南充浩の繊維産業ブログ

ファッションブログ・・・・と言いたいところだけれどもそこまでファッションに特化していないし、能力的にもできない。そこで繊維製造業、産地、アパレルメーカー、小売店など幅広く繊維産業全般についてぼちぼちと書きます。たまにマスコミ、経済問題についても書く予定。よろしくお付き合いください。 お仕事の依頼は minami_mitsuhiro@yahoo.co.jp まで。

繊維業界新聞の記者としてジーンズ業界を、紡績、産地、アパレルメーカー、小売店と川上から川下まで担当。 同時にレディースアパレル、子供服、生地商も兼務した。退職後、量販店アパレル広報、雑誌編集を経験し、雑貨総合展示会の運営に携わる。その後、ファッション専門学校広報を経て独立。 現在、記者・ライターのほか、広報代行業、広報アドバイザーを請け負う。

生徒数の減少が続くファッション専門学校

  • このエントリーをはてなブックマークに追加 はてなブックマーク - 生徒数の減少が続くファッション専門学校
 先日、あるファッション専門学校の校長と話す機会があった。
その校長によると、今年4月に大阪市内のファッション専門学校に入学した生徒総数は1000人を割り込んで900人台だったという。

この数字が正確かどうかは分からないが、全国のファッション専門学校に通う生徒総数が12000人くらいといわれているから、大きくは間違っていないと考えられる。

大阪市内の学校法人のファッション専門学校は上田安子服飾専門学校、大阪文化服装学院が2強で、大阪モード学園がそれに続き、その次にマロニエファッションデザイン専門学校が続く。

この校長によると、この4校でおよそ800人くらいの入学者があったというから、のこり150人強をその他の学校で分け合ったということになる。

当然、その他の学校の入学者数は少ない。
各校5人~50人くらいの入学者数だろう。

ついでに言っておくと、4校の入学者数もピーク時と比べると一様に減っている。
4校が安泰というわけではなく、生徒数の減少傾向は他校よりは緩やかだが、本質的には変わらない。

そしてこれは大阪市内だけのことではなく、全国的に共通したファッション専門学校の現状である。

ファッション専門学校の生徒数・入学者数の減少にはさまざまな理由がある。
何度か書いてきたので繰り返さないが、

1、少子化でFランク大学を含めれば大学全入時代になった
2、ファッション業界が斜陽産業だと思われている
3、ファッション専門学校卒業後の主な就職先は販売員だが、ファッション専門学校を卒業せずとも販売員になれる

4、販売員を辞めて異業種へ転身する際、4年制大学や短大の方が「潰しが効く」と考えられている

だいたい大きくはこの4点が原因だろう。

そんな中、入学者数を前年よりも増やした、前年維持できた学校もあるが、それらの要因を聞くと、「中・四国地方の進学希望者を多く誘致した」「アジア人留学生を飛躍的に増やした」ことが挙げられる。

どちらも根本的解決には至らない対処療法でしかないことは言うまでもない。

他地方の進学希望者を多く誘致することは、その学校にとっては良いことだが、その地方の学校にとってはさらに厳しい状況となる。
結局、人口の分捕り合戦でしかなく、これが行きつくと、最終的に5つくらいの超強力な学校がすべての生徒を獲得することになる。

そこらへんのアパレルショップの安売りどころではなく、ファッション専門学校の生徒獲得はまさに弱肉強食の状態である。

アパレルショップなら安売りをすることで顧客をシェアすることも可能だが、専門学校の顧客(生徒)を分け合うことはできない。

アパレルショップなら、500円に値下がりして安いから隣の店でも1枚買うということは可能だが、専門学校の生徒が月水金は上田安子で、火木土は大阪文化に通うなんてことはありえない。

ファッション専門学校業界こそ、少ないパイの分捕り合戦を行っている状態といえる。

また、外国人留学生を多数誘致するというのも今の専門学校の受け入れ態勢ではなかなか難しいし、単に日本滞在だけが目的で、卒業せずに退学してしまう外国人留学生も相当数いる。

根本的解決を目指すなら、ファッション専門学校への進学希望者数自体を少しずつ増やすしかないが、企業と協力しなくてはそれもなかなか難しいし、企業の積極的な協力もそれほど期待できない。

ファッション専門学校は、このまま少しずつ減って、最終的に少数の学校が残るという結末に落ち着くのではないか。

それはそれで時代の趨勢だから、何か抜本的な改革を学校自身がしないことには、淘汰されるのも仕方がない。






同じ事象でも切り取り方によって見え方は変わる

  • このエントリーをはてなブックマークに追加 はてなブックマーク - 同じ事象でも切り取り方によって見え方は変わる
 今日はなんということもない感想なのだが。

先日、名古屋の老舗百貨店である丸栄に関するニュースが報道された。

一つは、丸栄が百貨店事業から撤退する可能性が高いこと。

丸栄 百貨店業務から撤退も
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170412-00002376-cbcv-bus_all


もう一つは、丸栄が興和の完全子会社になること。

興和が老舗百貨店の丸栄を、TOBで完全子会社化
https://www.wwdjapan.com/408855

である。

どちらも同じ会見から記事にしているわけで、本来は、二つまとめて一つの話になるのだが、記者や媒体がどちらの内容が重要だと考えているかで、クローズアップする部分が変わってくる。
これはその見本みたいな事例だといえる。

事実としては、

7年前に興和が子会社化した丸栄だが、業績不振が続いているので、100%子会社にしてしまって再建に取り組む。再建案としては百貨店事業からの撤退もあり得る。

ということである。

このうちのどこを重要視するかは記者や媒体の判断によって異なるということだ。

今回の報道の場合、世間的な話題性も含めると、「百貨店事業から撤退の可能性」という方がニュースバリューがあるだろう。

もうすでに2010年に丸栄は興和の子会社になっている。
この時点で興和が株式の69%を所有していた。

これが100%になると丸栄の上場廃止という事態になり、それなりには重要な事実だが、上場廃止以外はあまり現状と変わらない。

まあ、これがいわゆる報道で、どこを切り取るかによって記事の印象はまったく異なってしまう。

さて、丸栄の2017年2月期の業績だが、

17年2月期は売上高が前期比10.5%減の186億1200万円、営業損失は4億8500万円(前期は2億7800万円の赤字)、経常損失は6億2600万円(前期は4億2600万円の赤字)、純損失は8億9500万円(前期は5億6400万円の赤字)に留まっていた。

とある。

赤字もひどいが、売上高がかなり低い。
たった186億円しかない。これは地方の中型ファッションビル程度の売上高である。

名古屋市内の百貨店は「4M」とか「4M1T」と言われてきた。
4Mとは、松坂屋、三越、名鉄、丸栄で、1Tはジェイアール名古屋高島屋である。
近鉄百貨店は残念ながら含まれていない。(笑)

丸栄はWWDの記事によると、1615年創業というから、関ケ原の合戦の15年後に創業されているということになる。
三越の創業350年を上回る老舗といえる。

しかし、2005年以降、業界での存在感は乏しい。
地元関係者は別として、筆者のような他地方の人間からするとほとんど知名度も認識もない。
筆者の認識は丸栄を除いた3M1Tである。

松坂屋が売上高1000億円規模であることを考えると、売上高186億円というのは、差が開きすぎているといえる。

しかも他地方に多店舗展開しているわけでもないから、百貨店としてのバイイングパワーは落ちる。
納入メーカーからすると1店舗での仕入れ枚数が多いわけでもないし、店舗網を生かして多くの枚数が仕入れられるわけでもない。
だったら、メーカー側には付き合うメリットはあまりない。

事業再建案の一つとして出された、「百貨店事業からの撤退の可能性」はそれなりに妥当だといえる。
ここまで売上高が低下してしまえば、バイイングパワーは極度に弱まっているから、ブランドテナント店を誘致しての貸しビル業にシフトすることは合理的な選択肢の一つだろう。

「百貨店の伝統ガー」という嘆きの声も聞こえてきそうだが(笑)、冷静に考えると、この丸栄だって400年も続いてこられたのは、時代に合わせて売る物や売り方を変えてきたからではないか。

1615年の創業当時は当然百貨店だったわけではなく、着物を売っていた。
着物の販売に固執していれば、おそらくは現在まで企業としては存続できていなかっただろう。

どこかの時点で着物の販売をやめたということだ。

となると、ここまで既存の百貨店業態で失敗してしまえば、異なる形態に変わるほかないと外野のオッサンは思う。もちろん、変わるにも資金が必要だから、今の丸栄自体にはそんな金はないだろう。
そのために親会社の興和がある。

そういう意味では、今後、興和と丸栄がどのような再建案を提示し、どのように変わるかに注目したい。
変わらなければ座して死を待つのみだろう。


















自社の「強み」が「弱み」に転じるとき

  • このエントリーをはてなブックマークに追加 はてなブックマーク - 自社の「強み」が「弱み」に転じるとき
 自社の強みと弱みを把握するというのはどんな企業でも心掛けていると思うのだが、これが実は想像以上に難しい。なぜなら、強みと弱みは同じなので、これが状況によって強みが弱みに転じてしまうからだ。

伊勢丹新宿本店の商品陳列は、特殊で、ブランドごとではなく商品ごとに陳列されている。
また可能な限りブランドごとを壁で区切っていない。

この陳列方法が新宿本店の独自性であり、年間売上高日本一を記録し続けるほどに消費者に支持されている「強み」だと広く認識されている。

しかし、この「強み」が時として「弱み」に転じることがある。

直近でいえば、「クリスチャン・ルブタン」の化粧品の出店誘致である。
昨年6月に、ルブタンは銀座松屋と阪急うめだ本店に化粧品を出店した。

伊勢丹新宿本店も誘致活動を行っていたらしい。
しかし、結果はルブタンに選ばれなかった。

その理由は、「ブランドごとに壁がない」ことだった。

ルブタンは、ブランドごとに壁で区切られている売り場を作りたいと考えていたようで、その条件に合致した銀座松屋と阪急うめだ本店を選んだということであり、昨年インタビューした際に三越伊勢丹HDの大西洋・前社長に明かしていただいた。

伊勢丹新宿本店が「強み」として掲げていたことが、「弱み」に転じたことで、当時、大西前社長は「衝撃を受けた」とおっしゃっていた。

今後も、ルブタンと同様の観点を持つブランドが必ず出現するだろう。
そういうブランドが数少ない間は、伊勢丹式陳列は強みであり続けるが、そういうブランドが数多く増えた場合は確実に弱みになる。

その際、変化に対応するのか、それとも従来の姿勢を守り続けるのかが、企業経営者の判断が問われる。

変化に対応すればもちろん反対意見も噴出する。
一方、従来の姿勢を守り続けるのなら、確固たる考え方と、それを補う施策が求めらる。
ただ単に「これが昔からのうちの強みだから」という姿勢のままでは確実に苦境に陥る。

先日、久しぶりに百貨店向けパジャマ・メンズカジュアルアパレルの日登美の展示会にお邪魔した。

その際、谷野美智雄・副社長からこんな話を聞いた。
以前にも書いたように百貨店向け平場メンズカジュアルメーカーというのは、減り続けて現在は残存者利益が出ているが、減り続けているのはバブル崩壊以降だけのことではなく、それ以前からも徐々に減っていったそうだ。

今から、30年前とか35年ほど前のことだそうだが、バブル期よりもさらにたくさんの百貨店向けメンズカジュアルメーカーがあったという。
今年47歳になるオッサン筆者もそのころはまだ中学生や高校生で、それはそれは紅顔の美少年だったのだが(嘘)、当時の百貨店向けメンズカジュアルメーカーなんて記憶に残っていない。

その当時は、ニットの物作りが上手い会社がたくさんあって、日登美ははるかにレベルが下だったという。
しかし、そういう「上手い会社」はバブルを待たずにほとんどが消えてしまったらしい。

理由を尋ねると、「当時、百貨店の平場は単品集積からトータルアイテム提案に変わりつつありました。『物作りが上手い会社』はなまじ上手いものだから、ニット単品の物作り強化に取り組んで、トータルアイテム化に対応しませんでした。うちは下手だったからトータルアイテム化しました。それで生き残れました」と谷野社長。

「上手いからこそ、得意アイテムにしがみついて売り場の変化に対応しなかった・できなかった」とのことで、何やら現在の国内製造加工業全般に通じる教訓性を感じる。

企業は存続してナンボだから、いくら物作りを極めようが、消滅してしまえばお終いである。

商品として売り出す以上、一定の品質は当然求められるが、しかし、変化に対応せずに物作りに集中することは逆効果でしかない。

物作りが上手いからこそ、それにしがみついて変化に対応できずに滅ぶ。
何やらダーウィンの進化論を絵に描いたような事例である。

繊維の国内製造加工業にはこの手の話が掃いて捨てるほどあるし、洋装だけでなく和装業界もまさしくこれではないかと思う。

変化しないことが伝統ではなく、変化に対応して残ったものが伝統になるのではないか。

自社の強みを生かすことは重要だが、強みにしがみついて変化に対応できないと、それは弱みになる。











PR
PR






記事検索
livedoor プロフィール
タグクラウド
QRコード
QRコード