてもまったく何も始まらない。

しかし、そうではないという消費者層も確実に存在する。
そしてそれは少数派である。

そうではない商品が売りたいという人は、その少数派に向けて商売をしているということを認識する必要がある。

その少数派に向けて商品を提案しているのはあなたのブランドだけではない。
それこそ無数のブランドがその少数派に向けて商品を提案しているのが現状である。
そういう富裕層の所得も収納スペースも無限ではない。
彼らに選ばれるために、あなたのブランドは何をしたのか?

かっこいい物を作ったとか高品質の物を作ったとかそれだけでは選ばれる可能性は限りなく低い。
良い物を作ったからと言って売れるとは限らない。

富裕層ならまずラグジュアリーブランドを買う。
なぜか。品質が良いからではなく、知名度が高いからだ。
ラグジュアリーブランドはその知名度を維持するために毎年、莫大な額の広報・販促費を使っている。

で、富裕層狙いの弱小ブランドはそれに対抗するために何をしたのか?

富裕層狙いでもブランド間ではすさまじい競争がある。
もちろんマス狙いのブランド間でもすさまじい競争がある。

マス狙いならユニクロとの競争にさらされるわけである。

筆者はファッションを特別なものとはまったく考えていない。
飲食物ほどの必需品ではない。なくても大きく困る物ではないから、むしろ嗜好品であると考える。

嗜好品だからといって、バカ高い物だけが売れるとは限らない。
世の中の他の嗜好品は大概の場合、低価格から高価格まで各価格帯で商品が供給されている。
釣竿しかり、万年筆しかり、タバコしかり、酒しかり、腕時計しかり、家具しかり、自転車しかりである。

なぜ、洋服だけがそうではないと思えるのか。

洋服も同じである。

嗜好品でも価格のピンキリがあって当然であり、その中で大多数のマス層は「そこそこで良い」と感じているわけだから、この嗜好を否定してみても何も始まらないのではないか。
むしろそれを声高に否定することで、「過度なファッション好き=カルト」という風にも見えるのではないかと感じる。

現に筆者は、過度にファッションを主張する人、過度に低価格ブランドを否定する人、過度に物作りを主張する人は、なかばカルトだと思ってしまっている。

自分たちの売りたい価格で売るためにはどうすれば良いのか?
そこには「モノヅクリガー」とか「ファッションガー」の視点だけではだめで、販促や広報活動が必要になる。
店頭での販売方法の模索も必要である。
もしかしたら金融的な活動も必要かもしれない。

筆者がいうところのカルト的な人々はそこまでトータルに考えているのだろうか?
これは筆者の偏見だが、ひどく情緒的な主張にしか聞こえない。

逆に、とびきり上質でとびきりかっこいい物をそこそこの値段で売れたら、それは大きなビジネスになるのではないかとも思う。
実現を妨げている要素は多々あるが、それを乗り越える工夫を凝らせば不可能ではないだろう。

飲食でいえば、「俺の〇〇」シリーズはこの発想に近いのではないかと思う。

衣料品業界で今後新しいことができるのは、カルト的なファッション業界人ではなく、異業種からの参入者ではないかと強く確信している。

ユニクロ対ZARA
齊藤 孝浩
日本経済新聞出版社
2014-11-20


ユニクロ帝国の光と影 (文春文庫)
横田 増生
文藝春秋
2013-12-04