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南充浩 オフィシャルブログ

すまじきものは宮仕え

2014年11月6日 未分類 0

 少し前に、某商社のウェブサイトをリニューアルしたことで、ウェブからの受注が減った事例を紹介した。
正確にいうなら、紹介した記事を紹介したと言うべきだろう。

従業員に新社長の抑止を期待するのは無理がある
http://blog.livedoor.jp/minamimitsu00/archives/4218732.html

というエントリーである。

あるコンサルは、この失敗の原因をウェブ担当者だとしているが、筆者は担当者に意見を言わせないムードを作り、なおかつ見識の低い新社長が失敗の元凶であると考える。
さらにいうなら、ウェブ担当者が保身のために直言を憚ったところで、そのプランにゴーサインを出したのは新社長であるし、そのウェブ制作会社の甘言に乗ったのも新社長であるから、新社長こそ失敗の責任を負うべきであると考える。

さて、先日のエントリーでは、絶大なる権限を持ち、我がままワンマンであろう同族会社の新社長に対して、直言・諌言できる平社員などそうそう存在していないことを書いた。

それをもとにした、このブログでは、

http://ameblo.jp/knitkitchen/entry-11945985963.html

このウェブ担当者は

①新社長に進言すれば「口ごたえするな!」とクビになる。

②何も言わなければ、事業が失敗して責任を取らされてクビになる。

どちらにしても

そろそろ就活をしておいたほうが

良いかもしれませんね(笑)

としている。
この意見が一番シビアだが、もっとも現実味がある。
繊維・アパレル業界はかなりの大企業でもこういうことが掃いて捨てるほどある。

多くの企業でイエスマンばかり出世しているというのが、20年間業界にいた人間から見た実情である。

直言・諌言を行う者は多くの場合、冷や飯を食っているのが実情である。
言ってもクビ、言わなくてもクビというのも良くある。

こういう状況を見ると、韓非が生きた時代と人間はほとんど変わっていないことがわかる。
韓非は中国の紀元前3世紀の人である。2300年ほど前の人だが、この人の考えをまとめた「韓非子」という書物の孤憤扁にはこんな一節がある。

法・術を正しく実施しようとする言葉によって、君主の法・術を軽視する間違った考えを矯正しようとさえする、これは君主との対立をも恐れないということだ。法術の士は更に、政治的な勢力がなくて身分が低く、党派にも属さずに孤独なのである。

韓非は法家という思想集団に属しており、この思想は、法による統治を進めるのが大きな特徴である。
法治という思想は2300年前に中国で生まれたが、現代中国は非法治国家なのだから歴史というのは皮肉なものである。

ここでいう法術の士とは法家思想を持って政治を行う人のことである。
この法術の士は君主に対して直言・諌言を行うため煙たがられる。反対にイエスマンの重臣は君主にかわいがられる。韓非子の書物の中では常に法術の士は負け続ける。

現場担当者に直言・諌言することを求めるのは、韓非子のような法術の士になれというようなものである。
直言・諌言をした結果が2300年前なら処刑だったり国外追放だったり、現代だったらクビ、左遷、降格、減給なのだからまったく割に合わない。
凡人なら保身に走って当然である。

結局のところ、直言・諌言してもしなくても担当者が処罰される可能性が高いわけだから、担当者には同情を禁じ得ない。
今も昔もまことに、すまじきものは宮仕えではなのかもしれない。

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