南充浩の繊維産業ブログ

ファッションブログ・・・・と言いたいところだけれどもそこまでファッションに特化していないし、能力的にもできない。そこで繊維製造業、産地、アパレルメーカー、小売店など幅広く繊維産業全般についてぼちぼちと書きます。たまにマスコミ、経済問題についても書く予定。よろしくお付き合いください。 お仕事の依頼は minami_mitsuhiro@yahoo.co.jp まで。

繊維業界新聞の記者としてジーンズ業界を、紡績、産地、アパレルメーカー、小売店と川上から川下まで担当。 同時にレディースアパレル、子供服、生地商も兼務した。退職後、量販店アパレル広報、雑誌編集を経験し、雑貨総合展示会の運営に携わる。その後、ファッション専門学校広報を経て独立。 現在、記者・ライターのほか、広報代行業、広報アドバイザーを請け負う。

Rニューボールドの撤退は、90年代の手法が通用しないことを証明している

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 相変わらずブランド廃止ラッシュが止まらない。

ジョイックスコーポレーションのRニューボールドは2016春夏物でブランド廃止となった。

https://www.wwdjapan.com/375791

この記事によると、

渋谷店と京都店は同社が撤退を決めた「アールニューボールド(R.NEWBOLD)」の路面店を「サイコバニー」に業態転換する。

とのことで、他のRニューボールドの直営店は2016秋には完全閉店していたのだろう。
どうせ秋物は企画製造していないのだから、秋口に閉店するのは当然である。
ちなみにZOZOTOWNの店は、昨年10月で閉鎖となっている。

それにしても感慨はある。

Rニューボールドというブランドはポールスミスのセカンドラインとして業界では20年来知られてきた。
しかし、もともとはポールスミス氏が始めたブランドではない。
途中で買収したのであるが、そのあたりのいきさつはこちらにまとめられている。

https://www.fashion-press.net/brands/1849

1885年、イギリス・ダービーのペアツリーロードにロバート・ブリュースター・ニューボールドが服の工場とショップを開いた。

1900年に入ると工場の生産品目も拡大し、炭鉱夫の作業服や軍服、警察・消防・救急隊のユニフォーム等も製造を始めた。また、70年代初めに当時独立したばかりだったイギリス人デザイナーのポール・スミスとも親交を持ち、ポール・スミスのシャツを生産していた。

1990年に倒産の危機に陥った際、ニューボールド社の買収をポール・スミスに依頼。


とのことである。

それ以来、ポールスミスのセカンドラインという位置づけで日本では展開されていた。

なぜ、感慨があるかというと筆者も90年代後半にはRニューボールドを買っていたからだ。
筆者の記憶では、Rニューボールドというブランドは、スーツよりもカジュアルがメインである。
ブランドを国内展開していたジョイックスコーポレーションはどういう見解かしらないが、店頭の雰囲気、商品構成を見ると、90年代後半は明らかにカジュアル色が強かった。

なぜ筆者が買っていたかというと理由は2つある。

1、ファーストラインであるポールスミスが高くて、バーゲンで値下げされても買えなかったから。
  要はポールスミスよりも安かったからである。ただし、テイストは別物。

2、ポールスミスよりもカジュアル色が強くて筆者の好みだった。


この2つである。

例えばTシャツが2900円とか3900円くらいで、90年代後半のバーゲンではそれが30%オフになっていた。今から思うと、何のいわくもないTシャツによく2000円以上も払っていたなと感心するほかないが、当時はこれでもまだ安い部類だった。

中でも覚えているのは、ユニクロのフリースブームが始まる直前か始まった直後、96年~98年のどれかの年に、なんとジップアップの前開きフリースを9800円で買ったことである。

IMG_2326

(20年前のRニューボールドのフリース)



今から思うと、よく洋服1枚に9800円なんて支払ったなあと驚くほかないのだが、当時はこれでもまだ安い部類だった。これ以下だとユニクロの1900円しかなかった。

実はこのフリースジャケットをまだ持っている。
なんといつの間にか所有してから20年も経過してしまった。
まだときどき着ている。

この当時もシルエットはタイト気味が流行していた。
多分、チビTシャツブームの影響なのではないかと思う。
だから2000年代でも着用していてもおかしくなかった。

一番直近だと昨年の年末に着用している。
これを着て、29日~31日にかけて自宅で大掃除をしたのである。

フリースは風を通すことと燃えやすいことを除くと、ほぼメンテナンスフリーの楽ちん素材である。

しかし、この当時のフリースはアンチピリング加工されていないものが多いので、毛玉がつく。
これは当時のユニクロのフリースも同様で毛玉だらけになった。
そこから、フリースのアンチピリング加工が急速に進んだ。

このRニューボールドのフリースは御覧のように細かい毛玉がびっしりである。

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一方、これも買ってから7年くらいが経過したユニクロのフリースだが、まったく毛玉がない。
たしか2009年とか2010年に1990円に値下がりした時に買った記憶がある。

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(7年くらい前に買ったユニクロのフリースパーカ)


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(7年経過しても毛玉がつかない)


生地もRニューボールドのフリースよりもユニクロの7年前のフリースの方がソフト感がある。

もしもユニクロが1900円で売り出していなかったら、このユニクロフリースはもっと高値で売れたのではないかと思う。それほどに品質が高い。

それでも20年間断続的に着ているからこのRニューボールドのフリースにはそれなりに愛着がある。
20年前の服で手元残っているのはこれを含めて数少ない。

ところで、Rニューボールドで買わなくなったのは、やっぱり2005年前後からだ。

このころになると、ユニクロをはじめとする低価格ブランドの商品の見た目がグンと向上している。

比較的安いとはいえ、Rニューボールドの商品はそれらよりは高いのである。
おまけに見た目はそんなに変わらなくなってきたとなると、人間は誰でも安い方で買う。

だから買わなくなった。

Rニューボールドがブランド廃止にまで追い込まれたのは、

1、値段が中途半端に高いままだった。
2、販促、広報、PRがファッション雑誌に偏重し過ぎていた。


この2点が理由だと見ている。

カジュアルは低価格ブランドのおかげで市場での平均価格が下落した。
本来、Rニューボールドは値段を下げて(激安にまで下げる必要はない)、低価格ブランドに対抗すべきだったのではないかと思う。

それに加えて、広報・告知活動がファッション雑誌に偏重しすぎていたのが致命的だった。

実はこれはRニューボールドだけではなく、ジョイックスコーポレーションという会社全体に共通する宿病である。SNSが急速に普及した現在においても、社全体がファッション雑誌一辺倒の広報告知体制で動いており、ポールスミスに次ぐブランドを育てられないの要因の一つはここにあると個人的に見ている。

そう。90年代後半はメンズファッション雑誌の常連だったRニューボールドだが、同じやり方では2010年代は生き残れなかったというわけである。
そして、これはジョイックスコーポレーションだけではなく、他のアパレル企業、他のブランドにもいえることである。

アパレル各社はもうそろそろ2000年までのやり方は通用しないことを直視してはどうか。








ブランド間のコラボが増えた理由を考えてみた

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 つい先日開催された2017秋冬コレクションでのルイ・ヴィトン×シュプリームのコラボが話題となった。
元より最先端ファッションやラグジュアリーブランドとは縁のない筆者だが、極めて個人的な外野からの感想を書いてみたいと思う。

このほかにもブランド間のコラボ発表が多くあったとのことだが、こうしたコラボばやりには二つの要因があると思う。

1つは、人気ファッションブロガーMB氏が指摘するように、ブランドごとのセグメントがボーダレスになりつつあるということである。

ルイ・ヴィトンという高級ブランドと、シュプリームというストリートカジュアルブランドが対等な存在としてコラボレーションしている。
世の中にはブランドなんて無数にあるが、多くは「〇〇系」とか「〇〇テイスト」でセグメントされている。
そして、ファッション業界人はそのセグメントを疑うこともなく墨守しており、それがために遅れた業界に成り下がったという側面がある。

例えばこんなことは日常茶飯事だ。

「ナチュラル系」なら天然素材しか使ってはいけないという強固な固定概念がある。
商品のデザイン自体がナチュラル感あふれる物であってもその素材組成が合繊混だったり、合繊のみだったりすると「うちはナチュラル系だから」と言って、取引しない単細胞バイヤーは掃いて捨てるほどいる。

あんたらは生地バイヤーなのか?
商品のデザインが気に入って興味を持っても、生地組成の固定概念に外れるからといって仕入れないのがバイヤーの仕事かね?

だから、どこもかしこも同じようなブランドラインナップの店ばかり増えるのである。
それでいて口では同質化を嘆いているのだが、同質化を招いているのはあんたらの強固な固定概念なのだから、自作自演としか思えない。

そういうブランドごとのセグメントが、2017秋冬コレクションからはなくなりつつあるといえる。
ルイ・ヴィトン×シュプリームに限らずだ。

少し前の2017春夏コレクションではヴェットモンとワークブランドのカーハートのコラボ商品が出品されていたそうだ。

確実にブランドごとのセグメントはなくなりつつあるのではないだろうか。

もう一つは、

コラボは「競合より共栄」時代の象徴?
http://www.senken.co.jp/report/hanami_isogimi_20170123/

の記事内でも指摘されているように、

ブランド単独では注目が集められなくなってきているからと考えられる。

単独同士では注目が集められいないから、2つか3つ集まると単独でやるよりは注目が集まるだろう。
そんな考えがどのブランドにも根底に流れているような気がする。

単独で展示会やっても集客できないから何社かで集まって展示会をやればそこそこ集客できるのではないか、という合同展示会開催の考えと似た部分があると感じてしまう。

たとえルイ・ヴィトンでも筆者のように興味のない人はまったく興味を示さなくなっているから、通常の「〇〇シーズンのテーマは××を掲げて」なんて記事なら1行も読まずに華麗にスルーする。
まだ「シュプリームとコラボ」という記事なら何の共感も感心もしないが、それでも記事を流し読むことくらいはする。

とどのつまりはそういうことではないだろうか。

衣料品の売れ行きがかつてのように回復することは考えにくいから、今後はますますこういうコラボレーションが増えるだろう。

記事のタイトルは業界紙ということで「共栄」としておられるが、実際のところは「共衰の象徴」ではないかと感じる。

ところで、個人的にはトータルブランド同士のコラボというのはいまいちピンとこない。

なぜなら、トータルアイテムがそろうブランド同士がコラボをする意味が感じられないからである。
単に名義貸しみたいな感じさえする。

個人的には、トータルアイテムブランドと、特定のアイテムや特定のジャンルで定評のあるブランドとのコラボが本当のコラボではないかと思う。

例えば記事中で紹介されていたヴェットモン×カーハートのようなコラボである。
リーバイスだとかラベンハムだとかノースフェイスだとかナンガダウンだとかそういうブランドとのコラボは意味があると思う。

最近ではコレクションブランドに限らず衣料品業界はコラボ流行りだが、本当に共衰を象徴していると感じられてならない。
単独では集客できなくなっているからだろう。

先日は三越伊勢丹とビームスのコラボが発表されたが、これも単独での集客に限界を感じた小売業同士のコラボだと感じる。
業怪人業界人からすると、「百貨店が大手セレクトとコラボするのは新しい」となるのだろうが、一般消費者から見れば、「どちらも古くからある有名なファッション小売店同士」で目新しさはあまり感じられない。
よくある業界内コラボの一つとしか言いようがない。

まあ、そんな感じで業界内コラボは今後ますます増え続けるだろう。
しかし、それは業界の業界による業界のための取り組みであって、一般消費者に広く響くことはあまりないだろう。そういう意味ではファッション業界はますますマニアックでオタクな世界に進んでいるといえるのではないか。










デービッド・アトキンソンへの妄信は危険

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 寺社の修復などを手掛ける小西美術工藝社という伝統企業がある。
この企業の社長に就任して、事業を再生したのがデービッド・アトキンソン氏である。

金融マンから転身したという変わり種で、わざわざ伝統工芸の社長に就任するくらいなのだから、親日的な人物なのだろうと推測される。

また国内でも、グローバル金融マン出身という出自も手伝って、彼の意見の信奉者が多い。
事業を再生した手腕に加えて、根深いグローバルコンプレックスを抱えている日本人は、イチコロで彼の信奉者になりうる資質を持っている。

アトキンソン氏の論調は聞くべきところが多く、最近はいささか挑発的な表現が増えたが、彼なりに我が国の産業を考慮しての提言だと感じる。
しかし、やっぱり「グローバル金融マン」の素性は捨てられないのだなあと感じる。
良くも悪くもアトキンソン氏はグローバル金融マンであり、グローバル金融マンにも当然負の側面もあるということである。

世の中に良い部分しかない存在なんてないのである。
どんなに良い事柄でも必ず負の部分を内包している。

例えば、アトキンソン氏は日本の産業の輸出を促進したいという意図からか、盛んに「一人当たりの輸出金額が低い」ということを最近主張し続けているが、本来は一人当たりの輸出金額は、国の経済力とは関係がない。

「『1人あたり』は最低」ではない日本経済の伸びしろ
http://totb.hatenablog.com/entry/2016/12/11/222220

ここから引用する前に、アトキンソン氏が盛んに比較して日本を挑発する材料にしている韓国についてだが、韓国は内需が極端に弱い国で、ほとんどを輸出に依存している。
しかも人口は日本の半分以下であるから、必然的に一人当たりの輸出金額は高くなる。

日本は内需が大きいので低くなるが、アトキンソン氏を含むグローバル金融マンが褒める韓国は、現在経済危機に見舞われており、日本との通貨スワップが再開されないままに、今年10月に中国との通貨スワップが終了すると、97年に続いて経済破綻する可能性は極めて高い。

余談だが、韓国での売上高が極端に高くなっている某国内スポーツアパレルは大丈夫だろうかと、業界では噂になっている。余計なお世話だが少しずつ韓国での売上比率を下げるべきだと個人的には考えている。

極端に外需に依存した韓国と比較する意味は本来ほとんどない。

さて、先の記事から内容を抜粋引用して紹介したい。

G7で日本の次に少ないのはアメリカですが、両国に共通するのは輸出の対GDP比が低いことです。人口が多い国は多種多様な産業を抱えられるため、人口が少ない国よりも貿易依存度が低くなる傾向があります。

ヨーロッパ諸国の1人当たり輸出額が多いのは、経済統合を進めた結果、貿易が日本やアメリカの国内取引に近いものになっているためです。各国が地理的に近いことも貿易が多くなる一因です。

「ものづくり大国」を名乗りながら、1人あたり輸出額は世界第44位と言われて、悔しくないですか。

という挑発は的外れです。アトキンソンはアメリカ人に「1人当たり輸出額は世界第42位と言われて、悔しくてないですか」、あるいはドイツ人に「オランダやベルギーに負けて悔しくないですか」と聞いているのでしょうか。


とのことであり、詳しいグラフは原文の記事を開いて確認していただきたい。

アトキンソン氏の挑発はおそらく(面談したことがないから文章から推測するに過ぎない)、我が国産業を考慮してのことではないかと思うが、立脚点が間違っているなら、多くの場合は終着点も間違える。
世の中にはたまに間違った過程で正しいゴールにたどり着くこともあるが、そんな僥倖は期待すべきものではない。

アトキンソン氏の立脚点は牽強付会にすぎる部分が目立っているといえる。
例えば、ノーベル賞受賞者の数についての批判は、明後日の方角過ぎて意味をなしていない。

1人あたりのノーベル賞受賞数が世界で第29位というのは、悔しくないですか。

も、2000年以降の自然科学分野ではアメリカ、イスラエル、イギリス、スウェーデンに次ぎます。1901年からの累計値に基づいて現在の日本を論じることはナンセンスです。


であり、これがまさしく正論である。

アトキンソン氏の経営手腕は評価される点も多いが、間違った議論が横行するのは望ましい環境ではない。

参考に次の記事も読んでいただきたい。

アトキンソンの誤診と失った20年
http://totb.hatenablog.com/entry/2016/12/24/094626

アトキンソン氏の意見は非常に参考になるものも多いが、意図的か無意識的か立脚点が間違っていることも多く、妄信するのは危険である。

彼の意見は、テレビのスポーツ評論家の発言程度に半分くらいは聞き流すのがちょうどよい具合ではないかと思う。

アトキンソン氏に限らず、特定の誰かの言うことを無批判に妄信するのは危険極まりない行為であり、他人に操られる結果になってしまう。

デービッド・アトキンソン 新・所得倍増論
デービッド アトキンソン
東洋経済新報社
2016-12-09



デービッド・アトキンソン 新・観光立国論
デービッド アトキンソン
東洋経済新報社
2015-06-05


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